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 とうとう朋也たち一行はエデンの中央大陸最大の都市であるシエナにやってきた。といっても、ビスタより一回り大きい程度で、向こうの世界でいえばせいぜい大きな県庁所在地どまりといったところだ。
 そもそもエデンの人口は3百万の妖精を含めても7千万程度で、神獣の基準をクリアして成熟形態にレベルアップした各種族単位で見れば、いずれも数十万から多くても百万人しかいないらしい。この辺りの知識はフィルに教授してもらったのだけど。
 環境への負荷が大きくなる成熟形態を地球上で養おうとすれば、7千万という数字はほぼ上限だという。つまり、モノスフィアの地球はニンゲンだけでとっくにパンク状態ってことだな……。資源の消費量、廃棄物の排出量、いずれも環境に対してはよっぽど慎ましやかなエデンの住民の百倍もの人口を抱えてることを考えると震えが走る。しかも実際には、70億いるニンゲンの半分以上は、水や薪や明日の食べ物も満足に手に入らない人たちだ。一方では、ケータイのアドレス帳に登録した人のことだけ、システム手帳にスケジュールした四半期先のことだけ考えてれば、地球上のどこかで苦しんでる人や動物のことも、未来の子孫のことも、何も考えずに贅沢な暮らしを送ることができる自分たちがいる。神獣の管理下に置かず単一の種族に好き勝手なことをやらせたら、文明の容がどれほど歪んでしまうかという、壮大な実験の結果がいまのモノスフィアなのかもしれない……。
 もっともその歪みは、移民の流入による人口増やモンスターの影響で、モノスフィアの文明の原型となったエデンにも兆し始めている。そもそも、ここはニンゲンを生み出した世界だ。フィルに聞いたところでは、三獣使は170年前のフェニックス殺害後の混乱──詳細はわからないが、妖精の一部が主導したらしい──を武力で制圧するべくキマイラが解き放ったのだという。長いエデンの歴史の中では、同様の事態も一度ならず起こっていたらしい。つまるところ、現実のエデンは決して後ろ暗い側面を何1つ持たない完全無欠のユートピアじゃないってことだ。強大な権力を持つ神によって一手に支配される状態が果たしてよいと言えるのか……それとも、自由を手にすれば、〝人〟はいずれ堕落してしまうものなのか? 朋也には答えが出なかった。
 午前中にエルロンの森を抜けた朋也たちがシエナの正門前にたどり着いたのは、もう3時を回った頃だった。市街をぐるりと取り巻いて、モンスターの侵入を防ぐ城壁が築かれている。ビスタのそれがどちらかというと塀に近かったのに比べ、シエナの城壁はより本格的だった。街に出入りできるのは城壁の四方に開かれた門だけだ。
 その門の前は、周辺にある農村に近い衛星都市との間を行き交う人や荷車──引っ張っているのはもちろん前駆形態のウマではなく成熟形態の〝人〟夫だ。ウマ族が多かったけど──でごった返しており、守衛たちが対応に追われていた。
 森を抜けてシエナから放射状に伸びる幹道の1つに入ってからは、街から各方面へ向かうキャラバンと何度もすれ違った。大陸東部においては、街の外では単独行を避けて集団で移動するようになって久しいようだ。実際、シエナ周辺のオデッサ平原に出没するモンスターは、昼の時間帯でも西部のテレッサ平原よりかなり手強かった。
 オルドロイで生贄の儀式のあった月蝕の晩から数えて今日で3日目、ジュディを取り戻すために残された期限の皆既日蝕の日までは後12日。あまり悠長にしている時間はない。目的地のポートグレーはシエナからずっと東に進んだ大陸の東端にあり、レゴラスへの船はそこから出ているはずだ。さしあたって必要なのは、ポートグレーとその先のレゴラスに着くまでどれくらいかかるか? また、そこまでどうやって行けばいいのか? を調べることだった。シエナほどの街なら情報自体はそれほど苦もなく手に入るだろうが。
 問題は、朋也と千里が街の中にどうやって入るかだ。最悪、2人は外で待っているしかないが、街の中で事前準備を整えられればそれに越したことはない。ビスタではうまくいったが、はたしてシエナの街の人々はニンゲンである2人を受け入れてくれるだろうか?
 キマイラが2人を指名手配扱いしている可能性もある。こっちからレゴラスへ出向こうとしてやってるのに、わざわざ千里をさらおうと使者を差し向けてくるくらいだからな……。それとも、三獣使の1頭を撃破されたことで、考えを改めたろうか? 自分たちの足取りを調べれば、カイトの言うとおりレゴラスに向かってることくらいわかるだろうし、いくらなんでも街中で戦闘をやらかして住民に被害が及ぶことは避けるよな?
 結局、朋也はそのまま街に入ることに決めた。咎められたら堂々とニンゲンを名乗る。入れてもらえないようなら、戦ってまで無理に押し入ろうとはせずにあきらめよう。まあ、正直に白状すれば、前みたく変装するのがイヤだったのもある。千里にあんな恥ずかしい格好を見られるのはゴメンだ。彼女のイヌ耳姿は一度見てみたい気もするけど……。
 そうして一行が正門を潜ろうとしたときだった。
「おい、そこの2人!」
 守衛を務めていたカンガルー族が呼び止める。立ち止まって、相手が近寄ってくるのを待つ。ここはおとなしくしてことを荒立てないほうが無難だろう。
「どこの種族の所属かね?」
 知らないってことは移民組じゃないんだろうな……。意識して丁重な物腰で答える。
「ニンゲンです」
 メモを書き留めていたペンの動きが止まる。彼は2人の顔をすがめるように見やってから、その場で待つように指示すると、他の守衛のところに相談に行った。しばらくして戻ってきたカンガルーは、残りの3人に向かって尋ねた。
「責任者は誰だい?」
「あたいよ」
 ミオが即座に応じる。
「出身は?」
「ウサギ族がユフラファ、樹の精がクレメイン、あたいはモノスフィア。この2人はあたいが連れてきたの。一応避難民よ」
 守衛は少し間を置いてから続けた。
「……種族ニンゲンは170年前の例の事件後も、登録自体が無効になったわけじゃない。だが、要保護監察の扱いになっている。つまり、何か問題があったときにはあんたが責任を負うことになるが……そういう理解でいいかね?」
「結構よ。この子たちはシツケがいいからトラブルは起こさニャイけどね。あたいたちが保証するわ」
「……まあ、いいだろう。実は最近この街で行方不明者が続出してるんでね、警戒態勢を強めているところなんだ。モンスターの仕業か何かわからんが……。不穏な行動があれば、直ちにフューリーから来ている妖精の部隊に引き渡すからそのつもりでいるように。ま、自分からわざわざニンゲンだと名乗ってるくらいだから、お宅らに物騒な真似ができるとは思わないがね……」
 肩をすくめて通ってよしと指で合図する。朋也たちは頭を下げて守衛に礼を述べると、彼の前を通り過ぎた。よかった……やっぱり正直に話すに限るな。街で起こってる行方不明事件というのは気にかかるけど……。
 城門を潜り抜けると、中は文字どおり人でごった返しており、新宿や渋谷の繁華街のような賑わいだった。しかも、ビスタと同様、みな毛の色や、顔つきや、耳の形の異なる種族のひとびとだ。言葉の壁がないことも大きいのだろうが、やはり血筋や外見に捉われないのが世間の常識になっているからこそ、こうした光景を目の当たりにできるのだろう。ベスやトラたちを利用したうえに、ジュディを人質にとってまで千里の身柄を要求するキマイラのやり方は許せないが、それでも自分たちの世界を振り返ってしまうと、多くの点でやはり彼は正しいのではないかと認める気になってくる……。
「うわあ、ビスタもそれなりに賑やかだけど、やっぱりシエナには及ばないや。クルル、1回シエナの街に来てみたかったんだ♪」
 往来を行き交う人の波を目で追いながら、クルルがはしゃぐ。田舎者丸出しだぞ。
「なんか……うらやましいね……」
 感嘆と羨望の混じった大きなため息を吐きながら、千里がつぶやく。彼女も朋也と同じ気持ちなんだろう。そういや、彼女はクレメインで誘拐されちゃったから、俺やジュディと一緒にエデンの街に入るのは初めてだったな……。
「さ、ぼやっとしてニャイで情報収集を開始しましょ」
 ミオが促す。
 迷ったり事故ったりして離れ離れになったら、ビスタのとき以上に捜しまわるのに苦労しそうなので、今回は5人一緒に行動することにする。
 どこか目ぼしい情報の手に入りそうなところはないかと、左右の町並みを眺めながら大通りを進む。通りの両側に立ち並ぶ建物は、やはりビスタと同じくいずれも木と生分解プラスチックの建材からなっており、素朴さと、近代的なイメージが交じり合った奇妙な印象を与えた。いずれも中低層のものが多く、5階より高いビルは見当たらない。道行く人々の衣服も、中世と未来のファッションをごった煮にしたような感じのデザインだ。価値観にそれだけ幅があるから、自然とこういう結果になるんだろう。慣れれば平気なのかもしれないが、向こうの建築家やファッションデザイナーが見たら顔を引きつらせそうだな……。
 正門からたいして歩かないうちに、朋也たちは船の絵が描かれた看板の出た店を目にした。ひょっとしてあそこが案内所かな? 早速ドアをくぐってみる。
「いらっしゃい」
 カウンターの向こうにいた眼鏡をかけたヤギ族が会釈する。
「団体さんかい? オルドロイの麓のキリスウングル温泉4泊5日ツアーなんてどう? 今なら5名のところ4名分の料金にしとくよ♪」
「そのうちね。あたいたち、レゴラスに用があるの。船便の出港予定はわかる?」
 ミオが単刀直入に尋ねる。
「レゴラスへ行くのかい? あそこはご存知のとおり観光地じゃないからねぇ。妖精の使う定期便くらいしかないけど……あ、そうそう、12日後に日蝕があるの知ってるかい? ここからでも見られるけど、皆既日蝕はレゴラス辺りまで行かないと拝めないんだ。ちょうど観測ツアー向けの増便がポートグレーを11日後に出るよ」
「ギリギリね……その前の便はニャイの?」
「その前になると、もう明日になっちゃうね」
「じゃあ急がないと!」
 朋也が叫ぶ。
「おいおい、冗談だろ!? こっからポートグレーまでどれだけかかると思ってるんだい? 西の砂漠の真ん中を突っ切っていきゃ4日で何とか着けるけど、あそこには恐ろしいモンスターが出没するから今じゃ誰も通らないよ。南のダリや北のバズラ、ジャメニ経由で1週間がやっとだよ」
「とりあえず5人分の船のチケットをちょうだい」
 鉱石を支払ってチケットを受け取る。渡航案内所を出てから、5人は肩を寄せ合って相談に入った。
「そもそもポートグレーに行くまでがそんなに大変だとは思わなかったなあ……」
 エデンの中央大陸は南北に走る山脈の東西に大きく分けられるが、山脈の位置はやや西側に偏っており、面積は東部の方が広かった。そして、山を越えて吹き降ろす偏西風の影響で、特にシエナより東の地方は乾燥地帯が広がっている。シエナのほぼ真東に位置するポートグレーとの距離は200キロ以上あり、両都市の間には砂漠が横たわっていた。
「迂回ルートを取るにしても、相応の装備が必要になりますね」とフィル。
 さっきから沈んだ様子で考え込んでいた千里がふと顔を上げた。
「……ねえ、ポートグレーに行けば船はあるわよね?」
「さあ、行ってみニャきゃわかんニャイわよ? エデンは向こうほど海運が発達してニャイからね。海上を渡って物資を輸送する必要があるのはレゴラスくらいのものだし。どうするつもり?」
 ミオが怪訝そうに訊く。
「何とかならないかな?」
 千里は物問いたげに朋也のほうを見やった。
「私……ジュディに後10日以上も独りぼっちで辛い思いをさせるなんて、耐えられない……」


*選択肢    出航を待つ    船を乗っ取ってでも・・

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