3人はニーナに促され、服のまま恐る恐る水中に入っていった。驚いたことに、少しひんやりはしたものの、水に濡れる感触が感じられない。まるで空気でできた薄い膜がウェットスーツのように全身を覆っているみたいだった。
「それじゃ、私のそばから離れないようにしてね」
軽やかに水を蹴る彼女の尾ビレを見ながら後に従う。この空気のウェットスーツは実に便利な代物だった。何しろ、息を吸いに海面に上がる必要がない。膜を通して海中の酸素だけが透過するらしい。当然二酸化炭素のほうも排出してくれているんだろう。しかも、水の抵抗を効果的に減殺してくれるらしく、一蹴りするだけで軽々と推進することができる。なんだか自分がイルカにでもなったような気分だ。
最初はいかにもおっかなびっくりだったカナヅチのクルルは、溺れる心配がまったくないとわかると大はしゃぎだった。無様なイヌ掻きでフォームはなってなかったけど……。羽の抵抗が大きい上に脚力の弱いマーヤは、ニーナが背中に乗せていった。
海岸線が見えなくなるほど沖合いに出たところで南に針路を転じる。4人は快調に飛ばしていった。そこらの客船に負けないスピードが出ているに違いないが、それでもニーナには遅れずについていくのがやっとだ。もちろん彼女は、ペースを2人に合わせて落としてくれた。もともと足腰の強いクルルは慣れてくると朋也に負けないスピードを出すことができた。イヌ掻きには変わりなかったけど。
海中にはモンスターも出現した。戦う相手はしつこく追いすがってくるやつだけに限られたし、遭遇する機会は少なかったが、4人に負けない速さで泳げるモンスターはそれなりにレベルが高かった。朋也たちが出くわしたのは、口からプラスチックの弾丸を発射してくるペリカンみたいな鳥型のモンスターや、ビニール状の胃袋を裏返しにして吐き出してくるカメみたいなやつ、魚雷を発射してくる潜水艦じみたオットセイなどだ……。姿かたちが魚や多様な海の無脊椎動物に似た連中もいた。
マーヤもクルルも支援タイプなだけに正直不安もあったが、ネコ属性が弱点のモンスターが多かったので、朋也はさほど苦労せずに済んだ。ニーナも攻守両面で活躍してくれた。ちなみに、彼女の装備は銛だ。
どのくらいの時間泳ぎ続けただろうか。こんなに長距離の遠泳を経験したのは初めてだ。ニーナのセラピーのおかげで朋也もクルルもさほど疲れを感じなかったが。沖に出てから2度ほど海水の色の変化を経験した。汚染度の低いエデンでは港の近くでも水は十分澄んでいたが、今はグリーンを帯びた透き通ったブルーで、しばし足を休めて見惚れたくなるほど美しかった。水温もかなり温かい。
「まだ着かないのぉ~?」
1人足を動かしていないマーヤがとぼやく。ニーナがおしゃべり妖精の話し相手をしてくれたので、これでもまだ忍耐が続いたほうかもしれないが……。
「ほら、もうすぐよ」
前方に、はるか足元の見えない海底からそそりたつ白っぽい小山のようなものが見えてきた。てっぺんは水上に突き出ている。島かな? 近づくにつれて、魚の種類が豊富になってくる。海中の小山の表面を覆っていたのは色とりどりのサンゴだった。ニーナは朋也たちをいったん海面に導いた。上から見ると、彼らが目指していたのは環礁だとわかる。
一行はそこでいったん水上に上がった。旧いサンゴのかけらからなる白い浜で、360度見渡す限り水平線しか見えない海を眺めながら、4人で休憩を取る。
「ここにアニムスがあるのかい?」
「いいえ、ここは中継点よ。蒼玉のある場所へはここからさらに潜らなければならないの」
「潜るって、どのくらい?」
「蒼玉の納められているタイクーン神殿は深さ5千mの海の底にあるの」
不安げに尋ねる朋也に、ニーナはあっさりとんでもないことを言ってのけた。
「大丈夫、ヒーカーヒーの加護があれば深海の水圧にも耐えられるから。それに、水深200mの第2中継点でゲートをくぐるから、長くはかからないわ」
一服してから、一行は今度は環礁の中心に開いた礁湖の底に向かって潜り始めた。一見カリブ海のブルーホールのような、琥珀色の澄んだ水で満たされたサンゴのプールを、下へ下へと潜っていく。潜るにつれて辺りも次第に薄暗くなっていく。四方にはサンゴの壁がそそり立ち、まるで朋也たちに向かって倒れこんできそうに感じる。
頭上を振り仰ぐと、この海底洞窟の円い入口が波に揺らいで見えた。もう海面からこんなに遠ざかったのか……。すでに100メートル以上は潜ったに違いない。ヒーカーヒーの加護のおかげで潜水病の心配もないとのことだが、さすがに心理的な圧迫感は否めない。マーヤもクルルも不安のせいか口数が少なくなる。どこまで降りても海底にたどり着く気配はない。
ようやく海底が視界に入ってきた。そして、暗がりの中に何かがぼんやりと光り輝いて見える。光の正体が明らかになるにつれ、ニーナに連れられてきた3人は息を呑んだ。
それは、淡い青緑色を帯びた乳白色に光る荘厳な建造物だった。外見の特徴はオルドロイの神殿に少し近いものがある。門の上のシンボルは鳥ではなく鯨を象ったものだが。
なるほど……海のど真ん中にある無人のサンゴ礁の、そのまた湖の底深くに眠っているとすれば、誰にも所在がわからなくて当然だな。
朋也がそのことを話すと、ニーナの口からは意外な返事が返ってきた。
「蒼玉があるのはここではないの。この場所は、サファイアのアニムスを納めるタイクーン神殿に通じるゲートの入口……」
そこまで厳重に隠されていることに驚きを覚える。まあ、2つのアニムス以上に世界を意のままにできる力を秘めているだけに、それも不思議とはいえまい。けれど、それもミオのずば抜けた洞察力の前では役に立たなかったな……。
神殿の玄関口に当たる建物の内部に入っていく。何となく、海底に沈んだアトランティスの遺跡でも探検しているような気分だ。ほどなく、3つのアニムスを模した転送装置に囲まれたゲートが現れる。
ゲートの前には番人がいた。ホオジロサメと、ウツボと、アンコウがくっ付いたようなやつだ。双頭、3頭のサメが登場するB級人食いザメ映画があった気がするけど……。
「キマイラ様の従者で三獣使のレプトキマイラにちょっと似てるわねぇ。その魚版って感じぃ~」
「ふぇ~、頭が3つもあるよ! おまけに1尾はヘビさんそっくりだし」
クルルが震える声で言う。やっぱり苦手だったみたいだ……。
「我ハ神鯨れヴぃあたん様ノ僕、ぷろときまいらナリ。コノ先ニハハルカ3まいるノ海底ヘト通ジルげーとガアル。高圧ト永遠ノ闇ニ閉ザサレタ過酷ナ世界──ソコガ神鯨様ノ御座所ダ。疑念ト怯臆カラ自由ニナレナイ柔ナ心ノ持チ主ガ足ヲ踏ミ入レヨウトスルナラバ、タチマチニシテ身ヲ粉ニ砕カレルデアロウ……。オ主ニ神鯨様ト相謁エルダケノ強イ意志ガ備ワッテイルカドウカ、検査スルノガ我ノ務メナリ」
3重の奇妙な声で訪問者に告げると、威嚇するように3対の目をギョロリと向け、3つの真っ赤な咽喉とその縁にズラリと並ぶ三角形の鋭い牙をひけらかす。
「一種の試験だと思って。油断はしないでね!」
ニーナが仲間たちに気を引き締めるよう伝える。
プロトキマイラとの戦闘の火蓋が切って落とされた。クルルとマーヤには引き続き支援を頼み、朋也が前面に出る。
3頭とも魚属性とあって、ネコ族の朋也には終始有利な展開だった。まずは最も攻撃力の高そうなサメ頭を照準に定める。厄介な敵に思われたが、試しにキャッツアイを使ったところ、なんと石化耐性がなく早々に無力化できた。続いて、粘液と毒が厄介なウツボ頭は、直接攻撃がヒットしにくいと考え、エレキャットでダウンさせる。最後にHPの高そうな巨大アンコウを九生衝であっさりノックアウト。
アンコウが背ビレの疑似餌を白旗代わりにヒラヒラと振り、決着。ほぼ朋也の完勝だった。
「通ッテヨロシイ。神獣様ニ粗相ノナイヨウニナ?」
プロトキマイラはゲートに通じる階段の前から身をどかした。
「……さすがに夫婦ね。戦闘センスまでそっくりだわ。まるで彼女の戦いぶりをトレースしたみたい……」
ニーナが険しい目で朋也を見ながら言った。朋也としては似た者夫婦と言われれば悪い気はしないが、信用度も下がったかもしれないな……。
「ミオのやつは1人で従者の相手をしたの?」
「ええ。私も手伝うって申し出たんだけど、『借りを作りたくないから』って断られてしまったわ。神鯨様のところへも『1人で行く』と言って聞かなかったし」
「じゃあ、単独でゲートを通って神鯨に会いに行ったのか……。で、丸1日経っても戻ってないと……」
「もし、彼女が蒼玉の入手に成功していたとしたら、おそらくあなたの人生に劇的な変化が起きているはず。この宇宙にも……今のところ、その兆しはなさそうね。あるいは、神鯨様の裁きを受けて、永遠に脱け出ることのできない〝鯨夢〟に囚われてしまったかも……」
ニーナの推論に朋也はショックを受けた。それは、世界にとっては救いかもしれないが、朋也にとっては一番迎えたくない結末だ。
「……もし、君の言うとおりだったとしたら、俺も彼女と運命をともにするまでさ」
じっと掌を見つめながら、朋也は決意を固めた。
「つべこべ言っても始まらない。俺はすべてを見届ける!」
「ここまで来たら、あたしも最後までつきあうわよぉ~。第三の神獣様にも会ってみたいしねぇ~」
「クルルも! ブローチも気になるけど、やっぱりミオのことも心配だよ。朋也の大切な奥さんだものね!」
「もちろん、私も神鯨様の御座所まで同伴するわ」
仲間たちは快く同行を申し出てくれた。朋也は頭を下げて感謝の思いを伝えた。
「ありがとう、みんな……。よし、蒼玉と神鯨レヴィアタンのもとへ行くぞ!」