「くく……。まったく惨めな末路もあったものだな……」
ベスの声。じっと横たわったまま苦しげにうめく。そういえば、フェニックスとの死闘に追われて彼にかまっている余裕がなかった。クルルが薬を取り出して村の半数の命を奪った仇の手当てにかかろうとするが、ベスは片手を上げて彼女を制した。
「己のすべてを賭した計画がまったくの茶番劇に終わったのだ。フ……フ……このうえ生き恥を晒そうとは思わん……」
「しっかりして、ベス!! そんなこと言っちゃ駄目!!」
千里が駆け寄って彼の手を握る。驚いたことに、彼女の掌から青白い光があふれ始めた。まさか……ヒーリングの魔法!?
「……お前はニンゲンのくせに、自分を殺そうとした私に憐れみをかけるのか? だとすれば、私の方がお前たちよりよっぽどニンゲンらしいというトラの言葉は正しかったことになるな、ククク……」
そのトラと同じで、全身に及ぶ火傷は手の施しようのない状態だった。千里の無我夢中の試みも、残念ながら彼の苦痛を和らげるのが精一杯だった。
「ベス……一体どうしてこんなことを?」
「うちの主が勤め先でリストラにあってな。売れるものは片っ端から整理しようという話になったんだが、そのリストの中に私も入っていたというわけさ……。私はずっと主人に忠実に仕え、家を護り、尽くしてきたつもりだった……。その報いがこれか……これがニンゲンというものか、と……。所詮私はただのステータスシンボルの一つにすぎなかったのだろう……。私が彼らに託してきた誇りは、そんなつまらぬもので置き換えが効くほど安っぽいものではなかったはずなのに……」
朋也は知った。この誇り高いイヌ族が誰よりも蔑んできたのは、存在意義もろともプライドをズタズタに引き裂かれた彼自身だったことに。
「私はエデンに逃れて来て己自身に誓った。命をどう扱おうと、売ろうが買おうが処分しようが、ニンゲンの好き勝手にすべてを決められる世界など、ぶち壊してやると……。己の生き方は己の裁量で決める……何者にも踏みにじらせはしない……そんな世界を、私の手で築きたかった……。そして、ニンゲンどもに奴らの所業を思い知らせてやりたかった……その身に味わわせてやりたかった!」
「ベス……」
「違う、違うわっ!!」
千里が大きく首を振り、彼の言葉を強く否定した。
「大人たちはどうか知らないけど、敦君はあなたがいなくなってからずっと捜し回ってたのよ!? 食事も喉を通らず、夜も昼もあなたの名を呼び続けて……彼はあなたのことが大好きだったのよ!? あなたのことを決して裏切ったりなんかしてない!! あなただって彼のこと好きだったんでしょう!? 忘れちゃったの!?」
ベスの目が大きく見開かれる。一筋の光明がその目に宿った。力を手にし、復讐に身を任せて以来灯ることのなかったかすかな光が。
「……敦……敦か……おお、覚えているとも! 2人並んで歩いた道を……川縁の土手道……畑の中の畦道……果樹園を抜ける一本道……落ち葉の舞う並木道……初めて会った時のあの子は私より小さくて……私は自分に格下の家来ができたとひそかに喜んだものだよ……。あの子が初めて私の引き綱を握った時は、正直いい気はしなかったが……それでも彼を困らせまいとおとなしく従うふりをしたのさ……。いつか、学校が休みだから今日は遠出をしようとあの子が言いだして……隣町まで出かけたのだが……途中で道を間違えて迷ってしまってね。それで、あの子がベソをかき始めたものだから、私は仕方なく先に立って家まで連れて帰ってやったんだ……。そのうちあの子も大きくなって……体格も私を追い越して……いずれ彼が私の主人になってしまうのかと……でも、それも悪くはないか……と思ったのさ……」
持てる政治力を駆使して組織を率いてきた冷酷なリーダーの顔から刺々しさが消え、穏やかな表情に変わる。最期のとき、計画も謀略も洗い流すように愛する者とのかけがえのない日々が彼の心を浸潤した。
「敦よ……君は私のことを裏切ってなどいなかったのだね……。私はてっきり君にまで見捨てられてしまったのだとばかり思っていた……」
目を濡らして彼の手を握り締める千里の顔をじっとのぞき込む。
「千里といったな……。敦に会ったら、伝えて欲しい……。私のことは……もう……忘れろ……と…………」
誰よりも安らかな笑みを残して、170年前のヒト族の企てを越えようと試みたイヌ族の策士は逝った。
ジュディの弔いの遠吠えがオルドロイの山中に繰り返しこだました──