イヴがさっと手を挙げると、吊られるように千里の手も動いていく。まるでマリオネットだな。だが、首から上はまだ自由が効くようだ。
「……い……いやぁ……」
詠唱の代替なのか、千里の手が勝手に印を結び始める。本人は目を背けた。その表情は注射を恐がるこどもにちょっと似てなくもないが……。くっ……あれじゃ余計に辛いじゃないか! せめて早く終わらせなくては……。
彼女を魔法の杖代わりにしてイヴが放ってきたのは3元魔法トリニティだった。クルルやマーヤの魔法防御効果をもってしても、ダメージは防ぎきれない。さすがにイヴが手塩にかけて魔法の真髄を伝授しただけのことはある。そのおかげでキマイラ戦も制覇できたわけだが……同じ魔法がまさか自分たちに向けられることになるとは。塔を出たときの感謝は取り消しだ!
パーティーの体力に注意しつつ、前衛で攻撃を担当する朋也、ジュディ、ミオの3人の補強を残りの3人にお願いする。朋也は狙いを千里の足に定め、神銃を連射した。モノスフィアの銃と違って鉛の玉でないのはせめてもの慰めだが、やっぱり胸が痛む。自分が操られるほうがまだマシだ……。
ジュディはさっきからイヴに向かってめったやたらに剣を振り回している。だが、彼女は自分の周りに特殊なシールドを張り巡らせ、一切の物理攻撃が通用しなくなってしまった。無駄に体力を使わせるだけなので、彼女に促す。
「ジュディ、頼む!」
彼女はゴクリと唾を飲み込み、千里に剣を向けようとした。が……3秒もしないうちにわっと頭を抱えて剣を放り出す。
「ご主人サマを攻撃するなんて、ボクできないよ~!」
そのまま階段のほうに走り出そうとしたため、ミオがとっさに首輪をつかんだ。
「ぐえ(++;;」
1ターン無駄にしたじゃんか……。
「ジュディ。もう無理しなくていいから、俺のバックアップに専念してくれ!」
イヴは千里に魔法を無理やり使わせるだけで、自分では直接朋也たちを攻撃しようとはしなかった。が、ときどきクリスタルを彼女にかけて回復させたりする。くそっ、これじゃいつまで経っても倒せないじゃないか!
そのとき、千里が金切り声で警告を発した。
「みんな! よけてぇっ!!」
意思と無関係に手が勝手に動き、彼女の装備である絆の銃の弾倉に鉱石の弾を込める。弾丸がパーティーの上に雨あられと降り注いだ。ルドルフの爺さんも、こんな使われ方をされたらさぞかし嘆くだろうな……。
「きゃあああっ!!」
後衛のクルルやマーヤが悲鳴を上げる。魔法防御に偏りすぎたか。イヴめ、どこまでも卑劣な手を使いやがって。フィルが全体回復技のセラピーを施したうえに物理防御のスキルを発動する。だが、あまりこっちの安全にばかり気を配って慎重にやっていたら、戦闘を長引かせるばかりだ。これじゃまるで彼女をネチネチといたぶるに等しい……。
「フィル、マーヤ! 俺の回復はいいからもう省いてくれ!」
「バカニャこと言ってんじゃニャイわよ! あんたが攻撃の中心ニャのにやられたらどうすんの!?」
ミオが叱咤する。それはわかってるけど……朋也は自分の身を心配するミオから目を逸らした。
「嫌なんだよ、自分だけ……」
「朋也! それはやめて……」
千里が首を振りながら叫ぶ。
「でも……」
「大丈夫、わかってるから……あなたの気持ち。そんなことしなくってもね」
片目をつぶってみせる。もうかなりダメージが蓄積してるはずなのに。
「これが済んだら、百発でも千発でも撃ち込んでくれよな? 約束だぞ!」
でないと気がすまない……。
「了解♪」
苦笑しながらうなずく。
「本当に仲がおよろしいのね、2人とも」
イヴが忌々しげに呟きながら次の指示を千里に与える。彼女はハッと息を飲んだ。インターバルが長い。まさか!?
3原色の光が千里の両手からほとばしる。やっぱりジェネシスだ! 咆哮をあげて熱と冷気と雷撃が一体化した最強魔法が朋也たちを襲う。キマイラのそれをも上回るすさまじい威力に、アニムスの塔全体が揺さぶられる。
「くっ!!」
「きゃああああっ!!」
「ご、ご主人サマァ!」
みんな息も絶え絶えだった。防御力の高いフィルでさえ。こりゃ回復抜きでいいなんてとても言ってられないな……。荒い息を吐きながら、千里のほうを見上げる。
と……ミオが千里に連打をお見舞いしていた。彼女もいまので相当ダメージを被っているはずなのに。頼もしい限りではあったが、彼女の千里を見る顔つきを見ると、なんだか積年の恨み思い知れと言わんばかりで、手放しでは喜べないものがあった……。
「おい、ミオ……。お前ちゃんと目的わかってんだよな?」
「わかってるわよ」
後退すると、チラッと鋭い目で朋也を見る。一応ふざけてるわけじゃないらしい。
「だったら、ちょっとはそのォ、お前も彼女に好意をもって、だな……」
攻撃しろってのも変な言い方だが……。
「そんニャの無理だわ。あたい、あいつ嫌いだもの」
はっきり言うなあ。そして彼女はさっきと立場を入れ替えて、朋也から目を逸らした。
「……あたいが戦うのは、あんたのためよ。あんた1人に辛い思いさせたくニャイから……」
言うなり、再び前に出て彼女に打ちかかる。
「ミオ……」
朋也は胸がいっぱいになった。やっぱり彼女は自分にとって一番の家族だな……。
イヴに対して激しい憎しみの感情が沸き起こる。千里も、ジュディも、ミオのことまであんなに苦しめやがって……許せない! 痛くなるほど拳を握り締めてにらみつけてから、ハッとなる。
俺は憎しみに勝たなくちゃいけなかったんだよな。自分がその憎しみの虜になってたら駄目だ……。
千里の目を真っすぐ見ながら攻撃し続ける。一刻も早く彼女を解放するために。誰かへの憎しみのためではなく、彼女に対する自分の気持ちを証明するために。
「朋也……頑張って……後……少しだから……」
自分の敗北を願って相手にエールを送るなんて真似、普通できないよなあ……。まったく無理しやがって。
イヴの顔に初めて焦りの色が浮かんだ。さっきまでは千里を〝操縦〟しながら戦況を眺めて楽しんでいたが、今や自ら魔法を唱えて朋也を邪魔立てしようとしてくる。
負けるもんか! 誰が何と言おうと、俺は彼女が好きなんだ! 朋也はラストスパートをかけた。
ミオが攻撃をやめて朋也のバックアップに回り始める。イヴが攻勢に出たこともあったが、やはり最後のとどめは彼に刺させてやろうという配慮からだろう。
そしてついに──
「あっ!」
朋也の放ったスナイパーショットが命中した瞬間、千里が声をあげた。彼女は膝からくずおれるようにしてバッタリと倒れた。
千里の全身にまとわりついていた黒い靄が吹き払われていく。マリオネットの魔法の効力が切れたのだ。やったのか!? 千里!? 不安に鼓動が高鳴る。もしかして──
不意に、千里の肩がピクッと動いた。やがてゆっくり上半身を起こす。本当はまだ起きるのも辛いはずに違いないが、朋也とジュディを心配させまいとしたんだろう。
「エヘヘ……やったね、朋也♪ 成功だよ! 正直、ちょっぴり不安だったけど……」
ニッコリ微笑んでVサインを掲げてみせる。
「嘘……私が……負けた!?」
自分が復讐の道具にするはずだった17歳の小娘を、イヴは腑抜けたようになってただ呆然と見つめた。
そのとき、千里の身体が紅い光を帯び始めた。彼女自身も何が起こったのかわからず戸惑っている。
しばらく明滅を繰り返していた紅色の光は、ついに奔流となって彼女の全身からあふれ始めた。光は、再生間近でプロセスの停止していた紅玉に向かってなだれ込む。やがて、ルビーのアニムスがエメラルドと同じく燦然と輝き始めた──