ビスタとモルグルで出会ったあのカラス族の女性だ。名前は、確かリルケだったっけ? 鳥は夜目が効かないんじゃないのかな? まあ、最近の都会のカラスは真夜中でもギャーギャー騒いでるけど。
朋也は涙を拭うと彼女を振り返った。
「やあ、君か……」
リルケは手すりの縁に立ったまま、目を細めて朋也をじっと見下ろしている。顔色は読めなかったが、これまで会ったときのような冷ややかな表情は気の所為か少し緩んでいるように見えた。彼に対する憐れみなのか、それとも蔑みなのか。
「別に……ただ悲しかったから泣いてただけだよ。俺が泣いちゃいけないってことはないだろ? それより、何か用?」
口にしてから思い出した。この女性は自分たちの行動を度々妨害してくれたんだよな。
「……ひょっとして、また俺たちの邪魔をしに来たのか? それとも、俺の命でも狙いに来たのかい?」
身構えながら尋ねる。
「いや、もうその必要はなくなった。それに、今はたまたまお前の姿を見かけたから声をかけたまでだ」
へえ……通りすがりに声をかけてくるなんて、どういう風の吹き回しだろう? これまでの彼女の態度から考えると何だかピンと来ないな。事務的な口調は相変わらずだけど。
「必要なくなったって、どういうことだ? そもそも、何で俺たちのことを狙ったんだい?」
「調整さ」
リルケは首をすくめて一言だけ答えた。
「調整??」
オウム返しに訊き返す。何のこっちゃ?
「それ以上のことを教える気はない」
キッパリ言ってくれる。
「……用がないなら、俺はもう下に降りるよ」
何も教えてくれないんじゃ、しょうがないよな。休戦を宣言しても敵には変わりないようだし……。朋也がその場を離れようとすると、リルケは「待て」と呼び止めた。
仕方なく立ち止まって振り向く。彼女はなぜか最初の質問を繰り返した。
「なぜ泣いていたんだ? 同族の女を取り戻して、それで満足じゃなかったのか? 悲しかった? 何がだ? 紅玉が手に入らなかったことか?」
……自分は名前以外のことを一切明かそうとしないくせに、ミオに似てかなり傍若無人なやつだな。なんて言ったら彼女に「鳥の足と一緒にするニャ!」って怒鳴られそうだけど。
「紅玉を手に入れるだって!? ベスの言ってたことか? だったら、生憎だけど、そんなもんには最初から興味ないよ。トラの望みがかなえられなかったのは残念だけど……。俺を先祖と一緒にしないでくれよな。まあ、別に信じてもらわなくたって結構だけどね……」
「先祖とは違う、か……。お前は異なる種族の者たちのために涙を流していたというのか?」
「君の好きなように想像すればいいだろ」
きっとにらみつける。しつこいな。朋也はだんだん腹が立ってきた。だが、彼の投げやりな返事にも関わらず、リルケはまだ会話を打ち切ろうとしなかった。
「ビスタでもお前はネコを被っているものと思っていたが。異種族を手なずけることには長けているようだしな」
またそんなこと言って……この場にミオがいなくてよかった。ともかく、こうなったら彼女が納得するまで話を続けることに朋也は決めた。彼女が自分のほうから話しかけてくれる機会なんて滅多になさそうだし。半分は口ゲンカに近かったけど。
「俺も千里も、ミオやジュディを手なずけたつもりはないよ。一緒にいたいからいるだけだ。マーヤやクルルとだってそうさ。大体、どんな種族が相手だろうと、お互いの信頼ってのはそんなに簡単に手に入るものじゃないと思うけど?」
「そうとは限らないぞ? お前たちの種族には、命や自由を奪うことに頓着しなくても技術にだけは長けた輩がいくらでもいて、無垢な者たちの信頼を利用し続けているではないか。私にはよくわかっている。何しろ、あの世界にいたのだからな」
少し黙って考え込んだ末、朋也は渋々認めざるを得なかった。癪だけど、彼女に正論を持ち出されると、立場上反論できなくなる。まあ、技術っていやあニンゲン同士でも同じことだけどな……。結局、俺と彼女たちとの絆が胸を張れるものかどうかは、自分自身の心に問うてみるしかないのだろう。彼女にそれを解ってもらえないのは寂しい気がするけど……。
「君の言うとおりかもしれない……。でも、ともかく俺たちは違う。証明はできない。君に信じてもらえないのは残念だけど、しょうがない。まだこんな問答を続けるのかい?」
そこで初めて、彼女は困ったような顔をした。
「……信じないとは、言ってない」
おや? 今度は朋也が首をかしげる番だった。
「信じるとも言ってないがな」
……。続けて彼女は、少し躊躇するような素振りを見せてから切り出した。
「私がなぜエデンに来たのか、話を聞く気はあるか?」