後書き


 エンターテイメント作品をめざしたものの、結局書き上がってみたらなんだか変な内容になってしまいました……。「幽霊ものなのに全然怖くない!」「幽体と霊体の定義がなっちょらん!」とかいろいろご指摘を受けそうですが‥。怖くないのは正直な話、筆者が幽霊話の類いをあんまり信じていなかったりするからでしょう。怖いのが嫌いだからなんですけどね(汗)。自慢じゃないけど、ポルターガイストが出るという曰くつきの家に一人で寝泊りしたこともあったりします(別に何も起きんかったけど‥)。まあそうはいっても、筆者も魔法や神様といったファンタジーの小道具が登場する物語を楽しく鑑賞できますし、自分もそうした作品を書いてみたいと思った次第です。
 この作品を手がけたのには他にもいくつか理由があるのですが、ある日街をブラブラしていたときにふと〝犬伏〟さんというお宅の表札が目に入り、「カッコイイ苗字だニャ~、自分もどうせならこんな名前の家に生まれたかったニャ~‥」と思ったのがきっかけの一つでした。当然ながら、この作品はフィクションであり、実在の犬伏さん、あるいは猫咲さん(いないだろけど)とは何の関係もありません……。
 そしてもう一つ。巷にあふれている物語には、「だれかのために犠牲になる」というお決まりのパターンがあります。大体家族とか恋人とか友人とか、だれか大切な人(ときによると有名だけど面識のない人や、信条とか共同体とか宗教とか生きてるわけじゃないもの)を守るために、関係を強調するなんらかのエピソードをはさんだうえで、主人公なり、あるいは重要なサブキャラが自らを犠牲にする──具体的にいうと死んじゃったりするわけです。そうしたお話を読んだり映画を観たりすると、毎度おなじみのパターンだとわかっていても、つい涙腺が緩んでしまうのがヒトという動物のサガなのでしょう。ひょっとすると、そうした感情に関わる遺伝子があるのかもしれません。が、そうした感動を誘う美しいお話は──書き手としては考えるのが楽なのですが──下手をすると、爆弾を抱えて大勢の人のいる街中で火をつけたり、飛行機に乗って大勢の人間の乗っている船とかに体当たりして、他人も自分も殺すことを正当化してしまう危うさをはらんでいます。
 で、そうした定石に頼らずに読者の心をふるわせる物語を書けないものだろうかと思ったわけです。もちろん、今作でそれに成功したとはいいがたいのですが。キムを主人公のそばにとどめさせるのに幽霊という安易な設定に頼ってしまいましたし・・。
 でも、キムのモデルになる子は、ノンフィクションの世界に確かに実在するのです。「もう助かる見込みはない」と医者にさじを投げられながらも、驚異的な生命力を発揮して死の淵から奇跡的に生還した子を、筆者は何匹も知っています。一方で、とっくに限界を超えていると言われながら、百%勝ち目のない絶望的な戦いを挑み、死神の打ち振るう鎌を幾度も撥ね退け続けた子もいました。だれかのためにあえて生き続けることは、だれかのために死ぬことよりはるかに困難なことです。けれど、それができた子も確かにいたのです。
 本作は小エピソードを交えた4作ほどの連作の予定です。2作目以降はまだできていませんが。まあ、どういうキャラが出てくるのかは大方想像がつくと思いますけど。大体白虎なんて安直なネーミングだし・・。白虎は今作中ではアラスカン・マラミュートとして登場しますが、実はシベリアン・マラミュートという未公認の新犬種(ハスキー×マラミュート)という設定だったりします。続編にて登場予定の残りの四聖獣は、ジャパニーズ・ピットブル(土佐犬×ピットブル)の玄武、グリフォン・ハウンド(グランド・グリフォン・バンデーン×グレイ・ハウンド)の青龍、ボルゾイ・ピンシャー(ドーベルマン×ボルゾイ)の麒麟。実はベルの正体がアフガン・セター(アフガン・ハウンド×アイリッシュ・セター)の朱雀だったり‥。最強闘犬双璧の血を引く玄武は、脅威的な攻撃力と自爆のスキル。時速百キロのレース犬を上回る俊足の持ち主青龍は、今作に登場するニュータイプの正体(他の霊犬や指令コードを伝送するのが任務)で、あまりに特異な電子化訓練を受けたためアナログの世界に戻ってこれません。麒麟は歴代最強死霊犬。2作目が遼子さんとジョルジュのエピソード、3作目では真知子さんとベルが窮地に陥り、4作目の最終回で父親&麒麟と迅人&キムの対決! という具合に話が進行することになってます。


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