朋也は正直に事情を説明した。
「マーヤがいなくなってから本当に大変だったんだよ。何せ、君ほどの治癒と魔法防御のエキスパートがパーティに誰もいなくってさ」
それを聞いた千里が火を吹いたように怒り出す。
「朋也っ!! まったくあんたって人は~」
「だって、回復係がいないと──」
朋也がそう言いかけると、彼女は指を鳴らしながら凄みのある笑みを浮かべた。
「そんなに回復が必要な状態になりたいんなら、手伝ってあげましょうか?」
「あ、いや……冗談です、ゴメンナサイ」
ミオがこっそり耳打ちする。
「だって、本当のことニャのにねぇ」
マーヤは2人のやり取りを見てクスリと笑みを漏らした。
「ウフフ……あたしも、千里さえ許してくれるんなら、またみんなと一緒に冒険がしたいよぉ。あたしだって、ジュディのことはとっても気がかりだしぃ……」
それから、うつむき加減に顔を逸らす。
「でもぉ……少し考えさせてくれるぅ?」
神獣に叛逆するのが彼女にとってそれだけ勇気のいる決断だということは朋也たちも理解していた。千里が快く応じる。
「ええ。私たちために無理はしなくてもいいわ」
マーヤはペコンとお辞儀すると、顔を振り上げて4人の顔を見回した。少し以前の明るさを取り戻したようだ。
「それにしても、よくこの隠れ里を見つけられたものねぇ~。長いこと歩き回ってだいぶ疲れたでしょぉ? 時間も時間だし、今晩はここに泊まってくよねぇ~?」
「え、いいのかい!? 野宿を覚悟してたからそりゃ大助かりだけど……」
「もちろぉん♥ みんなも歓迎してくれるわよぉ~。どうやってエルロンの精のトリックを見破ったのか、ぜひ聞かせて欲しいわぁ~♪」
こうして一行はエルロンの森の奥に隠された妖精たちの小さな村の厄介になることになった。
里に住む妖精は50人もいなかった。昨日来たばかりのマーヤはもちろん一番の新入りだ。この地にやってくるに至った細かい事情はみなそれぞれ違ったが、システムにかっちり組み込まれた公務員のノルマ仕事に疲れたり、性に合わなかったりして、妖精としての身分を捨てて脱け出してきた者が大半だった。ある意味では落伍者、はみだし者の集まりで成っているといっても間違いではなかった。だが、彼女たちは単に歯車としてではなく、他の種族と同じように自由な道を選んだだけだともいえる。このエデンにあって、彼女たちにだけそうした生き方が認められないというのは、朋也には理不尽に聞こえた。ビスタのセンターではとんがっていたマーヤが、里の妖精たちとはより打ち解けているのもわかる気がする……。
隠れ里が成立したきっかけは、他でもない170年前の例の事件だった。紅玉の封印解放と神鳥フェニックスの死後、エデンは未曾有の混乱に見舞われ、実質ただ1頭の管理者となった神獣キマイラは強権を発動した。これまで比較的自由な生活や仕事ぶりが認められ、市民とも対等に交流していた妖精族は、厳しい統制のもとに置かれ、他の種族との間に厳格な一線が敷かれた。妖精は動物たちに奉仕するためにのみある存在として規定された。
それに対し、神鳥に直接遣え、神殿崩壊後に生き残ったオルドロイ派の妖精の一部は、癇癪を起こしてストライキを始めたのだった。キマイラは、自らの直属の配下であるレゴラス派の妖精を、事件直後の混乱を鎮めるために生み出した自らの分身たちとともに彼女たちのもとへ送り込み、力ずくで鎮圧した。非暴力をモットーとしていた神鳥派の妖精たちは、単に抗議の意思表示をしていたにすぎなかったにもかかわらず、処分されてしまった。そのとき辛くも危機を脱した10名余りが、この地に逃げ込んできたのだ。まだ当時のメンバーが半分残っているという。そして、制圧する側に回ったレゴラス派の筆頭が、いまキマイラの代行者として妖精の国を管理しているとか。妖精ってメチャクチャ長生きなんだな……。
隠れ里の建設にあたっては、もちろんエルロンの森の精、そしてキマイラに対して中立・独立の権限を有する神木の協力が必要不可欠だった。樹の精には、神獣から匿ってもらう見返りとして〝家賃〟を支払っていた。里の面積の半分は薬用キノコの栽培に充てられており、許可を得た行商人の手でビスタやシエナの街で売りさばかれ、多大な収益を上げていた。妖精たちは自給自足の体制を確立したうえ、売上の大半を〝家主〟の森に献上していた。樹の精が隠れ里に誰も近寄らせようとしないのは、単に落人となった妖精たちに同情を寄せたのみならず、功利主義的観点もあったというわけだ。
朋也たちが同意なしに無理やり禁断の地に侵入したことで、エルロンの森の精はさぞかし弱り果てたことだろうなあ。
「謝りに出向いたほうがいいかな?」
朋也がそう訊くと、里の妖精たちはみなケラケラ笑いながら答えた。
「たまには困らせてやったほうがいいわ。朝までは黙っときましょ♪」
そういうユーモアのセンスがある点も、マーヤに近いといえた。
泊めてもらうことに決め、夕食までの時間を持て余していた朋也たちは、キノコを栽培している畑を見学させてもらった。キノコ畑には商用として価値のあるいくつかの種類が育てられている。ほだ木の種類を変えたり与える栄養剤を工夫することにより、食用のものは匂いと風味、薬用のものはさまざまな薬効成分を幅広く持たせることが可能になっていた。食糧から燃料・建材に至るまで、微生物を利用した生産技術に長けた妖精たちならではの特産品だった。産地はエルロンとまでしか公表されないけれど。
妖精たちのおしゃべりを聞いたり、里の中を案内してもらっているうちに、森の奥に気の早い夕暮れが訪れた。夜の帳が降り始めた里の中に、いつまでも消えない残照のように淡い光がぼんやりと漂っている気がする。朋也は錯覚かと思い目をこすったが、そうではなかった。キノコ型の家々の窓辺に灯りはまだ灯っていない。光の正体はもう一度畑に出てみてはっきりした。キノコだ!
「あれはペペっていう発光キノコなのよ♪ 奇麗だからいろんな色が出せないか研究して改良してみたの。光があんまり弱いから照明とか実用にはとても向かないけどね。でも、ちょっと眺めてるだけでも疲れが取れるでしょ?」
妖精の1人が説明してくれた。
彼女の言うとおり、夕闇の中で仄かに光を発するキノコのイルミネーションを見つめていると、心が洗われるような気がする。その柔らかく幻想的な光は、闇を追い払う強烈な文明の灯と違い、闇にひっそりと寄り添う優しさを持ち合わせていた。
里の周囲を囲む木々の頂が星空に溶け始める頃、朋也は突然、それらの光が1つの形をなぞっていることに気づいた。大きな翼を広げた鳥の姿──。温かい暖炉のような赤と白の光を基調に、羽の両端に向かって7色の光がグラデーションを描いていく。
朋也たちの前で、いつのまにか集まっていた村中の妖精たちが、170年を経ても心の内で慕い続けてきた彼女のポートレートに向かって静かに祈りを捧げる。
マーヤはきっと、村のみなのことを気遣い、フェニックスの成れの果てについて彼女たちに何も教えていないのだろう……。
いつか本物の神鳥が甦る日が来るように、あるいはせめて彼女が永遠の苦しみから解き放たれるようにと、朋也と千里も胸の前で手を合わせた。
朋也たちは妖精たちと語らいながら楽しく夕食をともにした。メニューは特産キノコのパスタだ。といっても、麺の太さはそうめんより細かった。とっても美味しそうだったけど、昼間おにぎり責めにあった朋也は遠慮して少しにしてもらう。蜂蜜たっぷりのデザート(彼女たちの嗜好は共通らしい)の後、妖精たちはコーラスまで披露して彼らを楽しませてくれた。
170年前の事件を目の当たりにした者も含め、彼女たちがニンゲンである2人を歓待してくれたのは、マーヤがこれまでの経緯を仔細に打ち明けていたおかげだった。また、ジュディの命を救うために自ら危険を冒してレゴラスへと赴こうとする千里の勇気にも胸を打たれたのだろう。妖精たちは口々に彼女を称賛し、励ましの声をかけてくれた。
一行の寝室用には里の中央に建てられた公会堂が宛がわれた。妖精たちは大きな羽を持っているので、戸口は身をかがめれば何とか通れるだけの幅があった。室内も天井が少し低いのを除けば快適だった。妖精たちは羽布団のようなフカフカのベッドを用意してくれた。彼女たちが普段使っているのと同じで、羽が傷まないように素材に気を遣ってるのだとか。おかげで、朋也たちはその晩ぐっすり眠りに就くことができた。千里はそれでもジュディのことが気になって、なかなか寝付けなかったようだけど……。