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8 冷血




「とんだ茶番だな。ラッキー、まったくお前には失望したよ。しょせんスニッター様の恩寵とは無縁な、飼い主に尻尾を振るだけの並のイヌだったか」
 いつのまにか戻っていたアレックスだ。彼は一人じゃなかった。隣にもう一人、大柄の砂色っぽいイヌを連れている。
 悠美がハッと息を飲んだ。
「ピットブル……」
 以前、クラスの男子の間で、どの犬種が最強かというテーマの論争が起こったことがある。イヌ専門家の悠美先生に見解を求めたところ、彼女は三つの候補を挙げた。土佐闘犬、軍用犬のドーベルマン・ピンシェル、そしてアメリカン・ピット・ブル・テリア。
 牛と闘うブルドッグのタフさと、猟犬テリアのすばしっこさを併せ持つスタッフォードシャー・ブル・テリアを原種とし、闘争力を最優先にさらなる改良を重ねて生み出された究極の闘犬──それがピットブルだ。戦闘経験を長く重ねたピットブルは、瞬時に相手の気性、スキル、そして弱点を見抜くという。
 いま俺たちの前に現われたピットブルは、まさにそうした百戦錬磨の猛者を思わせた。上背はジェイクより低いが、肩と大腿の筋肉はボディビルダーさながらだ。
 何より印象的なのは目だった。視線を一秒合わせただけで相手を殺せそうな気がする。
「犬神様に逆らった者の末路を、この場でお前たちに思い知らせてやろう。クン=アヌン、標的はきみの好きに選んでくれたまえ」
「あいよ」
 クン=アヌンと呼ばれたピットブルは、一歩進み出て一二〇名ほどのイヌと六名の中学生を一人ずつ見回した。視線がジェイクに向いたところでピタリと止まる。
「セオリーから言や、いちばん強いやつを秒殺すりゃ、残りはあっという間に屈服するってもんだが──」
 そこで、彼の視線は別の対象へ移った。ラッキーと身を寄せ合っていた桜庭だ。
「一度人間のガキを殺ってみたかったんだ。大人はもう飽きたしな」
 気がつくと、クン=アヌンは桜庭の前で仁王立ちになっていた。いつの間に!?
「ぐあっ!」
 怪犬は片手で桜庭の胸倉をつかんで高々と持ち上げた。
「きゃああっ!!」
 女の子たちの悲鳴があがる。
 ジェイク、テツ、ファルコの三人がいっせいに飛び出した。ほかのイヌたちも。
 だが、真っ先に反応したのは、まだ人型に戻っていないラッキーだった。自分よりはるかに大柄な人型のピットブルに猛然と跳びかかると、進一をつかんだ腕に噛みつく。
 クン=アヌンはうっかり手を放した。桜庭は土の上に転がり、苦しそうに咳きこむ。
 獲物を悠々ともてあそんでいるかに見えたクン=アヌンは、不意にかんしゃくを爆発させた。腕に噛みついたままのラッキーを振り上げ、地面にたたきつける。
 バキッといういやな音がして、ラッキーはそれきり動かなくなった。
「ラッキーッ!!」
 桜庭の口から悲痛な叫びが響きわたった。
 ジェイクとテツがすかさずクン=アヌンにタックルをかました。二人してこの凶暴な相手をなんとか押さえこもうと試みる。遅れて到着したファルコは片足にしがみついた。
 だが、三人がかりでも、この戦闘慣れした巨漢を倒すには至らなかった。鋼鉄のような皮膚は、並のイヌの牙など寄せつけず、蚊に刺されたほども痛みを感じてないらしい。
 クン=アヌンはファルコをあっさり蹴飛ばし、テツも振り払った。ジェイクはなおも離すまいとがんばっていたが、テツを振りほどいたほうの左手が彼の鳩尾に強烈なボディを見舞う。
「ぐはっ!」
 ジェイクは手で腹を押さえながらぐらっとよろめいた。
「無駄だよ。お前ら素人が何人束になってかかってこようがな」
 彼の言うとおりだった。ジェイクは体格や運動能力の点では決してどのイヌにも劣りはしない。だが、戦いにおいて物を言うのはどれだけ場数を踏んだかだ。悠美がラッキーを相手にするのさえ心配したように、実のところ彼には本格的なケンカをした経験が皆無だった──ましてや死闘など。
 ジェイクたちが取っ組み合っている間に、俺たちはラッキーと桜庭のもとへ駆けつけた。
「ラッキーのやつ、ぼくをかばおうとして……」
 涙をポロポロと流しながら、桜庭が彼の顔をのぞきこむ。
 悠美がかがんで心拍と呼吸を確かめようとする。だが……おそらく、首の骨か背骨を折られたんだろう。手遅れだった。
 彼女はラッキーの口もとの血をそっとぬぐってやった。目から涙があふれだす。
 すっくと立ち上がると、悠美は拳を握りしめ、声を振りしぼって天に向かって叫んだ。
「スニッターッ!! あなたがイヌの神様だというのなら、この子を生き返らせてみせなさい!! でなきゃ、私はあなたを絶対認めないから!!」
 美由と佳世は抱き合いながら大声で泣いている。拓也も歯を食いしばってこらえていたが、やはり目は涙で濡れていた。俺もまっすぐ顔を上げることができない。
 そのとき──ぼやけた視界の片隅で何かが光った。ラッキーの傍らの地面に転がっていた彗星のかけらだった。
 白い光は明滅を繰り返しながら次第に輝きを増していき、ついにはさっきのラッキーたちの変身時よりまぶしくなった。まぶたを閉じてすら突き刺してくるような閃光だ。
 数秒して光が収まったとき、だれもが信じられないできごとが起こった。
 ラッキーの耳がかすかにピクッと動いた。目をうっすらと開き、じっと進一の顔を見つめる。
「ラッキー!?」
 桜庭の声はかすれてほとんど声にならなかった。
 さっきまで確かに脈が止まり、息もしていなかったのに。奇跡が起こったとしか言いようがない。
 ふと傍らに目をやると、スニッター彗星のかけらは影も残さず溶け去っていた。
 周りにいたすべてのイヌたちが、クン=アヌンまでもが、驚きの目で一部始終を見つめていた。
 だが、しばらくしてアレックスがわれに返ったように叫んだ。
「クン=アヌン! スニッター様からの優先指令だ。あの人間のメスを確保して至急帰還する!」
「ちっ、しゃあねえなあ」
 面倒くさそうに言いながら、クン=アヌンはこちらへ近づいてきた。大きな手で悠美の腕を捕まえ、軽々と背中に持ち上げる。
「きゃあああっ!!」
「この野郎! 悠美を放せ!!」
 俺は無我夢中で巨犬に跳びかかった。不良の高校生や暴走族よりよっぽど怖かったけど、指をくわえて見ているわけにはいかない。
「貴様! マスターに手を触れるな!!」
 腹を抱えて苦痛に顔を歪めていたジェイクも、主の一大事と知って再び凶暴な敵に挑む。
 だが、悠美を抱えて腕一本使えない状態でさえ、クン=アヌンは俺たちをまったく寄せつけなかった。
「だめよ、ヒロ! ジェイク! この子の相手しちゃ」
 担ぎ上げられながらも、悠美がしきりに首を振って俺たちを制止しようとする。闘犬と一般のイヌとの力量差を知っているからこそだろう。しかしなあ、いくらイヌ好きといったって、こんなゴツイ闘犬の人型に向かって〝この子〟はないだろ。
「スニッター様は一刻も早くこの娘を手に入れたいとご所望だ。回り道をしている余裕はない。行くぞ、クン=アヌン!」
 アレックスが懐からラッキーのと同じ彗星のかけらを取り出す。閃光がほとばしった。
「待てっ、アレックス! クン=アヌン!!」
「悠美を返せ!!」
 俺とジェイクは再度二人めがけて躍りかかった。だが、彼らの姿はかき消すようにいなくなってしまった。悠美とともに。
 三人の消えた場所を茫然と見つめる俺の横で、ジェイクが無念の表情を浮かべてがっくりとひざをついた。
「くっ、マスター……」

 希望に満ちあふれていた夕べとは打って変わり、だれもが沈うつな表情を浮かべていた。
 ジェイク、テツ、ファルコの三人の活躍のおかげで、美由と拓也ばかりでなく、小学校に収容されていた街のこどもたちは全員解放することができた。配属されていた一二〇名のイヌたちも、いまではスニッターの呪縛を解かれて俺たちの協力者となってくれた。
 しかし……ラッキーが重傷を負い、悠美がさらわれた。
 ラッキーは奇跡的に息を吹き返し、いまは容態も安定している。自宅に搬送され、進一がつきっきりで看てやっていた。
 今回の救出劇でいちばんの立役者だった悠美を失ったのは、俺たちにとって二重の痛手となった。
 ジェイクは悠美の部屋に閉じこもってしまい、だれが呼んでも出てこない。イヌたちの新しいリーダーとなった彼をおいてほかに、クン=アヌンやアレックスたちに対抗できる者はいない。だが、こんなふうにふさぎこんでる状態では……。
「ニャるほど……面倒ニャことにニャッたわね……」
 悠美が誘拐されるまでの顛末を聞いたミオが顔をしかめる。
 彼女が戻ってきたのは、もう夜もだいぶ更けてからだった。
 ひょっとして、彼女の身にまで何か起こったんじゃないかと気が気でなかったし、ハードな一日だっただけに、顔を見れたときは心底ホッとした。出たときより難しげな表情だったのが気になったけど。
「それにしても、あんなヤバイイヌがこの街に住んでるなんて思わなかったな。悠美だって知らなそうだったし」
「うん。美由も聞いてなかったよぉ」
「一体どこの家かしらね? よっぽどでかくて頑丈な犬舎じゃないと無理っぽくない? 大体さ、イヌ同士戦わせて楽しむなんて悪趣味だと、私ゃ思うけどね」
 美由も佳世も首をかしげる。俺たちの問いに答えたのは拓也だった。
「ああ、それなら知ってる。さっき桜庭に聞いたんだ。ニュータウンのいちばんはずれにでっかい屋敷あんだろ? 二宮って市会議員が住んでる。そこだってさ。あいつの親が知り合いなんだと」
 ああ、あそこか。自分の名前をデカデカと書いた看板が立ってるから表札見なくたってだれの住居かすぐわかる。学校の屋上から見えるくらいだもの。
「でも、おいら、あいつの匂い全然覚えねえよ? 公園でも道でも会ったことねえし」
「専門のトレーナーがどっかよそで訓練してるから、街に出ることはないんだろうな」
 首をひねって疑問を口にしたテツに、俺が答える。
「そうそう、名前はクン=アヌンじゃなくて、〝二宮雷帝号〟だったらしいや」
 拓也が付け加えた。気に入らないから自分で付け変えたに違いない。
 ラッキーを痛めつけたときのやつの冷酷な表情を思い返すと、それだけで寒気がしてくる。変身した雷帝号を見たとき、飼い主の議員や家族はさぞかし震えあがったことだろう。
 そのとき、やつの口にした言葉が思い浮かんだ。
 大人はもう飽きた──。
 それ以上先のことを考えたくなかった俺は、話題を変えてミオのほうを振り向いた。
「なあ、ミオ。やつら、悠美をどこへ連れていったんだろう?」
「大学の研究所よ」
 夕べ人間の大人たちが連れていかれたところか。でも、ミオはどうしてそのことを知っているんだろう?
 俺の疑問を先読みしたように、彼女が続ける。
「あたいは移送された人間たちの様子を見に行ってたのよ」
「てことは、スニッターもそこにいるのか?」
 ミオがうなずく。
 宇宙の彼方から彗星に乗ってやってきたイヌの神様が、まさかこの街を根城にしていたなんて……。
「じゃあ、スニッターはどうして悠美をさらったんだと思う? ラッキーが生き返ったことと関係あるのかな?」
 あの奇跡は、本当に悠美が引き起こしたものなんだろうか? あるいは、スニッターが彼女の祈りを聞き届けたということなのか?
 いまとなっては、だれにも確かめようがない。わかっているのは、ラッキーの奇跡的な蘇生が起こった直後に、アレックスが血相を変えてクン=アヌンに命令の変更を伝えたことだけだ。
 だが、ミオは俺の問いには答えず、額に手を当てて独り言をつぶやいただけだった。
「あいつが悠美に興味持つニャンて想定外だったわ……」
 そして、おもむろに立ち上がる。
「あたいはもう一度やつの出方を見てくる」
「おい、ジェイクのやつはどうすんだ?」
「ほっときニャさいよ。他人にどうこうできるもんじゃニャし。そのうち復活するでしょ」
 そう言い残すと、そのまま扉の向こうへ消えてしまう。
「ちっ、まったくどいつもこいつも」
 テツはどっかとソファに座りこんで顔をしかめた。
 それきりみんな沈黙する。時計の針だけが空しく時を刻んだ。
 いきなりファルコがテーブルをひっくり返しそうな勢いで立ち上がる。
「みんな、くよくよするな! ジェイクがいなくたって、ぼくと美由たんがいれば大丈夫なのだ! ぼくが真のリーダーとして、悠美たんやみんなを助けにいくのだ!」
「バカも休み休み言えよ。おめえみたいなチビがあの怪物にかなうわけねえだろ!?」
「そんなことないのだ! ねえ、美由たん?」
 美由は悲しそうな目をしてファルコを見た。
「美由……ファルコにけがして欲しくないよ。あんなことになるの、いやだよ」
 アジリティの対戦では彼の肩を持った美由だが、命に関わるとなれば話は別だ。ラッキーの負傷と、親友の悠美がさらわれたことは、彼女にとって大きなショックだったろう。
 ファルコもそれを聞いて黙りこんでしまう。
 佳世が立ち上がってみなの顔を見ながら言った。
「さあ、今夜はもうお開きにして休みましょう。みんなヘトヘトだし。明日になったらまたいい知恵も浮かぶよ」
 その晩はどんな夢を見たのか思い出せない。疲れてすぐに寝ちゃったのに、一刻も早く覚めて欲しいと思うような夢だった──

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