戻る






 屋根の上から大きな影がヒラリと舞い、音もなく2人のすぐ側に着地する。いつの間に!? ゲドの注意が逸らされた隙に、朋也は何とか腕を振りほどいた。
「ゲド。俺の目を見るんだ」
 大きな影の主はゲドの両肩をがっしりとつかみ、両目を正面から見据えた。虎縞の大柄なネコ族だ。見上げるような体格はブブとほぼ変わらなかったが、脂肪と筋肉の構成比は反対に近い。右目は傷を負って視力を失っていた。彼の名前は──朋也にとっては訊くまでもなかった。
 ゲドはしばらく荒い息をしていたが、次第に落ち着いてきた。目に点った狂気の灯火が消え、ゆっくりと普段のそれに戻っていく。わななく口から、正気を取り戻した彼の震える声が漏れる。
「……あ、兄貴!? 俺は……俺は、またやっちまったんですかい!?」
「大丈夫だ。お前は何も気にしなくていい。悪い夢を見てただけさ……」
「う……うう……」
 咽び泣くゲドの背中に大きな腕を回して抱擁する。そのままゆっくり中央の噴水のそばまで連れていき、腰をかけさせる。頭を抱えてうめくゲドに二言三言声をかけて落ち着かせた後、トラは朋也のところに戻ってきた。
「……で、お前さんが彼女の言ってた連れの兄さんというわけかい──?」
 トラはそこで眉根をひそめた。
「もしかして、お前さん……」
 トラ……そう、彼は間違いなく朋也のよく知っている〝トラ〟だった。右目の光はエデンに来ても戻らなかったんだろう。もっとも、その傷はニンゲンにやられたのではなく、ネコ同士のケンカがもとだった(相手はおそらくカイトだと思われた)。近くのネコ好きのおばさんとむりやり医者に連れて行き、とりあえず感染症を防いだのは他でもない彼だった。
「俺だよ、朋也だ。お前、トラ……だよな?」
 いくつもの感情が渦巻く。中でも一番大きかったのは、安堵感だった。今は千里を誘拐した一味の1人とはいえ、姿を見せなくなってからずっと心配していたのだから……。それにしても、立派になったなあ、というべきなんだろうか?
「まさかこっちの世界で兄ちゃんの顔を拝むことになるとは思いもしなかったぜ」
 知己に向かってニヤリとしてみせる。
「なるほど、道理で彼女も一緒にいるわけだ。おい、どうして逃げようとするんだ、ミオ? 俺の顔を忘れたわけじゃあるまい?」
 え──!?!?
 〝ミャウ〟を振り返る。彼女はこっそり家の裏手を回ってこの場を離れようとしたらしかったが、トラに呼び止められてあきらめたと見え、背を向けたまま立ち尽くした。
「あちゃ~~」
 右手で額を抑えながら首を振る。朋也の視線を避けつつも、ときどき上目づかいにチラチラと彼を見る。その仕草は、朋也のいない間に悪戯をしでかしたときの〝彼女〟にそっくりだった。
 ああ……。彼はすべてを悟った。
 何かマズイことを言ったらしいと察したようで、トラはそれ以上彼女に声をかけるのをやめ、本題に戻った。
「ゲドのことは勘弁してやってくれないか? 俺の弟分なんだ。あいつは、その……ときどきああやって発作を起こすもんでな」
「ふざけるな! ご主人サマをさらったうえに、ウサギ族の人たちにまでろくでもない真似しやがって! とんだ一族の恥さらしだよっ!」
 ジュディはまだ憤懣が収まらないようだ。
「ひどいよ、おじさん! 村のみんなには悪いことしないって言ったじゃない! あのひと、ホントに怖かったんだからねっ!」
 最後まで木の陰で震え上がっていたクルルも同調する。
「すまんな、嬢ちゃん。こいつはちょっとその……ワケありでな。勘弁してやってくれないか?」


*選択肢    はい    いいえ

ページのトップへ戻る