東の地平から顔を出した半月に照らされながら、ローブを身にまとった長い髪の女性が欄干にもたれている。月明かりを浴びた彼女の横顔は息を呑むほど美しかったが、そこはかとなく憂いを帯びて見えた。彼女の思い詰めたような視線の先、はるか東の海上にあるのは、神獣キマイラの住むレゴラスだった。しかし、よく平気であんな縁によっかかっていられるなぁ。朋也なら足元に目をやっただけで気絶しそうだ。
イヴはゆっくりと2人のほうを振り返った。
「よくここまで登ってこれましたね、千里、朋也……。1次試験は合格ってとこかしら? さて、これから私たちニンゲンのサガをすべて詳らかにしましょう。ですが、その前に……」
そこで千里の目をじっと見据える。
「千里。あなたはシエナで、愛する者のためなら命を投げ出すことさえ厭わないと言っていましたね? それは、たとえその相手がヒトでなく獣だとしても?」
獣、か……。この世界でその単語を耳にしたのは初めてだ。ヒトとケモノを峻別する発想自体ないこの世界でその言葉を改めて聞くと、ひどく違和感を覚える。
「種族がニンゲンかどうかなんて、私にはどうでもいいことだわ! ジュディは私にとってかけがえのない家族……命に代えても護ってみせる!!」
千里は一分の躊躇もなくきっぱりと言い切る。
「……そうですか。ならば、あなたの覚悟が本物かどうか確かめさせてもらいます。お2人の力、私に見せてくれますね?」
「え、それって……」
「私をキマイラだと思って全力で挑んでいらっしゃい。あなた方に力を授けると言いましたが、実力があまりに低いようでは話になりませんからね。これは私にとって一種の賭けでもあるのよ。だから、無駄なことはしたくないのです。さあ、今の自分たちを越える力を受け取る資格があるかどうか、私に示してご覧なさい!」
「……わかったわ。あの、銃は使っても大丈夫なの? 彼は、その……あまり魔法は得手じゃないんだけど」
「構いませんよ。私が傷つく心配はしなくていいから、遠慮なく撃っていらっしゃい」
千里は絆の銃を朋也に手渡した。本人は魔法で堂々と勝負する気のようだ。
「私の方からも攻撃するからそのつもりでね? さあ、それでは行きますよ!?」
やれやれ、幽霊の相手をしながら40階も階段を上ってきただけで結構きてるのに、イヴを相手に戦闘する羽目になるなんて──とボヤいているわけにもいかない。ジュディの命がかかっているだけあって、千里は本気だ。彼女の足を引っ張らないようにしなきゃ。
千里はセオリーどおりステータスアップの補助魔法トリスタンを2人にかけ、続いてイヴに向かいレベルⅠのルビー、エメラルド、サファイアを連続で放った。各属性の単体魔法を最初に使ったのは、相手の弱点属性を見抜く意味もある。
「なるほど、戦術の組み立て方としては正しいわね」
イヴが微笑みながらうなずく。もっとも、彼女には弱点属性なんてなかったが。
それから先は乱戦だった。イヴの放ってくる魔法は、これまでに遭遇したさまざまなモンスターが行使してきた魔法のレパートリーをすべて網羅していた。恐ろしいほどの魔法の天才だな。対する千里は、ときどき防御と回復に配慮しつつ、攻撃は3属性魔法のトリアーデ1本に絞った。相手はイヴ1人だし、フィールドの効果も含め属性間の差がなく、MPの消費も考慮すればそれが一番効率的だったからだが。そもそも千里が使えるのは基本的にルビー・エメラルド・サファイアの3属性とヒト属性のブラッドストーンのみだった。それでも、パーティーメンバーの中では手持ちの数が1番多いけど……。大抵の種族は守護鉱石の属性魔法のみしか使えないのだから。
イヴはダメージを軽減する防御魔法さえ使わず、彼女の魔法をまともに浴びながら平然としていた。1発毎に対戦相手の魔力を計測しているふうではあったが。千里はそれでも焦りの色を表に出さず、戦術を忠実に護った。朋也は主にMP補充係に専念し、タイミングを見て攻撃に回ったが、事実上オマケだった……。
「冷静さを見失わないのはいいことだわ。でも、もう少し変則的な手も使ったほうがいいわね」
イヴは次の呪文の詠唱に入った。インターバルが長い。彼女の浮かべた余裕のある笑みに一瞬背筋が寒くなる。詠唱を妨害しようと連射をかますがなしのつぶてだ……。イヌ族の魔法封じスキル≪吠える≫でも覚えてりゃよかったのに。
「朋也、防御!!」
千里が鋭く指示する。本人は何故か攻撃系の詠唱に入る。
「ジェネシス!!」
来た! 自分が受けることだけは願い下げだった魔法だ。ドクターBSEの落としたダイヤモンドをかざしながら身をすくめる。3人のいる空間がすさまじい咆哮とまばゆい閃光に包まれる。たとえとしては全然不十分だが、ブリザードの中で灼熱のマグマを浴びながら百万の雷に打たれるようなものだ……。
朋也は立っているのがやっとだが、千里もいくら高い魔法防御力を得たといえ、無傷では済まないだろうに──と思っていたら、光がやんだ途端、彼女は打って出た。
「ジェネシスッ!!」
マジかよ!? 千里のやつ、対抗意識を燃やしたのかな? 威力は随一だがパフォーマンスの悪い最強魔法は、いざというときの切り札にする以外、戦術上あまりお奨めはできなかった。大体、至近距離なだけにこっちもダメージを覚悟しなきゃいけないのに……。ともあれ、最強魔法同士がぶつかり合う席に居合わせたのは後にも先にも朋也くらいのものだろう。イゾルデの塔は魔法に対する特殊な耐性を持っているようだったが、普通の建物だったら2発も食らえば崩壊しないほうが不思議だ。
辺りを覆った3原色の光が消え、戦場となった塔の上は再び闇と静けさに包まれた。強烈なフラッシュを浴びた後だけに、目が柔らかな月の光に慣れるまで数分を要する。イヴの様子が戦闘開始前とちっとも変わっていないのに対し、千里はさすがに肩で荒い息をしていた。いま攻撃されたらひとたまりもないだろう。朋也もだったけど。
だが、イヴはそこで柔和な笑みを浮かべ、〝試験〟の終了を告げた。