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1 2人と2匹




 うららかな昼下がりだった。5月の日差しはまばらな綿雲に遮られることもなく、じっとしていると背中が汗ばんでくるほどだ。どこか空の高いところでひばりがさえずっている。緑あふれる閑静な住宅地ののどかな春の1日──そんな陽気におよそ似つかわしくない、背中を丸めてトボトボと歩く、見るからにしょげ返った男の子が1人──。
 彼の名は岩崎朋也、17歳。近くの柏葉高校の生徒で、この春2年生になったばかりだ。そして、彼がしょげ返っている理由は、何のことはない、今日が中間試験の最終日だったから……。
 少々解説を加えると、彼の住むここ柏葉ニュータウンは、首都圏近郊にある新興住宅地である。都心まで1時間で行けるものの鉄道運賃がべらぼうに高いとあって、えらい不人気を託っていた。入居者は当初の計画の半数に満たず、開発はストップ、ますます便が悪くなるという悪循環に陥る始末だ。おかげで、周辺の田畑や森や野原と真新しい駅舎や学校、住宅群が混然となった独特の空間を生み出していたのだが。
 で、マイホームを夢見て1期目に早々とこの地へ移り住んだ親の道連れとなったのが、朋也が小学2年生の時。いま彼が通う柏葉高校も、ニュータウンの外れにある。近くて通学に便利なのは結構だが、ニュータウン開設と同時に新設されただけに、偏差値なんて気にするカラーじゃない。その三流校で、進級早々落ちこぼれ組の仲間入りが濃厚となったわけで、落ちこむのも当然といえた。
 バス停の手前の角を折れ、公園の脇を通り、一歩一歩我が家へと近づくにつれ、朋也の足取りはますます重くなっていく。生物と現国はまだマシだったが、残りは全滅だ。特に英語と数学。受験にもその後の人生にも一番響くから、この2つだけはしっかりやれと親にうるさく言われている彼の苦手科目だ。帰宅部の彼は試験が終わって真っすぐ帰路に着いてしまったが、玄関をくぐって親と顔を合わせれば、テストの結果について開口一番に問われるに決まっている。まあ、別にたいして将来を嘱望されているわけじゃないけど……。
 ホントに自慢じゃないが、彼にはとりたてて人に胸を張れるものがない。趣味や特技と呼べるものもなく、スポーツもやってなければ芸術方面の才にも恵まれていない。その他、みんなの注目を浴びるような才能は何1つ……いや、1つだけ。本人の取り柄ではないが──。
 不意に、公園の鉄柵をくぐって小さな影が跳び出してきた。
「みゃあっ♪」
「ミオッ!?」
 ミオと呼ばれたネコはそのまま一直線に彼との距離を縮めると、甘えた声をあげて足元に擦り寄った。朋也はさっきまでの渋面がまるで嘘のように満面の笑顔で小さな天使を迎え、制服のズボンが毛まみれになるのも気にせず、そっと手のひらを彼女の額に置き、鼻筋をなでてやった。
 そう、彼の唯一の自慢とは、彼女=ミオのことだ。バーントシェンナの雉羽模様の入ったスマートな体躯は、古代エジプトの原種やサバンナを駆ける野生の親類をも彷彿とさせる。雑種だが、血統としては洋猫と和猫が半々というとこだろう。ひょっとしたらアビシニアンの血も混ざっているかもしれない。ちょうど、獲物を探し当てる飽くなき好奇心と、狙った獲物を決して逃がさない冷静な落ち着きを併せ持つ年頃だ。ちなみに女の子である。今の彼にとっては試験より大きな悩みの種となっているのだが……。
 ミオが緑道の植え込みの陰に捨てられていたところを見つけたのは、朋也が受験街道まっしぐらの中3のとき。人口の少ない新興住宅地というのは、とかくイヌネコの捨て場となりやすいものだ。以来勉強もそっちのけで、男手一つで育ててきたのだった。今では彼女もこうして立派に育って彼の手を離れ、食事とベッドタイム以外は表を跳び回っている。それでも、彼の姿を目にとめるや一目散に駆け寄ってきてくれるのだ。彼にとっては、容姿・性格とも非の打ち所のない自慢の種であり、目に入れても痛くないほど可愛がっている愛猫だった。
「ハハ。ミオ、お前もしかして、わざわざここまで俺を出迎えに来てくれたのか? テストに追われ、すさみきった俺の心を慰めてくれるなんて、お前ってホントにサービス精神旺盛なんだなぁ。ありがとな、ミオ……俺は嬉しいよ。くっ(涙) よぉし、もうこうなりゃ赤点だろうが追試だろうがどんと来いだ! 落第だって怖くなんか──」
「な~に寝ぼけてんだか」
 声が聞こえてきたのは朋也の真後ろ。振り向くと、同じ柏葉高校の制服を着た女子生徒が苦虫を噛みつぶしたような顔でじっとこっちをにらんでいる。どうやらさっきから2人(1人と1匹)の〝感動の再会〟の模様を一部始終ながめていたらしい。
 彼女の名は成瀬千里、朋也のクラスメイトである。彼女も家に帰る途中なのだろう。何しろ、彼の家の隣に住んでるんだから……。
 千里がこのニュータウンに移り住んだのもちょうど朋也と同じ時期だ。そのうえ、小学校時代は卒業するまでずっと同級生だった。まだ人口の少なかったこの新しい街では1学年1クラスしかなかった所為だが。そんなわけで、当時は2人でランドセルを並べて登校していたものだった。中学に入ってからはさすがに気恥ずかしくて2人並んで行くことはなくなったけど。一緒に同じ街にやってきた同い年の女の子。世間でいうところの幼なじみ。
 その千里は、勉強は間違いなく朋也よりできるし、スポーツも得意な方だった。同じ帰宅部でも彼と違って、方々の運動部のスカウトが引きも切らないらしい。ルックスの点でも、学校では男子生徒の間でそれなりに評判のようだし、まあ彼の目から見てもかわいい方なのは否定できない。もっとも、ちょっぴりカタブツで気の強いところもあるから、下手にナンパしようなんて近寄ると痛い目に遭うかもしれないが。
 そんな彼女相手にせっかく幼なじみという絶好のポジションにありながら、〝カノジョ〟にしたいという気など朋也にはさらさらなかったし、他の男どもがいくらチヤホヤしようと一向に意に介さなかった。2人の仲がそれ以上進展しないのにはワケがある。それはとある〝命題〟に対する見解の不一致──。
「なんだ、千里か」
「朋也のネコ中毒ぶりにはホンット、あきれちゃうわね。どうせ散歩の途中でたまたまあんたを見かけただけでしょ? ネコなんて、ご飯の時には飼い主に尻尾振ってイイ顔してるけど、よその家だって同じように愛想振りまいてるんだから。いくらネコかわいがりしたって、そのうち裏切られるのがオチじゃないの?」


*選択肢    そんなことないっ(`´)    そうかな(T_T)

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