「思い出したよ!! 君は、5年前の夏に──」
そう、〝彼女〟とは確かに面識があった。中1の夏、臨海学校で訪れた海でのことだ。
彼女はいけすの中に閉じ込められていた。たまたま迷い込んだのか、追い立てられたのか、理由はよく覚えていない。ただあのとき、このままだと水族館に移送されると聞いた朋也は、夜中に彼女のことが気になって仕方がなくなり、旅館を脱け出すと網を切って逃がしに行ったのだった。
イルカのことは本で読んだくらいで特に興味があったわけではない。ただ、1日のうちに軽く数十キロの距離を移動し、光に代わって音で世界を感知する彼らにとって、狭いプールに閉じ込められるのは拷問にも等しいと聞いたことがある。ニンゲンでいえば、四方の壁をピンク1色に塗られた4畳半の部屋に一生閉じ込められるようなものだろう。また、移送時を除いて順応さえできれば生活を保障される陸上の野生動物は動物園のほうが寿命が延びる(その代わりぐーたらになる)というが、イルカの仲間に限っては平均寿命が野生状態に比べて著しく縮むとも。さらに群れから隔離されることで言葉を失いバカになるという話もある……。おそらくイルカは、〝自由〟という言葉が最も似つかわしい動物なのだと、彼はそう思っていた。
人のいない隙を見計らっていけすに近づいた朋也が、外界への出口を開いてやると、彼女は1メートルほどの距離に近寄ってきた。彼女は別に芸を見せてくれたわけでも、身体に触れさせてくれたわけでもなく、ただ優しい切れ長の真っ黒い瞳でじっと自分を見つめただけだった。はたして外の世界で彼女が生き続けることができるのか、また迷い込んだりしないか、彼にはわからなかったが、彼女の目を見た瞬間、自分は間違ったことをしていないという確信だけは持てた。
翌日には自分のやったことがばれ、危うく警察&新聞沙汰になるところだったが、まだ未成年ということで先生や街の関係者にこっぴどく叱られただけで何とか事なきを得たのだった。
「あなたが私を自由にしてくれたこと、本当に感謝してるわ……」
水面下で再び人魚の姿に〝変身〟すると、彼女は言った。
「いや……ともかく、無事でよかった。でも、まさか君がエデンに来てるなんて思わなかったよ」
朋也は照れながら答えた。
「私もあなたにこっちで会えるとは思わなかったわ。あ、そうそう、私の名前はニーナっていうの。覚えておいてね♪」
「わかったよ、ニーナ。それにしても……」
ちらっと海中をのぞいてみると、暗くてはっきりとは見えないが、変身後も彼女の下半身はさっきと変わっていない。要するに、見たまんま人魚そのものだ。イルカだからウロコはないし尾ビレは水平だけど。前駆形態に変身できるというのも不思議だが、今の状態は成熟形態モードといえるのだろうか? それとも足が生えてきたりするのかな?
その辺を尋ねると、ニーナは笑いながら説明してくれた。それによれば、彼女たちバンドウイルカ族は実は成熟形態の文明に参加しておらず、彼女はいわばパイロット的な存在なのだという。当然足は生えない。ニンゲンの文明はエデンから派生したものであり、ベースとなる基準はキマイラたち3神獣や各種族の守護神獣が指定したものだ。モノスフィアではそれがとことん歪んでしまってはいるが……。その点に関して、イルカたちの種族は価値観の共有に難があるため、模様眺めの状態らしかった。イカ族の成熟形態はいるのにな。
そこまで話してから、ニーナはいよいよ本題に入った。
「実は、今夜あなたを招いたのは、5年前のお礼をしたかったのもあるのだけれど……他でもない朋也にアニムスと世界についての真実を知って欲しかったの。これからあなたを蒼玉のもとに案内するわ」
「蒼玉!? っていうと、誰も在り処を知らないっていう第3のアニムスか!?」
そうか、蒼玉のアニムスは海中に存在したのか。それじゃあ陸上の種族は誰も知らないわけだな。
「だけど、俺たち今、それどころじゃなあ……」
腕組みをして悩む朋也に、ニーナが話を続ける。
「あなたがアニムスをめぐるトラブルに巻き込まれているのは知ってるわ。でも、蒼玉にはもっと重大な秘密が隠されてるの。世界の根幹に関わる秘密が。蒼玉さえあれば、世界を救うことも、破滅に導くこともできる……すべては、あなた次第……」