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1 謎の彗星接近




 昼休み、クラスは二つの話題でもちきりだった。
 一つは、いよいよ今晩にせまったスニッター彗星の大接近。
 ニュースでもやってたけど、有名なハレー彗星や百武彗星よりもっと地球に近づくらしい。月の軌道の何十倍の距離とか。テレビやネットではいまだに地球衝突説が物議をかもしているほどだ。
 この彗星については、ほかにもいろいろと奇妙な噂が流れていた。最初、発見の報せと座標は天文学会のフォーラムにメールで送られてきたのだが、その出所が一切不明なのだという。わかっているのは、〝スニッター〟という送信者のハンドルネームだけ。
 発信地からおそらく日本のアマチュア観測家だろうといわれてるけど、中には「エイリアンじゃないか」なんて言いだすやつもいる。彗星の名前には発見者の名前が冠せられるのが慣例だが、この彗星の正式な名称はまだ決まっていない。けど、いまじゃ〝スニッター彗星〟という仮称がすっかり幅を利かせてしまった。
 まあ、俺は天文部じゃないから、それ以上詳しいことは知らない。ともかく、最接近の夜には都会の空でも肉眼で姿を確認できるほど明るくなるとの予想だった。しかも、軌道がほとんど重なっていて、地球が彗星の後を追っかける形になるため、今夜は一緒に盛大な流星雨もおがめるらしい。
 で、桜庭のやつが観測会を開こうと声をかけまくり、二年A組の半数が今夜八時に校庭に集まることになったわけ。しょうがないから、俺も顔だけは出してやるつもり。
 去年のペルセウス座流星群のときも、観測会をやろうと言いだしたのが、やっぱりこいつ、桜庭進一だった。親が商社のマネージャーをやっている桜庭は、こづかいが潤沢なこともあり、ハイスペックな所持品を何かとクラスのみんなにひけらかしたがる。けど、そのときは予約注文した反射式望遠鏡が当日までに届かず、面目を失った経緯がある。今年はそのリベンジのつもりなんだろう。大方、星に興味があるっていうより、女子にちやほやされたいってのが本音だろうけど。
 親が商社のマネージャーをやっている桜庭は、こづかいが潤沢なこともあり、珍しい新製品があるとまっさきに手に入れて、クラスのみんなに見せびらかすくせがある。手持ちのパソコンやデジカメとかも、みんなよりハイスペックなものばかり。
 その桜庭を中心に、ちまたで語られているこの彗星に関する諸々の逸話や、今夜の雲ゆきの心配、「ついでにバーベキューでもやんない?」とかいう話で盛り上がってるわけだ。いくらうちの学校が自由な校風だからって、校庭でそんなことしたら後で怒られるに決まってるだろうに。
 もう一つの話題──それは、夜中の〝合唱〟について。
 合唱といっても、歌い手は動物。つまり、そこらの家で飼われているイヌやネコたちだ。大体夜の一〇時くらいからいっせいに鳴き始め、二〇分くらい続いたかと思うと、ピタリとやむ。まるで、焼芋屋がちょうど同じ時刻に各家の前を通りかかったって感じ。俺には、単にキャンキャン、ニャーニャー鳴きわめいているというより、やっぱりみんなで歌を歌っているように聞こえる。それがもう、かれこれ七晩も続いていた。
 俺たちの住んでいる未来ヶ丘(あすがおか)ニュータウンは、犬人口がやたら多い。隣近所を見回せば、ほぼ一軒おきに猛犬注意のステッカーが目に入る。実際にそのうちのどれだけが犬かは定かでないけど。朝や夕方になれば、公園や街の真ん中を走る緑道はお散歩連れでごった返しになる。
 ネコのほうはといえば、この辺は整備されてから五年しか経ってない新しい住宅地なので、残飯を漁るような野良ネコはそれほどいない。けど、もちろん飼い猫はいる。うちのミオみたいに。
 その数百頭のイヌやネコが、いっせいに第九ばりの大合唱をおっ始めるもんだから、動物嫌いの人は言うに及ばず、好きな人でさえうるさくてかなわない。飼っている家はどこも、近所から苦情が舞いこみやしないかとヒヤヒヤしているだろう。
 原因はさっぱり不明。テレビに登場する専門家だって、きっと首をひねるに違いない。
 ただ、ひとつ手がかりはあった。同じ街に住むイヌやネコの中でも、コーラスに参加していない子がいたのだ──
「う~、むむ~~」
 両手で頭をかかえてうめいているのは保科悠美。別に頭が痛いわけではないらしい。
「あらら? 日の明るいうちからうなってるワンコがいるよ、ここに」
 からかうような声で、彼女の肩に手をおいたのは桃代佳世。自他ともに認める、クラスでいちばんやかましい女子。
「む~~……だって、早く帰りたいんだもん。大体、授業が六時限まであるなんて多すぎ!」
「んま! 学年トップクラスの才女にあるまじき台詞ね~。こりゃ、彗星接近どころじゃない一大ニュースだわ」
 あいかわらず不機嫌な顔で、悠美は椅子にもたれて深いため息をついた。確かに、桃代の言うとおり、ふだんならそんなことは決して口にしないやつだが。
「ジェイク、まだ元気ないのぉ?」
 机の端にそろえた指とあごを乗せ、悠美の顔を心配そうにのぞきこんだのは鳴島美由だ。名前は似てるが、見た目も性格も悠美とは対照的だった。
 ストレートの黒髪を肩まで伸ばした悠美は、見るからに大人びているが、中身も実際大人で、クラスのみんなから頼りにされている。ただし、つまんないギャグでもとばそうものなら、とたんに針のような冷たい視線に突き刺されて致命傷を負いかねない。
 一方、美由のほうは、ただでさえクラスでいちばん背が低いのに、二つに結ったおさげと大きなリボンのせいで、余計幼い印象を与える。電車やバスの運賃はあと数年こども料金でごまかせそうだ。中身もまんまガキそのもの。
 そんなほとんど共通点のない二人だが、ひとつ、彼女たちを無二の親友として結び付ける重要な接点があった。大のイヌ好きなのだ。
「うん。昨日お医者さんに行ってきたんだけど、とくに具合の悪いところはないって。私の見立てでも病気には見えないし……」
「そっかあ。まあ、病気やケガじゃないんだったら、きっとすぐ元気になるよぉ」
「そうそう。あんたがそんな暗い顔して落ちこんでちゃ、ワンコの機嫌だって治んないよ。心配性もほどほどにしなきゃ。あんたと愛犬が共倒れになったら、一体だれが保科一家を支えるの!?」
「……そだね。ありがと」
 二人の同性の慰め(オペラ歌手じみた桃代のオーバーアクションは慰めのうちに入るのか疑問だが)に気を取り直したのか、悠美はにっこり微笑んでうなずいた。
「あなたのとこは大丈夫?」
 今度は悠美が美由に尋ねる。
「ファルコ? うん。美由と同じで元気いっぱぁいだよ♪ もう、元気すぎて困っちゃう。ジェイクにも分けてあげたいくらいだよぉ」
 わかると思うけど、ジェイクとファルコってのは悠美と美由の家でそれぞれ飼っているイヌの名前だ。
 ジェイクはベルジアン・シェパードの異名を持つベルジアン・シープドッグという犬種。大型犬の代表シェパードと聞けば、いかにもスポーツ選手のような屈強な姿が思い浮かぶが、ジェイクはまさにそのイメージどおりのタイプ。ジェイクは体格がたくましいだけでなく、艶やかな黒毛がしゃくなくらいよく似合う、ハンサムなオスでもある。性格は飼い主に似て優等生。物静かで、無駄にチョロチョロしたり吠えたりはしない。散歩のときもいつも悠美の周囲に目を配っている感じで、さながら主人のボディーガードだ。
 で、ファルコのほうがいわゆる座敷犬のシーズー。顔はくしゃっとつぶれてるし、足も短くてちんちくりんだ。ジェイクと並ばせたら、同じ動物の種に属するとはとうてい思えない。性格はやっぱり飼い主似で、ずっと子犬のまま成長したって感じ。超が付くほどわがままで甘えんぼ。
「なに、保科と鳴島のとこは騒いでないのか? 例の夜中のやつ」
 後ろの席にいた馬渕拓也が声をかけてくる。ほかのことは何をやらせても大ざっぱなやつだけど、野球部じゃ二年生エースの実力の持ち主だったりする。
「うん。うちの子は全然。その代わり、時間になるとベッドの横でぐったりして頭痛そうにしてるけど。ていうか、そもそも体調をくずしたのはその関係じゃないかと、私はにらんでるんだけどね……」
「ファルコもいい子にしてるよ。夕べは美由と一緒に子連れ狼と水戸黄門見てたもん。前の日はケーブルで暴れん坊将軍やってたしぃ。テレビが始まるともう夢中なんだぁ」
「マジ? お前んとこ、テレビ見んのかよ!?」
「ファルコはテレビ大好きだよぉ。だから、美由と一緒にお気に入りの番組を見てるの。いつも真ん前の席に陣取って、一所懸命のぞきこんでるんだぁ」
 あきれ顔の拓也に、美由がすまし顔で答える。
「どうせ中身わかってないだろ?」
 俺が茶々を入れると、美由はプーッとほおをふくらませた。
「そんなことないよぉ、ちゃんとわかってるもん! 動物番組で、鳥とか、ほかのイヌが出てきたら、興奮してテレビの前を行ったり来たりするんだよ~」
 とかいって、お前が見せてんの昔の時代劇ばっかりじゃんか……。
「北野んとこは? お前んちもなんかいたろ?」
「ヒロくんのとこはネコだよ~」
「ミオちゃんもなんか静かにしてるよね」
「ん……まあ一応、な」
 北野大樹、申し遅れたけど、これが俺の名前。さっきも言ったとおり、ミオってのはうちのネコの名前。
 彼女はどこにでもいる雑種の和猫だけど、美しさと気品にかけちゃ、キャットショーに出場する外国産の純血種だって遠く及ばない。体色は、金と黒とが入り混じったキジ羽模様。ふつうのキジネコは模様のぼけた貧相なトラネコという印象だが、彼女のは色の混じり具合が絶妙だった。目の色も、右側が青みを帯びているのに対し、左側はグリーンが強い。珍しいオッドアイだ。外見だけじゃない。身のこなしは優雅にしてかつ機敏、おつむのほうもずば抜けている。ノブ付のドアでも障子でも器用に開けてしまう。性格だって、ベタッと甘えたりしない代わり、さりげなくサービスすることも忘れない。ネコ好きにとっては、このほどよい間合いがたまらないところだ──と、解説したいことはやまほどあるけど、きりがないからここらでやめとく。
 で、悠美がミオの動静を知っているのはなぜかというと、こいつはわが家の斜め隣の家に住んでるから。教室の席まで同じ配置だったりする。つくづく腐れ縁だよな。
 そう……つまり、夜中の大合唱に参加してない例外組はこの三頭──悠美のジェイク、美由のファルコ、そして俺のミオなのだった。



「拓也のとこのイヌはどうなんだ?」
 今度は俺がふり返す。
「テッちゃんだったよね、柴の」
 悠美がピタリと言い当てる。たぶん、彼女ならクラスの子が家で飼ってるイヌの名前と品種を全部そらで言えるだろう。
「ああ、うちのテツは全然だめ。隣近所に負けじと吠えてるさ。父ちゃんが怒ってスリッパではたいたけど、てんで効き目なし」
「当ったり前じゃん。なぐって言うこと聞く子なんていないよ」
 とたんに悠美がムスッとした顔になる。
「イヌさんはぶったりしちゃだめなの。ほめてあげなきゃ覚えないんだからぁ」
「それって体罰で虐待で折檻だぞぉ」
 女性陣に責められ、拓也は口をとがらせた。
「別に俺がしかったわけじゃないのにさ」
「しっかし、謎だよね~。やっぱりあれかな? 大地震がやってくる前ぶれとか? それとも富士山大噴火かしら? 私、田舎に避難するしたくでもしとこっかなあ……って、ヤバイよ、うちのばあちゃん山梨じゃん! どうしよ~!?」
 桃代が話題を変える。
 確かに、彼女のとなえる地震予知説なら、動物たちが急に騒ぎ始めた理由としてもっともらしい気はする。動物たちは地下にたまったわずかな電気をキャッチするっていうし。
 ただ、様子がおかしいのはイヌやネコだけで、ナマズが暴れたり虫や何かが大発生したって話は聞かない。それに──
「なんで毎晩大体同じ時間なのかな?」
「私もそれは疑問」
 悠美も俺に歩調を合わせる。
 少し首をひねってから、桃代はまた追加仮説を発表した。
「それきっと、地震の始まる時刻を警告してるのよ。一〇時がヤバイよ、みんな!」
「アホらしい。地震なんてどうせ来やしないだろ」
 拓也ははなから信じていない。
「ふうん。いいわよ、別に信じなくても。早死にしたければね。せっかくワンコたちが教えてくれてるのにさ。私はきたるべき大災害を一人で生き延びてやるんだからあ!」
 そう言うと、桃代はひとつ大きく伸びをした。
 悠美がほおづえをつきながらゆううつな声でつぶやく。
「はあ……それより、とっとと終わってくれないかしら、授業……」
「お? 今夜の観測会がそんなに待ち遠しかったりする?」
 さっきまで教室の反対側でほかのグループと大空のロマン(?)を語り合っていた、今夜のイベントの仕掛け人桜庭が、彼女の深いため息を耳ざとくとらえて、にやけた顔で近づいてきた。
「ああ……悪い、桜庭くん。私、今日パスだから」
 悠美は彼のほうをチラッと見やっただけで、悪びれたふうもなく答えた。思い出したように次の授業の準備を始める。
「ええ~っ!?」
 桜庭が大げさに嘆く。
「別に一人参加者が減るくらいどうってことないでしょ?」
「いや、一人は一人でも、悠美ちゃんがいるといないとじゃ大違いだよ。男子の出席率にも大きく響くしさ。ほかの用事入ったの? なんとかそっちキャンセルできない? 望遠鏡とかもあるからうち車出すし、なんなら迎えに行くけど?」
 一呼吸おいてから、悠美はギロリと桜庭のほうをにらんだ。
「ぜっったいだめ。今日はジェイクのそばについてなきゃいけないから」
「大体、悠美ちゃんなんて馴れ馴れしいよ、あんた。送迎サービス付けるんだったら、エコヒーキしないで参加者全員対象にしたら? そのほうが出席率上がるわよ、きっと」
 桃代も助太刀に入る。
「あれ? ベルジアンだよね。一緒に来るんじゃなかったっけ? ぼくもラッキーを連れてくつもりなんだけど」
 こいつもイヌを飼っている。ボーダー・コリーのラッキーだ。
 白黒模様が目印の牧羊犬ボーダー・コリーといえば、犬の中でもずば抜けて賢く、芸達者なことで知られる。桜庭の家はドッグスポーツに熱心で、ラッキーのためにわざわざドッグ・アジリティ(イヌの障害物競技)の練習用コースを庭に設置したほどだ。去年はフリスビーとアジリティの県大会で二冠をとった。今年はアジリティで惜しくも優勝を逃したらしいが。
「いま体調が悪いの。勘弁してちょうだい」
 悠美の頑なな返事にしゅんとなった桜庭を見て、気の毒に思ったのか、美由が声をかける。
「ラッキーはどうしてるのぉ?」
「ああ、ううん。参加してるよ。例の〝オオカミごっこ〟でしょ?」
「そっかあ。あの子、お利口そうなのにねぇ。桜庭くんは何が原因だと思うぅ?」
「ぼくが思うにはだね、あれはきっと──」
 そこで言葉を区切り、天井を指差す。
「今夜の天体ショーを待ちこがれてんのさ」
「バカ」
 桃代と拓也が同時に口を開く。
「ほら、とっとと席に戻りな。先生来ちゃうよ」
 そう言いつつ、桃代は桜庭を追い立てるように自席に向かった。
「あ~あ、せっかく悠美ちゃんに来てもらえると思ったのに……」
「代理で私が出席したげるから、文句言いなさんなって」
「桃代じゃなあ」
「なに? 私だと不満だっていうの!? 聞き捨てならないわね。一体私のどこがどういうふうに不満なのか、納得いくように説明してちょうだいよ!?」
「い、いや、別にそういうわけじゃ……」
 二人の背中を見送りながら、悠美と顔を見合わせる。彼女は何も言わずに肩をすくめた。
 原因は今夜の彗星大接近、か……。
 ふつうだったら、地震説以上にバカバカしく聞こえるかもしれない。けれど、実は俺にも思い当たる節があったんだ──

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