「朋也!」
千里がひそひそ声で呼び袖を引っ張る。ジュディも前方を凝視していた。
真っ暗だと思っていた森の中に何か淡い光が見える。色のパターンをゆっくり変えながらふわふわと宙を舞う人魂のような光。あれは……そう、雑木林で見た羽の持ち主に違いない。
光る羽は今、朋也たちのいる場所へ近づいてきた。その姿かたちが見て取れるようになるのと、〝彼女〟が静止するのと、ほとんど同時だった。
そう、確かに彼女はヒトの女性の姿をしていた──羽と触覚を除いては。体長は7、80センチくらいか。光る羽のサイズはそれより一回り大きい。鮮やかな羽の色彩は、タマムシやトリバネアゲハなどの昆虫が持つ構造色に加え、自ら色とりどりの蛍光を発しているようにも見えた。まさしく童話に出てくるフェアリそのままだ。
「ひゃあぁぁっ!!」
向こうもこちらを発見したのだろう。素っ頓狂な叫び声をあげてそばにあった木の裏に身を隠す。羽の色が激しく明滅している。あんな目立つ羽を持っていては、頭隠して何とやらだが。
彼女もそれは解っていたのか、それとも好奇心に突き動かされたのか、恐る恐る顔を出して3人の方をマジマジと見つめた。
「あのぉ~~、あなたたちはひょっとしてニンゲンですかぁ~??」
まさか今の台詞がこの世界の「コンバンワ」にあたるわけじゃあるまい。地球語(というより日本語)がしゃべれるのか!? 千里も目を丸くしている。
「朋也、ちょっとほっぺた貸して!」
言うが早いか、手が伸びてきて彼の頬を思いっきりつねる。
「あだだだっ! 何すんだ、こらっ!」
「やっぱり夢じゃないわね。早く覚めて欲しかったんだけど」
千里は悪びれたふうもなく言ってのけた。
「そういうことは自分でやれよ!」
じゃないと意味ないじゃん──という朋也の抗議も無視し、その羽の生えた小さな女性に向かって千里は話しかけた。
「あなた、私たちの言葉がわかるの!?」
「もちろんだよぉ。ここじゃコミュニケーションは統一されてるからぁ~」
? 言葉はわかっても意味が不明だな。だが、説明もせずそのまま彼女は続ける。
「それにしても、おっかしいなぁ~?? どぉしてあなたたちニンゲンがエデンにぃ。ゲートが壊れちゃったのかしらぁ? ……ああぁ~っ、ワンくんがいるぅ!!」
空飛ぶ女の子は、そこでやっとジュディに気づいたらしかった。彼女も先刻の化け物のときとは打って変わっておとなしくしていたのだが。
と、千里が制止する間もなく、彼女はジュディに近寄っていった。目線に合わせて高度を下げ、ゆっくり等速で、斜めに回り込むようにしながら彼女の前まで来ると、触っただけで折れそうな細い手でそっと喉元をさすった。
ジュディが小さな手をペロリとなめる。彼女は人見知りする方ではないが、かといって見ず知らずの他人にも愛想よく尻尾を振る八方美人でもない。それでも、羽の生えた女の子の挨拶の作法は十分合格点だったようだ。彼女のサイズからすれば、中型犬のジュディもセントバーナードより巨大に見えるに違いない。よその家の大型犬にいきなり近づくのは、朋也でもおいそれとはできない。してみると、相当場数を踏んでいるのだろう。
千里はその間ぽかんと口を開けていたが、イヌの扱いを十分心得ている相手と知ったリラックス効果は彼女に対しての方が高かったようで、緊張が解けたのがはっきりわかった。
「ぼくちゃん、いい子ですねぇ~♪ お名前はなんていうのかなぁ?」
「フフ、ジュディっていうのよ。男勝りでわんぱくだけど、一応女の子なんだ」
「あ、ホントだねぇ~。レディーに対して失礼なこと言っちゃったぁ~。ごめんねぇ~、ジュディ~。でもぉ、元気なのはいいことだよねぇ~♪」
「ワン♪」
異常なシチュエーションなのに、ジュディを中心にごく当たり前のように和んでいる。女3人寄ればなんとやらだな。
せっかくの場の雰囲気に水を差すのは本意ではないが、朋也としては彼女に説明してもらいたいことが山ほどある。大体、動物誘拐犯の嫌疑は晴れたわけではない。意思疎通に問題ないのでこの際手間が省けたと考え(それ自体大きな疑問ではあるけれど)、朋也は軽く深呼吸すると一気に質問をぶつけた。
「君は一体何者だ!? ここは一体どこだ!? さっきのやつは一体何なんだ!? ネコやイヌたちをどこへやった!? ミオは今──」
「ちょ、ちょっと待ってぇー! そんないっぺんに訊かれても答えらんないよぉ~」
その羽の生えたちっぽけな女の子は朋也の前まで来ると、キンキンと耳に響く高い声で彼を押しとどめた。
「やっぱりこーゆーのは手順を踏まなくっちゃぁ~。まずは自己紹介からねぇ~♪」
主導権をすっかり握られてしまい面白くなさそうな朋也に代わり、千里が面子を紹介する。
「私は千里、この子は今も言ったけどジュディよ。それが朋也」
〝この子〟に〝それ〟かい……。
「あたしはぁ、マーヤっていうのぉ~。見てのとおりぃ──」
そこで指を唇に当てて考え込むと、全身をクルクルと見せびらかすようにして茶目っ気たっぷりに尋ねる。
「ねぇねぇ、あたし何に見えるぅ~?」