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 朋也はエメラルド号のエンジンをかけると静かに滑り出した。城門まではそろそろと徐行運転で進む。
 シエナの大通りはこの時間でも人通りが絶えなかった。通行人はみな妖精とヒト族を乗せた自走車が来ると、ジロジロとヘンな目で見ながら道を開ける。まあ、慣れてもらうまでは仕方ないか。ただ、城門の守衛はマーヤの顔パスですんなり通してくれた。
 市街地から出ると、時間も時間なので一路南を目指してスピードを上げる。ときどきマーヤが飛ばされてやしないかと隣の席に目をやる。軽いうえに羽の面積だけは大きいもんな……。抵抗を受けないように背中にきちんと畳んではいたけど。
 シエナの南方は、大陸の南半分との間を隔てる険しい山脈と、その手前から東に向かって広がる砂漠に囲まれた荒涼とした一帯だった。こちら側には住民の集落もほとんど存在しない。フューリーのゲートは、山脈の尾根に挟まれた谷の奥にひっそりと設置されている。妖精たちは日常業務で地上とフューリーを行き来することはほとんどないため、ゲートも赴任と帰還の際くらいしか使わないという。
 シエナからゲートまでは60キロ以上離れており、フルスピードでも30分かかったため、道中朋也はマーヤにフューリーに関する情報を教えてもらった。
 空中都市フューリーは、直径10キロ余りの光を透過する特殊な強化繊維プラスチックで出来た多層構造をなしている。地上からはほとんど雲にしか見えないらしい。気象や宇宙線の状態によって天空を移動することもあるが、ほとんどシエナ南方の赤道上空高度5キロ付近に留まっている。そこには、妖精の全人口300万人のうち200万人が住むという。残りの100万人がマーヤたちのような地上勤務で、更にその半分はレゴラス神殿にいる。かつてはオルドロイにもレゴラスと同数程度いたそうだが。地上では難民のサポートや行政指導など住民と直接交渉する業務が中心なのに対し、フューリーでは主に最下層にあるプラントで建材から人造食糧に至る物資の生産活動を担っているらしい。
 峡谷に差しかかったところで、前方にぼんやりした明かりが見えてくる。近づくと、オーロラのように虹色の輝きを放ちながら波打つ半透明の壁が進路に立ちふさがっていた。いったんエメラルド号を停める。
「あそこから先はあたしたちしか入れないのぉ。プリチーハニーエメラルド号で行くのはもう無理ねぇ~」
 ちなみにプリチーハニー──はマーヤが勝手に付けた呼称だ。2人はエメラルド号を降りると光の壁の前まで歩いていった。
「朋也はあたしに掴まって離れないでくれるぅ? そうすれば大丈夫だからぁ」
 不意に2本の光線が走査するように2人を照らした。どうやらマーヤの羽のパターンを読んでいるらしい。
≪#9109557 照合完了≫
 人工音声のメッセージとともに光のカーテンに通り道ができる。2人が通り抜けると、通行口は数秒でまた閉じてしまった。
 いちいち個人認証までして出入りを厳密にチェックしてるのか? そもそも結界を張って通行を制限していること自体エデンのイメージにそぐわない気がするが。朋也がテールゲートで通れるんだから、いい加減ちゃいい加減だけど……。
 マーヤにそのことを指摘すると、彼女もそのことを認めたうえで、フューリーは一般の種族が足を踏み入れるには少々危険が伴う場所だとも説明した。まあ確かに、空の高いところに浮かんでるわけだからな。
 検問が厳しくなったのは、170年前の紅玉の封印解放後にある事件が起きてからだという。(注)〝マリエルの叛乱〟と呼ばれるその事件は、フェニックスの死後に妖精間で起こったいざこざだった。当時レゴラス神殿所属のグループの妖精長ディーヴァを中心にした通称レゴラス派が、妖精の管理施策の抜本的な改革を進めようとしたことに対し、オルドロイ神殿に所属するグループであるオルドロイ派の妖精長マリエルを中心にした一部が、モチベーションを下げるという理由で異を唱えストライキに入ったのだった。結局、キマイラをパトロンに得たディーヴァ一派が、三獣使を繰り出して武装鎮圧したことにより事件は幕を閉じたのだが、管理好きのディーヴァはオルドロイ派の消滅以後もこの手のツールを継続使用しているらしい。
「ところで、今の番号は?」
 妖精には社員番号みたいな通し番号でも付いてんのか?
「あたしの本名よぉ。要するに、あたしたちにはそもそも名前なんてないのぉ。〝マーヤ〟っていうのは、あたしが自分で付けたニックネームよぉ。センターとかでは他の子にも無理やりそう呼ばせてたけどねぇ~」
「……」
 朋也は絶句してしまった。親もいなければ名前も与えられない。さっき当人に教えてもらった妖精の社会の裏面史にしろ、朋也にはひどく引っかかるものがあった。普段何気なく接している彼女のイメージとのギャップが大きすぎて……。
 坂道を登りきると、正面にフューリーへの転送ゲートが見えてきた。クレメインの森にあったゲートよりコンパクトだ。同じ転送装置でも次元を超えて別の世界に行くわけではないので、キマイラの介在は不要らしい。
 朋也はマーヤの指示に従い、台座の上に乗った。
「じゃあ、行くわよぉ~!」
 彼女がコンソールのスイッチを入れると、装置の周り中に真っ白い光がほとばしった。


(注):エルロンの森で妖精の隠れ里に寄っていた場合は既知。


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