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 朋也たちが出発の準備をしている間、ラディッシュは2人の携帯用にビスケットをこさえてくれた。ちょっとホッとした。いや、クルルのビスケットにもだいぶ慣れてはきたけれど……。おまけに、無理して家中にある鉱石まで掻き集めてくれた。断ろうとしたが聞かないので、ありがたく受け取ることにする。
 村を出る前に、試しに若い子にインレについて尋ねてみた。すると、クルルより年下の子には「何それ? 新しい野菜の品種? わかった、ビスケットのブランドね♪」なんて言われてしまった……。彼女より上の女の子は、小さい頃耳にした村の名前をかすかに覚えていた。
 やっぱりラディッシュさんの言うとおり、本当に村中で記憶を封印しようとしたんだな……。ニンゲンだったら、きっと記念碑やら資料館を建てたり、いろいろ尾鰭を付け加えられながらも後々まで長く語ろうとするに違いない。1人の女の子を傷つけないために忘れてしまおうとするウサギ族とは大違いだ……。
 ちなみに、ゲドの反応は「イイ女がいっぱいいるのか?」(男を探しに行くんだが……)、ブブは「うまいもんいっぱいあるんかいな?」
 2人は10時前にはユフラファを出発した。ルネ湖そばの三叉路を左に折れる。インレに通じる山道の麓の入口までは、エメラルド号で飛ばせば1時間かそこらで着くだろう。
 問題はその先だった。エメラルド号は砂地と同様ある程度は雪上も走行可能だったが、道がどのくらい深くまで雪に埋もれているかが読めない。通行不能だったら、途中からは徒歩で登るしかないが、ルートも村までの距離もあやふやだ。日暮れまでにインレにたどり着く目処がつかなければ、引き返さざるを得ないだろう。
 朋也が怖れていたのは、村自体が消滅していることだった。 妖精によるサポートも得られぬまま、厳しい寒村でモンスターや大雪と闘いながら15年も自給自足の生活を維持することは、相当な困難を伴うに違いない。いくら成熟形態の種族がタフだといっても、はたして村人たちは生きていてくれるだろうか?
 もっとも、期待に胸を躍らせているクルルに向かってその不安を口にはできなかった。そう……もう1つ怖れていたのは彼女のことだ。あのオルドロイの1日のように、悲嘆に暮れる彼女を見たくはない……。
 平原を北上するにつれ、気温が急に下がっていく。前方に見える雪をかぶった峰々から吹き降ろす風が冷気を運んでくるんだろう。学生服にはP.E.のおかげで気温調節機能まで備わったらしく、寒さは感じないけど。麓の手前から、すでに荒野のところどころを白い斑が覆っているのが目につくようになっていた。内陸のオルドロイと違い、海からの西風が斜面を昇るうちにこの地方に多量の雪をもたらしているに違いない。
 ようやくインレに通じる山道の入口に到着する。斜面を登り始めてからは路面もすっかり雪で覆われていた。やはり10年以上人の出入りがないだけに、この山道自体プラクティスがかなり弱っているように見える。
 凸凹の雪道を徐行運転で進んでいくと、目前にぽっかりと大きな洞穴が出現した。両脇は針葉樹の密生した急斜面で、積もった雪も腰まですっぽり埋まってしまう高さだ。インレに行くには、ここでエメラルド号を置いて、徒歩で雪の下をくぐるトンネルを通り抜ける以外になかった。
「ここがインレへの入口か……。途中で通せんぼしてるモンスターってどういうやつなんだろうな? まあ、フェニックスや三獣使より手強いってことはないだろうけど」
 洞窟に入る前に、ラディッシュおばさんに包んでもらったサンドイッチで腹ごしらえをしながら、クルルに話しかける。
「どんな奴が出てきたって、クルルへっちゃらだよ!」
 すっかり楽観モードになってはしゃぐ彼女を朋也はちょっぴりたしなめた。
「おいおい、おばさんの言いつけを聞いてなかったのか? こっちはユフラファの大事な〝宝〟を預かってるんだから、無茶な真似だけはするなよ?」
「う、うん。わかった……」
 ふとラディッシュに聞いた話を思い出す。どこかこの近くでクルルが拾われたのか……。本人は別に気にしないって言ってるけど、本当の両親も見つかるといいな……。まず村の無事を確かめるのが先決だけど。
 薄暗い洞窟の中に入ると、さすがに外にもまして空気がひんやりしている。
「クルル、寒くない?」
「うん。クルルは寒いのはへっちゃらだよ。冬は一番好きな季節だもん♪」
 元気だなあ。こっちは彼女の格好を見てるだけでも寒くなるのに……。まあ、目の保養にはなるけど。
 洞窟の中は奥に進んでいっても完全に真っ暗にはならなかった。目が慣れるまで時間はかかったが、壁や天井が全体に仄かに光っているのがわかる。鉱石が豊富なんだろうか。それらの淡い光が、天井から下がる無数のツララに反射して、絵にも言われぬ美しい情景を醸し出していた。往来があった頃には、こんな自然な鍾乳洞に近い洞穴じゃなくて、もっとちゃんとしたトンネルだったんだろうけど。
 このトンネルは尾根を貫いて向こう側の盆地に通じているんだろうが、標高はたぶん1500メートルくらいまで上がるのだろう、急勾配の曲がりくねった階段が延々と続く。
 出現するモンスターはどれもレベルが高く、クルルと2人でもなかなかてこずらされた。厄介だったのは、サファイア系やオパール系の属性タイプが多く、クルルの手持ちの魔法とかち合っていたことだ。それで2人とも専ら物理攻撃の足技に頼ることになった。その分鉱石は節約できたけど。
 ただ、これらのモンスターのサイズはいずれも小ぶりで、妖精やウサギ族の救援隊も追っ払ってしまったという巨大モンスターでないのは確かだった。出現したのはもう15年も前だし、どっか行っちゃったのかな? それだったら有難いけど……。
 洞穴に入ってからもう3時間近く経過しただろうか。外の様子が見えないので定かではないが、もう1000メートル以上登ってきているはずだ。ときどき見通しが利く安全な場所で休憩しながらやってきたが、そろそろ足がくたびれてきた。洞穴の中の様子に変化はないが、道の勾配はやや緩やかになる。
 道幅と天井が急激に狭くなったところを用心しながら潜り抜けると、息を飲む光景が目の前に広がった。いきなり広大な氷の湖が出現したのだ。上でスケートができそうだな……。
「うわあ、すっごーい! 山の中にこんなのがあるなんて思わなかったね♪」
 クルルの歓声が湖の上を覆う空洞に反響してわんわん響く。そのとき、朋也には何か他の物音が聞こえた気がした。
「クルル、いま何か聞こえなかったか?」
「え? ううん、別に何も」
 ウサギスキルがアップしたせいで朋也の聴覚はかなり鋭くなっていたが、それでも当のウサギ族の耳にはとうてい及ばない。彼女が気づかなかったんなら気のせいだったんだろうな。
 空洞の出口は湖の対岸にあった。少し離れたところにも暗い洞穴らしきものが見える。枝道があるのだろうか? 何かの巣穴にようにも見えるが……。
 朋也たちは湖の岸辺を回り込みながら対岸を目指した。スケート靴なんて持ってないし、したことないからどのみち滑れる自信はなかったが。持っていれば、クルルなら大喜びでやりたがるだろうけど……。
 出口まで後少しというとき、クルルがハッとして立ち止まった。
「何かいる!」


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