「みんニャの意識を戻すのに代償を払う必要はニャイはず。でニャければ、後からここへ来たイヌたちの意識まで奪えるのは筋が通らニャイ。それに、質量なら十分残ってるでしょ? この御殿がそうニャンだもの」
スニッターは苦々しげに彼女のほうを一瞥した。
「やれやれ……私に干渉するのがそんなに楽しいのか? フィルサよ」
「何も楽しくニャンかニャイわよ。あたいは自分の大切ニャものを護りたいだけ」
彼はミオを無視して悠美に話を向けた。
「悠美……先ほどの話の返答を聞きたいのだが」
「スニッター……私の返事はさっきも話したとおりよ。この先も変わることはないわ。私と一緒に暮らそう。私と、ジェイクと、三人で。だから、お願い、みんなを元に戻してほしいの」
「何ですって!?」
ジェイクが顔を真っ赤にして悠美を振り向く。
「さっきの話、聞いたでしょう? 彼は五年間ずっとここに閉じこめられて、一人ぼっちで辛い目にあってたのよ? あなたのお兄さんみたいなものなんだし、いいじゃない?」
「しかし、ですな……」
「お願いよ、ジェイク」
悠美は両手でジェイクの大きな白い手を包むようにして哀願した。
「わ、わかりました。マスターがどうしてもとおっしゃるのなら……」
ジェイクはやっと折れたが、相当渋い顔だ。
だが、スニッターのほうは首を縦に振らなかった。
「私は認めないぞ、悠美。ローフは五年もそなたを独占してきたのだ。今度は私の番だ」
「スニッター……。あなたもそんなわがまま言わないで。私とジェイクは、決して離れないわ。どんなことがあっても」
「悠美、話したろう? そなたには私と同じ、いや、それ以上の力が眠っているのだ。私ならそれを開花させてやれる。二人で無辺の宇宙を渉猟しよう。真理を探究しよう。この星を新しく生まれ変わらせるのだ。あの彗星はそのためにとってあるのだ。二人だけの世界を築こう。そして、新しい世代を送り出そう」
「スニッター。みんなを戻して」
悠美が語気を強める。
「悠美、なぜ私を拒むのだ!?」
「拒んでないわ。あなたが、ジェイクや、ヒロや、みんなを拒んでるんでしょう?」
ミオがそこで悠美を押しとどめ、うんざりした口調で言った。
「そんニャわからず屋、もうほっときニャさいよ。他の連中の目を覚ますのは、あたいとクロスケでニャンとかするから」
スニッターはがっくりと肩を落とし、老人のように背を丸めて部屋を横切っていった。
「……同族たちはせっかく力を授けてやったのに私に逆らった。マサヒトもアレックスもクン=アヌンも役立たずだった。ローフとフィルサは私のじゃまばかりする。悠美……そなただけは、私の真の理解者、真の友になってくれると思っていたのに……。だが、もういい……」
展望窓の前で一同を振り返る。
「そなたらに彗星はやらん。あれは私が、私自身の目的のために召喚したのだからな」
不意に地響きが鳴り響いたかと思うと、床に無数のひび割れができた。その割れ目から、腐臭とともにドロドロした液体が染み出してくる。
俺たちの目の前で、それらのうごめく細胞のかたまりがスニッターの全身をおおっていった。
スニッターの頭の包帯がするりとほどける。中からむき出しの脳が現れた。その下から血走った目が俺たちをにらみつける。
《彗星は私のものだ。そして、悠美も》
「きゃあああっ!!」
悠美が悲鳴をあげる。
スニッターの変貌に気を取られている間に、彼女はいつのまにか培養細胞の群れにとりまかれていた。
「マスターッ!!」
ジェイクが無我夢中で絆の剣を振るって、悠美を助け出そうと試みるが、その間に彼女の身体は高々と持ち上げられ、変貌したスニッターのもとへと運ばれてしまった。
彼はさっきのシャーペイに似た巨大なバケモノと一体化していた。体長は三メートルどころか一〇メートル近く、展望窓をおおい隠さんばかりだ。スニッター本人の体は、巨大なバケモノ犬のちょうど額のあたりに上半身だけ突き出している格好だ。まるで巨大ロボットを操縦しているようにも見える。
肉塊が伸びてできた触手につかまれた悠美の体が、グロテスクな怪物の胸もとに埋めこまれる。
「い……やぁ……」
「悠美っ!!」
「やめろ、スニッター!!」
囚われの悠美を前に、俺もジェイクも狼狽しながら叫んだ。
「血迷ったの、スニッター!? 元に戻れニャくニャるわよ!?」
《かまわんさ。われわれ二人以外にだれもいなくなれば、容姿を気にしたとて始まるまい》
そのとき、背後で足音がした。
「げっ、何だありゃ!?」
「きゃああっ、悠美ちゃん!?」
拓也たちが駆けつけてくれたのだ。悠美とバケモノの姿を見て、みな悲鳴をあげる。だが、ひるんでいる場合じゃなかった。
ミオが号令をかける。
「かかるわよ、三獣使!」
「マスターを傷つけないように頼む!」
「おう!」
「合点承知なのだ!」
三獣使+ミオが、絆の剣を手にいっせいに躍りかかる。
《OHHHHH!》
四人の攻撃を受け、怪物犬はすさまじい咆哮をあげた。
巨犬の動作は緩慢で避けるのはたやすかったが、破壊力はあなどれない。怒り狂ったゾウさながらに床の上の椅子を蹴散らしていく。踏み潰された椅子は物の見事にペチャンコだ。足を下ろすたびにズチャッと音がして、肉片が四方に飛び散る。
猫ならではのトリッキーな動きで、ミオがスニッターの操縦する巨大なモンスター犬を誘導する。怪物犬はホールの中央で四人に取り囲まれる形になった。続いて、ジェイクが囮役を引き受け、敵の注意を引きつける。巨犬の動きに隙ができた。
「いまよ!」
側面に位置した後の二人に、ミオが目配せする。
「おいらの必殺剣、見せてやるぜ! 柴犬流、バッテ……じゃなかった、エックス斬り!!」
「言い直したら余計かっこ悪いだろ……」
隣で拓也のやつがなんか頭を抱えてる。
「うわあ、かっくいいですぅ! ファルコも必殺技でガンガンいっちゃえぇーっ!」
「美由たん、名前付けてよ!」
「ええっとぉ、ううんとぉ、じゃあ、ファルコ印ろう桜吹雪スペシャルゥ!!」
「よおし、それでいくのだ! くらえ、ファルコ印ろう桜吹雪スペシャルなのだ!!」
テツの二刀流の必殺剣とファルコの竜巻剣が炸裂する(名称はどちらとも、なんだかなあ……という感じだが)。
《GYAHHHHH!!》
四人のチームプレイが効を奏し、怪物犬の動きが止まった。
「足をねらって!」
ミオが鋭く指示する。
「せいっ!!」
ジェイクが怪物犬の左前足を切り落とした。巨体ががくりと傾く。
続いて、テツとファルコが右側を落とす。
巨大犬の頭が前傾しになった。間髪入れずミオが飛び乗る。
「抵抗をやめて悠美を解放しニャさい。さもニャイと、あんたのこれまでの蓄積、全部パーにニャるわよ」
スニッターの喉もとに絆の剣を突きつけながら、降伏を迫る。
彼は観念したかのように黙して目を伏せたが、不意にかっと目を見開いた。
《悠美はだれにも渡さんっ!!》
再び震動が起こった。今度はパレス全体が倒壊するんじゃないかと思うほど激しい揺れだ。足場がくずれたため、ミオもいったん床に飛び降りざるをえなかった。
スニッターと悠美を乗せた怪物がゆらりと身を起こす。もはやイヌらしい原型はとどめていない。アメーバのような不定形の巨大な肉塊だ。
「ヒロくん、見て!!」
佳世の声に周囲を見回すと、いつのまにか、この展望室の壁や床がドロドロに溶け始めていた。大きな窓と天井まで。靴の裏がまるでガムを踏んづけたみたいになる。
それらのネバネバがみんなバケモノのほうに向かって凝集していく。スニッターは、彼のにわか作りの宮殿、すなわち彗星そのものを怪物の巨体に取りこもうとしていた。
「まずい……」
ミオが低くつぶやく。
《悠美HA……私NO……モノ……DA……》
スニッターの体はもう巨大なバケモノの体と完全に癒合してしまっていた。
「く……ああ……」
悠美もまた、肉塊の中に埋もれて見えなくなっていく。
「マスターッ!!」
ジェイクが絶叫する。
「くっそお!」
「どうすればいいのだ!?」
テツとファルコは剣をめったやたらに振り回していたが、周りのものを次々と飲みこみ、ふくれあがっていく怪物の前では、蟷螂の斧に等しかった。
俺たち人間の四人は、粘液の海に飲みこまれないよう身を寄せ合いながら、オロオロするばかりだ。
「クロスケ! あんたにすべてを託すわ。あたいたち最初の三匹の中で潜在的ニャESP能力がいちばん高いのはあんたニャの。ちょっと荒っぽいやり方だけど、時間がニャイから辛抱してちょうだい!」
言うや否や、ミオはいきなり手にしたサーベルでジェイクの額を貫いた。
「くっ……!!」
ジェイクが額を押さえてうめきながらひざをつく。
さすがに俺たちも仰天した。
「ミオちゃん、何を──」
「いや、大丈夫だ。わかった……そうか……」
ジェイクはゆっくり身を起こした。いまの一突きは、どうやら彼の内に眠るESPを触発するためだったようだ。
絆の剣を構え、もはや人格の名残もとどめない巨大な怪物と化したスニッターをじっと見据える。
悠美は怪物の中央、顔だけがかろうじて見えている状態だ。
「みんニャ! 絆の力をクロスケへ!!」
ミオの指示に、ファルコと美由、テツと拓也がそれぞれの絆の剣に両手を重ね、目をつぶって必死に祈る。
ミオが隣にやってきた。俺も彼女と手を重ねる。
ジェイクの絆の剣が、それが誕生したときのように強烈な輝きを放ちだす。彼自身の体も、全身にオーラをまとっているかのようだ。近くにいるだけでピリピリした空気が伝わってくるほど、極度の精神集中状態にあるのがわかる。
次の彼の一撃に、すべてがかかっていた。
「ぬおおおおおっ!!」
ジェイクは全身から闘気をほとばしらせながら、犬神の成れの果ての頭頂部めがけて一気に跳躍した。脳天に絆の剣を突き立てる。
その瞬間、まるで太陽に飛びこんだかと思うほどの、すさまじい光の爆発が起こった。