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9 裏切り




 今日は朝からずっと気分が重い。いやな夢を見たせいか、悪い予感が的中した感じだ。
 まず、夕べスニッターの動向を探りに行くといって出ていったミオが、結局帰ってこなかった。ジェイクもまだ部屋に閉じこもったきりだ。
 悠美、ジェイク、ミオ、頼りにしてきた三人のメンバーを欠き、俺たちは途方に暮れていた。
 そこへ、玄関のチャイムが鳴った。
 外に出てみると、家の前に大勢のイヌが詰めかけてきていた。昨日小学校で仲間になってくれた一二〇名のイヌたちだ。
「リーダーに今日の指示を仰ぎにきたんだ」
「ジェイクはどこだ?」
「顔を見せてくれ!」
 口々に叫ぶ。
 そうか……彼を頼りにしてたのは俺たちだけじゃなかったんだ。一度はクン=アヌンにこてんぱんにやられたけど、みんなこんなにあいつを慕ってくれている。
「ちょっと待っててくれ」
 俺はそう言って中に引っこんだ。二階に上がるとドアをたたく。
「ジェイク! みんなが来てる。だれもお前のこと責めてなんかいやしない。お前がリーダーだって認めてるんだ! 頼むから、応えてやってくれ!」
 ドアの前で懸命に訴えるが、返事はない。
 まさか責任を感じて首でも吊ってるんじゃ……と思いかけたところで、ファルコが後ろに来てそでを引っ張った。
「大樹、ここはぼくに任せるのだ」
 そう言って息を大きく吸いこむと、ドアに向かって怒鳴りだす。
「やい、ジェイク! 弱虫のでくのぼう! こんなところで何をいつまでメソメソしてるのだ! お前は悠美たんが大事じゃないのか!? 主を護ろうという気概はどうしたのだ、気概は!?」
 しばらくコトリとも音がしなかったが、いきなりドアが開く。
 ジェイクは戸口に立って無言のままじろっとファルコを見下ろした。が、たじろぐ彼の肩に手を置くと、相好を崩してにっこり微笑む。
「ありがとう。目が覚めたよ。真のリーダー」
「うむ。それでこそ、ぼくが認めた表向きのリーダーなのだ」
 ファルコは上機嫌でうなずき返した。いかにも頼りなげに見えるけど、こいつがいてくれてほんとによかった、と俺は思った。
 下に下りると、佳世が何事もなかったかのように声をかける。
「あ、起きた、ジェイク? 朝ご飯できてるよ。今朝は大仕事が待ってるから、気合を入れてもらおうと思ってステーキにしたんだあ。でも、まずはみんなにあいさつしてきてちょうだいね♪」
 うえ、朝っぱらからステーキかよ。胸焼け起こしそう……。
 ソファに寝っ転がっていたテツも跳ね起きる。
「お、やっとこ大将のお出ましだ」
「すまなかったな、テツ。二人とも、一緒に来てくれないか」
 三人が玄関の外に姿を現すと、どっとばかりに歓声がわき起こった。
「ジェイク! われらがリーダー!」
「頼むぞ、ジェイク!」
「テツ、がんばりや!」
「きゃ~、ファルコかわいー♥」
「こっち向いて~♥」
 みんなが三人の名を口々に叫ぶ。ファルコはなぜかメスに人気があるようだ。
「テツのやつ、すっかり緊張してらあ。ファルコのほうがまだ堂々としてんじゃんか」
 拓也が俺に耳打ちする。
 観衆が静まるのを待って、ジェイクは切り出した。
「みんな、わざわざここまで迎えに来てくれたこと、心より感謝する」
 口笛と拍手。ジェイクはさらに続けた。
「われわれはこれから、わがマスター悠美や、みなの主を解放するべく、スニッターと交渉しにいく。みなも一緒に来てくれるか?」
 集まったイヌたちが威勢よく賛意を表した。
「ありがとう……。極力話し合いですむようにしたいが、場合によって衝突が避けられない可能性もある。体調を万全に整えて、一時間後にまたここへ集合してほしい。われわれは人間の大人たちが収容されている大学へ向かうことになる。それと、これはことが終わった後の話になるが、主との間にトラブルを抱えている者があれば、遠慮なく相談しに来てほしい。私とマスターで解決のために全力を尽くすことを約束しよう」
 再び声援に包まれながら、三人は俺たちとともに屋内へ退場した。
「さあ、腹ごしらえ、腹ごしらえっと」
「腹が減っては何とやらだもんな」
 ご馳走の匂いに誘われ、拓也とテツが食堂に入っていく。ほかのみんなも続いた。
 ジェイクが復帰し、大勢のイヌたちに勇気づけられ、さっきまでの暗いムードがうそのようだ。
 だが、一人俺の心は晴れなかった。ミオのやつ、どうしちまったのかな……。
 などと考えごとをしてたら、いつのまにか俺の皿の上は空っぽになっていた。
 一時間後、三人は再び集合したイヌたちであふれ返る路上に降り立った。俺たち人間の四人も後に続く。
 ミオが戻ってきたのは、俺たちが玄関に集まっていままさに出発しようとしたそのときだった。
「クロスケ、作戦は中止ニャ。すぐにみんニャを自宅に待機させて」
 いきなり説明も抜きで告げる。みんな困惑の色を隠せない。
「なに? どういうことだ!?」
「いいから早く!」
「私はマスターを奪還しなくてはならない。この場でじっと待っていたところで埒が開かないだろう。いまこうしている間にも、マスターの身に危機が迫っているかもしれないのだぞ!?」
「……いまのあんたたちじゃ、あいつらにかニャいっこニャイのよ」
 ジェイクは探るような目つきでミオを見つめた。
「ミオ……お主は一体、スニッターの何を知っているのだ? お主の与えてくれた情報のおかげで、これまでのところ首尾よくことが運んできた。だが……そろそろタネを明かしてくれてもよかろう?」
「そうだよ、ミオちゃん。理由がわからないと、やっぱり帰ってくれなんてみんなに言えないよ。せめて何か代案がないとさ」
「こっちはみんなやる気満々なんだぜ?」
「そうなのだ。負けやしないのだ!」
 仲間たちが口々に訴える。
 ミオはうんざりしたように首を振った。最後に俺と視線が合う。
「ミオ……やっぱり、早いとこ悠美を助けてやらなきゃ。俺、急がないと何か悪いことが起こりそうな予感がするんだ……」
 それだけ言うのが精いっぱいだった。彼女と仲違いしたくはなかったけど、やっぱりジェイクや佳世の言うことのほうが筋が通っている。悠美の救援を遅らせることはできない。
「そう。じゃあ、勝手にすれば?」
 ひとつため息をつくと、彼女はきびすを返して立ち去った。
「あっ、ミオ!?」
 後を追おうとしたが、ミオの姿はあっという間に路地の向こうに消えた。

 ジェイク、ファルコ、テツの三人を先頭に、俺たちは大学までの道のりを行進した。
 ラッキーととくに親しい数人のイヌが、進一とともに看病に残ったほかは、小学校で仲間になってくれたイヌたちのほぼ全員が馳せ参じてくれた。参加者の中には、ネコの姿もちらほらと見えた。
 解放された人間のこどもたちも何人か駆けつけた。大半が俺たち2─Aのクラスメイトだが、中一と中三、小学生の高学年あたりの子もいる。イヌと人を合わせると総勢一五〇人を越える。
 家に残る子たちも、道々窓を開けて手を振って見送ってくれた。「早くお父さん、お母さんを連れ帰って!」という言葉とともに。
 行進の参加者は、銘々が鳴り物や小旗を手にしている。死闘におもむくというより、すっかりパレード気分だ。これは佳世と美由の発案によるものだった。
 スニッターは第一小で仲間になったこの場のイヌたちより多くの同族をはべらせているだろう。いさかいはできる限り避けたい。それで、他のイヌたちにも自分の家族のことを思い出してもらえるよう、平和的な演出を心がけたわけだ。
 先頭を行くファルコは、シーツで作った即席の大きな旗を掲げている。旗印は、イヌの前肢と人の手をかたどったデザイン。肉球が上に見えているので、人間のほうがお手をしているように見える。朝食がすんだ後に、美由と二人であれこれ悩みながらせっせと描いていたっけ。
 ミオいわくスニッターが本拠地にしているという大学は、未来ヶ丘中央駅をはさんで住宅街の反対側にある。家からだと歩いて四〇分の距離で、高さ三〇メートルくらいのちっちゃい山の中腹だ。その山の名は、ニュータウンにもかぶせられた未来ヶ丘。印象とは裏腹に、元はゴミの山だったらしい。
 中央駅の北口を出てそのまま坂道を登っていくと、正門が正面に見えてきた。
 いま俺たちは、大学の敷地の手前にまで迫っていた。行進するイヌとこどもたちの熱気は高まる一方だ。
 その一方で、俺の胸の内の不安もますますふくらんでいった。
 俺と拓也が先に無人の守衛所の通用口を素通りし、車道のゲートを開く。ジェイクを先頭に、イヌたちはどっとばかりなだれこんだ。
 広い大学の構内はがらんとして、人っ子、というよりイヌッ子一人いなかった。
 おかしいな? てっきり、俺たちより多い数のイヌたちが待ちかまえていると思ったのに……。
 いや、一人いた。研究所の玄関前にたたずむ人影が見える。
 あれは……ミオ!?
「はぁい、おバカさんご一行様♥ スニッター・パレスへようこそん」
 いや、違った。ネコの女の子だが、ミオより少しきゃしゃな体つきだ。
「シャムだ!」
 俺が驚きの声をあげると、佳世がいぶかしげに尋ねた。
「なに、どうしたの、ヒロくん? シャムネコが珍しいみたいな顔して」
「いや、珍しいんだって」
 そう、シャムネコは短毛種の代名詞になっているほど、名前だけは有名だが、実はいまの日本じゃかなり稀少な品種なのだ。ショップではまず見かけないし、ブリーダーを探すのも難しい。ノルウェイジャンやロシアンブルーのほうがまだ目にする機会がある。
 というのも、シャムネコのブームは俺が生まれる前に去っていたからだ。シャムは独特の声音や気性の持ち主なので、一部に根強い愛好家はいるものの、ペット市場の一角を占めるほどの需要には至らなかった。
 ちなみに、独特の気性ってのは、わがまま、気まぐれで、二重人格じみたところ──。ネコ界のシーズーみたいなもんだ。もともとシャム(タイ)の皇宮で飼われてたくらいだからな。
「スニッター・パレスだって? へっ、これのどこがパレスなんだよ? ただの大学の校舎じゃねえか」
 拓也が侮蔑の意をあらわにしてそう言うと、シャムは哀れみのこもった目で彼を見た。
「あらん、このゴージャスニャ神殿(パレス)が見えニャイの?」
 ほんの一瞬のできごとだった。つい先刻まで大学のあった場所に、目を見張るほど巨大で荘厳な神殿が現れた。いくつもの尖塔が雲を突き抜けんばかりにそびえ立っている。これには拓也もあんぐりと口を開けるしかなかった。
 ジェイクが前に出て、謎のシャムネコ嬢に向き合う。
「お主は何者だ? スニッターの配下の者か? 他のイヌたちはどうした? 収容した人間はどこにいる?」
「あらん、そんニャにいっぺんに質問しちゃイヤン。あたいのことは〝お魚ちゃん〟って呼んでね♥ あニャたのご推察のとおり、スニッター様の飼いネコよん。他の人たちはねえ、イヌもネコもヒトもみ~んニャ仲良く工場行きニャの。選ばれた者以外はね。ニャンの工場だか知りたい?」
「工場だと?」
 ジェイクが眉根を寄せて聞き返す。お魚ちゃんと名乗るシャムネコは、相手をわざと焦らすような仕草で、石段の上を軽やかに飛び跳ねていたが、やがてこちらを振り向くと言葉を継いだ。
「マタタビ工場よん。こねて、伸ばして、粉々に砕いて、袋に詰めて、ハイ、出来上がり♪ キャハハハハッ」
 お魚ちゃんは腹を抱えてその場で笑い転げた。
「ふざけていないで答えてもらおう」
「怒っちゃいやん、ダンディガイニャ真っ黒ちゃん♥ じゃあ、クイズ形式にしてあげる♪ みんニャが送られた工場は次のうちどれでしょう? 一、口紅。二、印鑑。三、ハンドバッグ。四、ステーキ♥」
 冷静なジェイクもさすがに堪忍袋の緒が切れる。
「あら、ふざけてニャンかニャイわよ? ちゃぁんと正解はあるもの。答えは四番でした♪ ざぁんねん、みんニャハズレねぇん」
 ミオの言ってたペットフード説を思い出す。正解がステーキって……冗談だろ!?
「もういい、お前じゃ埒が開かん。スニッターのところへ連れていってもらうぞ」
「あたいの言うこと、信じニャイの? けど、ウソじゃニャイのよん。明日からはあたいたちのメニューは三つの中からお好み次第♪ でも、やっぱりヒトのステーキがいちばんステキよねぇん♥ ニャ~ンチャッテ♪ キャハハハハッ」
「なん……だと!?」
「あら、みんニャそろって怖い顔ん。でも、あニャたたちからも滴る血の匂いがするわよん? もしかして、朝からステーキニャンか食べてきちゃったりしてニャイ? ウシだってヒトだってイヌだって、たいして変わりニャイわよん♪ もちろん、ステーキばっかりじゃニャくていろいろ用意してるけどね。ヒトジャーキーに、ヒトビスケット、ヒトボーンガム、エトセトラエトセトラ……。クン=アヌンもアレックスもマサヒトも大喜びしてるわ。当分ヒトメニューばっかしにニャッちゃいそう♥ ミオのお姉さまだけ一人で仏頂面してるけど──」
 いま……なんて言った!?
「スニッター様はねぇ、イヌネコとヒトの立場を取っ替えっこするつもりだったけど、つまんニャイからもう飽きちゃったの。あニャたたちみたくサボタージュ働く困ったちゃんも出てきたし。それで、才能ある者だけを選んで、残りはお払い箱にしたのよん」
 後ろのイヌたちの間にどよめきがあがる。
「命令に従わなければ切り捨てるというのか。とんだ神もいたものだな」
 ジェイクが吐き捨てるように言うと、お魚ちゃんはすました声で付け加えた。
「そうそう、安心ニャさい、あニャたの愛しいご主人様も、選民リストの中にちゃぁんと入ってるから♪」
 イヌたちの間に激しい動揺が起こった。ジェイクに対する視線も、リーダーに対する尊敬から不信と猜疑のそれに変わり始める。
「だまされるんじゃねえ! こいつの言ってることは全部はったりに決まってら!」
「そうなのだ! うそつきなのだ! みんな、聞いちゃだめなのだ!」
 テツとファルコが叫ぶが、動揺は一向に収まらない。だれよりジェイク自身が、いまの台詞に激しい衝撃を受けていた。そして、俺も。
「そういうわけだから、ほかのみニャさんはそろそろお寝んねの時間よん。お休みニャさい♥ 永遠に──」
「待ちニャさい」
 お魚ちゃんの後ろにもう一つの人影が現れる。
「手前の子たちはあたいが片付けるわ」
 彼女だった。俺は言葉を失った。
「ミオちゃん!?」
「ミオ!! これは一体どういうことだ!?」
 ミオは仲間の呼びかけにも答えず、黙って懐から白い石を取り出した。スニッター彗星のかけら──。
 俺たちに向かって突きつけるようにそれをかざす。まばゆい閃光が辺りをおおう。覚えているのはそこまでだった──

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