いよいよ朋也たちは目的地であるオルドロイまでやってきた。エデンに住む人々の間で火の山と呼ばれるオルドロイ山は、エデンの中央大陸のほぼ中心に位置し、標高2千メートルを越える活火山である。といっても、神獣によって制御されているため噴火の心配はなかった。地熱は妖精の発電施設に利用されていたし、ルビーの鉱石が豊富に産出されるため、住民には重宝がられ、霊峰として常に畏敬の念をもって仰ぎ見られていた。まさしく神鳥様の御利益を授かっていたわけだ。
だが……それも170年前までのことだった。今では神鳥殺害という忌まわしい事件の起こった場所として、目を背けられるようになってしまった。一帯は強力なモンスターの巣窟として恐れられ、近づく者とて滅多にいない。
ここにベスを中心としたイヌ族の一党が出入りし始め、神殿の再建に着手したのが3ヵ月ほど前。当初手間取っていたこの大がかりな事業の進捗も、トラが補佐として加わり、ユフラファのウサギ族を説き伏せたことで、大幅にスピードアップした。突貫工事で建物内は一部を除きほとんど手が着けられていないとはいえ、神殿の外観はかつての威容をほぼ取り戻していた。
神殿があるのは山の南側の斜面の中腹で、標高800メートルほどの高さだ。朋也たちは火山性の大きな岩がゴロゴロ転がっている急な参道を登っていった。ベスの一味は神殿に至る交通路にプラクティスを施し直す余裕はなかったらしい。資材も動力もほとんど現場で供給できるので、たいしてその必要もなかったのだろう。
こんな険しく足場の悪い山道を半ば無理やり連れてこられ、現場で寝泊りさせられているウサギたちを、朋也は気の毒に思った。さぞかし村の新鮮な野菜が恋しかろうに。
もちろん、誰よりも案じていたのは千里の身だった。誘拐されてから今日で1週間になる。いくら彼女がイヌ好きだといっても、命を奪おうとしている人型のイヌ族の一団に監禁されて、絶望的な気分を味わっていても不思議じゃない。それでイヌ嫌いになるタマでもないだろうけど……。
もし、テレパシーでも使えるなら、自分たちがすぐ近くまで助けにきていることを知らせてやりたいところだ。せめてジュディのことだけでも……。残念ながら、この世界では(あるいはこの世界でも)そんな都合のいい能力を駆使できるのは神獣くらいのものだった。
ジュディは必死になってご主人サマの臭跡を捜し求めたが、今のところ知覚できていない。硫黄の臭いに加え、多数のイヌ族とウサギ族の臭いに邪魔されているためだろう。
もっとも、トラはたぶんジュディのことを千里に伝えてくれたに違いない。だから、彼女はきっと最愛のパートナーと生きて再会する希望まで捨てていないはずだと、朋也は信じた。
山肌をジグザグにめぐる参道の最後のカーブを曲がると、正面に石造りの門が現れた。
やっと着いたぞ、オルドロイ神殿に。間近で見ると、やはり神の御所にふさわしい荘厳さに圧倒される。
だが、朋也たちの注意はすぐに逸らされた。2本の大きな柱の間に人影が見えたのだ。トラだった。
朋也は気を引き締め直すと、彼のいるところまで1歩ずつゆっくり歩いていった。
この3日の間に出来る限りのことはした。まずは話し合いからだ。千里を取り返すためならどんな条件だって飲もう。交渉が決裂すれば、本意ではないが全力を挙げて戦うしかない。勝てなかったときは……自分が身代わりになるまでだ。生贄はたぶんニンゲンであれば誰でも構わないはず。彼女をエデンに連れてきてしまったのは俺なんだから……。
朋也は両隣を歩くミオとジュディの横顔をチラッと見やった。ジュディ……千里のこと頼むな? ミオ……お前なら俺なんかいなくてもこの世界で十分生きていけるよな? カイトだっているんだし。俺は──
いけない、いけない。湿っぽいことばかり考えてちゃ最初から結果を捨ててかかるようなもんだ。朋也はかぶりを振ると頬を両手でピシャッとはたき、気分を切り換えようとした。あきらめるもんか! トラならきっとわかってくれる……。
トラは石段の上にじっと目を閉じて座っていた。近づくにつれて、全身から闘気のようなものが立ち上っているのが見える気がした。緊張のあまり肌がピリピリする。
朋也たちが立ち止まると同時に、彼はかっと目を開き、すっくと立ち上がった。身の丈も肩幅も、ユフラファで会ったときより一段と大きく感じられる。
「来たか、朋也……。この間は小手調べだったが、今日はそうはいかんぞ? 覚悟は出来てるのか? 尻尾を巻いて逃げるなら今のうちだぞ?」
「誰が逃げたりするもんかっ!!」
ジュディが吠える。朋也は彼女を制し、決然とした表情で話しかけた。
「千里を返してもらうわけにはいかないのか?」
「前にも言ったとおりだ。俺だってできることなら、たとえニンゲンだろうと命まで奪いたかねえさ。だが……大義が勝る! エデンの存続がかかってるんだ、悪く思わねえでくれ」
「……トラはなぜニンゲンを恨んでるんだ? よかったらわけを聞かせてくれないか?」(注)
「俺に勝ったら教えてやるよ。真剣勝負だ、お互い揺さぶりをかけるのはなしにしようや。行くぜ!!」
(注):第12話でフィルから情報を得ている場合は台詞が変化。