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6 ならず犬レオン




「《ジョニー》! いまからすぐに出かけるよ。今日学校で沙織ちゃんと、《ジョニー》とミスターを引き会わせる約束をしてきたからさ」
 その日、《僕》は帰ってくるなり、上機嫌で僕に向かって言った。
 こいつの顔を立てることになるのはしゃくに触るけど、僕も沙織さんの顔を見たいし、今後のためだと仕方なく腰を上げる。
「あら、ダブルデートなんてイキじゃなぁい。あんたとミスターは男同士だけど……。それなら、あたいもぜひ一緒に見学に行かなくっちゃねぇ♪」
「おいおい、大丈夫かい? 他にも犬がたくさんいるとこに行くんだよ? それに、また迷子になっても知らないぞ?」
 僕がそうたしなめると、彼女はチッチッと長い爪の生えた指を振って言った。
「ノープロブレムよ。ワンコの百匹や二百匹、どぉんと来なさいっての。全然恐くないもの。それに、あんたの家の探索も一通りすんだし、いまはあんたたち二人を観察してるほうがずっと楽しいわ」
「しょうがないなあ。とりあえず僕の毛皮にしがみついて、離さないようにしてよね?」
「オーラァイ♪」
 ジョニーも彼女がついていくことは承知の上らしい。フラウは彼に、フェレット用の小さなハーネスを着けてもらった。
「さあ、準備オーケーよぉ♪ 沙織嬢&ミスターとのファーストミッションに向けて、《ジョニー》号発進!」
 というわけで、三人で公園にダブルデート──もとい、散歩へ出発。
「一応張り紙は出したけど、まだ反応がないし、公園に来る人にこの子のこと聞いてみるのも悪くないかもね」
 みちみち《僕》がそんなことを話す。飼い主が見つかって、この騒々しいフェレットから解放されれば、やっと静かな日常を取り戻せると思う一方で、話し相手がいなくなるのは寂しい気もする。まあ、簡単に見つかるとは思わないけど。
 住宅地の真ん中を走りぬける歩行者用の緑道をしばらく歩いていくと、落ち合い場所の公園が見えてきた。沙織さんの姿はまだ見えない。どうやら僕たちのほうが一足早かったみたいだ。
 僕の住んでいる街には、一面に芝生の生えた広い公園があり、そこは犬の散歩にうってつけの場所だった。いつ訪れても、何匹かの犬たちが一緒に駆け回ったり、飼い主とボール遊びに興じている。本格的なドッグランじゃないけど、ほとんど犬(及び犬好きの人)専用の社交場と化している感じだ。とりわけ夕方のこの時間は、お散歩連れでごった返しているという表現が大げさでないくらい、かなり混雑していた。
 ジョニーの散歩は、志穂姉さんがうちにいるときは姉さん、それ以外はほとんど母さんの役目だった。だから、僕が彼と一緒にこの公園に足を運ぶことは滅多になかった。ジョニーの犬づきあいのリストに、ミスターの名前が載っていなかったのは、散歩に出る時間がズレていたせいだろう。
 その公園の入口に入りかけたところで、道の反対側からこちらへ向かってくる沙織さんの姿が目に入った。隣に連れているのがミスターか。ダルメシアンだけあって、遠くからでもその体はよく目立つ。ダルメシアンってわかるよね? 一応解説しておくと、白地に黒の水玉模様がトレードマークの、ご存じ一〇一匹ワンちゃんの犬種だよ。
「こんにちは、狛井君、ジョニー」
「やあ、沙織ちゃん。この子がミスターだね」
 人間の二人があいさつを交わしている間に、こっちも名刺交換をすませる。
「はじめまして。ジョニーさん。僕、ミスターっていいます。沙織お嬢さんのお宅でお世話になってます。お嬢さんはとてもいい人です。どうぞよろしく」
 ミスターは少しはにかみながら、人の好い笑顔で僕に自己紹介した。名前のとおり紳士的というか、とても気立てのやさしい犬だ。さすがに沙織さんがしつけただけのことはある。
「こちらこそ。えっと……《ジョニー》です」
「あたいはフラウ。《ジョニー》の姉貴分ってとこかしら。ひとつよろしく頼むわねぇ。あんたも二人目の舎弟にしてあげるから♪」
 僕の背中の毛の中からひょっこり顔を出したフェレットに、ミスターはびっくりしたように目を丸くした。
「あ、ど、どうも。僕、ミスターっていいます。沙織お嬢さんのお宅で──」
 まごまごしながら僕にしたのと同じあいさつを繰り返す。体は僕より一回り大きいけど、むしろ気は小さそうだな。フラウのほうがよっぽど態度がでかいや。
 僕たちは横一列に並んでおしゃべりしながら、公園の中へ足を踏み入れた。
 と、そこで僕の鼻が、公園内を昨日までと違う空気が流れているのを嗅ぎつけた。ミスターも異変に気づいたみたいだ。不安げに左右を見回す。
 ほどなく僕らはその原因を発見した。一頭のバカでかい犬だ。
 いま公園にいる十数頭の犬の中でも、そいつの体は抜きんでて大きかった。褐色の短い毛におおわれた精悍な体は、犬というより猛獣のライオンを思わせる。
「おらおら、道を開けろ! この公園は今日からこのレオン様のシマだぞ! お前ら、よく覚えとけ!」
「レオン親分のお通りだ!」
「そこ! レオンの旦那にあいさつするでやんす!」
 その大型犬は、のっしのっしと芝生の上を歩き、ドスの利いた声で威嚇しながら、近くにいる犬たちを追い散らしていった。後ろに二匹、ジャック・ラッセル・テリアらしいのと、日本犬の雑種がつき従っている。
「うえ、犬の社会にも熊沢たちみたいなやつがいるのかぁ……」
 僕は思わずげんなりして、ついうめき声をあげてしまった。
 ジョニーもその犬に注意を向けた。
「あれ、見かけないでっかい子がいるや」
 《僕》が顎をしゃくったほうを見た沙織さんの目が鋭く光る。
「ムム……あの子はひょっとして、ローデシアン・リッジバックかしら? こんなところでお目にかかるとは思わなかったわ」
「なに、闘犬なの?」
「ううん。そんなのだったら、こんな街中の公園に来たりしないわよ。でも、かなり珍しい口なのは確かね。日本には輸入で入ってくるくらいで、国内じゃ数えるほどしか繁殖してないそうよ。アフリカ産で、ライオンを狩るのに使われていたんだって」
 そんな珍しい犬種の名をズバリ当てちゃうなんて。もしかして沙織さんって、いわゆる犬オタ? まあ、ダルメシアンを飼っているくらいなら当然かもしれないけど。
 それにしても、ライオンに似てるどころか、ライオン狩りに使われてたとはなあ。とんでもない大型犬もいたもんだ。
「何よ、あのハアハア三兄弟は? チョーむかつくじゃん。ここはひとつ、あんたがメンチ切って、もひとつおまけに違反切符も切ってらっしゃい。『公園はみんなのものである。公共の迷惑を考えない輩は、本官が逮捕するのだ!』って具合にさ。文化祭の実行委員やってんだから、この際犬の風紀委員も兼任しちゃえば?」
 たきつけようとするフラウに、僕はブルブルと首を大きく横に振った。
「冗談だろ!? いま実行委員やってるのはジョニーで、僕には何の関係もないし……。第一、僕はただのシェルティなんだぞ? あんなでかいやつにかなうわけないじゃんか」
「え? なんです、実行委員って?」
 横で聞いていたミスターがキョトンとして尋ねる。
「ああ、ごめん、ミスター。なんでもないんだ。こっちの話……」
 僕はあわててうやむやにごまかした。僕が実は人間だっていうことは、フラウ以外には内緒にしたい。特に、願いをかなえる相手の候補になりそうな犬には。
 僕らがそんなやりとりをしながら、遠巻きに様子をながめていると、そのローデシアン・リッジバックと二匹の子分がこちらへ近づいてきた。
 おどおどしている僕を、中型犬以下は犬じゃないとばかりにジロッと一瞥してから、そいつはミスターをにらみつけた。
「よお、そこの白黒斑のデカブツさんよ。ここがこのレオン様のシマだと知ってて、のこのこ顔出しやがったのか? んん!?」
「は? え、ええ~っと、レオンさんのおシマだということは存じませんでしたもんで、その……」
 レオンと名乗るローデシアンにすごまれ、ミスターはかわいそうなくらい縮こまって、しどろもどろに答えた。
「なんだ、他愛のねえやつだな。でけえのはそのへなちょこ模様の体だけか? ちっとは骨のあるところを見せやがれってんだよ。ちっ、どいつもこいつも意気地のねえ弱虫ばかりだぜ」
 頭を下げて歯をむき出し、挑むようにうなり声をあげるレオンに、沙織さんも困った顔でオロオロと公園内を見回した。ミスターをかばおうとするものの、少し足もとがふるえている。犬好きの彼女でも、さすがにこんなガラの悪い大型犬が相手じゃ怖気づくのは無理もない。
「どうしよう? この子の飼い主は一体どこにいるのかしら?」
「僕がミスターとジョニーを見てるから、その間に沙織ちゃんは飼い主の人を探してきてくれない?」
 彼女にそう促すと、《僕》が二人をかばうように進みでた。
「う、うん。狛井君、無理しないでね?」
 沙織さんはさも心配そうに《僕》のことを見つめてから、急ぎ足で公園の中にそれらしい人がいないか探しにいった。
 ちぇっ、ジョニーのやつ、彼女の前でいいかっこしちゃって。どうせ虚勢を張っているだけのくせに。
 しゃくに触ったけど、彼にばかり得点を稼がせるわけにもいかないと、僕は意を決して一歩前に出た。熊沢たちを相手にするよりまだマシだ。
「やめろよ、君。ミスターは暴力は嫌いなんだ。大体、公園はだれか一匹(ひとり)のものじゃなくて、みんなのものだろ? 他のみんなだって迷惑してるじゃないか」
「ああん? なんだ、シェルティのくせして俺様とやろうってのか? いい度胸だな。チビの小便小僧がナマ言ってんじゃねえよ」
 大きな鼻面を目の前ぎりぎりまで近づけ、ムッとする息を吐きかける。や、やっぱり恐いかも……。
 と、突然フラウがぴょんとジャンプしてレオンの肩に飛び乗った。
「あんた、もう一度言ってごらんなさい!  チビの動物権侵害(じんけんしんがい)はこのあたいが許さないわよ! 生まれつき小さいからって、なんか文句あるっての!? 何よ、あんたこそでかいのは図体とピー(放送禁止用語)ばっかで、脳ミソはカタツムリの殻にすっぽり入っちゃうほどちんまいんでしょ。ローデシアンだか二酸化シアンだか知らないけどさあ。みんなの公園を独り占めしようとするやつは、この正義のフェレット、フラウちゃんが、月に代わってお仕置きしてくれちゃうわよ!」
「フ、フラウ!」
 ハラハラする僕の前で、フラウはレオンの背後に回り、耳もとで一気にまくしたてた。さすがの不良犬も困惑の色を隠せないようだ。
「な、なんだ、このチビは?」
「だぁから、チビチビ言うなあっての!」
 レオンは背中に乗っている小動物に戸惑いつつも、なんとか首を曲げて噛みつこうとしたり、ロデオみたいに振り落とそうと暴れた。けど、フラウのほうもしっかりしがみついて放そうとはしない。
「て、てめえ、さっさと俺の背中から下りろ! さもなきゃ──うぎゃあああっ!!」
 不意にレオンが悲鳴をあげた。フラウが鋭い牙で彼の尻尾の付根に噛みついたんだ。
 レオンは尻尾を巻いて、ヒンヒンと哀れな声をあげて鳴き叫んだ。僕とミスターは唖然として顔を見合わせた。部下の二頭も手の出しようがなく、周りをウロウロするばかりだ。
「参ったかあ! 潔く負けを認めなさぁい! さもなきゃ、あんたの自慢の長い尻尾がちょん切れて、短足のコーギーみたいになっちゃうわよ?」
「わ、わかった、わかったから放してくれ! 降参だ……」
「ちゃんと反省した?」
「うう……したよ、したとも……」
 さっきまで威張り散らしていたのがウソのようにおとなしくなる。
 飼い主が見つからなかったらしく、いったん引き返してきた沙織さんが、その様子を見て目を丸くした。
「狛井君とこのフェレット、すごいねえ……」
「この子はうちで飼ってるわけじゃなくて、この間迷子になってたところを拾ったんだよ」
 《僕》が解説すると、沙織さんは目を細めて微笑んだ。
「へえ、そうなんだ。狛井君ってやさしいんだね」
 頭を掻きながらしまりのない笑みを浮かべる《僕》に、僕はまた腹立たしくなってきた。なんだよ、ジョニーのやつめ、すっかりデレデレしちゃって。最初にレオンを注意してやめさせようとしたのは僕なのに。フラウにはすっかりお株を奪われた格好だし。大体、彼女が野良猫にからまれていたところを助けたのだって、僕のほうなんだぞ?
 フラウが定位置の僕の背中に戻る。レオンは彼女をしげしげと見ながら、さも感心したふうに言った。
「それにしても、お前さん、ちっこいのに度胸があるな。この街の犬どもは、みな俺がひとにらみしただけで小便チビるやつばかりだってのによ」
 確かにレオンの言うとおりだ。体のサイズの差からいえば、人間が巨大なティラノサウルスに立ち向かうようなもんだったろう。見ているこっちは心臓に悪かったけど。下手すりゃ、一噛みで殺されかねなかったんだから。
 まあ、レオンがそこまで凶悪な犬じゃなくてよかった。熊沢たちと比べても全然マシな気がする。
「フラウって、恐いもんないわけ? あんなに大きさ違うのに」
「ぜぇんぜん。いくら大きくたって恐いなんて思ったことないわ。相手がゴジラだろうと松井だろうとへっちゃらよ。まあ、あたいたちは赤ん坊のときから人の手で育てられたから、大きい生きものに抵抗がないってこともあるけどさぁ」
 なるほど……。でも、やっぱりフラウが勇敢なことには違いない。
 続いて、レオンは僕のほうに視線を移した。
「お前もシェルティにしちゃなかなか骨のあるやつだな。覚えておこう。名前は?」
 僕は少し恥ずかしくなって、首筋を後ろ足で掻いた。右の前足を差し出す。おっと、犬同士のあいさつは握手じゃないんだった。
「えっと……《ジョニー》っていうんだ。仲良くしようね」
「あ、僕はミスターっていいます。はじめまして。沙織お嬢さんのお宅でお世話になってます。ぜひ僕ともお友達になってくださいね」
 ミスターもホッとした様子でにこやかにあいさつする。
「あたいとあんたはれっきとした上下関係よぉ。あんたは三匹目の弟子にとったげる。あたいのことは今度から姉御って呼びなさぁい。そぉれ、マウントマウント~♪」
 再びレオンの広い背中に飛び移り、上でピョンピョン飛び跳ねる。やれやれだ。
 そこへ、なんだか高ビーな服を身にまとった恰幅のいいおばさんが、ドタドタと駆けつけた。いかにもザーマスおばさんて感じだ。
「あらまあ、レオンちゃん! こんなとこにいたざますか!?」
 ほんとに「ざます」ってしゃべる人、初めて見た……。
「あ、あの~、この子はリードを放さないほうがよろしいかと思うのですが……」
 沙織さんが気を遣いつつやんわりと指摘すると、ザーマスおばさんは赤縁の派手な眼鏡を指で上下に動かしながら、彼女の顔をじいっと見つめた。
「まあ、何を言ってるんざますか。宅のレオンちゃんはそこらの雑犬なんかとは違う、ローデシアン・リッジバックという高級犬種なんざますの。広~いアフリカの大草原を、それはそれはじ・ゆ・うに駆けまわってたんざますよ、オーホホホ。いくら日本が狭い国といったって、レオンちゃんには好きなだけ運動してもらわないとねぇ。それに、レオンちゃんはとおっても気立てのいい子ざますから、他の犬たちと仲良くしてあげずにいられないざます。雑犬が相手でもやさしくかまってあげるんざますのよ、オーホホホ」
 この人が飼い主なら、レオンがグレるのは仕方ないかも……と僕は思った。ザーマスおばさんは高らかに笑いながら、彼を連れて去っていった。
 《僕》が沙織さんに耳打ちする。
「変わった人だね……。あのタイプは何を言っても無駄かも」
「そうねぇ。問題起こしたら後で困るのは、あのレオンって子のほうなんだけどなあ……。でもまあ、それほどお行儀の悪い子でもなかったみたいね。ミスターもジョニーも、そのおチビちゃんも無事だったし」
「あっ、いま沙織嬢、あたいのことおチビって言ったわねぇ!? ミスター、ちゃんと飼い主しつけなさいよぉ」
 いや、無理だから……。
 騒動が一件落着して、僕たち五人(三人と二匹、いや、二人と三匹か……)は公園で平和なひとときを過ごした。

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