ティコからのメール


《急募! ○○県内ですぐ逝ける方。週内決行。空席後一人分》
《眠剤と車は用意できます。練炭持ってる人いませんか。できれば女性の方希望》
《彼氏に捨てられた。つらい。だれでもいいからメールして》
《カリ売ってください。ベゲA百錠でも可》
《もう人生に疲れました。職を失って妻とは離婚、退職金も底をつきました。同じ境遇の方、いらっしゃいませんか?》
《死にたい。早く死にたい》


*   *   *   *   *   *   *   *


 今日一日のうちにBBSに書かれたメッセージ。ちなみに、最後のは私だ。
 自殺志願者用のこのメル友募集掲示板を見つけて、私が出入りし始めてから三週間になる。もちろん、冷やかしじゃない。本気だった。
 自分がこの世界に〝在る〟ことに疑問を感じるようになった。生活することにしんどさを覚えるようになった。そう、一言で言えば〝しんどい〟。
 結婚は、同世代の女性の中では早かったほうだと思う。その分、冷めるのも早かった。夫と体を重ねることをやめて何ヵ月になるだろう。私のほうから求める気はさらさらない。夫のほうはどうだか知らないが、いくらでも代替は利くのだし。実際、私のと違う香水の匂いをスーツに付けて、午前様で帰ってきたことは一度や二度じゃない。
 外資系中堅企業でマネージャーを務める夫は、「家庭は仕事の二の次」といういまどき化石じみた信条の持ち主だった。家へは寝に帰るだけ。帰るというより、ちょっと立ち寄るだけといったほうが正解だ。我が家とは名ばかりのビジネスホテル。私のほうも、宿泊客にサービスするだけの給仕係。そう、世間で言うところの仮面夫婦。
 今日こそは腹を割って話し合おう、怒りをぶつけよう──決意しながら口にできず、夫の背中でシーツを握りしめた日々はとうに過ぎた。休日出勤も多い夫が家にいるのは、一月のうち三日ほどだ。残りの時間、大手町まで三〇分、駅から五分の新築マンションを、私は独り占めできる。私のお城。それでいいじゃない……。
 けれど、エアコンの効いた2LDKの快適な空間は、私にとって城というより檻でしかなかった。
 朝、夫が床を離れドアの外に消えるまで、わずか二〇分。機械的に夫を送りだすと、ひととおり家事を済ませる。夫婦のノルマはそこまで。ふと気づくと、部屋に一人ポツンと残された自分がいる。見る気のないテレビをつけっぱなしにし、コーヒーを片手に読む気のない雑誌のページをめくり、読み終えた雑誌を絨毯の上に放りだしてソファにごろんと仰向けになる。そのままじっと天井を見つめること四、五時間。時計を見やって「もう買い物に行かなきゃ」と重い腰を上げるまで、何もしない。毎日がその繰り返し。
 といって、その檻から出る勇気も私にはなかった。不倫なり家出なり、あるいは、何かのサークル活動に参加するとか、ほんのささやかな反乱でいい。檻から脱け出して思いきり羽根を伸ばしたい、ちょっとした冒険に出てみたいと、思わなかったわけじゃない。でも、冷静に考え直すと、そんなものは冒険でも何でもない。檻の外に、私の居場所はないのだから。
 食べ忘れて何日も戸棚に置きっぱなしにしたクレープの皮みたいに、パリパリに干からびた日常。五年後も十年後もきっと同じ。そのままカビが生えて、ゴミ箱行きになるのを待つばかりの人生。
 自殺掲示板を訪れる人たちは、病気、借金、失恋etc.と動機こそ人それぞれだけど、みな〝しんどさ〟という共通のキーワードでつながっている。若いころ抱いていた夢の理不尽さに気づかされ、周りの人々の歩く速度にこれ以上ついていけないと感じる。生きることは〝しんどい〟。出口はもうここしかない。そう思って、花の蜜に吸い寄せられる蝶のように──いや、殺虫灯に群がる蛾のように、フラフラと集まってきて、悲鳴にも似た足跡を残していく人たち。私もとうとうその一人に加わった。
 最初の書き込みをしてものの五分とたたないうちに、返事が何通も舞い込んできた。そのうち半数以上は自殺と関係ないジャンクメール。けれど、残り半分の真剣な内容のメールにも、私はなかなか返事をする気になれなかった。返信文を最後の一行までしたためながら、どうしても送信ボタンを押すことができない。
 この人たちは明らかに私と同類のはずなのに、何かが違うのだ。いや、同じだからこそ違和感を覚えるのか。そう、メールを送ってくるのはみんな、もう一人の私にほかならなかった。
 息の詰まる毎日、孤独──。同じ立場の者同士でメールし合えば、少しは気が安らぐはずではないか。お互いの求めるものはわかっているのだし……。でも、私は知っていた。求め合いこそすれ、与え合うことは決してないのだと。一人で立てない人に、他人を支えてあげる力はない。一滴の水も持たずに砂漠をさ迷う人に、他人の渇きを治す術はない。
 私は心の内で自分自身と幾度も対話を繰り返して、癒されたことなど一度もなかった。他人の代表者である夫にしても。肌を合わせた相手でさえ、心が見えないのだ。そして、そのことにはかない期待も、疾しさも、悲しみも、その他一片の感情も湧き起こってこないのだ。他人と電子化された符号をやりとりしたところで、救いを見出せるはずがないではないか。
 人と人とがコミュニケーションを交わすことなんて、土台不可能なんだ。携帯もパソコンも、人同士が心を通じ合えるという雰囲気をかもしだす演出装置にすぎないのだ。
 みんな自分をごまかしているだけ。明日への希望を失くしながら、液晶の文字に変換された労わりや思いやりに癒しを求めようと必死になっている。そんな自分がネット空間にウジャウジャ増殖していると思うと、実に滑稽で、ケラケラと大声で笑いだしたくなる。
 そうして来たメールをながめるだけの日がズルズルと続いた。ある日、メールボックスにいままでのそれとは一風異なるメールが届いた。
《おかあさんへ》
 タイトルを見て首を傾げる。私に子供はいない。いたら少しは違ったろうけど。開封すると、そこにはギャル文字や顔文字どころか句読点さえない、ひらがなだけの文章が綴られていた。
《おげんきですかひとつきもしんぱいをかけてごめんなさいわたしはげんきですいまはけんたさんたちといっしょにいますまたきんきょうをおしらせします》
 私はそのメールの送り主に心当たりがあった。
 ティコだ──。
 ティコはフェレットだ。などと言うと、すぐさま「何をバカな」という反応が返ってくるに違いない。でも、そのときとっさに私の頭に浮かんだのは、立派なヒゲを生やしたとがった顔に小さな丸い耳、つぶらな黒い瞳にほかならなかった。
 二年前のこと、乾ききった家庭に少しでも潤いが必要だと感じた私は、何か小動物でも飼おうと思い立った。犬や猫なら寂しさを紛らすにはうってつけだが、手がかかるイメージがあるし、第一夫の不興を買う可能性が高い。小鳥や魚は飼育は楽そうだが、いまひとつ情が湧かない。中間を択ってこれと決めたのがフェレットだった。ペットショップではなく、ネットの〝譲ります〟掲示板に載せられていた写真の中から、一匹のオスの子を選ぶ。名前はフィーリングでティコと付けた。
 それからの二年間、私は相変わらず孤独だったが、ティコに出会うまでとは孤独感の質が少しだけ変化した。
 一日に二、三〇分ほどケージから出して遊ぶときと、食事と排泄の時間以外、ティコは基本的に眠っている。フェレット用の小さなハンモックの上に敷いた布の中で、自分も布切れの一部と化したようにくったりと身を丸め、寝息を立てている。ヒョロリと細長い体はとても柔軟で、寝姿はC字になったりL字になったり、ときにS字になったりする。なんだか哺乳動物に思えない。
 犬のように芸をするでも、鸚鵡のように話せるでもない。猫の額が広く感じるほどのちっぽけな頭に、そんな芸当をこなせる脳味噌が入っているわけはない。そのくせ、人のことをよく観察しているのには驚かされる。自分の体重の何十倍もある相手に平気で歯を立てるくせに、そろそろおやつにしようと小袋に手を伸ばすが早いか、たちまち小動物特有のおもねるような表情で私の顔を見上げる。そんなふてぶてしさも愛嬌のうち。かわいいという言葉を声に出すと白々しい響きがあるが、ティコの仕草をながめているときの私は、ささくれだった心の角が取れて少し丸くなっている。
 起きているとき、私がティコを見つめると、彼のほうも小さなビーズ玉のような目で、何かを訴えるようにじっと見つめ返してくる。一体この子は何を考えているのだろう? いくら考えてもわからない。それでも、夫の胸の内を推察するのに比べれば、わからないことから来るやりきれなさといったものがない。私はティコに向かってクスリと微笑み、キス代わりに指先で鼻をちょんと押す。
 その夫のほうは、フェレットを飼うと私が宣言しても、眉一つ動かさず肩をすくめただけだった。向こうとしても、こっちがストレスを自己管理してくれるほうが好都合だと踏んだのだろう。
 ちょうど一月前、ティコは行方不明になった。
 落ち度は私にあった。私はティコをケージから出すとき、しばらく放っておくことにしていた。散歩中、「ククク」と鳴声をあげながら探索に夢中になるティコの様子に、リードを付けずに好きにさせてやろうと思ったからだ。その日、トイレを片付けていてほんの少し目を離した隙に、ティコは部屋から消えていた。ベランダのほうを振り返って、窓の隙間が薄く開いているのに気づく。さっき掃除をしたときにうっかり閉め忘れていたのだ。急いで窓の外をのぞいたが、そこにもティコの姿はない。
 この部屋はマンションの三階だ。体が柔らかいといっても、フェレットには猫みたいに宙返りを打って着地を決めるようなまねはできない。実際、家の中でも高所からの落下事故が多いと聞く。下の地面まで落ちたとしたら、骨折程度じゃすまないだろう。私は大あわてで一階に降り、植え込みの間を探しまわったり、立ち木の枝にでも引っかかっていないかと頭上を仰いだ。それから、入居の挨拶以来、一度もベルを押しに行ったことのない階下の住人に尋ねたりもした。翌日にはかかりつけの獣医や保健所に連絡を入れた。けれど、結局ティコの消息はつかめずじまいだった。
 ティコがいなくなり、ケージの中が空っぽになることで、今の生活の不毛さが再びずっしりとのしかかってきた。ティコの世話は、私にとって掃除や洗濯と同様日課の一つにすぎなかったし、夫との関係がうまくいかない気晴らし、あてつけの意味しかないはずだった。にもかかわらず、自分はその生きたぬいぐるみじみた小動物にすっかり依りかかっていたのだ。激しい眩暈と息苦しさに襲われ、住人のいなくなった檻を前に、自らを囲う檻の中で、私は震える膝を抱えてうずくまった。
 自殺サイトに登録し、届くメールを日に二度三度と確認するようになって三週間。書かれているとおり、ティコが去ってぴったり一月後に、まるで運命の啓示のように送られてきたメール。
 私は返信した。
《ティコなの──?》
 フェレットがメールしてくるなんて実にナンセンスだけど、そのときの私には、一月前の符合のほうがより大きな現実味を帯びているように思えた。
 メールを送ってしばらくたってから、少し冷静になる。せめて「だれなの?」と書くべきだったのではないか……。
 ぞっとする考えが頭をよぎる。ティコが行方不明になったことを知っている人間はゼロではない。だれかがティコのふりをして、私をからかう悪戯メールを送ってきた可能性もある。もっとも、私がこのアドレスを載せたのは例の掲示板だけだ。後の祭りとはいえ、我ながらバカなことをしたものだと思う。自殺サイトにアクセスして、「死にたい」なんて書き込みをしたことまで他人にバレているとしたら……。思わず顔がかっと赤くなる。
 それにしてもだれだろう、こんな子供じみたまねをするなんて。容疑者リストに名を連ねたのは、私が血相を変えて駆け込んだ近隣の住人、動物病院や保健所の関係者、私にティコを譲った前の飼い主。ほかに思い当たる人物はいない。
 いや、後一人いる。夫だ──。だが、夫がティコの不在に気づいたのは、ケージが空になって実に四日も過ぎてからだった。あの子の名前さえ覚えてやしないだろう。
 翌日、気を揉みながらメールをチェックしてみると、また同じアドレスからのメールが届いていた。
《そうですおかあさんてぃこです》
 ここ数年なかったほど動悸が速くなる。恐る恐る開封し、本文に目を走らせる。
《おぼえていてくれたのですねありがとうぼくはあなたのことあなたのにおいをわすれたことはありませんいっしょにあそんだこともはんどばっぐのなかやせんたくものやしいつのしたにもぐりこんだことときどきおすそわけしてくれるくだもののおやつおいしかったけんたさんにもおかあさんのことをよくきかせます》
 このメールを寄越した人物は、少なくとも私とティコとの二年間を詳細に観察していたことになる。フェレットに詳しい相手なら、ある程度のことは推察できるかもしれないが……。それでも、先に挙げた差出人候補の中に、私がどんなふうにティコの面倒を見てきたかに、ここまで異常な興味を示す人間がいるとは思えない。
 それとも、やっぱり夫なのか。興信所に頼んで部屋のどこかにビデオカメラでも隠し、私の日々の行動を調べているのだろうか。そんな偏執的な男だったろうか。自分自身のほうが平気で浮気しているくせに。私は首を横に振った。人柄として信じられないというより、あの男にそんな暇などない気がする。
 じゃあ、一体だれが? 私のプライバシーを勝手に覗き見している未知の人物、いわゆるストーカーでもいるのだろうか。
 どうしよう……。プロバイダか警察に頼んで、このメールの発信元を調べてもらおうか。
アドレスはランダムな数字とアルファベットの羅列で、ドメインは大手携帯電話会社のものだ。もう送らないでと抗議のメールを返すか。こういう場合のマニュアルに従い、無視すべきか。
 私はそのどちらもせず、気にかかったことを質問してみた。
《ケンタってだれ?》
 半日ほどして返事のメールが来る。
《わたしがこちらでおせわになっているねこさんですめえるのおくりかたとかもいろいろおそわりました》
 そうか、友達もできたんだ……。私はホッと安堵する。相手が見知らぬ変質者か、仮面を脱いだ素顔の夫かもしれないというのに。
《よかったね》
《ありがとうけんたさんもよろこんでいますけんたさんのかいぬしもおかあさんにまけずいいひとだそうです》
 それから、私はティコを名乗る人物と何通かメールを交換し続けた。ティコからのメールの内容は、ケンタとかいう猫を始め、彼のそばにいるらしい何匹かの犬や猫、フェレットたちに関するものがほとんどだった。つまり、メールの送り主はどうやら大勢のペットを抱えているらしい。この人物がティコを拾い、他の動物たちと一緒に面倒を見てくれているということか。私のプライベートに関する記述や質問はほとんどなく、その意味でも私は少し胸を撫で下ろした。
 それにしても、飼い主の住所等がわかるハーネスを付けていたわけでもないのに、よく私のアドレスまで突き止めたものだ。メールを送りつけてくる理由は、私がティコを逃がした、あるいは捨てたと思って、そのことに対する抗議か嫌がらせのつもりだろうか。その割に、書かれている内容は無邪気な子供の日記そのもので、刺のある言い回しや含みなどは微塵も感じられない。
 たとえ本物であったとしても、私のほうからフェレットに聞かせる話題など何もないので、返信はほとんど相槌を打つのに近かった。彼に合わせて漢字も使わない。もちろん、相手のことを疑っているそぶりなどおくびにも出さず。そんな私の返事でも、ティコはうれしそうに「ククク」と声を立てて何度も読み返している──ような気がした。
《わたしはだれもみむきもしないまずいクレープなんだよ》
 ときには、そんな本音を吐露するメールを送ることもあった。あの子には私の言わんとするところなんてちんぷんかんぷんだろうな、と思いつつ。いや、そもそもフェレットには字の読み書きなんかできないんだっけ。メールの送り主は、私の意地悪にどんなふうに返してくるだろう。
《おかあさんはまずくないですぱぱいややほしぶどうやぴいなつばたあのおやつもすきだけどおかあさんがいちばんいいにおいでもたべられないや》
 予想もしない返事に、思わず私も「ククク」と笑みがこみあげてくる。
 ああ、そうだ。私は生き続けるに値しない、賞味期限切れのクレープかもしれない。そんな私でも、必要としてくれるだれかが、そばで喜んでくれるだれかが確かにいたのだ。
 たとえ、その相手が肩の上に乗るほどのちっぽけな命であっても。ティコを名乗る正体不明のだれかさんは、動機が何であれ、私にそのことを気づかせてくれたのだった。
 最初のメールを受け取ってから二十日余りが過ぎた。私は自分が自殺仲間を募っていたことを忘れ、掲示板の書き込みや彼以外からのメールには注意を払わなくなった。メールの送り主に対する猜疑心も捨てた。いまメールを交わしているのは、ティコという名のメル友。
 潤いや温もりという表現を使うと大げさかもしれないが、ティコからのメールを読むとき、私の心はホッと和んだ。ティコがいた日々のように。
 けれど、それは長くは続かなかった。いつかは襤褸が出るだろう。〝ティコ〟がティコでないことが発覚し、向こうがティコを演じ続けることも、私がそれを信じているふりをすることもできなくなるだろう。わかっている。幻想だ。でも、壊したくない。あの渇いた日々に戻りたくはない。
 それでも、私の心に一つの想いが生まれ、それを無視することは日に日に難しくなった。
 週明けにアメリカへ発つ夫の出張の準備も上の空で、ベッドの中で七転八倒したあげく、私はとうとう次のようにティコに問いかけた。
《ティコ、かえっておいでよ》
 三日間、彼からの返事はなかった。そして四日目、携帯にメールが届いたことを知らせる着信音が鳴った。
《ごめんなさいかえれないんです》
 ティコ本人でないとすれば、当然の回答だ。けれど、液晶画面に浮かび上がる文字の一つ一つに、私は悲しみを見た。懇願するように見つめ上げる小さな黒いビーズ玉の目を。
《なぜかえれないの? あなたはほんとうにティコなの?》
 失敗だったかもしれない。嘘にしろ本当にしろ──本当のことなんてありえないにしても──そんな聞き方をすべきではなかった。あの子の小さな胸を傷つけたのではないかと思うと、自分の胸までズキズキする。
 ティコからの最後のメールが届いたのは、私が疑問を投げかけるメールを送ってからさらに一週間後だった。
《ほんとうのこと》
 メールを開くのを十分以上ためらってから、観念してようやく封を開く。ああ……ティコの名を騙って私をだまし続けた相手の正体が、これでついに明かされるのか……。
《ごめんなさいおかあさんにうそをついていましたぼくはもうこのよにはいませんけんたさんやほかのみんなもおなじですおかあさんにはどうしてもいっておきたかったありがとうともうれんらくできないけどぼくはここでずっとあなたのことをおもいつづけていますいつまでもいつまでも》
 私は携帯を握りしめたまま、とめどなく溢れる涙でぼやけて見えなくなった液晶画面から、いつまでも目を離すことができなかった。


後書き

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