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 朋也は倒木の上に1人腰掛けてぼんやりしていた。そこは自宅の裏山の途中に広がる、ヒトの手がほとんど入っていない落葉広葉樹の一次林で、彼はフィルと2人でよくピクニックに出かけ、仲良く弁当を頬張ったものだった。いま、その彼女は隣にはいない。朋也は両手で頭を抱えてうめき声をあげた。
「く……なんてバカなことをしたんだろう! あんな杖さっさと処分すべきだったのに……フィルがくれた宝物のつもりで取っておいたのが間違いだった! 寄生した神木のツルを無理やり引き抜くことはできないし。他に、フィルを傷つけず神木だけを除去する方法も思いつかない……。あいつはエデンの植物を統率していた神木だ。やっつける方法を考えられるのは、やっぱり神獣キマイラくらいのものだろう。けど、もうエデンへ行くすべはなくなった……。このままでは、フィルはあいつに蝕まれて肉体も精神も乗っ取られてしまう……この世界を緑の闇で覆い尽くす悪魔の樹になってしまう……!」
 それは想像するだけでも耐えがたいことだった。朋也は悔しげに唇を噛んだ。自然と涙があふれ、頬を伝う。
 ひとしきり泣いて気持ちが落ち着いてから、朋也はもう一度冷静に状況を振り返ってみた。
 そういえば、ひとつ思い出したことがある。あの冒険のとき、朋也はフィルからもう1つ贈り物を受け取っていた。それは神樹のフルートだ。
 一字違いでどちらも樹木を差すが、〝神樹〟は〝神木〟とは別の〝木〟なのだとフィルは教えてくれた。2人でシエナからクレメインに遠征したときに聞いた話だ。
 2人はアリ退治の礼として樹族の守護神獣にあたるゴールドベリの加護を得た。彼女はそもそも樹の精の始祖なのだという。つまり、フィルたち樹の精の師匠みたいな存在だ。
 実際、フィルが神木に取り込まれて対決する羽目になったときも、ゴールドベリは躊躇なく朋也たちに力を貸してくれた。最終的にはフィル自身の捨て身の放火で神木を倒すことができたのだが、それでも彼女の支援がなければとてももたなかっただろう。
 その神樹のフルートはいま朋也の服の内ポケットにしまってあった。朋也はおもむろにフルートを取り出してながめた。同じ木製といっても、やはり違う木の素材から出来ているのがわかる。蠕虫じみた蔓で覆われてもいない。
 朋也は目を閉じてそっとフルートを口に押し当てると、耳を傾ける者とていないひっそりとした森の中で吹き始めた。優しい音色が木立の中に吸い込まれていく。
 ふと何かの気配を感じ、朋也は指を止めた。
 彼は立ち上がってキョロキョロと辺りを見回した。風もないのに木の葉がいっせいにざわめいている。まるでフルートの音に呼応するかのように。
《ひとノ青年ヨ……》
 その声はまるで葉擦れの音そのものが声に変化したかのようだった。どこから聞こえてくるのかもわからない。というより、四方八方から聞こえてくる気がした。
「だ、誰だ!?」
 つい警戒心を声に露にしてしまったが、今のは間違いなく神木ではない。
《めっせんじゃー・ふぃるハ、静ナル命ト動ナル命ヲツナグ架ケ橋……動ト静ノ調和ヲ見出スノガコノ者ノ使命……イズレ世界ハ彼女ノ手デ救ワレル……カノ地ヘ行ケ、青年ヨ……ふぃるヲ救ウタメニ──》
 声がやむと同時に、まばゆい緑の光が森の中にあふれ返った。思わず目をつぶってから恐る恐る再び目を開くと、目の前に3原色の光の柱が出現していた。
「これは……エデンへのゲート!?」
 そう、それはまさしく、5年前に千里とジュディと3人で雑木林の中に見つけたのと同じ、異世界エデンとこの世界モノスフィアとをつなぐゲートの入口だった。
 じゃあ、フィルの命に危機が迫っていることを知ったこの森の緑たちが、朋也のために次元を越えた通路を切り開いてくれたのか……。
 ただのありふれた野山の木々に、世界を司る神獣にも匹敵する能力が備わっていたことに、朋也は驚嘆した。もっとも、きっとこの世界のすべての植物が力を結集したに違いない。〝彼ら〟としても、神木の侵略という脅威から身を守る必要を感じたのだろう。
「ありがとう、森の木々たちよ! 俺、もう一度エデンへ行って、必ずフィルを救う方法を探し出してくる! だから、それまでどうか彼女のことを見守っていてくれ!!」
 フルートを掲げてもう一度森中の木々たちを見回す。そして、朋也はゲートへと足を踏み入れ、再び異世界へと旅立った。


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