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 ミャウとジュディは素早く臨戦態勢に切り換える。朋也も一瞬ギョッとなったが、腰を抜かしてばかりはおれず、左手に爪を装着し、腰を低くして前かがみに、いわば猫背気味の体勢をとる。ミャウにじきじき伝授してもらったネコ族のスキルを最大限に活用する構えだ……でも、なんで教えた本人は背筋伸ばしてんだろ?
「あ、あれはぁ……」
 ただ、マーヤだけは青ざめてそう口走ると、いそいそと木陰に身を隠してしまった。
 もうモンスターの姿も見慣れたとはいえ、その怪物はこれまで出会ったものとは明らかに異なるタイプに属していた。空間の歪みを脱け出て全身を現したそいつの体長は4メートル近くあった。そいつに比べれば、クレメインの森の中で遭遇したのはどれも小粒な〝雑魚〟ばかりだ。
 外見から少しでも近いものを選ぶとすればサルだろうか。だが、そいつの異形は地球の動物に見立てられるものではなかった。まず、頭部が3つ。よく見ると、それぞれゴリラ、オランウータン、チンパンジーの特徴が見られる気もする。だが、その頭のそれぞれには1つの巨大な目、口、耳があるのみだった。日光の三猿の逆バージョンという感じだ。
 そして奇妙ことに、この大柄なモンスターにはどこにも人面疽が見当たらなかった。
 森から抜けるとより凶悪なのが出現するとは聞いていたが……。
 巨大な3つの首を回転させながら朋也たち4人の姿を確認した〝三猿〟は、ただちに襲いかかってきた。戦意を喪失したマーヤを除く3人で応戦する。
 4メートルの巨躯にもかかわらず、〝三猿〟は驚くほど敏捷だった。ミャウとほぼ互角といっていい。巨大な1つ目の相手を萎縮させる視線、肝を潰すような奇声、リーチの長い豪腕──いずれも他のモンスターとは別格で、3人はたちまち苦境に陥った。ジュディと朋也の攻撃はほとんどかすりもせず、ミャウも迂闊には懐に入れない。
 ただ不思議なことに、彼らがクレメインの森の木立の中へ後退すると、〝三猿〟は追って入ってこようとまではしなかった。神木の結界が効を奏しているということなのだろうか? どちらかといえば遠慮しているという印象を受けるが……。
 森の中に留まっていれば安全ということはわかったが、怪物に通せんぼされていては、いつまで経っても千里の待つビスタの街までたどり着けない。
 第2ラウンドに入る前に、ミャウが朋也とジュディを呼び寄せ、作戦協議に入った。
「朋也。あんたの攻撃ポイントはあそこよ」
 位置を指示する。タイミングは言わなかったが、それぐらい自分で計れということだろう。それから、ジュディに素早く耳打ちする。彼女も黙ってうなずいた。
 ミャウの練った戦術に従い、彼らは再び〝三猿〟と対峙した。
 まず作戦その1。「バカにする」──。3人で間を置いて境界線を出入りし、ギリギリまで引き付けることを繰り返す。もちろん、お尻をたたいたり、あかんべえをしたり、コケにすることを忘れずに……。
 ミャウの予想したとおり、〝三猿〟はこっちの挑発行為に対し、胸板をたたいたりそこらの草をむしったりバック転したり、面白いほど怒りを顕にした。姿よりこれらの仕草のほうがよほどサルらしい。ミャウなどは「あんたの××××なんてどうせ××x×の××が××x××んじゃニャ~の?」とか過激な文句を口走ってただけに、話を理解する脳ミソがあるなら当然の反応かもしれないが……。ともかくおよそモンスターらしくない行動ではある。後ろでマーヤが「あわあわわぁ~、そんなこと言ったりしたらぁ~……」と小声で泣き言をもらしているのが耳に入ったが。
 〝三猿〟の癇癪が頂点に達した頃合を見計らい、作戦その2へ。ミャウが境界線の外をそのまま移動しながら引き付ける。〝三猿〟も夢中になって追い始めた。再び森の中へ逃げ込まれる前に、獲物をとっ捕まえる気でいるのだろう。
 そいつは外縁の木の枝にぶら下がったりすることまでは自らに許しているようだった。樹上を手で渡っていく速度のほうが走るより素早いらしく、みるみるミャウとの距離をつづめていく。
 あと一息で捕まる寸前のところで、先回りしていたジュディが不意に飛びかかった。
 〝三猿〟は危うく攻撃を交わした──かに見えたが、実はジュディが狙ったのは本体ではなく、ぶら下がっていた木の枝のほうだった。そいつも重力の法則には(少なくとも一時的には)逆らえず、〝木から落ちるサル〟を地で演じた。
 そこへとどめの一撃を加えるのが朋也の役どころだった。ミャウの指示どおり、渾身の力を込めて爪を打ち下ろす。これで並のモンスターなら消えてくれるはず──
 だが、そいつはまだくたばらなかった。手傷を負わされたのがよっぽど悔しかったのか、怒り狂って吠え声をあげながら朋也に向かって反撃してくる。危うくかわすが、さすがに3人とも息切れは否めず、またコーナーに引き揚げざるを得なかった。
「ニャかニャかしぶといわね……」
「こいつ本当にモンスターなのかよ!?」
 マーヤが恐々としながら3人のそばへやってきた。怯えて距離を置くばかりで戦闘に参加しない彼女を、ミャウとジュディは渋い顔つきでじろりとにらむ。彼女は2人の視線を避けるように朋也の背に隠れた。
 突然森の木がざわめいたかと思うと、下生えの間から無数のツタがスルスルと素早く伸び、〝三猿〟の手足に絡みついた。
「!?」
 そいつは素っ頓狂な驚きの声を上げると、再び忽然と出現した空間の歪みに腕を伸ばして潜り込み、その避難口もろとも跡形もなく消え去った。「覚えてろ!」と言わんばかりの奇声だけを残して。
「皆さん、ご無事でしたか?」
「フィル!!」
 振り向くと、さっき別れたばかりの彼女が立っていた。そう、植物を自在に操るのは樹の精の十八番なのだ。
「援護が遅れてしまって申し訳ありません。いったん神木のもとに帰還していたものですから……」
「またまた助けられちゃったな♪ ともかく、恩に着るよ、フィル!」
 彼女は微笑んでうなずくと、少し困惑気味にマーヤのほうに目を向けた。
「しかし……マーヤ、今のは……」
 どうやらフィルは今の〝モンスター〟に心当たりがありそうだ。マーヤはバツが悪そうに朋也たちをちらっと振り返ると、フィルのそばへ寄って小声でヒソヒソと何か話した。
「マーヤ、君は今のやつのことを何か知ってるのかい? もしそうなら、俺たちにも教えてくれないか?」
 朋也にそう詰問され、マーヤは何か言いたそうに口をパクパクさせたものの、声にならなかった。朋也としてはなるべく苛立ちを抑えたつもりなのだが。
「フィル?」
 仕方なく、今度はフィルに振る。
「今のは……その……」
 マーヤと朋也の顔色を交互にうかがってから、彼女も伏目がちに曖昧な返事をした。
「申し訳ありません。私の口からは何とも……はっきりと確認できたわけではありませんし……」
 フィルの弁明は知己の妖精を気遣ってのものだろう。マーヤにはやはり真相を改めて問い質すしかない。彼女が不審な態度を示したのはこれが2度目でもあるし。今度は朋也はもっと厳しい口調で同じ質問を繰り返した。
「マーヤ、もう一度訊くぞ。君はあいつが一体何者なのか知っているのか!?」
「そ、そうねぇ~、きっとミザルヲエザルイワザルヲエザルキカザルヲエザルとかいう名前だと思うわぁ~♪」
「おい、マーヤ! 真面目に答えろよ!」
 命の恩人とはいえ、大事な質問を茶化してはぐらかそうとする態度には、ジュディも腹を立てたようだ。
 その時、ミャウがみなに鋭く警告を発した。
「しっ! まだ誰かが見てる」
 一同の間に緊張が走る。周囲を見回すが、さっきの〝ミザルヲ何某〟や異次元トンネルのようなものも、あるいは普通のモンスターも近くにいる気配はない。だが、確かにミャウの言うように誰かの視線が注がれているのを朋也も感じた。
 不意に、上のほうから鳥の羽ばたく音が聞こえた。周囲にそびえる木々の樹冠に目をやる。
 突然、連なる梢の向こうから黒い影が飛び立った。他のみんなも頭上を振り仰いだ。鳥にしてはずいぶんと大きい。この距離だと実際の大きさはつかみようがないが……。それに、姿も鳥というより、ヒトに近い気がした。
 何かがヒラヒラと空から舞い降りてきた。羽だった。時折日の光を受けて金属のような光沢を放つ漆黒の羽。ジュディが足元に落ちたそれを拾い上げる。
 黒い鳥らしき影は大きな翼をいっぱいに広げ、そのまま気流に乗って北の方角へと遠ざかっていった──



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