ここは再び小学校前。われわれプロジェクトチームは二日目の作戦活動を開始した──
「なに実況中継してんの?」
「暇なんだもん」
実際、説得はジェイクたちに任せっきりで、俺たち人間の三人にできるのは、ここ学校隣の草むらから見える範囲で候補者の居場所を確認することと、三人の報告を取りまとめることくらいしかなかった。
「ねえ、悠美。後学のためにどの子がなんて種類か教えてよ」
佳世がせがむ。
オペラグラスをのぞき合いながら、犬学の講義が始まった。
「あそこにいる、尻尾がなくて耳のピンと立ってる胴長短足のやつは?」
「ウェルシュ・コーギー・ペンブロークね。飼いやすい犬種だから日本じゃ割と普及してるわ。コーギーにはカーディガンていうよく似た別の犬種もいるけど、こっちは断尾してないのが特徴。まあ、断尾はもうヨーロッパじゃ流行らない風習だけど」
「あのおっきなロン毛は?」
「アイリッシュ・セターだわ。ハンターに獲物を指示するからセター。それに対して、自分で獲物を捕らえる猟犬がハウンド系よ。そして、鳥猟犬がガン・ドッグ」
「向こうのあれ、おじいさんみたいな顔」
「あの子はミニチュア・シュナウザー。小型犬の中じゃ結構活発なほうなのよ。シュナウザーには大型のジャイアントもいるわ。プードルやピンシャーと一緒ね」
「あ、テリアがいっぱい座ってるよ」
「右端のいちばん大きなのがエアデール・テリア、隣がよく見かけるヨークシャー・テリア、次のパーマがかかってるのがワイヤー・フォックス・テリア、左の顔が隠れるほど毛が長いのはスカイ・テリア」
悠美はアンチョコもないのにスラスラと答えていく。俺も内心うなってしまう。
「佳世ちゃんはどの子ならわかる?」
「あ、あれならわかる! チワワだよね、昔サラ金のCMに出てた」
……。
「正解よ。あれはチョコのロングコートね」
「あ、あれって種類わかんないけど、一〇一匹わんちゃん! 結構大きいんだね」
「そう。ダルメシアンよ。猟犬じゃなくて馬車の護衛に使われていた、大型犬としては珍しいタイプなの」
「それと……あっちはダックスフンド!」
「正解。ドイツ生まれのイヌだから、正しい呼び方はダックスフントだけどね。あの背丈だと、きっとスムースタイプのミニチュアダックスかカニーンヘンだわ」
「へえ、ダックスにもいろいろあるんだ。しっかし人型になってもホント足短いね……。人間もまったく罪な改良するわ」
「ううん……まあ確かに、ダックスやコーギーみたいに胴長の子って、ほんとは椎間板ヘルニアになりやすいのよね。けど、ダックスは結構歴史古いのよ。フントって英語のハウンドと同じ意味なの。つまり、もともと猟犬で、キツネやアナグマを巣穴までもぐりこんで追い出す役目に使われてたのよ。いまは日本でいちばん登録頭数の多い犬種ね」
「え、あんなんで猟犬だったんだあ」
俺も参加してみようっと。あれなら簡単だ。
「あいつはマルチーズだろ」
「ポメよ」
しまった、ポメラニアンのほうだっけ。つい間違えるんだよな。どうでもいいけど悠美のやつ、俺が相手だと言い方がぞんざいだ。
「あっちはコリーかな? 名犬ラッシー?」
「いや、サイズ小さいだろ。パピヨンだよ」
「シェルティ。シェトランド・シープドッグ」
「あのでかいのはセント・バーナード?」
「土佐犬じゃねえのか?」
「マスチフ」
イヌ学の試験は俺も佳世も落第っぽい……。
「あ、あのでっかいもくもくの、テレビで見たことあるんだけど、なんだっけ~?」
「グレート・ピレニーズ。日本じゃ暑すぎてちょっとかわいそうなんだけどね……」
「そこにも白いでっかいのがいるよ?」
「あ、サモエドだ。へえ、この街にもいたんだ、あの子は見るの初めてだよ。ハスキーと同じでシベリア育ちのそり犬なの。やっぱり日本で夏をすごすのは大変でしょうけど……」
大型犬が昨日予期していたより多く見られるのは、大人の監視を外れて回されてきたせいだろう。
「あそこの耳がフワフワのは?」
「キャバリアよ」
「キャバレー!?」
佳世と俺が同時に素っとん狂な声をあげる。
悠美は深いため息をついた。
「二人してオヤジなボケかまさないでよ……。キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル!」
「あ、あそこにネコがいる! ヒロくん、出番出番」
「え、どこだ?」
佳世の指差すほうを見ると、廊下を歩いてくるやつが目に入った。
「ああ。あれは、ふつうの雑種の日本猫だな」
「何よそれ、まじめにやってよ~」
「いや、まじめだって」
大体、各種の目的のために品種改良が盛んに進められたイヌは、多くの純血種が世界各国のクラブで血統を厳格に管理されているのに対し、ネコのほうは飼育の形態や性質もさることながら、もっぱら愛玩用だし血統にこだわる愛猫家も少ない。日本の一般家庭で飼われているのは、血統書なんて無縁の和猫が大半だ。その辺の事情をわかってもらわないとな。
「う~んと、どっかにいないかな……」
佳世が一所懸命探す。
「あ、あそこにもう一人いた。毛皮の模様がなんかマーブルみたいできれい」
「あれはただのアメショだよ」
「アメショ?」
「アメリカン・ショートヘアのことよ。洋猫の短毛種の中じゃ日本でいちばん普及してるタイプ。よね?」
悠美が代弁する。
「う、うむ……」
「あれ、あそこに耳の先が折れてるネコがいるよ。イヌみたい」
「あれはスコ……スコ……」
「スコティッシュ・フォールド。同じスコティッシュでも立ち耳の子もいるのよ。いまは遺伝病の骨形成異常症とかが問題になってるけど……」
くしゃみが出かかってつっかえたところで、悠美がまたしても俺のお株を奪う。
「へえ。なんだ、悠美のほうが全然知ってるじゃん」
「こら、お前はでしゃばんなっつーの!」
俺が怒鳴ると悠美はペロリと舌を出した。
「へいへい」
「もう一人発見! 大柄で毛が長いよ。なに、ペルシャ?」
よし、今度こそ、と目をさらのようにして観察する。かなり精悍な体つきだ。ムム、見覚えがない……。
「メインクーン? いや、もっと長毛の度が強いな……わかった、ノルウェイジャンだ!」
「ノルウェイじゃん?」
「ノルウェイジャン・フォレスト・キャット」
「ノルウェイの森ネコ~? なんだかウソっぽ~い。それにメインクーンなんてジャガイモの名前みたいじゃん。そんなのほんとにいるのぉ?」
佳世が疑いの目を向ける。
「うそじゃないってば!」
そんなこんなで、俺たちがドッグ&キャット・ウォッチングを続けていると、ミオが三人を伴ってやってきた。
「悠美の作ったリストはほぼパーフェクトだったけど、結構大物を二人しくじったわ」
ミオが渋い顔をしながら告げた。
「え? だれ?」
悠美が眉をひそめる。
「おしゃべりラッキーとむっつりアレックスよ」
二人ともジェイクの担当だ。なるほど、得意満面のファルコやテツと違って、ジェイクが沈んだ顔をしているのはそれでか。
「う~ん、そっか……」
悠美が悔しそうに唇を噛む。
「ラッキーは桜庭くんとこの子だし、私の配点がちょっと甘かったのかもしれない。アレックスはどうしてだろ? ううん……」
「アレックスってどこのイヌ?」
「加藤さん知ってる? あそこの黒ラブよ」
加藤さんというのは、熱心なボランティア夫婦として知られる町の名物夫婦だ。ニュータウンの自治会長で、イベントの世話人から細々した雑事まで何でも気安く引き受ける。家にこどもはいないが、学校にも何かと顔を出すため、こどもたちの間でも結構名前が通っていた。
その加藤さんが、数年前に盲導犬のパピー・ウォーカーに応募して育てたのが、黒毛のラブラドル・レトリーバー、アレックスだった。
ちなみにパピー・ウォーカーというのは、盲導犬などの補助犬が訓練に入る前の子犬のうちに、家庭や社会の環境に慣れさせる役割を担う一時的な保護者のことだ。テレビや本で知ってる人も多いだろうけど。
アレックスは加藤さんの家を巣立って訓練課程も終えたものの、何かの理由で出戻ってきたらしい。
「二人ともとてもいい子には違いないんだけど……」
悠美が何度も首を傾げる。
ジェイクが難しげな顔で交渉時の模様を報告する。
「二人の反応は対照的だった。ラッキーにはいつもと違い感情的な反発にあった。アレックスには無視された。こちらはむしろふだんの態度に近かったが。彼はいつも、何か隠しているようなところがあったからな」
「え、そうなの?」
悠美に聞かれ、ジェイクはまた恐縮そうに謝った。
「ああ、申し訳ありません。事前にお知らせするべきでしたが、私もそれほど確信は持てなかったもので……」
要するに、アレックスの外向きの顔は、悠美の目もあざむくほど完璧だったってことか。
「厄介ニャのは、二人がここでのリーダー格とみニャされてるとこよ」
「リーダーはアレックスのほうなのか?」
俺の質問にジェイクが答えた。
「いや、ラッキーのほうらしい。アレックスはサブについている」
各〝収容所〟におけるリーダーの選出には、スニッターは直接関わっていないらしい。つまり、イヌたちが自分たちの間で決めているということだ。
力関係でいえば、明らかにアレックスが上に見える。それに、アレックスだってこの学校にいるイヌたちの中じゃトップとはいえまい。
「ラッキーの野郎は口がすげえ達者だからな。それに、おいらの聞いた話じゃ、アレックスのやつがラッキーを強く推したっていうぜ」
なるほど。そうやって、二人が指揮をとる体制を敷いたわけか。二人ともなかなか頭が切れるな。
「まあ、嘆いてても始まらニャイわ。次の作戦に移りましょ」
ミオに促され、悠美がとりまとめた数字を読み上げる。
「現時点で取りこみに成功したのが合わせて二七頭。この小学校を受け持ってるイヌが全部で大体一二〇頭くらいだから、四分の一を傘下に治めたことになるわね」
「で、次の手は?」
佳世が身を乗り出す。
ミオが全員の顔を見回しながら説明に入った。
「クロスケを立てて団体交渉に入るわ。ポイントは、相手方のリーダー、すニャわちオシャベリとムッツリの二頭とスニッターの影響力に対し、クロスケとそれぞれの飼い主の影響力が上回ること。過半数のイヌを制したほうが勝ちよ」
「ジェイクは説得する自信ある?」
佳世に聞かれ、ジェイクは腕組みしながら天を仰いだ。
「ううむ。自分が正しいという信念において劣るつもりはないのだが……」
「ま、頭脳勝負なら、こっちには天才ミオがついてるんだから──」
自信満々の俺の台詞を当のミオが遮る。
「悪いけど、あたいはこれから行くところがあるの。でも、大丈夫よ。後はクロスケがちゃんと打ち合わせどおりにやってくれれば、うまくいくわ」
それからジェイクのほうを見て肩をたたく。
「しっかり頼むわよ」
「む。承知している」
悠美が二人を交互に見ながら心配そうに尋ねた。
「ねえ、もしかして、ジェイクがラッキーと戦うことになるの?」
「最初は話し合いよ。でも、それですまニャきゃ、やるっきゃニャイわね。安心ニャさい、人型にニャッてもルールは一緒だから。参ったと言ったほうの負け」
「ご心配なく。彼らを傷つけたりはしませんから。もちろん、負けもしませんがね」
頼もしい限りだ。ミオがいなくなっちゃうと聞いてちょっぴり不安を覚えたけど、ジェイクたちに任せていればきっと大丈夫だよな。
「ところで、こっちのサブはどうすんだよ?」
テツが持ち出すと、ファルコが胸を張って答えた。
「もちろん、ぼくに決まってるのだ。というより、リーダーを譲ってやったようなものなのだ」
「ああ? 何言ってんだ! おめえみてえなちんまいのより、おいらのほうが上に決まってんだろ!?」
テツがファルコに食ってかかろうとしたため、ミオが制止する。
「まあまあ、いいじゃニャイの、サルイヌ。ガキンチョの言うことニャンだから」
「テツはお兄ちゃんだもんね」
「あ! テツってよく見たらジェイクに劣らず男前じゃん♪」
悠美と佳世もすかさずフォロー。
「ちっ。勝手にしろい!」
不承不承ながらテツは折れた。
「エライ! 拓也くんもきっと見直すよ」
こうして、作戦はいよいよ第二段階──ジェイク・ファルコ率いる反スニッター同盟と、ラッキー・アレックスを軸としたスニッター信奉派との直接対決(大げさ?)へと移行した。
事前に合意をとりつけたイヌたちには、交渉の合図があるまで持ち場でそのまま待機するよう頼んでいた。その彼らに、ファルコとテツが召集をかける。ジェイクはラッキーとアレックスを呼び出しにいった。
敵方のリーダー二人は、意外なほど素直に表に出てきた。と、ほかのイヌたちもわらわらと校庭に群がりだした。みな二人の脇を固めるようにしてこちら側と対峙する。自分たちの優勢を見せつけようってわけか。
実際、味方の何人かは落ち着かないそぶりを見せていた。すでにジェイクの誘いがあった時点で、ラッキーたちは陣営固めに入っていたのだろう。あなどれない連中だ。
「用件とやらをうかがおうじゃないか、ジェイク。さっきの話を蒸し返すつもりなら、時間の無駄ってもんだぞ?」
余裕のある態度でラッキーが問う。
「そのつもりはない。われわれは、いますぐここに収容されている人間たちを解放するよう要求する」
ジェイクは威厳のある声で応じた。
ラッキーは長いため息を吐き、首を振った。
「やれやれ……聞いたか、諸君?」
ジェイクではなく、残りの一団と味方のイヌたちを交互に振り返りつつ話しかける。
「なんと前時代的なことだろう! ああ、確かに彼は威風堂々たるもんだ。ぼくだって、そばにいるだけで誇らしい気分になる。まことリーダーにふさわしい。だが……それは野蛮な動物の群れのリーダーとしてだ。いいかね、諸君? ぼくたちイヌ族はいまや、そうした動物の段階から、万物の霊長へとステップアップしたんだ。天から降り来たったぼくらの仰ぐ偉大な犬神、スニッターのおかげで──」
さっきから陰気に押し黙っていたアレックスが、そこで口をはさんだ。
「スニッター様だ」
「ああ、スニッター様のおかげで、ぼくたちはサルの末裔である人間だけが欲しいままにしてきたさまざまな能力を手にした。だから、ぼくたちはもう、そんなくだらない群れの王様ごっこなんか卒業しなくちゃいけない。じゃあ、新しい時代のリーダーにふさわしい条件とは何だと思う? 洞察力、コミュニケーション能力、ビジョンを描く能力だ。そうだろう?」
ジェイク以外の一頭一頭の顔を見回しながら、ラッキーはよどみなく演説を続ける。
「ぼくがこの収容所のリーダーに選ばれたわけは、みなも知ってのとおり、ぼくなら犬神の啓示の意図するところをだれよりも深く理解し、きみたちにわかりやすく伝えることができるからだ。ぼくたちはもう人間の召使いじゃない。便利な道具でも、気晴らしの玩具でもないんだ。そんなのは同類の、猿回しのサルにでもやらせとけ。ぼくたちは自由を、権利を、手に入れたんだ。彼らにへつらう必要はないんだ。むしろ、彼らに謝らせる番だ。人間のこどもには再教育を施し、ぼくたちとの共存の仕方を学んでもらう。まあ、成人した連中には、これまでの罪をつぐなって多少不便な思いをしてもらうのも仕方あるまい。すでにスニッターの天罰は下ってるけどね」
前とまったく同じ口調でサブリーダーが訂正する。
「スニッター様だ」
「ああ、そうそう。スニッター様だ。だから、きみたちも、自分たちの考えがいかにバカげているか、もう一度よく考え直してみるんだ」
ラッキーのパフォーマンスは実に巧みで、せっかく味方に引き入れたイヌたちの半数は動揺の色を隠せずにいた。こいつ、人間だったら政治家かタレントになれそうだな。
続いて、アレックスが前に一歩出た。
「ジェイクよ。要求を出すのはお前ではなくわれわれのほうだ。後ろにいる三人の人間を他の人間たちと同様に収監しなければならない。例外は許されない。そしてまた、われらが同胞をたぶらかし、人間の解放をもくろんだお主の背信行為は目に余るものであり、それ相応の処罰が必要と考える。元通り個室にお引き取りを願うことにしよう。他の者たちは、スニッター様への帰依を誓う限り、その責を問わない」
年配の黒ラブが自信に満ちた態度でイヌたちに恭順を迫る。
だが、ジェイクのほうもひるみはしなかった。
「ラッキーよ。お主はわれらが自由と権利を獲得したと言うが、私の目には、お主は未だにスニッターの道具として、ただ命令に従っているだけに見えるぞ? 相方の目をしきりに気にしているようにもな。協力者の援護がなければリーダーの地位を確保する自信がないのか? 弁舌はなかなか達者だったが、原稿のほうはパトロンに用意してもらったんじゃないのか?」
「な、何を言うか! ぼくの行動を決めるのはもちろんぼく自身に決まっているとも! だれかの指図に従ってるわけじゃない!」
「なるほど、お主は自由意志を尊重するというのだな? ならば、やはり自由意志に基づくわれらの要請にも耳を傾けるのが筋ではないか? われわれはすべての人間の解放を要求する。私が拘束を受けるのも二度とごめんこうむる。さらに、わがマスターとその友人たちを捕らえんという企てがあれば、神の命であれ何であれ、全霊全力を挙げてこれを阻止する」
そう言うと、ジェイクは眼光鋭く二頭を見下ろした。彼のすさまじい気迫の前に、今度はラッキー側の配下の者たちが萎縮する。
しばらくにらみ合いが続いたあと、ジェイクは一転して穏やかな調子で付け加えた。
「とはいえ……こうして角突き合っていても始まらぬ。お互い知恵と分別のあるところを示そうではないか。お主の言う万物の霊長にふさわしくな。そこで、私は妥協案を提示しようと思う。ここにいる三〇名の身内の者だけでも解放してもらいたい。一時的にでもいい。われわれはみな、家族の健康状態を案じているのだ。面会を要求する正当な権利があるはずだ。リーダーとして、妥当な判断を願いたい」
膠着状態から脱け出せたことで、ラッキーにはむしろホッとした様子がうかがえた。アレックスが注意を促すのにも耳を貸さず、彼はジェイクの提案に応じた。
「いいだろう。それほど無茶な要求でもないだろうしね。ただし、条件がある。面会はいまこの場で、一度に二組ずつ、みなの環視の中で行うこと。それでかまわないかい?」
「条件を受け入れよう」
「最初はだれの飼い主にするかね?」
「ファルコとテツだ」
ここまではミオの計算どおりだった。
ラッキーの指示で見張りのもとに伝令が走る。少しして、玄関口に美由と拓也の姿が現れた。
「ファルコ!!」
同伴のヨークシャーが止める間もなく、美由は一目散に飛び出した。
「美由たん!!」
ファルコも駆け出す。相手に向かってまっしぐらにグラウンドを駆けていく二人。
半分まで来たところで、二人は同時にぽてっとこけた。
そのタイミングがあまりにピッタリだったもんで、俺は思わず吹き出しそうになった。悠美がすねを蹴る。
だが、イヌたちの間に笑い声はなかった。
二人はほぼ同時に起き上がった。美由はひざをすりむいていたが、痛みに動じる様子もなくまた走りだす。ファルコも。
中間点まで来て、二人はひしと抱き合った。
「美由たん、ごめんね。怖くなかった?」
「うん。怖くはなかったよ。周りはイヌさんばっかしだしね、エヘヘ。でも、ファルコを一人でお家に置いてきて、すっごく心配だったの。一人ぼっちで寂しくなかった?」
美由が顔をのぞきこむと、ファルコは鼻をこすりながら胸を張った。
「寂しくなんかなかったよ。でも、美由たんが、ぼくがいなくてきっと心細い思いをしてるだろうって思ったから、あいつらを連れて助けにきたのだ!」
「そっかぁ。ファルコとってもえらいね。美由、感心しちゃったよぉ」
悠美がくすっと笑みを漏らす。さっきのお返しに蹴ったろかと思ったけど、やめておく。
一方、対照的な再会となったのがテツ&拓也組のほうだ。
拓也はまだ何が起きてるのかわからないという顔をしていたが、やがて俺たちの姿に気づいて声をかけてきた。
「あっ、北野! 保科と桃代も!? お前らどこにもいないと思ったら、一体──」
そこでテツの視線に気づく。
顔に後悔と警戒の色がよぎり、それが覚悟に変わる。
拓也はゆっくりと、彼のほうへ歩いていった。
ハラハラして見守る俺たちの前で、テツは彼をギロッとにらむと、低い声で言った。
「拓也。一発なぐらせろ」
拓也のほうは何も抗弁しようとしなかった。
「わかった」
そう言ってぎゅっと目をつぶる。
テツは少しの間逡巡しているように見えたが、おもむろに拳を振り上げると、拓也のほおをなぐった。ほとんど音も聞こえなかったけど。
続いてテツは、今度は自分のほうがぎゅっと目をつぶった。
「拓也……今度はおいらのこと、なぐってくれ」
「え、なんで?」
驚いた顔で拓也が聞く。
「おいら、おめえのグローブ……」
「ああ。あんなの別にもう……」
「いいからなぐれよ!」
テツがなおも懇願するので、拓也はニヤリとして思いっきり拳を振り回した。
が、こちらも絶妙な寸止めだった。
どちらからともなく、クスクスと腹の底から笑いがこみ上げてくる。でも、拓也の顔は少し泣きそうなのを我慢してるように見えた。
二人は肩を抱き合いながら俺たちに合流した。
「わあ、拓也くんたちすごい! メロスみたいじゃん。私、感動しちゃったよ~」と佳世。
「美由も感動して思わず泣きもらしちゃいそうだったよぉ」
美由はいつのまにかファルコと手をつないで輪に加わっていた。
「鳴島もいたのか。ちっこいから気づかなかったぜ。泣くのはいいけど小便はもらすなよ」
「こら、お前! 美由たんに向かって無礼な口をきくな!」
なぐりかかろうとしたファルコのパンチを軽く受け流しながら、拓也が大げさに叫ぶ。
「うわ、こりゃテツのパンチより効くわ!」
俺も悠美も、ついこらえきれずに大声で笑ってしまった。ジェイクまで。
そのとき、一同の予期せぬことが起こった。
ラッキーの後ろにいたイヌたちが、一人、また一人と俺たちの側へ移動しだしたのだ。
「お、おい、お前たち!?」
オロオロするばかりのラッキーに対し、アレックスは悪意のこもった視線をこちらに投げつけている。
俺たちはといえば、みな驚きと喜びでいっぱいだった。こちらサイドの頭数は一気に倍になり、これで互いの勢力はほぼ拮抗したことになる。さっきまで不安の色を表していた先行組も、大いに自信を取り戻してくれたようだ。
そうか、きっとミオにはこうなることがわかってたんだな……。
「どうやら情勢が変わったようだ。これだけの人数がいると、二人ずつの面会では少々手間も時間もかかりすぎる。そこで、ここにいるメンバーの飼い主を一度に解放するよう再提案をしたいのだが」
ジェイクが言うと同時に、後ろから「そうだ、そうだ!」「早くしろ!」という声が巻き起こる。
「それと……どうだ、ラッキー。お前も進一のやつをそろそろ出してやらないか?」
ラッキーは歯ぎしりしながらなおもジェイクをにらみつけていた。
「調子に乗るな! 人間の解放はもうやめだ! 約束違反だぞ、きみ! だれがここのリーダーかわからせてやる!」
「ほう?」
ジェイクの目つきが険しくなる。
「確かにそうだな。だれがリーダーを務めるべきか、改めて決め直すべきだと私も思う」
アレックスが震える声で怒鳴った。
「だれがリーダーかを決めるのはお前ではない! 犬神スニッター様だ!!」
「リーダーを決めるのはスニッターではない。私でもない。ここにいるみんなだ」
仲間のイヌたちがそろって歓声をあげた。俺たち人間も一緒になって拍手する。
アレックスは憤懣やる方ないという様子で席を蹴った。
「ラッキー。きみを担ぎ上げていたパトロンは分が悪いと悟ったようだぞ。どうするね?」
「黙れ! そんなにリーダーの座が欲しけりゃ、ぼくと勝負しろ!」
「私に決闘を申しこむという理解でいいのか?」
目をむいてまくしたてたラッキーは、ジェイクに冷ややかな視線を向けられ、いったんたじろいだ。だが、手に入れた地位をよっぽど手放したくないと見え、あくまで抵抗する姿勢を示す。
「ああ、いいとも。ただし! 野蛮な格闘で血を流すのは、万物の霊長としての流儀に反する。リーダーの資質はあくまで、体力と知力の両面をもって測るべきだ。この点だけは譲らないぞ! ぼくが申しこむのは、アジリティでの決闘だ! もちろん、受けて立つだろうな!?」