「ああ。君さえよければ聞かせてくれ」
朋也はうなずいた。
たとえリルケがなぜ自分たちの前に立ちはだかるのか、何を目論んでいるのかを教えてくれなくても、彼女がエデンに来た動機がわかればそれを知る手がかりになるだろうし。
「別にたいした話じゃないのさ。私は在り来たりの、どこにでもいる、カラスの1羽だった……ごく普通の母親、さ……」
月明かりを受け、眼下に広がるオルドロイの山裾に目を移しながら、リルケは話を続けた。
「当たり前のように生を受けて、連れ合いを得て、次代に生を譲り渡して……生きることだけにささやかな喜びを感じながら、ごく平凡な種族の一員として、人生をまっとうするはずだったのさ。あのことさえ起きなければ……」
そこで彼女は彼に視線を戻した。その目に宿っていたのは憎しみではなく、深い悲しみの光だった。
「目の前でね、雛たちを奪われたんだ。あのときの私にとってすべてだったもの。全力で戦ったんだよ。命に代えても護りたかった。でも、何もできなかった。何も……」
目を閉じてうなだれる。
「すべてを失って空っぽになった私の中に、1つだけ残っていたものがあった。〝声〟だった。『何かが間違っている!』って。私自身多くの命を奪ってきたよ。生きるためにね。もちろん、私たちだって奪われることもある。でも、私のかけがえのない子らは、当たり前に生き、死ぬことができなかった。それから、私の中の〝声〟は繰り返し叫び続け、しまいには私自身が〝声〟になった。私は、間違いを正したかった。力を手に入れたかった。あの無力感を二度と味わいたくなかった。奪われた者たちのために戦いたかった。そして……エデンに来た」
朋也はしゃがみ込んで膝を抱えた。なんだ……トラやベスと全然違わないじゃないか……。彼女の自分に対する激しい不信感も、今は十分に理解できた。
そうか……もしかしたら、解って欲しかったのは彼女のほうだったのかもしれないな……。
カラスは霊長類に匹敵する鳥類中随一の高い知能の持ち主といわれる。飼い慣らせばオウム並にヒト語を話せるし、パズルや暗証番号を覚える類の記憶力は並のニンゲン以上とか。同じ野生動物でも、自分の生活や行動パターンを固定したがる保守的なタイプではなく、何でも目新しいものに好奇心を抱き、進取の気質に満ちている。悪戯好きで次から次へと新しい遊びを発明したり、ニンゲンとの知恵比べであっという間に裏を掻いてみせる臨機応変の発想力も持ち合わせている。そうした適応性の高さ故に、ニンゲンの文明一色に塗りつぶされた都市でしぶとく生き残ってきた。しかも、イヌやネコのように馴化され文明社会に組み込まれたのではなく、完全に自立したまま……。
にもかかわらず、環境保護の文脈ではニンゲンの尖兵としてしばしば悪者扱いされてきた。自分たちのことを棚に上げて、実に身勝手な話だ。ゴミ荒らしを彼女たちの所為にするのは尚更だが。もちろん、彼女たちはペットや移入動物のような〝手先〟ではなく、れっきとした野生動物であり、キャパシティの十分な本来の自然でさえあれば、スカベンジャーとして欠かすことのできない存在のはずなのだ。
彼女たちカラスはただ、ニンゲンによって自然が改変され、蝕まれても、為すがままにされるのではなく、知恵を絞って対抗しているだけに──限られた選択肢の中から、滅びるのではなく、生き残る道を必死に見出しているにすぎない。
そして彼女は、間違っていても何も言えず、何の抵抗もできずにただ奪われることを拒否したのだった。
「少しおしゃべりがすぎたな」
自嘲気味に微笑む。次の瞬間には、リルケはいつもの冷たい仮面を被り直していた。
「夜が明ければ、私はまたお前たちの敵だ」
「リルケ……もう戦う理由なんてないんじゃないのか!? 俺は──」
朋也は立ち上がると、やりきれない気持ちで訴えようとした。身の上話を聞いてしまった以上、なおさら彼女と傷つけ合いたくなんかない。
「明日になればわかる。邪魔したな」
それだけ言い残すと、彼女はフワリと舞い上がった。あっという間に山の斜面を下り、遠ざかっていく。
飛翔する彼女の黒い影が点となって夜の闇に溶け込んでいくのを、朋也は呆然と見送った──