一方そのころ、第一のステージでは、ファルコとマサヒトのにらみ合いが続いていた。
「マサヒト、おとなしくその人を放して降参すれば、剣を収めてやるのだ」
「だれに向かってお言いだい? あたしのことは女王様とお呼びと言ったろうが!」
ファルコは堂々と胸を張ってみせた。
「お前が女王様なら、ぼくは王様なのだ!」
「キャーッ、ファルコ最高ぉー♪」
どこから用意したのか、美由が紙吹雪をばらまく。
「はん? 王様だぁ?」
マサヒトは意地の悪い笑みを浮かべ、美由に向かって指を突きつけた。
「じゃあ、自分が家でいちばん偉いってことを証明してみな。王様らしくそいつを痛めつけてみなよ」
言いながら、ハイヒールの踵で飼い主を踏みつける。
「こうやってさ」
「ぼくが王様でも、美由たんは家来じゃないのだ。そんなことできないのだ」
「へっ、王様ってのはね、だれにでも指図して言うことを聞かせるやつのことを言うんだよ。そいつが家来じゃないなら、あんたを王様とは呼べないねえ」
いかにもバカにした態度で煙を吐くマサヒトに、美由が手を挙げながら言った。
「違いまぁす。ファルコが王様だけど美由が家来じゃないのは、美由が大奥だからでぇす」
「うわ、美由たんは大奥だったのか? それじゃ、殿様も頭が上がらないのだ。困ったのだ」
いつのまにか殿様になってる……。
「殿、殿中にござりまするぅ!」
「者ども、出会えなのだ!」
「控えおろ~、この方をなんと心得るかぁ!」
「この絆の剣が目に入らぬかなのだ!」
「お奉行様、そんなものが目に入ったら大変なのですぅ」
今度はお奉行様に変更……。
二人の漫才ごっこが続いている間、マサヒトはイライラして煙草を何本も吸っては捨てしていた。
「いい加減におし! ガキはとっとと家へ帰ってママのおっぱいでも吸ってな! それともあれかい、そいつのない乳でもしゃぶらせてもらってんのかい?」
「失敬なこと言うな! ぼくは赤ちゃんじゃないからおっぱいなんて飲まないのだ!」
「美由もお母さんじゃないからおっぱい出ないですぅ!」
むきになる二人にあきれ声で言う。
「はぁ、つくづくガキだね、あんたら……。大人のジョークがわかんないのかよ?」
マサヒトは灰皿代わりに飼い主の髪に煙草を押し付けて消した。
「ひぃ!」
「お遊びはもうやめだ。お前たちにも悲鳴をあげさせてやるよ」
「こっちもお前が態度を改めないのならお仕置きなのだ! かかってこい、マサヒト!!」
「女王様だよっ!!」
マサヒトは鞭を左右に振り回しながら躍りかかってきた。
「この怨嗟の鞭はね、私がこいつに買い取られて以来、あげ続けてきた悲鳴をたっぷり吸いこんできたえられてきたのさ。いまじゃ、私がこいつにくれてやってるごほうびの分も加わって、さらにパワーアップしてるけどね!」
漆黒の鞭がビュンとうなりをあげて襲いかかる。
「フン、そんなもの、ぼくの絆の剣の前では敵じゃないのだ!」
背中に背負った剣の柄に手をかけようとしたとき、ファルコはつまづいて前のめりに思いっきりこけた。
「うわ!」
転んだおかげで、黒い鞭がちょうど大きな剣に防がれる形になり、横腹への直撃を免れる。
「鼻を打ったのだ~」
もともとペチャ鼻なのでたいしたダメージはないが。
「そうやって地べたにはいつくばってな!」
ファルコに立ち上がる隙を与えず、マサヒトが鞭の猛攻をくわえる。
「み、見えないのだ」
襲いかかる鞭をよけようと、ファルコはゴロゴロと寝転がった。だが、相手の手もとが見えないため、鞭の飛んでくる場所がわからない。
「ファルコ、右ぃ!」
すかさず美由の指示が飛ぶ。
「今度は左ぃ!」
ファルコはほとんど目をつぶったまま、美由の言葉どおりに転がって鞭の先をよけ続けた。ばかでかい剣のおかげと、幸運も手伝って、マサヒトの攻撃はなかなかヒットしない。
「ファルコ、お上手お上手ぅ♪」
「う~、美由たん、これはアジリティと違って全然楽しくないのだ!」
渋い顔で答える。確かに楽しいどころではないだろう。
「カメかよ、お前わ!」
イライラした調子で罵言を吐きながら、マサヒトは攻撃の手を休めてライターに手を伸ばした。彼女が一服している間にファルコはなんとか身を起こす。
「ちょっと失敗だったけど、今度はそうはいかないのだ!」
彼は気を取り直して挑みかかった。四方八方から飛んでくる鞭先を、大きな剣を盾代わりに巧みにかわし続ける。リーチはマサヒトの鞭のほうが長いため、なかなか間合いに入れないが、それでも次第に距離を縮めていく。
「ファルコ、がんばれーっ! 負けるなーっ!」
美由の応援を受け、さらに勢いづいたファルコは、一気にマサヒトの懐に詰め寄った。
「てぇぇぇいっ!!」
絆の剣がマサヒトの鼻先をかすめる。蝶々の形をしたマスクが吹き飛び、オドオドした印象を与える、大きくて円らな瞳があらわになった。
「くっ……よくもやってくれたね!」
激昂したマサヒトは、怨嗟の鞭を束ねて両手で持ち、頭上に掲げながら一声叫んだ。
「あたしを本気で怒らせたらどんな目にあうか、思い知らせてやる! 怨嗟の鞭進化形態、〝怨嗟の炎〟!!」
黒々とした鞭が熱したニクロム線のような赤みを帯びる。
と、ファルコの周囲をいきなり炎がとりまいた。
「うわっ、ぼくの自慢の毛皮がチリチリになっちゃうのだ!」
ファルコが絆の剣で炎から身をかばっていたとき、後方から悲鳴が聞こえてきた。
「ひゃああっ!!」
火の手は美由にも迫っていたのだ。マサヒトの放った怨嗟の炎は、いまやフロア全体に燃え広がろうとしていた。
「美由たん!」
「ファルコォ!」
彼は懸命に絆の剣を振り回し、燃えさかる炎を払いながら、美由のそばへ一歩一歩にじり寄った。美由も身をかがめて煙と炎を避けつつ、ファルコに向かってはい進む。
なんとか合流できたものの、四方を業火にとりまかれ、それ以上は身動きもとれない。炎の檻から脱出するすべはもはやなかった。
二人は抱き合いながら、自分たちを取り囲む真っ赤な灼熱の壁を茫然と見守った。
「そいつはただの火じゃない。命ある者だけを焼き焦がす、募り募った怨嗟の炎さ。毎日繰り返される痛みと苦しみ、体罰のないときでさえ絶えず身をさいなむ恐怖。死以外に自らを解放するすべのない絶望。お前はそんな苦しみを味わったことがあるかい? 自分だったらその仕打ちに耐えられると思うかい? もちろん無理に決まってるさ。そのガキに甘やかされてぬくぬくと育ってきたお前にはね。
「だけどね、人間なんて一皮むきゃどいつもこいつも同じなのさ。スニッター様の言ったとおりね。力のある者に、力のない者の痛みはわかりはしない。でも、あたしは力を手に入れた! この怨みの炎で、やつらに思い知らせてやるんだ! 炎の中でのた打ち回らせて、命乞いをさせてやるんだ! でも、いくら泣き叫ぼうと、許してなんかやらないよ。人間なんて、みんなみんな、灰になっちまえばいいんだ! ヒーヒッヒッヒ!!」
自らは影響を受けない恨みの煉獄の中で、マサヒトは両手を広げて立ち尽くしながら哄笑した。
「違う!! マサヒト! あなたはそんな子じゃない! 美由にはわかってるの!」
煙にむせ返りながらも、美由が叫ぶ。
「あなたはとってもやさしい子なの! 自分が傷ついても、ほかのだれかを傷つけたりできないの!」
「命乞いにしちゃ、ずいぶんふざけた物言いじゃないか、ええ?」
マサヒトは最後の煙草を箱ごと炎の中に放りこむと、吐き捨てるように言った。
「だって、あなたは煙突さんをかばってるじゃないの!!」
美由の言うとおりだった。彼女の飼い主の周りだけ、火の輪は及んでいない。
けれども、マサヒトはヒステリックな笑い声をあげて、美由の思いこみを否定した。
「冗談言っちゃいけないよ。あたしゃ、こいつがだれより憎いんだ! 何度殺しても殺したりないくらいね。あっさり殺しちゃつまらないから、そうしないんだよ。生かしたまま、一生かけてつぐなわせてやるのさ!」
「そんなのうそ! あなたはそんなことしやしない!!」
なおも言い張る美由に、マサヒトは怒りをぶつけるように床を何度も鞭で打ちつけて怒鳴った。
「うるさいっ!! あたしがどれだけ残酷な女か教えてやる! お前を生かしとく理由はないからね」
炎が渦巻きながら彼女めがけて押し寄せる。
「いい加減にしろ、マサヒト!! もう怒ったぞ! 美由たんを傷つけることは、このぼくが断固として許さないのだっ!!」
ファルコが叫ぶと同時に、絆の剣がまばゆい光を放射した。白く輝く剣はさらに大きさを増し、持ち主の背丈の倍を越えるまでに巨大化した。まるで天狗の団扇のようだ。
ファルコがそれを振り下ろすと、すさまじい突風が巻き起こり、見る見るうちに二人の周囲から激しい炎を吹き消していく。
あおられた炎は逆にマサヒトのほうに押し返されてきた。さっきまで炎に巻かれながらやけど一つ負わなかった彼女が、激しい炎熱を避けようと悲鳴をあげながら逃げ惑う。
「ひぃっ!」
ひときわ大きな炎のかたまりが彼女を飲みこもうとした。
ファルコが剣をもう一振りする。竜巻のような猛烈な風が吹き荒れた。身をかがめていないと体ごと飛ばされてしまいそうだ。フロア中の火が一瞬のうちに鎮まる。さっきまで炎の海と化していたのがうそのように。
「そ、そんなバカな……怨嗟の炎が消されちまうなんて……」
唖然として首を振るマサヒトに、ファルコが最後通牒を突きつける。
「降参するのだ、マサヒト! もう勝負はついたのだ。女王様ごっこはおしまいなのだ。自分が間違っていたと認めるのだ!」
「ふざけるんじゃないよ! だれがそんなこと認めるもんか! 戦いはまだ終わっちゃいないよ!!」
大きな目に悔し涙を浮かべつつ、マサヒトは怨嗟の鞭をメチャクチャに振り回しながらファルコめがけて突っこんできた。
「こりないやつなのだ!」
受けて立とうと通常サイズに戻った絆の剣を構えるファルコ。激情に任せて鞭を振るうだけのマサヒトの攻撃はもはや通用しない……はずだったのだが──
「お、おかしいのだ、なんか調子が出ないのだ」
手にした絆の剣は次第に重くなり、輝きも鈍くなっていく。このフロアに到達するまでの間、ジェイクやテツとともに無数のモンスターを相手に大立ち回りを演じ、ついさっき怨嗟の炎をみごとに打ち払った力が、なぜかいまはしぼり出せない。自分の身を守るのが精いっぱいだ。
「うわっ!」
ついに彼は盾の大剣を弾かれてしまった。
ここぞとばかりマサヒトが怨嗟の鞭をうならせる。ファルコはなすすべもなく黒い鞭に身を切り刻まれていった。
「うぎゃあああっ!!」
「ファルコォ!!」
美由がおろおろしながら悲痛な叫び声をあげる。
「安心おし。こいつに打たれても血は出やしないから。痛みはただの鞭の倍感じるけどね、ヒヒ」
背を丸めてうずくまるファルコを、マサヒトの鞭は容赦なくさいなもうとする。
「やめてぇーっ!!」
美由がマサヒトとファルコの間に飛び出し、両手を大きく広げて遮った。
「やめてだって? 言葉づかいがなってないね、小娘。もう一度言い直しなよ」
「や、やめてください、女王様……」
彼女は身を震わせながらひざまずいた。
「ヒーヒッヒ、気分がいいねえ。よおし、あいつの代わりにたったいまからあんたがあたしの奴隷だよ。さっそく芸をしてごらん。おまわり!」
美由は言われたとおり、四つんばいの格好でその場を一周し始めた。
「もっときびきびやんな!」
鞭が飛ぶ。
「痛い!」
美由は悲鳴をあげて床に伏した。ファルコが苦しげに抗議する。
「や、やめるのだ……!」
「フン、おまわりも満足にできないようじゃ話にならないね。お仕置きに百たたきだよ!」
容赦ない鞭の嵐が美由を襲った。
「あぐぅ!」
「美由たん……!」
目の前で美由が苦痛に身をよじっている。ファルコは歯ぎしりしながら必死で身を起こそうとするが、自らもあまりの痛みに動くことすらできない。
「うう……ごめんなさい、私のために……」
すすり泣きを交えてうめくように言ったのは、マサヒトの飼い主だった。
歯を食いしばって痛みをこらえていた美由は、静かに首を横に振った。
「ううん、違うの。あなたのためじゃないの……。私がこの子を助けられなかったから……毎日こんなに痛い思いをして、助けてって泣き叫んでたのに、何もしてあげられなかったから……」
そう……想いを伝える絆の剣が力を失ったのは、美由自身のマサヒトに対する罪悪感のせいだった。
だが、マサヒトはさらに怒りを爆発させた。
「知ったような口をきくんじゃないよ、小娘!!」
逆上したマサヒトは、鞭を思い切り振り上げて激しく何度も美由をたたいた。
そのとき、マサヒトの飼い主がゆっくりと進み出てくると、美由をかばって彼女の前に両手をついた。
「待って……私が悪かったわ……。あなたのこと、何も考えてなかったの……あなたも一つの命だってこと……自分自身を生きてるってこと……わかってなかったの……。ごめんなさい……。だから、責めるのなら、この子じゃなくて私を責めて……」
「お前が? お前がこのあたしに謝るってのかい!? フ、フフ……アハハハハッ! イーヒヒヒッ!」
マサヒトは涙を流して狂ったように笑い転げた。
「いい覚悟だ……あたしの恨み、受けてみなっ!!」
一度、二度、三度──そして、四度目に飼い主の女性を打ち据えたとき──不意に怨嗟の鞭はボロボロになって砕けた。
「うそっ!?」
マサヒトは茫然とその場に立ちすくんだ。うつむいて低い声でつぶやく。
「うそだよ……あたしの恨み、憎しみ、怒り、まだ消えてないよ……こんなはずないよ……こんなもんで消えるはず……」
うずくまって嗚咽を漏らすマサヒトにひざでにじり寄ると、煙突女さんはそっと彼女の肩を抱きかかえた。
マサヒトはもう抵抗しなかった。彼女の腕の中で、ただ静かに泣き続けた。
ファルコと美由の目が合う。二人はにっこりと微笑みを交わした。