トラの言いたいことはよくわかる。世界を救う方法がもし他にないとすれば……だが、かといって千里を失うこともできない。朋也は頭を抱えてうめいた。自分にはあまりに荷が勝ちすぎるテーマだ。
「そんなこと言われても、どうしたらいいのかわからないよ……」
朋也の態度に業を煮やしたジュディが責め立てる。
「朋也! 一体何のためにここまで苦労してやってきたんだよ!? ご主人サマを返してもらうためじゃないのか!?」
「……」
トラは黙ってじっと目を伏せた。
「これからベスのところへ行って交渉してみる。やつが何と言うかわからんが……ともかくニンゲンの言うことに耳を貸すたあ思えねえから、お前さんたちはここで待っていてくれ」
「兄貴! でしたら俺たちも行きやすぜ!」
ゲドたちが身を乗り出す。トラは少し考え込んだうえ、首を振った。
「いや、お前たちもここにいろ。心配するな、すぐ戻る」
そう言い残すと、トラは神殿の奥に去っていった。
マーヤとクルルは彼の子分たちも含め一同の手当てにとりかかる。月蝕の開始時刻まではまだあったが、間もなく日が暮れようとしていた。
ベスか……。トラの協力は得られたものの、難関はむしろこの先にあるといえた。ユフラファでの作戦会議の折にジュディの説明を聞いて受けた印象では、ベスはトラよりはるかに説得の難しい相手のように思えた。ここに敦君でもいれば話は別だろうが……。
ブブに質問を向ける。
「トラとベスはどういう関係なんだ? 一応ベスがトップでトラがナンバー2だって聞いてるけど」
「わいに言わせりゃ、実力は兄ィのほうが上やけどな。あんひとは自分が他人を従えるのを嫌うおひとやし、そもそもプロジェクトをスタートしたんがボスやさかい。ボスのほうは、逆に他人の下に就くのが我慢ならんちゅうタイプや。最近はなんや、目つきが変わってきたちゅうか……他のイヌ族の連中もビクビクしてよう近寄らんようになったわ。まあ、でかい仕事を1人で背負って気張っとるんはわかるけどな」
「トラの話に耳を貸してくれると思うかい?」
ブブは腕を組んでうなった。
「そうやな……正直、あまり期待はできへんな。せやけど、いざとなったら兄ィが負けることはあらへんで!」
今はトラを信じて賭けるしかないか……。
ミオがふと難しい顔をしてつぶやいた。
「大丈夫かしらね、トラ……」
(注)トラは神殿の奥に向かって大股で歩いていった。エントランスから真っすぐ伸びる、かつて神鳥を慕って多くの種族が集い賑わっていた神殿の広大なホールはいま、がらんとして人影もない。
時折、形だけはコウモリに似てなくもないルビー系のモンスターが凝りもせずに襲いかかってくるのを蹴散らす。神殿の内部はまさにモンスターの巣窟と化しており、ウサギ族もイヌ族も単独でうろつくことは固く禁じられていた。それでも、何人かイヌ族で行方不明者が出ていたが。1人で自由に行き来できるのはトラとベスだけだった。
突き当たりにあった昇降機に乗る。地熱と魔法を動力源にしたエレベーターは静かに滑り出すと、真っすぐ最下層を目指して降りていった。生贄を捧げる予定の祭壇は噴火口の直下にしつらえてある。
皆既月蝕の時刻、血の色に赤く染まる月光に吸い寄せられるように、マグマ溜まりからフェニックスの霊体が出現し、生贄のニンゲンの魂を飲み込んで再生する──というのが神鳥復活の筋書きだった。トラ自身は未だに信じがたい気分だったが……。
途中、ウサギたちの部屋の横を通る。作業を終えたユフラファのウサギ族の男たちは大部屋に集められ、村へ帰れるときがくるのを待っていた。戸口には2頭のイヌ族が立っている。ウサギたちのほうもモンスターに襲われたくはないのでおとなしく従っていたが。まるで逃げるのを見張っているみたいでトラは気に入らなかった。
見張りに付いていたポメラニアンとシーズーは屈強なウサギ族の男より華奢なくせして偉そうにしていたが、トラがジロリと一瞥すると尻尾を丸めて仰々しく敬礼した。立ち寄ってウサギたちの顔を見ていこうかとも思ったが、思い直してやめにする。
生贄の儀式を中止しても、こけら落としのほうは別にやったって構わんか……。村長にもわざわざ出向いてもらってるんだし。いっそ今晩はニンゲンの兄ちゃんも交え、月蝕でも眺めながらパッと盛大に騒ぐのも悪くない。ウサギたちへの感謝の意味で、3人組に運んでもらったものもあるしな。
儀式の間の扉の前までやってくる。いまそこにいるのはニンゲンの娘とベスの2人だけだ。彼は神獣の〝内通者〟──トラにとっては顔を合わせたくない知己だった──の指示を律儀に細部まで守り、供物の品目チェックや手順の確認に忙しいと見える。
トラは立ち止まったままため息を吐いた。彼が力を温存していたのは、必ずしも朋也たちに温情をかけたのが理由ではなかった。正直、ベスを説得する自信はなかった。組織のトップとして日頃冷静な彼も、トラが生贄を解放するよう言い出せば、目を向いて怒り狂うに違いない。彼と戦うことはできれば避けたかったが……。
突如、岩が崩れるような轟音が響き渡り、振動が襲った。何だ!? 噴火か!?
続いて、大勢のひとびとの悲鳴が聞こえた。彼がいま来た後ろのほうから。まさか──!?
(注):ゲーム上ではここからしばらくプレイヤーがトラを操作することに。