少し迷ったものの、やっぱりここは千里に任せるのがベストだろうと朋也は判断した。
「ともかく、様子を見に行ってやった方がいいんじゃないか? 千里に任せるよ」
彼女は少し顔をしかめたが、折れてうなずいた。
「う~ん、朋也が行ってあげた方がいいと思うけど……まあ、いいわ。じゃあ、また明日ね♪」
「……ウッ……グス……」
ジュディは1つ上のフロアのバルコニーで見つかった。欄干にもたれて顔を伏せている。泣いているみたいね。やっぱり……。
千里はゆっくり近づいていくとそっと声をかけた。
「ジュディ?」
「ご、ご主人サマ!?」
ジュディは一瞬びっくりした顔をして千里を振り返ったが、急いで涙を拭うと、何でもなかったかのように取り繕った。
「どうかしたの?」
彼女の目を見ながら優しく尋ねる。
「な、何でもないよ……」
視線を逸らすように答える。目を真っ赤に腫らして、何でもないとはとても思えないけど。これは予想以上に重症なのね……。
千里はジュディの隣に腰掛けると、髪をなでながらそっと話しかけた。
「ねえ、ジュディ。私、ジュディに助けてもらって、言葉に言い尽くせないくらい感謝してるわ。だから、今度は私があなたを助ける番。あなたのためなら、どんなことだって力になってあげる……。だから、ね? 何があったのか話してみて?」
ジュディはなおもためらっていたが、やっとポツリポツリと口を開き始めた。
「……ボク……ボク、ご主人サマにもう一度会えて、嬉しいはずなのに……嬉しくなきゃいけないのに……ご主人サマが朋也と一緒にいるとこ見たら、胸が……」
「ジュディ……ジュディは朋也のこと、好きなのね?」
「……うん」
うなずいてから、恐る恐る千里に尋ね返す。
「ご主人サマはどうなの? 朋也のこと、好きじゃないの?」
「そうねぇ……。そりゃ、朋也はとってもいいお友達だとは思うけど……好きっていうのとはちょっと違うわねぇ」
首をひねってちょっと考え込むような素振りを見せながら千里は答えた。
「ホントに? ボク、ご主人サマもひょっとしたら朋也のこと好きなんじゃないかって……。朋也だってたぶんご主人サマのこと、悪く思ってないだろうし……」
内心ドキッとしつつ、笑顔で首を振る。こういうのって、嗅覚に関係するのかしらね……。
「ウフフ……それはきっと、ジュディの頭の中が彼のことでいっぱいなせいね。大丈夫よ、そんなことないから安心してちょうだい? 彼とはいつまでも大切な友達でいたいって思ってるから……」
「よかった……。アハハ、何言ってんだろ、ボク……」
傍目にもはっきりわかるほど大きくホッとため息を吐いてから、照れ隠すように頭を掻く。
「彼は、確かにいいひとだと思うわ。動物好きで、優しくて……あなたのこともかわいがってくれたし。向こうの世界じゃちょっぴり頼りなく見えたけど、今度の一件でとても頼れる人だって証明してくれたしね。もし、あなたが朋也のこと真剣に想ってるなら、私も応援してあげる。彼の方だってジュディのこと、まんざらじゃないと思うわよ? だから、元気出して?」
「うん! ありがとう、ご主人サマ! ボク、元気出てきたよ!」
「よかった、いつものジュディに戻ってくれて……。さあ、今日はもう晩いし、明日もあるからそろそろお休みなさい?」
「うん! エヘヘ、いい夢が見られそうだよ♪ ご主人サマ、おやすみ!」
上機嫌でバルコニーを出ていく。彼女の後ろ姿が十分遠ざかってから、千里はそっとため息を吐いた。
「あ~あ……さらわれてる間にジュディに先を越されちゃった……。ま、いっか♪」
ジュディが朋也に好意を寄せるのも無理はないな、と千里は思った。彼女自身、ジュディの直感どおり、向こうの世界にいた頃から彼は気になる存在だったのだから。ひょっとしたら、好みのタイプまで〝ご主人サマ〟に似ちゃったのかもしれないけど……。彼女がついケンカ腰になってしまったのも、淡い恋心の裏返しだったし、子供じみてるけど正直ミオに焼餅を焼いていたことも否めなかった。絶体絶命のピンチの際に彼がジュディたちと自分を助けに現れたときは、まぶしくさえ見えたものだ。本気で好きになりかけていた。
でも……ジュディは朋也に対する気持ちと、千里に対する思いやりとの板ばさみにあって、相当苦しんだに違いない。1週間という短い時間だったけど、2人が絆を深めるには十分だったのだろう。
だったら、彼女に譲ろう──彼と彼女のどちらを択るか問われれば、千里はやっぱりジュディを選んでしまうのだった。ある意味、自分はキューピッドの役を果たしたといえるかもしれない。せめて2人の関係がうまくいって、あの子が幸せになって欲しい。
ふと、彼女はとてつもない不安に襲われた。私はどうすればいいんだろう? 当分はジュディや朋也と一緒にこの世界でしなくてはならないことがある。せっかく魔法の力を手に入れたことだし。ベスやトラのためにも。だが、それがもし一段落したら?
押し寄せる不安を追い払うように千里はかぶりを振った。いつかは重大な、身の引き裂かれるような決断をしなくてはならないかもしれない。でも、その時はその時だ。今はただ、精一杯自分にできることをしよう。彼女のそばにいられる時間を大切にしよう……。
千里はもう一度、煌々と光を降り注ぐ満月を仰いだ。そっとつぶやく。
「本当に、きれい……」
そのまま彼女はにじむ涙を拭いもせず、眼下に広がるこの美しい世界をしっかり記憶に留めようと、飽くことなく見つめ続けた──