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 玉座に通じるゲートを潜り抜けた先には、先ほどまでのモンスターの蔓延る地獄絵図のような阿鼻叫喚の世界とは打って変わった静かな景色が広がっていた。足元は雲の上のように白い靄に包まれている。高山の上か、あるいはドライアイスでも流しているような感じだ。といっても別に冷たくはない。フロアの境界は霞みがかっていて壁も天井も見えず、どこまで広がっているのかわからない。前方には尖塔が聳え立っていた。建物の中にまた建物が立っているというのも変な感じだが……。塔の前に大きな台座があり、そこに神獣キマイラはいた。
 ただ、みなの視点は神獣ではなく、別の一点に釘付けになっていた。スクリーンなのか、吹き抜けになっていて実際に本物の空が見えているのかわからないが、ちょうど塔の真上に太陽が架かっていた。異様に大きく膨らんで見えるそれは、いままさに欠け始めようとしているところだった。
「しまった、遅かったか!!」
 時計はまさに12時ジャストを指したところだった。無念そうに唇を噛む朋也にミオが指摘する。
「まだ手遅れじゃニャイはずよ。中心蝕が始まるまでには後1時間あるもの」
 なるほど、そうか。朋也は気を取り直すと、仲間とともに神獣の間近まで歩いていった。これが叡智を司るエメラルドの神獣……体長は8メートルくらいか。サイズだけなら、三獣使や神殿内で出くわした大型のモンスターに比べてさほど大きいわけではない。だが、格の違いは明白だった。近づく前から圧倒的な威圧感がひしひしと伝わってくる。何より印象的なのは3対の目だ。広大な宇宙に関する知識すべてが詰まっているという噂が、あながち嘘に思えないほど、底知れぬ知性をうかがわせる目だった。同時にそれは、深い哀しみに似た光を宿しているように見えた。
≪よくぞここまで来た、朋也よ≫
「千里を返してもらいに来たぞ! 彼女はどこだっ!? それと……よくもマーヤを殺したな!?」
 神獣は朋也をじっと見下ろしていたが、後ろにそびえる塔を振り仰ぎながら答えた。
≪その妖精の寿命を剥奪したのは妖精長の判断だが、必要のない措置であった。過ちを認めて謝罪しよう。ヒト族千里については、必要な霊力はほぼ抽出した。蝕が終われば、紅玉再生のプロセスは完了、全てが成就する≫
 彼に倣って塔を見上げると、頂上付近でときどきチラチラと赤い稲光のようなものが瞬いているのがわかる。内部で激しい魔法の反応が起こっている証左だった。ということは、やっぱり千里は──
「それじゃ、ご主人サマは!?」
 狼狽の声を上げるジュディをなだめるように、キマイラは先を続けた。
≪案ずるな。余は千里の身体に危害が及ばぬよう、最大限の配慮をはかってやった。紅玉が再生すれば魔力は失われるが、命に別状はない≫
 キマイラの台詞を聞いて、朋也は正直少しびっくりした。オルドロイの一件を振り返っても、彼がニンゲン1人の命に格別の配慮を払うとは予想していなかったからだ。カイトからも、彼女が紅玉再生の〝鍵〟として〝使用〟されれば無事では済まないだろうとも聞かされていたし。だが、本当に千里の命を保障すると確約するのであれば、話は変わってくる。自分としても、トラとも約束したようにエデンをこのまま放っておくことはできなかったし……。
「そうか……千里を気遣ってくれたことには感謝する。だけど、1つ訊いておきたい。ルビーのアニムスが復活したら、俺たちの住んでいた世界はどうなるんだ!?」
 叡智の神獣は、かの世界からやってきたヒト族の目をじっと見つめたままたっぷり1分以上黙してから、疲れきったように目を伏せると答えた。
≪消滅する……≫
 一瞬、自分の呼吸も含めて時間が止まったかのように感じた。消滅……1つの世界が……俺たちの住んでいた世界が、なくなってしまうだって!?
 朋也の顔に驚愕の色が浮かぶのを見て、キマイラはかすかな苛立ちをにじませながら説明に入った。もちろん、彼の反応を予期していたからこそ、告げるのをためらっていたのだろうが……。
≪ことはすべて、お主らの祖先がフェニックスからアニムスを奪い、封印を解いたことに始まった。己らが意のままになる世界を築かんと欲したお主らニンゲン共の謀に。それが、本来あるべき姿に戻る──ただそれだけのことだ……≫
「それだけのこと? 俺や千里の家族も、クラスメイトも、いや、それどころか何十億ものニンゲンを消し去るのが、それだけのことか!? 確かに、ニンゲンだけに限ってみれば自業自得なのかもしれない……。でも、向こうの世界には、他の生きものだってたくさん住んでるんだぞ!? 元をたどればみんなエデンの住民と変わらない命じゃないか! その数知れない命まで、全部犠牲にしなくちゃいけないっていうのかよ!?」
 必死になって食い下がる朋也に、仲間たちが加勢する。
「そうだよっ! もうこれ以上多くの命を奪わないでよ! クルルたちみたいな思いをさせないでよ!」
「神獣キマイラ……いくらあなたがエメラルドの守護者だとしても、それはあなたの職責を超える判断なのではありませんか?」
「そうだそうだ! それに、向こうには鈴木さんちのチャッピーや高橋さんちのセバスチャンだっているんだぞ!」
「変ニャ名前……」
 ミオ、1人でツッコンでる場合じゃないだろ……。
≪朋也よ……お主の指摘はまったく正しい! だが、余の申すこともまた、正しいのだ! そして、余はエデンを守護する神獣。この世界を護るために、己が為すべき務めを果たすまで……≫
 そこで神獣の目つきが険しくなる。
≪お主らはここへ来るまで、余の神殿がモンスターであふれかえっているのを見て驚いたであろう。あれは被害を最小限に食い止めるために余が封じ込めているのだ。では、この世界の住民を脅かし、心を蝕むかのモンスターどもの真の正体を知っているか? あれらはみな、苦悶と恐怖に苛まれた生命の残滓……モノスフィアで虐げられ、命を落とした者たちの怨念……それらがかの世界からあふれ出し、憎悪と死のポテンシャルの低いメタスフィアへと流れ込んでいるのだ! あれらの醜悪さ、残忍さは、ニンゲンの非道の程度に比例している。その数は今や加速度的に殖え、被害も膨らむ一方だ。このままではエデンは時を置かずして、モノスフィアと同様、破壊と欲望と欺瞞に覆われた悲惨な世界と化すだろう……。余とて可能ならば多くの生命を巻き添えにしたくはない。だが、もはや躊躇している余裕はないのだ!!≫
 そうだったのか……。モンスターの巣窟と化したレゴラス神殿を見て、朋也はてっきり街にモンスター送り出しているのは実はキマイラの仕業なのではないかと勘繰ってしまった。実際には逆だった。地上がモンスターであふれるのを防ぐために、キマイラは自らが犠牲を被ることにしたのだ。
「待ってくれ!! 他に道はないのか!?」
 朋也は焦燥に駆られて叫んだ。確かにキマイラの言うことは正しいかもしれない。でも、本当にそれ以外に選択肢はないんだろうか? ない知恵を絞って必死に考えてみる。1人で文殊の知恵を発揮できる叡智の神獣の最高の頭脳といえど、何か見逃していることがないとは限らない。
 そうだ! 1つ、うまい解決策があるじゃないか!
「あんた、2つの世界をゲートで結べるんだろ? だったら、エデンのことを……この世界で暮らしているみんなのことを、向こうのニンゲンたちに教えてやればいい! そして、これ以上動物たちを苦しめないように、自然を傷つけないように訴えるんだ! 俺、できる限りのことをするよ!!」
「クルルももちろん手伝うよっ!」
「私も協力させていただきます」
「ボクだって! ご主人サマと一緒なら、どんなことだってやれるさ!」
「……」
 パーティーの仲間たちが次々に朋也の意見に賛意を述べる中、ミオ1人だけは沈黙したままだった。
 キマイラは巨体をゆらりと起こし、6本のうちの後ろの4本足で立ち上がった。
≪これを……見るがよい!!≫


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