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「リルケッ!?」
 そう……アニムスの前にひざまずいていたのは彼女だった。カイトにやられて折れた羽も傷だらけの身体も、神殿の入口で会ったときのままだ。妖精を呼んでちゃんと手当てしてもらえって言ったのに……。リルケは、そのズタボロの身体で自らの残りの魔力をルビーのアニムスに注ぎ込んでいた──
「朋也! 彼女を止めニャイと!!」
 ミオが叫ぶ。朋也は黙ってゆっくり彼女のほうへ近づいていった。仲間たちも後に続く。リルケ……最後の障害がまさか君だなんて……君と戦わずに済んでホッとしたと思っていたのに……。
 リルケは魔力をじかに注入していた手を休めてこちらを振り向いた。
「そうか……来たのはお前のほうだったか……」
 眉をひそめる朋也に向かって続ける。
「カイトにしろ、お前たちにしろ、キマイラのあの身体では阻止できないことはわかっていた。お前たちへの説得も効を奏しないだろうとな──奴は論外にしても。モノスフィアだけでも残る分、生き残ったのがお前たちだったのは世界にとってはマシだったのかもしれないが……私はここでお前と顔を合わせたくはなかったよ……」
 そして、これ以上先に進ませまいとするようにアニムスの前に立ちはだかる。朋也は何とか話し合いで交渉しようと試みた。
「リルケ……事情はキマイラに聞いてわかっているつもりだ。ここで紅玉を再生させてしまえば、モノスフィアが……俺たちの世界が消滅してしまう! エデンが危機に陥っていることも十分理解している。俺たちは、エデンを救う方法を全力で探し出すつもりだ。残りの人生をすべて賭けてもいい! だから……頼む、猶予を与えてくれないか?」
「私は感情を差し挟むつもりはない。命題をはっきりさせよう。モノスフィアとメタスフィア、どちらを滅ぼし、どちらを救うか、2つに1つだ。私はメタスフィア……このエデンを択る」
 リルケの返事は即答だった。言葉の端々から、迷いが一切ないことがわかる。
「2つとも、救うつもりだ……いや、救ってみせる!」
 自分の言っていることは正しいはずだ。迷いもない……つもりだった。にもかかわらず……彼女の〝正しさ〟の前で歯切れの悪い言い方しかできない自分がもどかしかった。
「どうやってだ? 手段を言え。成功率は?」
「いや……それは、わからない。でも、必ず見つけ出してみせる」
「いつまでにだ? 見つからなかったら、どう責任を取るつもりだ?」
 リルケの詰問口調は問いを重ねるごとに厳しくなっていく。答えがすぐに出てこない。そりゃそうだ。答えなんてないんだから……。
「……少なくとも、俺が生きている間には必ず見つける……」
「質問に答えていないぞ。見つからなかったらどうするのだ? 責任は誰が取る?」
 朋也は黙り込んでしまう。
「朋也! 相手にしニャイほうがいいわよ! そいつは時間を引き延ばそうとしてるだけよ! 日蝕が過ぎるのを待ってんのよ!」
「フッ……」
 ミオの指摘に、リルケは自嘲気味に笑った。
「朋也1人だったら、あるいはそれも可能だったかもしれんな……。まあだが、そんなことは期待しないさ。100パーセント完全とはいかないが、そこの〝鍵の女〟から抽出した魔力に私の分を合わせ、再生が可能なステータスは確保した。後はお前の言うとおり、日蝕が過ぎるまで私がここを護りきれるかどうかだ」
 再び鋭い目つきになって朋也を見据える。
「いいか、朋也……答える必要はない。自分と世界を偽ることのないように、私は真実をお前の前に提示してやるだけだ。これから私の……そしてお前たちのやることはもう選択の余地なく決まっているのだからな……。エデンを救う方法は紅玉を再生させる以外にない。1つもだ。紅玉再生のプロセスを開始し、次元を超えて空間を結ぶ能力を持つ叡智の神獣が見つけられなかったのだ。並の成熟形態の動物に過ぎない私やお前に、それに代わる方法を見つけ、実行できるわけがない。紅玉を再生できなければ、エデンは滅びる。この世界自体が消滅するわけではないが、その住人は生者に代わって死者:モンスターになる。そして、いずれは虚無のみが残る……」
「でも!」
 抗議しようとした朋也を遮る。
「口で言うのは容易いことだ。だが、後になって結局見つかりませんでしたといくら頭を下げて弁明したところで手遅れなのだ。紅玉再生に代わる方法をいま提示できないのなら、2つの世界を両方救ってみせるなどと大言を吐くのは、卑怯者のやることだ」
「なんだと!?」
 ジュディが怒鳴る。リルケはパーティーの他のメンバーを無視して朋也だけに語り続けた。
「……別にお前が卑怯者の嘘つきだと思っているわけではない。わかっているはずだ──お前には責任のとりようなどないことを。そして、繰り返しになるが、エデンを救う方法はもうないのだ。お前たちはキマイラを滅ぼした。この神殿の内部が強力なモンスターの巣窟と化しているのをお前たちは見ただろう? すでにやつらはレゴラスの妖精の半数近くを殺しているのだ。キマイラがいなくなれば、連中はこの日蝕が終わってすぐにでも神殿を脱け出し、街中にあふれ出して住民を襲い始めるだろう。お前たちのせいでエデンの危機はさらに加速されたことになる……」
「そんな!?」
 朋也は愕然として叫んだ。
「う、嘘だよね、そんなの……」
「朋也! だまされちゃ駄目よ!? そんニャのハッタリよ、ハッタリ!」
「で、でもぉ~、あんなモンスターたちが本当にすぐにも街に出てっちゃったら大変なことにぃ……」
「モンスターなんて、ボクが何匹だってやっつけてやるさ!」
「フィ、フィルゥ、あたしたちどうすればいいのかしらぁ??」
「はぁ……私には何とも。神木に連絡をとってみませんと……」
「だぁからあんたたち、惑わされちゃ駄目だって言ってるでしょ!? あの鳥の足の思う壺じゃニャイの!」
 朋也はリルケに思惑があるとは思わなかったが、ミオの言うとおりパーティー内は次第に混乱の様相を呈してきた……。
「あなたの言っていることもわからなくはないわ……。でもね、いま決断するしかないのであれば、私はモノスフィアを消させないほうを択るわ。あっちには私の家族や、友達だっているのよ!? それに何十億のニンゲンも、そしてそれ以外にも何千億ものたくさんの命が生きてるのよ!? 考える時間、探す時間がある限り、どんな不可能なことでも可能性はあるけど、なくなってしまったらもう取り返しがつかないんですもの!!」
 真っすぐリルケの目を見て自分の意見を述べた千里に対し、彼女のほうもそれを正面から受け止める。
「〝鍵の女〟よ。1点についてはまったく矛盾しているが、それ以外はお前の言うことは大体筋が通っているだろう。不可能なことに可能性はない。要は、いま消滅するか、多少の時差を置いて消滅するか、それだけの違いだ。ついでに付け加えれば、モノスフィアはどのみち放っておいても、お前たちニンゲンという種族の手でモンスターの蔓延るのと大差ない世界に様変わりするだろうがな……。もう1度訊くが、お前はエデンとそこに棲むすべての命に対してどうやって責任をとるつもりだ?」
 リルケに迫られ、千里もぐっと言葉に詰まる。
「そ、そんなこと言われても……じゃあ、そういうあなたはどうなのよ? モノスフィアに暮らすたくさんの命に対してどう責任取るつもりなの!?」
「そうニャ、そうニャ!」
 珍しくミオが千里を援護射撃する……。
「いいだろう。取ってやる。私を殺せ。何十億回でも、何千億回でも、私を殺せっ!!」
 そう叫んでリルケは差し出すように傷だらけの羽と両腕を広げた。ずっと冷静だった彼女が、ここで初めて感情を剥き出しにする。敵意──いや、そうじゃない。彼女は、自分の決断が実際にモノスフィアの大勢の命──彼女の前駆形態の同族たちも含め──を奪うことになるのを解っているのだ。そして、本気で自らの命も道連れとして断つ覚悟でいるのだ。エデンを救うために……。何者にも屈しない鋼の意志を込めたリルケの真剣な眼差しに、さすがにみんな怯んでしまう。
「どうした!? お前たちの正義は、お前たちの覚悟は、その程度のものなのか!? どのみち、これ以上話し合いを続けていても無意味だろう。私は、お前たちにアニムスには指1本足りと触れさせないぞ。モノスフィアを救いたければ、まず私を倒してからにしろ!」
 千里はしばらくの間内心の葛藤と戦っていたようだが、時間を気にするようにチラッと天上の黒い太陽を見上げ、意を決して言った。
「……わかったわ。私、愛する人たちを、私たちの世界を護るために、あなたを倒すわ……。その代わり、もし私たちが勝っても、2度と向こうの世界には還らない。エデンに残って、死ぬまでモンスターと戦って、この世界と運命を共にするわ……。それでどう、リルケ?」
「上等だ」
 少し見直したような目で千里を見つめながらうなずく。
 さっきから黙ってずっと2人のやり取りを見守っていた朋也に、千里はちょっとすがめるような目つきで尋ねた。
「朋也はどうするの? 私たちと一緒に戦ってくれるよね? それとも……まさか彼女の味方をするなんて言わないでしょうね!? 私たちの世界を択るか、彼女を択るか、はっきりしてちょうだい!」


*選択肢    世界    彼女

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