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 一行が大通りを市街の中心部に向かってゆっくり歩いていたときだった。
「やい、そこのお前っ!!」
 イヌ族が1人、朋也たちのほうに大股で近づいてくる。長く柔らかな耳毛と斑紋からすると、あれはパピヨンかな? 遠目には気弱でオドオドした印象を与えるそいつは、まっすぐ千里の前まで来るといきなりがなり立てた。
「お前、ニンゲンだな!? すぐにわかったぞ、その臭い!! ああ、あの女……思い出すだけでも身の毛がよだつ! 仕事や男とのデートから帰るたびに、俺に八つ当たりして、腹を蹴ったり、投げつけたり、煙草の火を押し付けたり……。もう1日逃げるのが遅れていたら、殺されてたところだった! やっと……やっとあの毎日から解放されたってのに、エデンまで俺たちを追い詰めに来なきゃ気がすまないのか!?」
 噛み付くように罵言を浴びせると、彼女を突き飛ばす。地べたにしゃがみ込んだまま呆然としている千里をかばい、朋也は前に出た。
「おい、やめろ!!」
「彼女は関係ないじゃない! 千里は、千里は絶対そんなことしないんだから!」
 クルルも抗議する。その彼女の袖をつかんで引き止めると、千里は首を振りながら言った。
「待って、朋也! お願い……。クルルも、ありがとう……」
 そして、パピヨンの男の方に向き直る。
「いいよ……気の済むだけ……殴っても……蹴っても……あなたの好きなようにしていいから……」
 千里は目に涙を浮かべたまま顔を振り上げると、イヌ族の彼に精一杯微笑みかけた。彼女の痛みは、突き倒された自分の痛みじゃなかったんだろうけど。
 そういえば……パピヨンといや、数年前にブームの盛りをすぎたいわゆるトイタイプ犬の典型だったよな。流行り廃りが激しいほうが回転率が上がってブリーダーは儲かるんだろうけど。需要を喚起する周辺産業も含めて4兆円市場といわれるまでに膨れ上がり、外見をさまざまにアレンジして次々にモデルチェンジを繰り返す当たり、ペット産業もアパレル業界じみてきてるのかもしれない。だが、店先に出せない〝曲がったキュウリ〟がどんな運命を辿るか考えるだけでも、朋也は〝生きた商品〟の並ぶ店に足を向ける気にはなれなかった。たぶん彼も、そうした犠牲者の1人なんだろう……。
 自分に暴力をふるってきたのと同じ種族の女性が、無抵抗に彼自身の怒りを受け止めようとしたため、パピヨンの男は戸惑いの表情を隠せなかった。
「ちっ」
 舌打ちして唾を吐きかけると、彼はそれ以上絡むのをやめてそそくさと立ち去っていった。
 我慢していた涙がついこぼれてしまい、手のひらで拭う。
「エヘヘ……駄目だな、私……弱くて……」
 本当に彼女は弱いんだよな、イヌには……。ジュディに代わって彼女を抱きしめて慰めてやりたいくらいだった。
「千里ぉ……千里はあんまり優しすぎるよ~」
 クルルが代わりに慰め役を引き受けてくれる。でも、自分のほうがもらい泣きして肩をたたかれてるんじゃ世話ないな……。
「そこのお嬢ちゃん」
 別の声が千里にかかる。またしてもイヌ族だった。今日はよくイヌに当たる日だ……。だが、今度の声の主は、布で巻かれた武骨な杖をついたかなり年配の老人だった。テリアのようでも、狆のようでもあるが、朋也の思いつく範囲にはない品種だ。千里なら言い当てられるだろうけど……。
「同族が不躾な真似をしてしまい、本当に申し訳なんだ」
 老人は深々と頭を下げた。
「あなたは?」
 その千里も彼の姿を見て、怪訝そうに首をひねっている。彼女も知らないのか? じゃあ、やっぱり雑種なのかな、毛色も地味な灰褐色だし。
「ちょっとお手を拝借してもよろしいかの?」
 千里がこくっとうなずくと、彼は恭しく手をとり、そっと鼻を近づけた。
「ほう……これが純血の……本物のニンゲンの匂いか。いや、すまなんだ、何しろ寄る年波故、鼻が効かなくなってしもうてな」
 どういうことだ? 彼の姿はどう見たってヒトに改良されていないエデンの原種には見えないが……。
「あんた、もしかして混血?」
 ミオが目を細めて質問する。
「おや、そちらのネコ族のお嬢さんは察しがいいの。いかにもわしの曾祖母さんはヒト族じゃったよ」
 朋也も千里も目を見張って老いたイヌ族の顔を見る。そういえば、カイトの奴も言ってたっけ。この世界じゃ、種族の壁は決して乗り越えられない壁じゃないって。てことは、耳が垂れてるのは品種改良のせいじゃなくて、ヒトの血が混じっているからなのか……。
「お嬢ちゃんは老いぼれの身の上話に耳を傾ける気はあるかの?」
「ええ。ぜひ」
 千里が促す。
 5人は老人を伴い、道の真ん中に伸びる花壇の縁に腰かけた。老いたイヌ族は長い眉の下にのぞく黒々とした目を細め、過ぎし日に思いを馳せながら、ポツリポツリと彼の血筋のたどった数奇な運命を話し始めた。
「──わしの曾祖父さんと曾祖母さんが結婚したのは、無論紅玉の封印が解かれる前の話じゃ。事件の後、2人は子供を残して行方知れずになった。2人が手をつないだまま海に身を投げるのを見た者もいたと聞く……。何しろ、ヒト族の半分はモノスフィアに逃亡したし、エデンに残された者たちも北方のイゾルデの塔に幽閉され、神獣に他種族との交流を一切禁じられたんでな。2人が離れ離れにならずに済む方法は他になかったというわけじゃ。
「残された男の子──わしの祖父に当たるわけじゃが──は孤児としてよその同族の家に預けられた。じゃが、事件が事件じゃっただけに、祖父に対する風当たりは強かった。祖父も、その娘であるわしの母も、異端種族の血が混ざっているというだけで、ずっと同族から迫害され続けてきた。耳や顔つきを見ればすぐにわかってしまうんでな。わしも、わしの親たちと同じように、曾祖母を、そして、ニンゲンという種族を恨んだ。
「わしが考えを改めたのは、他でもない自分の身に降りかかった出来事が発端じゃった。実は若い頃、ある女子に一目惚れしてしまったんじゃが……その相手というのがネコ族の娘じゃったんじゃ。結局、彼女にはフラレてしまったがの。じゃが、わしは曾祖母を、曽祖父を、許せるようになった。2人は愛し合っていたし、お互いを決して裏切らなかったんじゃから。そうなると、同族の自分に対する処遇が理不尽に思えてきよった。そこでわしは、ピラミッドまでウー神に会いにいったのじゃ」
「イヌ族の守護神獣カニアス=ウーのことですね?」
 フィルが確認する。
「さよう。そのウー神じゃ。シエナの東南にダリというイヌ族中心の街がある。そのさらに南の砂漠にピラミッドがあってな、ウー神はそこにお住まいになっておる。170年前以降、他の守護神獣と異なり、ウー神はピラミッドに篭ってしまわれてな。一族の者であっても、ご尊顔を拝するには、従者の仕掛けるいくつもの謎解きに挑戦しなくてはいかんようになったんじゃ。そして、現在に至るまでウー神にじかにお会いすることが出来た者はおらぬ──わし1人を除いてはな」
「へえ! おじいさん、頭いいんだね♪」
 クルルが大声で誉めそやす。
「いや……実は謎にはヒントがあったんじゃよ。まあ、詳しいことは省くがな。ともかく、わしはピラミッドでウー神にお会いし、自分の不遇を訴えた。じゃが、彼の話を聞いて、わしはすべてを受け入れ、赦す気になった……。これはウー神の名誉に関わることじゃし、わしだけに打ち明けてくれた2人の秘密じゃから、すまんがここでは話せん。
「じゃがな、170年前以前は、わしたちイヌ族とお主たちヒト族の祖先は、それはそれは仲睦まじかったんじゃよ。全種族の中でも種族間交際がいちばん多かったしな。まあ、わしの曽祖父母のように結婚とまでいかんでも、互いに深い絆で結ばれた種族同士じゃったんじゃ。それだけに、いつまでもニンゲンに対する愛憎に捉われているんじゃがな……」
 そうか……かつてのエデンで最も仲の良かった種族がヒト族とイヌ族だったとしても、不思議じゃないよな。ベスも、彼の組織のメンバーたちも、さっきのパピヨンだって、なまじニンゲンを深く愛していただけに、反動も大きかったといえるのかもしれない……。
「最近は移民が増えたおかげで、わしなんぞは返って誰にも見咎められなくて済むようになったが……逆に、わしのニンゲンに対する信頼は再び揺らいできてしまった。やはり移民たちからモノスフィアでのお主たちの振る舞いについていろいろ話を聞いてしまうとな……。じゃが──」
 そこで老人は千里に向かってにっこり微笑んだ。
「わしも、ウー神も、それでも間違っていなかったと、今では言えるよ。こうしてお主に出会えた今はな。お主はとても、いい匂いがする……愛されている匂いが」
 千里は思わず彼に抱きつき、泣き顔が半分ない交ぜになったクシャクシャの笑顔でささやいた。
「おじいちゃんもとてもいい匂いだよ……私の大好きな子と同じ……」
 優しく彼女を抱擁しながら、老人は先を続ける。
「……お主たち、何やら途方もない困難に立ち向かおうとしているようじゃな? 並々ならぬ決意が感じ取れる。わしらの鼻は、相手の感情の機微、心の綾まで嗅ぎ取ってしまうからな。そこでじゃ。同族の仕打ちのお詫びと、こうして知り合えた記念の意味を込めて、お主に贈り物を進ぜようと思うのじゃが……」
 そういうと、老人は杖に巻かれていた布をスルスルと解いていった。中から現れたのは──機関銃……。
「これは≪絆の銃≫と言ってな。ウー神がわしに授けてくれたんじゃ。その昔、ヒト族の一流の鍛冶屋が献上したものでな。どんな手強いモンスターも一発で倒せる強力な魔弾が撃てるんじゃ」
 形は似てるけど非なるものなんだな。ちなみに、カートリッジには鉱石を詰める必要があり、ダメージは物理系になるらしい。むしろモノスフィアの銃の原型といえるだろう。
「ふみゃ~~、こりゃまた超激レアアイテムだニャ~~」
 ミオが目を丸くする。目を離すとこっそり高値で売り飛ばしそうだな……。
「おじいちゃん、こんな凄いもの受け取れないわ! だって、神様にもらったんでしょ!?」
「こんな老いぼれが持っていても、もはや杖代わりにしかできんからの。お主に役立てて欲しいんじゃ。お主の愛する者のために……イヌ族とヒト族の絆を取り戻すために……」
 千里は神妙な顔つきで老人に手渡された銃を見つめていたが、やがて力強くうなずいた。
「……ありがとう、おじいちゃん。使わせてもらいます。あの子のために」
 そこでクルルが思い立ったように突然立ち上がった。
「おじいさん、杖なくなっちゃったじゃん。クルル、ひとっ走り行って買ってくるね!」
 言うなり、返事も聞かずに元気よく飛び出していく。アハハ、クルルらしいや。彼女を待って座っている間に、老人は今度は朋也に話を向けた。
「そこのお兄さんもニンゲンなんじゃろ? お主は、実に、何というか……不可思議な匂いじゃな……」
「ハハ……なんか守護神獣に見捨てられちゃったみたいで」
「いや、決して悪い匂いじゃないよ。皆に愛されてる証拠なんじゃからな。中でも、特に1つの種族の匂いが強く馴染んでおるが……」
 そこでなぜかミオと千里の視線が交錯し、火花を撒き散らす。フィルまでこっちをじっと見てるし……。
「そうだ、肝腎なこと訊いてなかったわ。私、千里っていいます。おじいちゃんのお名前は?」
「ルドルフじゃ。じゃが、わしとしては〝おじいちゃん〟と呼んでもらえるほうが嬉しいよ」
「じゃあ、ルドルフのおじいちゃん。私の一番大切な家族はジュディっていう子なの。きっと彼女もおじいちゃんの話、聞きたがると思うわ。彼女を助けだしたら、必ず連れてきて引き合わせますね♪」
「ホッホッ、名前を聞くといかにも元気の良さそうな女の子じゃな。会える日を楽しみにしておるよ」
 そこへクルルがようやく杖を見つけてきた。結構駆けずり回ったらしく息を切らしている。
一行はルドルフ老と再会を約し、別れを告げた。一時はどうなるかと思ったけど、やっぱりイヌ族の神様は、千里のことちゃんと見守ってくれてるんだな……。
 しばらく歩いていると、千里が朋也を呼んだ。
「バアン♪」
 振り向いた彼に向かって銃を撃つ真似をする。
「カ・イ・カ・ン♥」
 言うと思った……。そんなふうにふざけて遊んでると、ルドルフじいさんやウー神が嘆くぞ?
「一度やってみたかったんだよね~(^^;;」
 そう言いながら銃身に目をやった彼女の表情が変わる。
「あれ? ……これ、ストッパー付いてないや」
 洒落になんねー(T_T)


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