ジュディが先に立って穴の中に潜り込み、朋也も後に続く。中は割と広く、畳12畳分くらいの広さはあった。道場を住まいと兼ねているらしい。側面に小さな窓が1つあるだけで、灯りもなく、部屋の中は薄暗い。
正面の柱の前にイヌ族のオスが1人、座禅を組んで座っていた。オオカミかコヨーテにも見える地味な風貌からすると、移民ではない生粋のエデン市民のようだ。彼が伝説の剣士本人なんだろうか? 恐る恐る近づきながら呼びかける。
「あ、あの……こんばんは」
イヌ族は面を上げてジュディを正面から見据えた。
「こんな夜更けに何の用だね、娘さん?」
「えっと……あなたがモンスターを500匹倒した伝説の剣士、カムロですか!? ボク、あなたに剣を習いに来たんだ!」
緊張を押し殺し、一気に用件を伝える。
カムロと見られるイヌ族は、しばしの間の後、眉一つ上げずゆっくりした口調で答えた。
「ほう、剣を覚えたい、とな? だが、拙者は一介の剣士の端くれにすぎぬ。第一、拙者はモンスターを1匹も倒してなどおらん」
「え!?」
戸惑いの声を上げる。ガセネタだったのかな?
「あれらの多くはもともと我々と同じエデンに暮らす種族の変化した者だ。拙者は憑りついた悪霊を払ってやっているにすぎぬ……。命を奪うために剣を振るう者には決して道を究めることなどできぬのだ。わかるかな、娘さん?」
そこで少しカムロの表情が綻んだ。
「は、はい。そうですよね……」
畏まって返事をする。
「うむ」
ジュディの素直な返事に、カムロは満足そうにうなずいた。
「して、そなたは何のために剣の道を目指すのかね?」
「ご主人サマを助けるために──」
カムロはいきなりガタンと音を立てて立ち上がった。先ほどまでのいかにも導師然とした温和な表情が消え、全身がわなわなと震える。怒りのあまり目の玉が飛び出んばかりの形相だった。
「!! なんと!? そなた今〝主人〟と申したか!? このうつけ者っ!! そなた一体何のためにエデンへ来たのだ!? ここはニンゲン共のくびきから、辛酸と屈辱の日々から解放されるためにこの地へ逃れてきた者たちの集う街だ。故くは紅玉を奪って世界を破滅に導かんとし、今もなお彼の地では暴虐の限りを尽くし、エデンの安寧をも脅かす輩をそなたは〝主人〟と仰ぐのか!? かの邪悪な輩への未練を断ち切れず、忌々しい記憶を再び呼び覚ます者に教えてやる剣などないわ!!」
朋也たちは剣士カムロのあまりの豹変ぶりにびっくりし、返す言葉もなかった。ジュディが先に我に返って反論する。
「ご主人サマは……ご主人サマは違うよっ!! それに、ニンゲンだって悪い奴らばかりじゃないじゃんか!! ご主人サマや、朋也や、敦君や、家族として、友達としてボクたちと接してくれるヒトだっていっぱい──」
「黙れ!! ニンゲンに善いも悪いもないわ! いずれが真実か、街の住人たちの声を拾ってみるがよい!!」
さっきからジュディの後ろで2人のやりとりを黙って聞いていた朋也も、ついに我慢できなくなり彼女を援護する。
「おい、さっきから黙って聞いてたけど……伝説の剣士だか何だか知らないが、あんたそうやって何でも物事を決め付けることしかできないのか!? 千里とジュディは少なくとも本当の家族だ。ヒトかイヌかなんてことは関係ない!」
カムロはそこで押し黙り、じっと朋也の顔を凝視した。突然あわてふためいて尻餅をつく。
「ま、ま、ま、まさか……尻尾もないし、イヌ族の男にしては顔つきも体臭も少しおかしいので妙だとは思ったが、そ、そ、その方、ニ、ニニ、ニ、ニンゲンか!?!? 一体どうやってエデンに潜り込んだのだ!? しかも、イヌ族に化けてこの拙者の目までたぶらかすとは。ええい、即刻この街から立ち去れい! さもなくば剣の錆びにしてくれるぞっ! だ、誰かっ! 誰かおらぬかっ!! ニンゲンじゃ! ニンゲンが出たぞーっ!!」
〝伝説の剣士〟の異名が泣きそうなへっぴり腰で剣を抜く。目にはヒト族である自分に対する恐怖の色がありありと見て取れた。エデン生まれの彼にとって、ニンゲンはモンスターとでさえ比較にならないほど凶悪な〝伝説の異端種族〟なんだろう。
ここまでくるともう交渉の余地があるとは思えない。朋也はジュディをそっと促し、剣の達人の道場を後にした。