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 俺はフィルを連れて元の世界へ還ってきた。
 彼女は歳の離れた従姉妹ってことにでもしようかと思ってたんだが──一年であっという間に成長して、俺とほとんど変わらないほどになった……。
 あの〝フィル〟と瓜二つだった。でも、まったく同じじゃなかった。フィルは俺のこと以外、世の中のことにはまったくといっていいほど無知だった。俺は〝彼女〟に教わったことも含め、さまざまな知識に触れさせてやった。呑み込みが早いから、あっという間に追い越されちゃったけど……。性格も、以前の〝彼女〟ほど控えめじゃなく、より無邪気なところがあった。でも、彼女の微笑みや、ちょっと考え込む時の表情、髪をかきあげる仕草は、紛れもなく〝フィル〟のものだった。
 〝フィル〟は俺への想いだけでなく、彼女の生きた生命の多くの部分を引き継いでくれたんだ……。
 しばらくフィルには花屋の店員のバイトなんかをしてもらったりしたが、彼女が触れた途端、萎れた花が生き生きとしだすもんだから、大騒ぎになってTV局まで取材に来た……。俺もフィルも静かな生活を望み、田舎に移ることを決心した。
 引っ越し先に選んだ古民家からは山が間近に迫り、奥の方にはブナやミズナラの育つ原生林もある。サルやシカやイノシシもたまに降りてくる。悪戯する子にはバンブーサークルの簡易バージョンでちょっぴり脅かして森に追い返しているので、うちが被害に遭うことはない。都会の便利さはないけど、ここには俺たちの求めていた安らぎがあった。そう、エデンのような……。
 今、俺たちは庭の畑で採れる野菜をインターネット経由で販売したりして、そこそこ食いつないでる。農薬や肥料を撒かなくとも、フィルがいるだけで作物はすくすく育つもんだから、よその農家には申し訳ないほどだ……。味も上々で、『クレメイン印の無農薬野菜』と銘打って好評を得ている。見学に訪れる人も少なくない。秘訣を問われても、〝企業秘密〟としか答えようがないんだが……。
 千里とは時々連絡を取り合っている。今はバリバリのOLで俺より稼ぎはいいが、残業やらなにやら大変そうだ。自分も都会を離れたいとボヤいてる。お金を貯めて、エデンでの体験を元にした小説を著すのが夢だとか。ジュディには赤ちゃんができた。2人して子育てにてんやわんやだが、充実した日々を送っているようだ……。
 フィルは、彼女自身が森の精であることを知らない……。もう1人の〝フィル〟のことも……。
 自分が他のニンゲンと違うことはとっくにわかっているだろうし、〝彼女〟の哀しい運命を俺がずっと引き摺っていることも察しているかもしれない……。過ぎ去った日々はもう戻らない。それでも……いや、だからこそ、俺はやっと手に入れたささやかな幸福を噛みしめながら、1日1日を大切に生きていきたいと思う──2人のフィルのために……。

「そろそろお昼にしない?」
 夏野菜の苗床作りが一段落ついたところで、フィルが声をかけてきた。
「もうそんな時間か……」
 額の汗を拭いながら答える。
「お弁当持って森へ行くのはどう?」
 あそこか……。この間、2人でいい場所を見つけたのだ。椅子代わりになる倒木があり、目の前に川が開けてちょうどそこから山が望める。お弁当を広げるにはもってこいだった。今日は天気もまずまずだし……。
「いいね♪」
 返事をして立ち上がると、朋也は彼女と連れ立って家に向かっていった。



fin☆


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