インレ村に入った朋也たちを出迎えたのは、2人が予想だにせぬ光景だった。小さな村の中央にテラスが並べてある。どうやら午後のお茶会の時間らしく、ほぼ全メンバーと思われる村人が集っていた。
のどかな村の佇まいを2人ともしばらく声もなく見つめながら立ち尽くしていたが、やっとクルルが口を開く。
「……お爺さんとお婆さんばっかりだね……」
「若い人はいないのかな?」
口にしてはみたものの、望み薄なのはわかっていた……。
やっと一番手前に座っていた老人が2人の若者の姿に気づいて声を上げる。さっきからずっと突っ立ってたんだけど……。
「!? おお! な、なんと、村の外から人が訪ねてきよったぞ!!」
ウサギ族の老人たちは驚いて一斉に朋也たちを振り向いた。といっても、近くにいた10人ばかりだったけど。
「あの、ここはインレの村ですよね?」
最初に気づいた老人に、耳が遠いといけないと思い大声で尋ねてみる。
「そうじゃとも! 待っちょれ、いま長老を呼んでくるからの!」
最初に声をかけた老人は、そう言って席を立つとひょっこらひょっこらと広場の中央に向かっていった。
「おい、若いの!!」
声をかけてきたのは、村人の中では最も若いと思われる大柄な男性だった。それでも初老に近かったが。彼は足が不自由らしく、車椅子だった。
「その靴はどうしたんだね? まさか、お前さんがあいつをやっつけたのか!?」
「えっと……正確には彼女の手柄なんだけど……。あと、やっつけてはいないけど、通行人を脅かすことはもう2度とないと思うよ」
車椅子のウサギ族はヒュウと口笛を鳴らすと、クルルの顔をマジマジと見つめた。
「なんと、こんな若いお嬢ちゃんがあいつを打ち負かしたとはねぇ……。実は他でもない、その靴の元の持ち主はこの俺さ」
「えっ!? じゃあ──」
「おじさんがスライリ!?」
スライリは面目なさげにうなずくと、経緯を打ち明けた。
「ユフラファの連中には内緒だったが、山へ修行に行くと言って、その実俺はインレの同族のために一丁あのバケモノを退治してやろうと思い立ったのさ。あの頃の俺は、若くて、愚かで、そのうえ見栄っ張りときてたもんでな。結局あいつには勝てなかった。深手を負った俺は洞窟の山側の出口まで来て、そこで気を失った。倒れていた俺を村のファイバーとヘイズルが見つけて助けてくれ、以来この村に身を置かしてもらってるってわけだ。何しろ、そのときの闘いの怪我がもとで、足はこのザマだったんでな。麓にはもう戻れなかった……。ま、いったん骨を埋める覚悟ができりゃ、ここでの暮らしも悪かねえけどよ。何しろ、地上との交流が途絶えてたせいで、話のネタに餓えてたバアサンどもにモテまくったからな♪」
そう言って身体を揺すりながら大声で笑う。そうだったのか。行方不明になってた伝説の格闘家がこの村に身を寄せていたなんて……。
「そうだ! じゃあ、この靴はあなたに返さなくちゃ!」
「待て待て。俺はテピョンドー大会のときゃ、俺に勝った挑戦者にそいつをくれてやるといっつも宣言してたんだ。それで、やつにくれてやったのさ。そのあいつに勝ったんだから、いまはもうお前さんのもんだよ」
脱いで渡そうとした朋也を遮る。
「ありがとう、スライリのおじさん♪」
クルルがお礼を述べたので、朋也もありがたく受け取ることにした。さすがに水虫を持ってたかどうか聞く勇気は出なかった……。
スライリと話しているうちに、仙人のように長いヒゲを生やしたウサギ族の老人が、ほっそりとして目だけギョロリと大きい同族を伴ってやってきた。
「おお、そなたたちか! やはりファイバーの予言はいつも的中するのう。あの大雪の日、下界との交流が途絶えて以来、客人がこのインレに訪れるのはこの15年でスライリに続いて2度目じゃ。どうやらウーマルも懲らしめてくれたらしいのう」
「ウーマル?」
「あのデカブツのことさ」
スライリが補足する。
「わしはこのインレの長老を務めるヘイズルと申しますじゃ。村を代表して改めて礼を言わしてくだされ」
「いや、それほどたいしたことは……。ところで、村に住んでいるのはじいさんたちだけなのかい?」
「そうじゃよ。今、村に残っているのは年寄りばかりになってしもうた。あの大雪崩のあった日、連日の吹雪に業を煮やした若衆は、ユフラファやビスタに救援を求めに行くといって山を降りてしまったんじゃ。ファイバーの占いに凶相と出たからわしたちは止めたんじゃが……。運悪く、前の週にはシエナで市が立っておって村の若い女子たちもそっちに出払っておってな。何日も雪に閉じ込められて連れ合いの顔も見れず、我慢できなかったんじゃろう。結局、彼らは雪崩に巻き込まれて全員戻ってこなかった……。おかげで、インレには若者がほとんど残らなかったんじゃ」
「そうだったのか……。どうする、クルル?」
「ハァ、ちょっとがっくりだけど、しょうがないよね……」
この有様ではクルルが考えていたような支援は残念ながら頼めない。どうしようもないことだった。15年前、インレは本当に大変な悲劇に見舞われたのだ。まさにいまのユフラファと同じように。それを思うと、わずかの間に立て続けに不幸な事件に遭遇したウサギ族の悲運を嘆かずにはいられなかった。
「ユフラファでは非常に悲しい事件が起きたようだね」
ヘイズル長老の隣にいたほっそりした老人が口にする。
「何で知ってるの、おじいさん!?」
本人に代わってスライリが代弁する。
「ファイバーはな、天下一の占い師なのよ。お前さんたちがここに来るのも前もってわかってたのさ。若い頃は、歌って踊れる語り部としてブイブイいわしてたっていうぜ」
「おいおい、スライリ……。まあ、ともかく、ユフラファが不幸な出来事に見舞われたのは、私にも責任がないとは言えない」
「え? どういうこと?」
「お前さんたち、この村に入って何か気づかなかったかい?」
スライリに言われて、改めて村の中を見回してみる。気づいたことといえば、老人たちが皆楽しそうに和んでいることくらいだが……。待てよ? こんなに雪深い山奥の割に、みんな平気で薄着してるし、実際あまり寒さを感じない。広場の先にある小ぢんまりとした畑にも、青々と野菜類が生い茂っている。不思議といえば不思議だな。
「わしたちが15年も孤立したままこの村を維持することができたのはな、実はエル様のおかげなんじゃ」
「エル様?」
「私たちウサギ族の守護神獣、エル=ア=ライラ様のことだよ。この閉ざされた厳しい土地で私たちが生き抜けるように、私が彼女に助力をお願いしたのさ」
なるほど……インレの村が廃れずに済んだのは、神獣の強力な加護のおかげだったわけか。
「君たちは若者の手助けをあてにしてたみたいだが、残念ながら今のインレには力を貸すことはできない。その代わり、彼女に行ってもらうことにしよう」
ファイバーは立ち上がると広場の中央に進み出た。ヘイズル長老もそれにならうと、お茶をすすっていた村人たちに呼びかける。
「さあ、皆の衆、今こそユフラファに対する借りを返そうぞ! エル様を喚び出すのじゃ。そして、そこな2人の若人に彼女の庇護を託そうぞ。わしら一族の未来のために!!」