千里の頬にほのかに朱が差したように見えた。アニムスの光のせいだろうか? 朋也は目をゴシゴシと擦った。だが、錯覚ではない。不意に、彼女の長い睫がピクッとかすかに動く。千里は数度瞬きをしてから面を上げ、不思議そうに辺りをながめ回した。
「……あ、あれ? 私……」
そこでやっと、目の前に朋也たちがいるのに気づく。
「朋也、ジュディ……みんなも……そっか、迎えに来てくれたんだ。ありがとう♪」
仲間たちに向かって、さっきまで死人だったとはとても思えない笑顔を振り撒く。
フィルを含め、誰もがあんぐりと口を開き、穴が開くほど自分の顔を見つめているため、千里は戸惑いの表情を浮かべて尋ねた。
「ね、ねえ、さっきからどうしたの? みんな黙り込んじゃって……。おまけに、何だか傷だらけじゃない!?」
やっとジュディが顔をクシャクシャにしながら声をしぼり出す。
「ご主人サマッ! 嘘じゃ……ないんだね!? よかった……よかった!!」
「……きっと、ジュディさんの感情の爆発的な高揚が沈静化したため、エネルギーのベクトルの反転が起こって、千里さんから過剰に吸収した生命力も返却される形になったのですね……」
自らの推論の末たどり着いた答えを、フィルが皆に向かって説明する。
難しいことは朋也には解らなかったが、いずれにしてもいま目の前で起こったのは奇跡には間違いない。さっきまではアニムスには悪意でもあるんじゃないかと勘繰ったりもしたが、こうして千里が無事に息を吹き返したいま、世界のすべてに感謝したい気持ちでいっぱいだった。神獣キマイラにも──
と思っていたら、どこからともなく彼の3重の低い声が響き渡った。
≪朋也、千里、すまなかった。千里の魔力が想定以上に高く、アニムスが過剰に反応してしまったようだ……≫
「キマイラ!?」
さっき倒したはずなのに……。もっとも、声はすれども姿は見えず状態だが。エメラルドの守護者だけあって、碧玉が消滅しない限りは彼も本当に滅びることはないのだろう。それにしても、宇宙一の賢者なら、もっとしっかりしてもらわなくちゃ困るな。
≪しかも、お主たちにはエデンの全住民に代わって礼を述べねばなるまい。お主たちのおかげでエデンは救われた。もはやモノスフィアからの干渉は受け付けぬ。モンスターの脅威もいずれ去るであろう。アニムス自体は意思を持たぬ。触れる者の願いを映し、それに応えるのだ。紅玉は甦ったが、お主たちの世界も消滅してはおらぬ。お主たちが2つの世界の失われることを望まなかったが故に……≫
本当か!? じゃあ、トラの願いも叶えられたわけだ……。もう1つの心配事も解消し、朋也はホッと胸をなで下ろした。
≪まったくお主たちはたいした生きものだな。余の叡智をもってしても、まさかこのような解があろうとは思い至らなかった。余もお主たちに対する認識を改めよう。もっとも、お主たちの世界の置かれた状況には何ら変わりはない。自滅するも存続するも、お主たちニンゲン次第だがな……≫
ニンゲン次第。か……。2つの世界が一大ピンチから救われたんだもの、そこまで贅沢は言えないよな。それぐらいは自分たちで何とかしなきゃ……。
≪さて、お主たちへの謝罪と感謝の意を兼ねて、余の最後の力をもって今1度だけゲートを開こう。この地に留まるか、元の世界へ還るかは、お主たちの選択に任せる。好きにするがよい……≫
そこでキマイラの声は途絶えた。さっきまでは2つの世界をめぐって敵対関係にあったけど、そこまで配慮してくれるんなら心から感謝しなきゃな……。
まだ事情をよく飲み込めずに首を傾げている千里を振り返り、クルルがニコニコしながら言った。
「でも、千里が生き返ってくれて、ホントよかったねっ!」
「なに……ひょっとして私、冗談抜きでホンッットに死んでたわけ!?」
目を白黒させながら千里が訊く。
「見事に息してニャかったわよ……」
「そうそう、ご臨終だったのよぉ~~」
「ボク、てっきりもう駄目かと思っちゃったよ」
「そ、そうだったの……。確かに、ここに連れてこられて、アニムス再生の儀式が始まってから意識がなかったけど……。しまった、惜しいことしたわ! せっかく貴重な臨死体験だったのに、全然覚えてないなんて~!」
千里の反応に一同がっくりくる。
「おいおい」
「こっちは千里が死んでたおかげでひどい目に遭わされたんだからっ!」
「そうよそうよぉ~!」
みなの抗議を受けて、千里は改めてパーティーの仲間たちの有様をながめ回した。
「確かに、みんなすごい有様だけど……朋也なんて、血まみれで私よりよっぽど死にそーに見えるわね……」
そうだ、指摘されたらまた痛みがぶり返してきた……。
「私が回復してあげるわね♪」
クリスタルを詠唱するが、なぜかまったく発動しない。
「あれ? おかしいなあ?」
「きっともう、ルビーのアニムスに魔力を全部吸い取られちゃったのよぉ~」
「え~、そんな~!? もう魔法使えなくなっちゃったの? なぁんだ、がっかり……。でも……ま、いいか……。おかげで誘拐されたり死にかけたり、大変な目に遭わされたんだものね」
そうそう。それに千里に魔法の力を持たせてたら、こっちはいつまでも頭が上がらないもんな……。
そういうわけで、朋也はマーヤとフィルにセラピーを施してもらうことにした。ふう、これで何とか楽になった。
「で……一体何があったの? 神獣と戦ったの? それとも、もっととてつもないモンスターでも出てきたわけ??」
改めて千里が質問すると、ミオがニヤニヤしながら答えた。
「いたいた、メッチャクチャ凶悪ニャ奴よ」
「まさにラスボス中のラスボス、真の親玉って感じだったわねぇ~♪」
「まったくだ、うん」
「クフフ♪」
朋也たちも調子を合わせる。ジュディはみんなの視線を浴びて、穴があったら入りたいモードになる……。
「へえ~、そんなにすごい怪物なら、私も一目お目にかかりたかったなあ……残念!」
地団太を踏む千里に向かって、ミオが教えてやる。
「そんニャに悔しがらニャくても、いま目の前に本人がいるわよ?」
「へ??」
ジュディはいきなりガバッとしゃがみ込んで土下座すると、額を地面に擦りつけんばかりに平謝りに謝った。
「みんな、ホンッットにゴメンッ!!」
「え・・・・(--;;」
千里が固まる……。
「ボク……ご主人サマが死んじゃったと思って、頭の中が真っ白になっちゃって……自分でも何が何だか……」
「あたい、キマイラだって別に怖くニャンかニャかったけど、あんたの形相にはマジでビビッたわよ……」
「俺も死を覚悟したぞ……」
ミオと朋也に責められてますます縮こまるジュディに、クルルたちが救いの手を差し伸べる。
「2人とも、そんなにジュディをいじめちゃ駄目だよっ!」
「悪いのはジュディじゃないわよねぇ~」
「アニムスの暴走が重なって、感情のコントロールが効かなくなったわけですから、仕方がありませんわ」
「と、ともかく、ボクがみんなをボロボロにしちゃったのはホントなんだから、煮るなり焼くなり好きにしていいよっ!」
ジュディは介錯をしてくれと言わんばかりに胡座をかいて目をつぶった。
「う~ん、とっちめてやりたいのはやまやまだけど、煮るニャり焼くニャりは朋也に任せるわ。あたいは外の空気を吸ってくるわね。じゃ、あとヨロシク♥」
朋也に向かってウインクすると、ミオは階段を下りていった。
「ジュディの大好きなおいしいビスケットを用意しといてあげるね♪」
「グツグツ煮てこんがり焼いてねぇ~♥」
パーティーの仲間たちが1人また1人と塔から出ていく。フィルは行きがけに2人にセラピーをかけてくれた。
「肉体的な損傷については応急の回復処置を施しておきましたわ。心の傷のほうは、どうぞお2人でごゆるりと癒してくださいね」
……。フィルまで2人に気を配ってくれたようだ。
ミオたちはああ言ってくれたものの、やっぱりお互いの距離が誰よりも近い家族であるジュディと千里に、2人の時間を与えてやろうと朋也は思った。生きて再び巡り会えた感動を2人水入らずでたっぷり味わいたいだろうしな。
だが、先に腰を上げたのは千里のほうだった。
「それじゃあ、朋也 ジュディのこと、頼んだわよ?」
「え……ご主人サマ、行っちゃうの?」
心細そうな声で彼女に訊く。
「ジュディのために朋也が命がけで頑張ってくれたんだから、まずは彼に謝らなくちゃ。2人に時間をあげるから。その後で、私が捕まってる間にどこでどんな冒険をしたのか、ゆっくり聞かせて? ね?」
「うん……ありがとう、ご主人サマ……」
千里は朋也の肩に軽く触れてにっこり微笑むと、仲間たちに続いてアニムスの塔を出ていった。