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千里: +
マーヤ: ++

「うん。知っておくべきことは大体教えてもらったと思うよ。ありがとう」
「あらぁ、そぅお~? もしかしてあたしって講師の素質があるのかもしれないわねぇ~♪ どうせだから2時限目の授業にいってみようかぁ~?」
「いや、それはまたの機会ってことで」
 すぐに調子に乗るのも妖精の特徴らしい。
「それにしても──」
 長いため息を吐いて千里が呟く。
「私たちが教科書で教わった地球の歴史は、どっかの遺跡じゃないけど、全部捏造だったんだねぇ……」
「でも、俺たちの時代のニンゲンで真相知ってるやつなんていないんじゃないか?」
「それもそっか……。世界が岐かれる前に魔法や神獣が実在したっていう証拠になるものは何も残ってないんじゃね。私だって、いま目の前で羽の生えた妖精さんに聴かされたんでなきゃ、到底信じられないわ。なんかショック」
 それから千里はジュディの前にしゃがみ込むと、彼女の顔を両手でそっと挟んでささやいた。
「ねえ、ジュディ。あなたもひょっとして、私たちの世界で暮らすのが嫌だったの?」
 そうか……彼女がショックだと言ったのは、お伽噺めいた世界の真相を知ったことより、ニンゲンの仕打ちに耐えかねて動物たちが異世界に避難してきていることの方だったんだな。
 ジュディは千里の瞳をじっと見返して「くぅん」と甘えた声で鳴いた。まるで彼女の言葉の意味を知って懸命に訴えようとしているようだ。
「それはないよぉー。大丈夫、大丈夫ぅ、あたしが保証するってぇ。第一、この子まだ成熟形態になってないじゃなぁい? ジュディはどっちの世界だろうと千里のそばにいるのが一番なんだよねぇー?」
「ワンッ!」
 そのとおり!とばかり元気よく吠える。
 確かにマーヤの言うとおり、ジュディには変身する気なんてこれっぽっちもないらしい。千里も彼女に本気で嫌われたと思ったわけじゃないが、ゲートに真っ先に飛び込んだのがジュディだったので不安を覚えたのだろう。
 ふと、朋也は我が身に照らして考えた。まさかミオのやつ、俺のそばにいるのが嫌になったんだろうか? そんなこと、信じたくない……。彼はポケットに突っ込んだ彼女の首輪を握りしめながら、頭を振って疑念を払いのけた。
「ジュディが私を許してくれてても、私たちが世界を引っ繰り返す真似をしでかした極悪人の子孫であることに変わりはないんだよね。ねえ、マーヤちゃん。私たち、やっぱりこの世界じゃ嫌われ者なんでしょうね?」
「うぅ~ん……」
 少し逡巡して首を縦に振る。
「でもぉ、170年も前の話だから、住民は誰もニンゲンの臭いや姿まで細かく覚えてないよぉ~。まあ、移住者にはわかっちゃうだろうけどぉ……」
 あまり慰めになってはいなかったが、マーヤは小さな胸をたたいて付け加えた。
「大丈夫! あたしはあなたたちがいくらニンゲンだって悪者だなんて思わないものぉ。この子を見てればそれくらいすぐわかっちゃうよぉ~。いざってときはあたしがちゃんと説明してあげるからぁ。ジュディだって証人になってくれるよぉ~♪」
「それでも、ニンゲン代表としてはお詫び行脚でもして回りたい気分」
 おいおい。千里が言うと冗談に聞こえないから恐い。そんなことより──
「で、あなたたちネコを捜してるんだったわよねぇ? ミオちゃんだっけ?」
「ああ」
 タイミングよくマーヤが朋也に話を振る。できればお詫び行脚は勘弁してもらって、ミオを見つけてとっとと元の世界へ帰りたい。
「その子はジュディと違ってあなたたちと一緒じゃなかったんだよねぇ。家出したのぉ?」
「まだ家出と決まったわけじゃないけど……」
 ムスッとして答える。
「そぅお? でも、エデンへの扉は望む者でなきゃ簡単には見つけられないんだよぉ?」
 モノスフィアに派遣された妖精たちは、動物たちにだけわかる〝移民募集〟のサインを残して召集をかける。そして、それを見て応募してきた者をゲートまで案内する手はずになっているという。
 ミオが家出したという可能性を考えたくなかった朋也は、話をはぐらかすように質問を投げた。
「例えば、受け入れた動物たちのリストとかはないのかい? 赤茶の若いメスネコはその中にいなかったかな?」
 だが、マーヤは首を横に振った。エデンには戸籍や住民票などで市民を管理する発想はないらしい。まあ、この世界にはそもそも納税の義務がないので、特にその必要もないのだろうが。
「リハビリは輪番組んでやってるし、あたしも自分の担当した子しか覚えてないからねぇ。ネコ族の避難民はたくさんいるしぃ、捜すとなると結構大変かもぉ。成熟形態になってたらなおさらだよねぇ」
 そうだ、ジュディと違ってミオは変身しているかもしれないんだ。まだ実際に目にしてないだけに、動物たちがヒト型になった姿というのがイマイチ想像できない。はたして彼女と会ってもそれとわかるんだろうか??
 頭を抱える朋也を見て、マーヤが気休めの言葉をかける。
「まあ、面影くらいは多分残ってると思うよぉ?」
「モンスターに襲われたりはしないのか?」
 こっちにやってきていきなりさっきみたいなバケモノに襲われでもしたら、ひとたまりもないだろう。だが、その点は心配ないとマーヤは太鼓判を押した。モンスターはなぜか前駆形態の動物を襲うことはないという。それに、この森にはレベルの低い弱いやつしか出現しないので、成熟形態になれば苦もなく撃退できるとのこと。朋也としては、彼女の解説に瑕疵がないことを祈るばかりだった。
「ミオのやつ、今頃どこで何をしてるんだろうなぁ? まだ別れて半日だから、そう遠くへは行ってないと思うんだけど……」
「エデンとモノスフィアとでは時間の流れ方が違うって言ったでしょぉ? ミオちゃんがこっちにやってきたのが何時間、あるいは何日前なのかを知る方法はないんだよぉ~?」
 それを聞いて思い出したように千里が重要な質問を口にする。
「ひとつ肝腎なことを訊くけど……私たち、ちゃんと元の世界へは帰れるんでしょうね?」
 彼女も浦島効果は気になると見える。行方不明で警察に届けられて何年も経ち、歳が変わらないままひょっこり現れる──なんてゴメンだよな。
「その辺は神獣様にお願いして、なるべく近いポイントにゲートをつないでもらうしかないわねぇ~。でもぉ、ゲートを開くためには神獣様も膨大なエネルギーを費やすから、一度開くと2週間くらい眠りに就かなくちゃならないのぉ~」
 ということは、少なくとも神獣が眠っている2週間はこの世界で足止めを食わされるわけか。裏を返せば、自分たちの世界へ戻るには、その間にミオを捜し出す必要があるな。
「あたし、今ちょうどローテーションを外れてるからぁ、神獣様が目を覚ますまでの間、あなたたちの案内役になってあげるよぉ~」
「ぜひお願いするわ」
 千里が快諾する。
 朋也としても異存はまったくなかった。異世界で途方に暮れていたところで、すぐに適切なガイドが見つかったことは何よりの幸運といえる。ただ、朋也には一点引っかかることがあった。
「ところで、マーヤ。君はなんでこんな時間にこの場所へ来たんだ? 俺たちにとっちゃもっけの幸いだったけど……」
 一体なぜ、わざわざ日暮れ時にモンスターの出没する森の中まで足を伸ばしたのだろう? 休止中のゲートに何か用でもあったんだろうか?
「え? ああ、うぅ~んとねぇ~……さっき最終便で到着した子の中で、迷子になった子はいないかなぁ~って思って引き返してたんだよぉ~~」
 どことなく歯切れの悪い答えだったが、彼女は非番のときも熱心なんだなあと思ったくらいで、朋也は特にそれ以上尋ねることはしなかった。
「さあ、こんな夜更けに森の中にいるのもなんだし、早速出発しよっかぁ~」
「え? これから森を出るの?」
 千里が戸惑いがちに訊いた。
 マーヤの長い説明を聞いているうちに日はとっぷり暮れ、もう3人が家を出た頃とあまり変わらない時刻だろう。ゲートに通じる道には街灯が1本もなく、鬱蒼と茂る木立の間はどこを向いても墨を流したように真っ暗だ。こんな暗い森の中を歩いているときにさっきのような奇怪なモンスターに出てこられると心臓によくない。ゲートの設置場所は樹冠に覆われておらず、星空も仰ぎ見られる分まだマシだ。まあ、マーヤの羽の明かりは懐中電灯代わりになるし、ジュディもいてくれるが。
「平気平気ぃ、モンスターなんて怖くない、怖くなぁーい♪ 来るなら来てごらんなさいってのぉー!」
 マーヤは口笛を吹きながら道を下っていこうとする。途中で振り向いて胸を張る。
「ほらねぇっ♪」
 オドオドしている2人に、彼女は照れながら懐からあるものを取り出した。それは彼女たちのサイズに合わせて作られた小さな手鏡だった。
「エヘヘェ♪ 実はねぇ~、これ、あたしたち妖精族がモンスター除けに使ってるコンパクトなんだぁ~。来るときもこれがあるから1人でも平気だったのよぉ~」
 千里の隣でマーヤの姿を追っていたジュディが、その時突然低い唸り声を上げた。なんだ!?
 マーヤがびっくりして振り向くと、キノコの形をしたモンスターが、今しもマーヤがいた場所に巨大な傘で覆い被さろうとしていた。


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