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 その日は朋也、ジュディ、千里、それに妊娠中のジュディのために駆けつけてくれたクルルとマーヤの5人で、ささやかなパーティーを開いた。
 ジュディと千里はこの3年間にお互いの身に起きた出来事を語り合った。
 朋也にとって、そしてジュディにとって何より安心したのは、千里が元気で暮らしていたことだ。ジュディなしで、1人で大きな責任を背負って奮闘しているのではないかと、2人ともいつも気がかりだった。
 千里は小説家の道を目指し、精力的に原稿を書いているという。執筆は順調で、すでに新人賞で自分の作品が最終選考に残ったことも話してくれた。
 エデンでは喧嘩ばかりしていたミオとも仲良くやっているようだ。むしろ、ジュディに代わって彼女の心の支えになってくれているのだろう。
 千里は千里で、朋也とジュディの仲がうまくいっているか、ときどき気を揉んでいたという。遠く離れた地にいる親みたいなもんだからな。
 2人がモンスターハンターとして活躍し、道場まで持っていることを聞いて、千里はうれしそうに目を細めた。
 お互い積もる話は尽きなかったが、日付が変わるタイミングで、残りはまた明日ということで解散する。放っておくと夜通し話し続けてしまいそうだったから。
 千里はクルルとマーヤとともに公会堂に泊めてもらうことに。
「ご主人サマ、また明日ね」
「ええ。おやすみなさい、2人とも」
 手を振って別れると、ジュディは朋也とともに自宅に引き上げた。今晩は千里と2人水入らずで過ごしたいだろうと思って朋也はそう勧めたのだけど、ジュディは彼と一緒にいたいと言ってきかなかった。
 キマイラにもらった猶予は3日ある。

「大丈夫かい? 今日はいきなり張り切りすぎたんじゃないか?」
 朋也はやさしく声をかけた。何しろ、千里に対面する直前まで悪阻の所為で床に伏していたのに、ずっと動き回っていたし、感情の動きも今日1日めまぐるしかったから、負担も大きかったに違いない。お腹の赤ちゃんもびっくりしているかもしれないし。
「平気だよ。朋也とご主人サマの顔見たら、悪阻なんて吹き飛んじゃったよ♪ それに、あんまりじっとしてばかりでもよくないっていうからさ」
 それから、テーブルの上に積まれた妊婦向けの雑誌の1冊を手に取る。千里がわざわざリュックに背負ってモノスフィアから運んできてくれたものだ。フェニックスは彼女とコンタクトしたとき、几帳面にもジュディの妊娠のことまで伝えたらしい。
「ほら、ここにも書いてる。他にも食事や運動や、必要な注意事項がたくさん書いてあるよ、これ。クルルにも教えてもらったけどさ」
「後で読ませてもらうよ。俺もしっかり勉強しなきゃ」
 口にしてから、そのことを思い切り後悔する。まだジュディに未練があることに対して。
 そもそも、旅に出た当初は、ゲートを開いたらすぐ、千里と入れ替わる形でエデンを去り、2度と彼女と会わないつもりでいた。だが、神鳥にもカイトにも諭され、心の中に迷いが生じた。
 ただ、キマイラにもフェニックスにもあんな啖呵を切ったくせに、いざゲートを開いて向こうに行ける段になったら決心が揺らいでしまう自分が情けなかった。
 もちろん、いま真剣に考え抜かなければならないのは、ジュディの未来、ジュディの幸せについてだ。
 彼女は窓際に行って、南の空にかかった満月に近い月をながめた。
 朋也も隣に並ぶと、一緒に頭上の月を見上げた。イヌ族の社会にあまりになじんでしまった所為か、朋也も月の光にはいつだって魅了される。なんだか吸い込まれそうな気持ちになる。
 今日の月はいつにも増して美しかった。3年前、フェニックスとの1度目の激戦を制した後、オルドロイ神殿の屋上でやはりジュディと2人並びながら、月食を終えた大きな満月を仰ぎ見たのを思い出す。あのとき2人だけの特等席を千里が譲ってくれ、2人の絆は一層深まったのだった。
 あの夜のことをジュディは覚えているだろうか?
 その彼女はしばらく無言でじっと月に見入っていたが、やがて口を開いた。
「……ミオに聞いたよ。ボクとご主人サマを会わせるために、神獣とまた戦ったんだってね。神鳥とまで……」
 そう言って口を尖らせる。目にも非難の色がこもっていた。ミオのやつ、彼女には内緒にしてくれってあれほど口止めしておいたのに……。
「いや、そんな大げさな話じゃないさ。試しに聞きにいったら、ちょっと揉めたというか、なんていうか、ハハ……」
 頭を掻きながら誤魔化そうと試みる。
「そ、それより、聞いて驚くなよ? なんと、カイトとリルケのやつが生きてたんだ! ミオのやつ、あいつの顔見た途端ワンワン泣いちゃってさ。おまえにも見せてやりたかったな♪」
 ミオがみんなと別行動を取ったのは、カイトとデートに出かけたためだ。カイトのやつ、かっこつけてあんなこと言ってたくせに、わざわざダリまで彼女を迎えに来た。
 サプライズはもう少し後にしようと朋也が黙っていたため、最初に死んだはずのカイトの姿を目にした時、ミオは口をパクパクさせるだけで声も出なかった。そして、滅多に泣くことのない彼女が涙をあふれさせた。
 そばで朋也とジュディを見ていると妬けるからと言って、変身前の姿に戻ってでも千里とともにモノスフィアへ帰還することを決心したミオだったが、エデンを去った最も大きな理由はきっと恋人を失った喪失感だったに違いない。
「まあ、なんだかんだで、いろいろ丸く収まってよかったよ──」
 話し終わらぬうちに、ジュディはいきなり抱きついてきて唇を塞いだ。
 背中にまわされた腕にぎゅっときつく抱きしめられ、息をするのもままならないほどだ。
「ジュ……ジュディ……しばらくはあまり強いハグは控えないと……」
 顔を引き離し、やっとのことで声に出す。
「ん……じゃあ、続きは赤ちゃんが生まれてからね♥」
 頬を赤らめて照れくさそうに笑う。真顔に戻ると、ジュディは朋也の目の奥までのぞき込むようにして言った。
「朋也……愛してる……ボク、世界中のだれよりも、朋也のことが好きだよ……。朋也が元の世界に帰るなら、ボクも一緒に行く! エデンに残るなら、一緒に残る! どっちだろうと、ボクは朋也のそばにいるよ。絶対に離れない……離さない……!」
 もう1度朋也にしがみつく。さっきよりは緩めだけど。
 朋也は困惑した。抱き合っているのでお互いの表情が見えず幸いだったかもしれないが。
 ジュディは気づいていた。朋也がエデンを去る気でいることを。
 モノスフィアに帰還すれば、ジュディは元の前駆状態の姿に戻ってしまう。彼女を一緒に連れて行くのは論外だ。いや、そもそもこのエデンでジュディに幸せに暮らして欲しいからこそ──2人の子と一緒に──朋也は元の世界へ帰ることを選択しようとしたのだ。
 だが、ジュディはたとえすべてを捨ててでも──子供のことをあきらめてでも──朋也のそばにいる方を本気で選ぶつもりでいる。朋也自身が彼女のために自分を犠牲にしようとしたように。
 ジュディと一緒にいたい……ずっと、いつまでも……!
 泣き出したくなるのをこらえながら、朋也は腕の中のジュディの温もりをしっかりと記憶に留めようとした。


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