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フィル: ++

「いいよ、そんな謝らないでよ。フィルの話はとってもためになるし、俺も頭悪ィから解んないとこもあるけど、聞いてるだけでも楽しいから……。それにしても、フィルって本当に物知りだなあ。俺が自慢できる知識はネコの生態くらいだよ、アハハ♪」
 朋也は気兼ねする必要はないとフィルに請け合った。まあ、聞いてるだけの部分が半分以上あったけど……。
「ウフフ、それは私もぜひうかがってみたいですね」
 口元に手を当てるいつもの微笑みを見せる。朋也と知り合うまで笑うところを見せたことがないというのが信じられないくらい、今では彼女の素顔の1つになっていた。
「でも、よかった。私も……朋也さんとお話ししているととても楽しいです……」
 目を細めて朋也の横顔を見つめる。
「ネコの話もいいけど、せっかくだからフィルの話の続きが聞きたいな。まだ眠くない?」
「ええ、私は大丈夫です。朋也さんにそうおっしゃっていただけるなら──」
 そう前置きして、淀みなく話を先へ進める。
「私たち植物の個体の境界があなたたち動物のそれに比べて不明瞭なのは、繁殖の仕方の差異によるところもあるかもしれません。具体的には、〝性〟の存在……」
「せ、性?」
「私たち植物にとって、有性生殖は子孫を増やす数ある方法のうちのオプションの1つにすぎません。もちろん、遺伝子の交配が起きる点で重要ではありますが……。自家受粉や栄養体による増殖の方がむしろ一般的ともいえます。また一方で、類縁関係の離れた種族の間同士でも交配が頻繁に起こり得るという特徴もあります。あなたたちの場合は、男性と女性という2つの明確に異なるタイプの個体が協力して子孫をもうけるのが普通。それに、個体同士が配偶者として結ばれるその関係にもさまざまなバリエーションがありますし、同性・異性間での競争や儀式的行動のような非常に複雑な社会的手続きが踏まれるでしょう。その傍らで、個体が両性を備える種族は少数派ですし、無性での生殖も例外的なケースですよね? そうした性と繁殖のスタイルというものが……ですから、両性の間で……」
 いきなりキワドイキーワードが出てきたため、居住いを正した朋也だったが、熱っぽく話してる本人は至ってまじめなつもりのようだ。まあ、生物の授業でも生殖・繁殖に関する事項はテストに出てくる必須項目だしな……。それでも、女の子の口からその単語が口に出されるだけで、真面目に聞こうと努力してもどうしても胸がドキドキしてしまうのは若い男の子の〝性(サガ)〟だった……。
「──〝性〟は進化の原動力……そもそも性が存在していなかったら、動物と植物との違いさえ生まれなかったでしょう。それは、安定性と変化への適応という、一見矛盾する2つの課題に対する大変優れた解答だったんです。生産者と消費者という立場や、競争と共存のバランスの相違もあって、私たちが繁殖のスタイルをより柔軟に発展させていったのに対し、あなた方はオーソドックスな2つの性による生殖によりこだわってきたといえるのでしょう。でも……あなたたち動物が持つ奥の深い社会や豊かな感情表現には、きっと2つの性の存在とその相克が大きく関わっているのではないでしょうか? 共通の遺伝子セットをもつ自身の分身をいくらでも殖やすことができると、生命のかけがえのなさを実感するのは難しいものです。もし、性がなかったら……自分以外の誰かを労わったり、新しく生まれた生命を愛しく思ったり、1つ1つの生命を大切に思う気持ちも芽生えなかったんじゃないかしら? 私、皆さんの相手を思いやる心について森の樹々たちに説明しているんですが、未だになかなか解ってもらえなくて……」
「なるほど……。男と女がいるから、思いやりや優しさも生まれたっていうんだね?」
 そんなふうに考えたことはなかったなあ──いつのまにか朋也はドキドキも忘れて彼女の説に惹きこまれていた。
「ううん、でも……ニンゲンは動物の中で一番スケベだっていうけど、思いやりの方はそうとも思えないなあ」
 イルカやボノボもスケベ度は高いって話だが、思いやりのほうもニンゲンよりはありそうだしな。
「そんなことありませんよ。朋也さんのように、ニンゲンばかりでなく他の動物や草木にも優しい人だっているじゃありませんか」
 気恥ずかしさを誤魔化すように、後ろ手を組んで頭上を見上げる。
「フィルにそう言ってもらえるのは光栄だけど、俺も聖人じゃないからなあ……。まあ、クルルくらい純真なニンゲンが大勢いれば、向こうの世界もだいぶマシだったろうとは思うけどね。そういうフィルだって、人一倍みんなに気を遣ってくれるじゃないか? 俺なんかよりよっぽど人を思いやる気持ちを持ってると思うけどな」
 朋也に指摘されると、フィルはじっと焚き火を見ながら神妙な面持ちでつぶやいた。
「私は……動物の感情や心を研究して……それを真似ているだけですから……」
「でも、うわべだけ気を遣ってるふりをしても、本当に気持ちがこもってなきゃ相手にはわかっちゃうもんだよ? フィルの場合、動物の気持ちを理解したいっていう〝気持ち〟はビンビンに伝わってくるんだから、心がないっていう方が信じられないよ。世の中には心があるはずなのに〝心ない〟ニンゲンだって山ほどいるし、個人によって物の見方や感じ方、考え方は千差万別なんだから、他の種族に心や感情があるかどうか、それが自分たちと同じものかどうかなんて議論はそもそも無意味なんだと思うよ? だって、心は理屈じゃないんだもの……」
 再び朋也のほうを向き直り、にっこりと微笑む。
「なるほど……私、また1つ朋也さんに教えていただきましたわ」
「アハハ、俺なんかでもフィルに教えられることがあるんだな」
「もう1つ、訊いてもいいですか?」
「何だい?」
 フィルはそこでためらいがちに切り出した。
「……あの……人を好きになる時の気持ちって、どんな感じですか? 私にも理解することは可能だと思いますか?」


*選択肢    別に難しくない    やっぱり難しい

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