朋也たち4人は妖精の国フューリーへとやってきた。そこはエデンの上空、地上1万メートルの高度に位置する浮遊都市だ。
6年前、マーヤと2人で乗り込んだときと特段変わりはない。特殊な炭素繊維で編まれた床がどこまでも伸び、まるで雲の絨毯のようだ。重力は地上の10分の1しかない。
空を飛べるマーヤとリルケは苦もなく移動している。運動神経抜群で高所慣れしているミオもすぐに順応した。朋也だけは何度来ても慣性を制御しながら跳び歩くのに苦労するし、地面がないのはやはり落ち着かない。
雲の上を進みながらマーヤに話しかける。
「テレーゼはやっぱり管理塔にいるかな?」
「でしょうねぇ~」
「じゃあ、また1階ずつ上がっていかなきゃいけないわけか。ルートは前来た時と同じ?」
フューリーは8層の広大なフロアに分かれており、それぞれの階に数万人の妖精がいて、資材やエネルギーの生産・管理の仕事に従事している。現在朋也たちがいるのは2階、管理塔があるのは最上階だ。
「階層間を移動する転移エレベーターの出口は、力場の関係で日々シャッフルされてるのよぉ。早く管理塔にたどり着けるよう祈るしかないわねぇ~」
そんな運任せじゃ、生産効率にも響くんじゃないだろうか。エデンの全住民に必要な様々な物資を配給しているのに。つくづく変なシステムだと朋也は思った。
「キマイラが討伐隊を差し向けたことにテレーゼは気づいているだろうし、レプトキマイラが撃破されたことも伝わっただろう。残る2頭の三獣使や部下の妖精部隊が私たちを迎え撃つために配置されてるかもしれん。警戒を怠るな」
リルケがきびきびと注意を促す。
彼女の指摘したとおり、ほどなく妖精の迎撃隊がやってきた。
「元妖精長の権威はまだ通用するかな?」
「どうかしらねぇ~……でも、ちょっと試してみよっかぁ」
妖精たちが弓の射程の手前、50メートルほどの距離に近づいてきたとき、マーヤは数メートル浮上し、燦然ときらめくSSクラスの羽を見せつけるように大きく広げながら叫んだ。
「こらぁー! あなたたち、クーデターごっこなんてやめて、さっさと仕事に戻りなさぁーい! キマイラ様や市民のみんなを困らせるんじゃありませぇーん!」
妖精たちは立ち止まると、困惑した表情で互いの顔を見合わせた。この反応なら脈があるかも。
Aクラスの妖精の1人が進み出ると、マーヤに向かって訴えた。
「あなたは前妖精長のマーヤですね? またエデンに帰還されていたとは知りませんでした……。せっかくあなたのおかげで私たち妖精も名前と権利を手に入れられたと思ったのに、なぜすぐに妖精長の職を辞され、私たちを置いてモノスフィイアに行ってしまわれたのですか? おかげで私たちは大変な辛酸を舐める羽目になりました……」
それを聞いたマーヤは申し訳なさそうにその場でペコンと頭を下げた。
「ごめんなさい……。まさかこんな展開になるとは予想してなかったのよぉ。キマイラ様が心を入れ替えて、あたしの要求を全部呑んでくれたから、てっきりもう心配ないと思ってぇ……」
頭を上げると、今問いかけてきたAクラスの子に尋ねる。
「あなたのお名前はぁ?」
「……#1359921754です……」
マーヤは首をブンブンと横に振り、再度訊き直した。
「あたしとキマイラ様の勅令で、番号で呼ぶのは廃止したはずよぉ。そんな数字なんかじゃなくて、あなたのちゃんとしたお名前を教えて?」
少し逡巡してから彼女は答えた。
「……エイミーと申します、マーヤ様」
マーヤはエイミーににっこり微笑んで言った。
「ありがとう、エイミー。あたしのことも様なんかつけないでマーヤでいいわよぉ」
「名前を廃止させて番号で呼ぶシステムを復活させたのはテレーゼなのかい?」
朋也の質問に、エイミーはこくんとうなずいた。
「キマイラには、彼女が管理社会のシステムに戻そうとしているらしいとしか聞いてないんだけど、どうも腑に落ちないな……。妖精にだって奴隷時代に逆戻りしたいなんて子はまずいないだろうに、なんでみんなテレーゼに従ってるんだ?」
朋也は首をひねりながらつぶやいた。
「そうよねぇ~。あなたたちの中に自分から進んでテレーゼの命令に従ってる子はいるのぉ?」
マーヤが後ろに並んでいる妖精たちに問いかけたが、みんな手を挙げようとはしない。ただ、誰もが怯えた表情を隠さずにいた。
「でも、言うことを聞かないと私たち、サンエンキマイラに殺されちゃうんです!」
「もう何人もあの怪物に身体を引きちぎられて、食べられて……」
妖精たちは悲痛な表情を浮かべながら口々に訴えた。
「ああ、あのエテ公ね……いかにもやりそうだわ……」
「やつは三獣使の中でもとりわけたちが悪いからな」
リルケとミオが珍しくそろって苦虫を噛み潰したような声で言った。
「率先してテレーゼ様の配下に就いているのは、レゴラス派のAクラス以上の一部の上級妖精だけです。彼女たちには、その功績に応じてテレーゼ様自身が名前を与えられているようです」
エイミーが補足説明を加える。
マーヤがフューリーの妖精たちを見回しながら大きな声で演説した。
「みんな聞いてぇ! あたしたち、これからテレーゼを説得しにいくのぉ! だから、管理塔まで邪魔せずに通してほしいのぉ。一緒に来てくれるのも大歓迎よぉ♪ もちろん、みんなの安全はちゃんと保証するわぁ。サンエンキマイラはとっちめてやるわよぉ!」
「エルロンの隠れ里を襲ったオリジナルを始末したのは私だ。大船に乗ったつもりで任せておけ」
「また偉そうに……。あいつだって、あたいたちが先にボコッて、後はとどめを刺すだけだったのに」
リルケが胸をそびやかして付け加える。隣でミオがボソボソ言うのが聞こえてきたが。
エイミーを始めとする妖精たちの多くは朋也たち4人の後をついてきた。彼女たちもその方が安心だと踏んだのだろう。
やがて一行は第2層と第3層をつなぐエレベーターに差しかかった。
入口で待ち構えたのは、件のサンエンキマイラだった。妖精たちがハッと息を呑み、身をちぢこませる。
「大丈夫、あたしたちに任せてぇ。ちょっと後ろに下がっててねぇ」
エイミーたちに向かってそう言うと、4人は堂々と類人猿3頭の三獣使に近づいていった。
「ナンダ、オマエタチハ? 見タコトノナイ奴ラダナ」
テレーゼは三獣使のクローンを作製する際、記憶の一部も転写したようだが、もちろんフェニックスの里で死ぬ直前のことは憶えていなくて当然だろう。
「マアイイ。妖精ヲムシッテ丸メルノニモソロソロ飽キテキタトコロダ。オマエラモ丸メテ伸バシテ壊シテヤル。てれーぜ様ニ逆ラウ奴ハオデ様ガ好キニ玩具ニシテイイト、てれーぜ様言ッタネ。イイ悲鳴ヲアゲロ!」
ひとつ大きく跳躍し、朋也たちの前に着地すると、これ見よがしにドラミングしてみせる。
リルケが一歩前に出ると、身の丈4メートルの巨獣にサーベルを突きつけながら、掃き捨てるように宣言した。
「フン、粗暴なところもオリジナルそのままか。コピーの方もきっちり始末してやる。悲鳴をあげるのは貴様だ!」