「く、くく……」
ベスはよろけながら立ち上がり、口元の血を拭った。目にはまだ不敵な笑みが残ったままだ。何を思ったか、彼はいきなり千里のそばに駆け寄り、彼女を縛り付けていた縄を引きちぎった。
「動くな! 一歩でも近寄ればこいつの命はないと思え!!」
走りかけた朋也を制止する。
「や、やめろ!! 何する気だ!?」
ジュディがうろたえながら叫ぶ。
ベスは千里を抱えながら、1歩ずつ後退する。だが、2人の後ろには煮えたぎる溶岩の湖があるのみだ。
「貴様をオルドロイの火の釜に放り込みさえすれば、我が願いは成就される! さあ、観念しろ!」
彼は嫌がる千里を無理やりマグマの海に突き落とそうとした。近寄っても寄らなくても殺す気なんじゃんか……。とはいえ、人質にとられている以上、迂闊に動くこともできない。
「いやああっ! 離してーっ!!」
「やめろぉーーっ!!」
ジュディが頭を掻きむしるように泣き叫ぶ。
「千里ーっ!!」
そのときだった。衝撃が走り、空洞全体を揺るがした。今ので千里が落ちやしないかと肝を冷やしたが、ベスも彼女を手放し祭壇の上で這いつくばっていた。マーヤを除く全員がしゃがみ込んだまま身動きもとれない。
と、マグマの中央部分が異様に明るく輝きだし、湖面が波立った。何か巨大な物体が灼熱の溶岩の海の中を上昇してくる。高温の溶けた岩を身にまとい、火の海の中から姿を現したのは……光り輝く大きな鳥だった。170年前、ニンゲンに殺害されたはずの不死の神獣、紅玉を守護する神鳥フェニックス──
「う……そぉ……!?!?」
マーヤの叫びはかすれてほとんど声にならなかった。
極彩色の羽に縁取られた翼を広げると5メートルはありそうな、古代の翼竜を思わせる巨大な鳥……いや、姿こそ鳥に似ているが、もちろん鳥ではない。千度を越える溶解した鉱物の中で生きていける生物などいないのだから……。
フェニックスはマグマの上でゆっくりと翼を広げて静止すると、千里を凝視した。彼女のほうはその場にじっとうずくまったまま口をわななかせ、正面から自分を見据える伝説の不死鳥を見つめ返すばかりだった。
突然、フェニックスの身体がコロナのようなピンク色の揺らめくオーラに包まれ、白熱したマグマのそれより強烈な輝きを放ち始めた。あまりのまぶしさに目を開けていることさえできない。千里の姿がまばゆい虹色の光に飲み込まれていく。
「ち、千里っ!!」
足が金縛りにあったみたいにすくんで動かない。朋也にはただ彼女の名を叫ぶことしかできなかった。
閃光がようやく収まる。千里はさっきと同じ姿勢のままだった。よかった……だが、何かがおかしい。当の神鳥も含め、空間を満たしていた虹色の光は鎮まっているのに、なぜか千里の周りだけ光がぼんやりとまとわりつき、たゆたっている。まるで、彼女自身が光を発しているかのように。
「大丈夫か、千里!?」
ようやく足が動かせるようになり、朋也は彼女のもとに駆け寄ろうとした。
ベスもかぶりを振って立ち上がる。
「おお、フェニックス!! 甦ったのか!? 手はずと違うが……まあいい。さあ、我が下へ! そして、ルビーのアニムスをよこせっ!!」
召喚してやったのは自分だとばかり、命令を下す。
だが、神鳥の反応はなく、じっとベスを見返すのみだった。
「……!? 持って……ないのか!? なぜだっ!? なぜ肝腎の紅玉の方が再生しないんだ!? あれがなくては話にならん!!」
ベスは狼狽して首を振った。やがてがっくりと膝を着くと、拳を握りしめて悪態を吐く。
「……く……おのれ、カイトめぇ……たばかったなああっ!!」