なんとしてでも千里を取り返さなくては! あのゲドとかいうオスイヌ、目が据わってたし、前駆形態のジュディばかりかマーヤやフィルにまで色目を使うようなやつだ。早く手を打たないと、千里が何をされるかわかったもんじゃない。そもそも彼女をミオの捜索に付き合わせたのが間違いだった。たとえどんなに嫌われようと無理にでも断るんだった──朋也は繰り返し、繰り返し自分を責めた。
ふと、谷底を見やる。ここからでは彼女の愛犬の姿はわからなかった。ジュディ……すまんっ! 頼むから生きていてくれ!!
そこへ、フィルが這い上がるのを手伝っていたマーヤがやってきた。
「と、朋也ぁーっ! ど、ど、どうしよぉ~~!?」
「俺は千里とあのゲドってやつの後を追いかける。君はジュディを見つけて介抱してくれないか? 必ず助けてくれ!! でないと俺、千里に顔向けできない……」
「うん、わかったぁ」
うなずくと、マーヤはすぐに回れ右して谷を降下していった。
動物のリハビリ専門でヒーリングの魔法も使える彼女なら、きっとジュディを救ってくれるに違いない。もう一度ジュディの無事とマーヤの健闘を祈ると、朋也は千里をさらったゲドの追跡に集中した。
今はただひたすら目の前の道を走るしかなかった。時折速度を緩め、周囲の木々の間を見渡し、耳をすます。もちろん千里たちの姿はどこにも見えず、声も聞こえない。
ニンゲン1人を担いだままずっと走り続けられるはずはないので、ゲドはどこかで一休みしているはずだ。あるいは、途中で何か落としていれば手がかりになるのだが。こういうときにはきっとイヌ族のスキルの方が役に立っただろうになあ。もっとも、ネコ族だって脚力や臭覚はニンゲンに比べれば段違いに優れている。朋也の今のスキルが低すぎるだけの話だ。もっと経験値を稼いでおくんだった……。悔やんでも始まらないことばかりが頭に浮かぶ。
続いて、朋也は走りながら、胸の内に沸き起こった1つの疑念について思いをめぐらせた。一体、あのゲドってやつはどうして千里をさらったんだろう? 単なるやぶれかぶれではなさそうだ。さっき彼は「ボス」の命令とかいう台詞を口にしていた。「兄貴」がどうのとも。何らかの集団の一員として行動しているのは間違いない。
何より気になるのは、ニンゲン、すなわち朋也と千里がエデンに来ていることを彼が知っていたことだ。2人がエデンに迷い込んだのは一種の事故だとのマーヤの説明が正しければ、住民が事前に情報をつかむことなどあり得ないはずだが……。
足が棒のようだ。膝がガクガクする。マーヤに伴走してもらって回復魔法をかけ続けてもらえれば、どこまでも追跡を続行できたかもしれないが。といって、ジュディを見殺しにするわけにもいかなかった。そんなことをしたら、千里は朋也を一生許さないだろう。たとえ自分の身がどれほど危険にさらされようとも。
密集した森の中のカーブを曲がったところで朋也を出迎えたのは、非情にも四辻だった。
立ち止まると、両手を膝について喘ぐように息をする。完全に見失ってしまった。どの道へ進んだのか皆目見当がつかない。悔しいけど、ここはいったん戻って、マーヤとフィルのアドバイスに従うしかないな……。ゲドがボスとか兄貴とか呼んだ連中が、部下よりまともで千里のことを丁重に扱ってくれるよう、朋也は心から祈った。
引き返そうとしたとき、地面の上で何かが光るのを目の隅で捉えた。急いで駆け寄って拾い上げる。ペンダントだ。千里の物に違いない。朋也には見覚えがなかったが、制服のスカーフの下に着けていたのかもしれない。ゲドが千里を担ぎ直したときにでも落っこちたのだろう。
蓋を開ければ中にはきっと写真が飾ってあるのだろうが、誰が写っているかはおおよそ察しがついた。朋也はあえて開けて見ようとはせず、そのままポケットにしまい込んだ。
そうだ、マーヤはジュディを無事に救出してくれたろうか? 千里を危険な目に遭わせた上に、ジュディの身に万が一のことでもあったら……。朋也は足早に来た道を引き返した。
吊り橋のあった場所まで戻ってくる。彼は降りられそうな場所を探して崖下を目指した。途中、木の枝にひっかかっていた千里のスタンガンを見つける。遠ければ後回しにするところだが、幸いすぐ手の届くところにあったので回収しておく。
何度も足を踏み外しそうになりながらも、朋也はようやく谷底にたどり着いた。下は小さな石の河原だった。谷川の幅はそれほど広くはない。
フィルとマーヤの姿は崖を降りる途中から視認できた。フィルもわざわざジュディを助けにここまで降りてきてくれたんだ。長いローブ姿では大変だったろうに。吊り橋が崩壊したときに彼女が橋の起点近くにいてくれて本当によかった。
その2人の足元にグレーの固まりがちらっと見える。ジュディだ!
マーヤたちは彼女を見下ろしたまま凝然と立ち尽くしている。時折2人の手元がチカチカと青白く光った。治癒の魔法をかけてくれているんだろう。朋也はすぐさま3人のもとへ駆け寄った。
「朋也ぁ……さっきからずっとフィルとヒーリングをかけてるんだけどぉ~~」
「このままの状態が続くと危険ですわ」
マーヤが半泣きで朋也に訴えかける。あまり表情を面に出さないフィルも険しい顔つきだ。
ジュディは横たわったまま、ピクリとも動かない。毛皮が濡れているのは、落ちたのが川だったということだろう。少しは衝撃が和らげられたかもしれない。出血の跡も見当たらない。マーヤたちが処置してくれたのだろうが。それでも、瞼は固く閉ざされ、口元はかすかに開いて牙をのぞかせている。息はあるのか? 心拍は? 体温は? 手のひらに冷たい汗がどっと吹きだす。
「ジュディィ、お願いだから目を覚ましてよぉ~……」
今まで神仏に祈りを捧げたことなど一度もなかったが、このときばかりは、どんな神でもいいからジュディを助けてくれ! と朋也は心の中で必死に叫んだ。
そうだ、この世界には一族の守護神が実際にいるんじゃないか! だったらお願いだ、イヌ族の神様!! 彼女の命を救ってくれ!! ジュディは、俺と千里の大切な──
そのとき、ジュディの身体がほのかな柔らかい黄色の光に包まれた。その光は次第に輝きを増し、ついには朋也たちが目を開けていられないほど強烈な輝きとなって奔った。一体、何が起こったんだ!?