周囲の造りはさっきの礁湖の底の入口側と同じだったが、さすがに辺りは真っ暗だ。ゲートの出口からは真っすぐ通路が伸びており、その両側には緑色に輝く炎が柱ごとに揺らめいていた。不思議に思って近くに寄って見てみると、炎だと思っていたのはどうやら夜光虫かウミホタルか、発光性のプランクトンが1ヵ所に吸い寄せられているだけのようだ。道理で熱くないわけだった。
ニーナに率いられながら、通路の奥に向かって進む。海底3マイルか……てことは、この頭上に500気圧もの水の重みがのしかかってるってことだよな? 朋也は極力そのことは考えまいとした……。ヒーカーヒーの加護による空気のウェットスーツは水圧の影響まで調整してくれているようだが。
通路の奥の高さが10メートル近くありそうな扉を開けて中に入ると、雪が降りしきっていた。いや、もちろん海中に雪が降るわけはない。これは……そう、マリンスノー──海中のプランクトンの死骸が降っているのだ。発光プランクトンに照らされた一面の雪のおかげで、玉座の間は部屋の外よりかなり明るかった。
そして、天上がガランと吹き抜けになったホールの中央に、1頭の巨大なクジラがいた。クジラはクジラでも頭でっかちで歯の生えたマッコウクジラだ。それも、いわゆる白鯨だった。暗い玉座の間で、その体色は蛍光を発しているんではないかと思われるほど明るく見えた。突き出た額の真ん中からは鋭い角が真っすぐ伸びている。イッカクという角が生えているように見えるクジラの仲間もいるが、あれは門歯が伸びたものなので全然違う。してみると、クジラに見えるのは見た目だけで、やはり守護神獣の1頭なんだろう。
「うわあ、船より大きなクジラだよっ!」
クルルが感嘆の声を上げる。
「第3の神獣はクジラのお姿をとられているのねぇ~」
同じくマーヤも。
サファイアの神獣レヴィアタンは顔を横に向け、側頭部の真ん中下よりに付いている目で、価踏みするようにじっと朋也の顔を見据えた。
≪はるばるこの海の底までよく来た、朋也よ。余は〝無〟を司る蒼玉を守護する神鯨レヴィアタン。さて、お主がここへ来た目的はもう判っているが、改めてお主の口から聞かせてもらうことにしよう≫
わかってんなら訊くなよ……と言いたくなるのを我慢して、請われるままに蒼玉を求めてここへ来たわけを説明した。
「あんたの同類の神獣でエメラルドを司るキマイラが、俺の友達の千里の身柄を要求してるんだ、人質までとって。どうやら、彼女を使って紅玉を復活させようとしているらしい。でも、俺は彼女の生命に危険が及ぶような真似をさせたくはない。それに、アニムスは確かにエデンにとって必要なのかもしれないが、ルビーの封印が解けたことで生まれた俺たちの世界が、はたしてルビーが再び封印されても無事でいられるかどうかも気がかりだ。かといって、エデンが滅びるのを黙って見過ごすわけにもいかないし……。ニーナに、サファイアには世界を救うカギが隠されてるって聞いたんだけど、もし誰も不幸にならずに済む方法があるのなら、試してみたい。それが、俺がここに来た理由だ!」
そこまで一気に話してから、懐疑心を隠そうともせずに訊き返す。
「……だけど、叡智の神獣のキマイラにも不可能なことが本当にあんたにできるのか? それと、いま〝無〟を司るって言ったけど、一体どういう意味だい??」
しばし間を置いてから神鯨は答えた。
≪……蒼玉の秘密とは、これすなわち宇宙創世の秘密。それをお主は知りたいというのだな? よかろう──≫
──この世が始まる以前、そこにはただ混沌のみがあった
それ以外の如何なるものも存在してはいなかった
天も地も……光も闇も……因も果も……生も死も……
〝存在〟という言葉自体に意味がなかった
そのカオスの海に生じた揺らぎの一つが限りなく無に等しい確率で〝存在〟を得た
秩序をもたらし、安定した時空を産み出した
その時空の種子が成長し、今日の宇宙の姿をとるに至ったのだ
ルビーとエメラルドは世界を構成する秩序の一部として創世後に作られたもの
だが、サファイアは宇宙開闢以前から存在したカオスの一部
あらゆる事象を無より紬ぎだし、無に還すことができる
すなわち、蒼玉こそは全てを司る≪一なるアニムス≫なのだ──
「全てを司る……≪一なるアニムス≫……!」
朋也は気圧されるように神鯨の発した言葉を繰り返した。
レヴィアタンは朋也の目をじっとのぞき込んだ。
≪お主は世界を変えたいと申すか?≫
「……俺に……それができるなら……」
≪サファイアを手にする者には、世界を望むままに変える力が与えられる。歴史を含め抹消することさえ可能だ。その絶大なる影響は残る2つのアニムスの比ではない……。私怨や欲望に駆られた者に渡すわけにはいかぬ。蒼玉を求める者は、それに価する資格の持ち主であるかどうかを評るため厳正なる審査を受けねばならぬ。それが余の役目でもある。その力を行使するにあたっては己に少なからぬ代償を課す覚悟も要る。さあ、朋也よ、今一度尋ねる。お主はサファイアのアニムスを手に入れたいか!?≫