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7 最初の依頼




 レオンに相談を持ちかけられたのは、彼と出会ってから数日後、同じ公園に散歩に訪れたときだった。
「お前、なんでも他犬(ひと)の悩みを解決したがってるそうじゃないか」
 もちろん、フラウが彼の耳に入れたんだろう。一応役には立ってくれてるな。
「うん、まあ。僕にできる範囲でだけど、ね」
「そうか……」
 レオンは少しの間ためらっていたが、やがて意を決したように僕に向かって頭を下げた。
「頼む! じ、実は……か、彼女に……」
 初めて出会ったときの居丈高な態度とは打って変わり、ほとんど消え入りそうな声だ。
 その先の言葉を促そうと、僕が聞き返す。
「え?」
 レオンは答える代わりに、チラチラと伏目がちに視線を送った。その先をたどると、五頭ほどの犬が、井戸端会議でもしているかのように集まって地べたに座っている。
「どの子?」
「あの……白毛の……」
 目を凝らして何度も確認したけど、白毛のメスの子はそこには一頭しかいなかった。でも、あれマルチーズだぞ? 体重差でいえばレオンの十分の一もなさそうだ。まだフラウのほうが近いかも。
「彼女にプロポーズしたいんだが、もし断られでもしたら、とてもじゃないが立ち直れん! それに、俺様の沽券にも関わるしな。そこで、お前さんにそれとなく探りを入れてきてほしいんだ。彼女が俺様に対して好意を持ってるかどうか、確認してくれ。言っておくが、口外は無用だぞ?」
 レオンにジロッとにらまれ、僕は二つ返事でうなずいた。道理で、いつも一緒につるんでいる子分の二頭もいないわけだ。他の犬に言い触らそうものなら、命はないと思ったほうがいい。
「クククク♪ あんたみたいなマッチョ犬が、あんなコロコロポワポワに惚れたですってぇ? ああ、どうしましょ。この口が、この口が、厳重に口チャックしたいのに、勝手にこの口がしゃべくっちゃいそうで恐いわ♪」
 傍らで一緒にレオンの真剣な告白を聞いていたフラウが、腹を抱えて転げまわった。
「お願いだ! フラウの姉御も。頼むから、だれにも言わないでくれ!」
「ダメだぞ、フラウ。言い触らしちゃ」
 懇願するレオンの肩を持って、僕も彼女をたしなめる。
「わぁかってるわよぉ」
 とりあえず、僕はレオンの依頼を引き受けることにした。望みがありそうにはとても思えなかったけど。

 翌日の散歩の時間、僕たちはそのマルチーズのメスにさっそく聞きこみを開始した。
「こんにちは。あの、ちょっといいかな?」
 マルチーズはチラッと僕のほうを見て、お愛想程度に軽く尻尾を振った。
「何かご用?」
 つんとすましたような口ぶりで言う。いかにもお高くとまったいいとこのお嬢様って感じだ。大型犬のレオンやミスターに比べると、典型的な座敷犬のマルチーズはほとんど赤ん坊みたいなもんだ。けど、尊大な態度じゃ決して負けてない。
「君、名前は?」
「ミントよ」
「えっと……ミントってその、どんなタイプの男の子が好みなのかなあ?」
 直接レオンのことに言及しないように注意しつつ、ミントの反応をうかがう。
「あら、季節でもないのに私にモーションかけるつもりなの? ま、さえないシェルティじゃないのは確かね」
 バカにした目つきでこっちを見てから、プイと顔を背ける。参ったな……こりゃ、かなりガードが固そうだぞ。
「いや、僕が君に興味あるってわけじゃないんだ。ちょっと参考までに、ね。例えば、たくましいタイプの犬ってどう思う?」
「そうそう。大陸の草原を駆けまわってるのが似合う野性的な雰囲気のオスって、なかなかいい感じでしょ? 抱かれたいオス犬ナンバーワンだと思わない? ね、ね?」
 フラウもインタビュワーに加わる。けど、ミントの返事は実にそっけないものだった。
「冗談よしてちょーだい。そんな泥臭い犬なんて近寄りたくもないわ。交際する相手は同じマルチーズに限定ね。当然だけど」
「そ、そう」
 ああ……レオンのしょげ返った顔がいまから目に浮かぶようだ。僕たちはすごすごと引きあげた。
「とりつくシマもないわね。ここはもうきっぱりあきらめて、お友達路線で我慢してもらうしかないんじゃない? レオンとあの子じゃ、いちご一〇〇%釣り合いっこないわ」
 フラウの言ももっともだ。ミントのあの性格からすると、友達になるのさえハードルが高いかも。何か妙案はないものか……。

 案の定、報告を受けたレオンはがっくりと肩を落とした。
「うう、俺様は明日から何を心の支えに生きてきゃいいんだあ!」
 天を仰いで吠えるレオンの姿は同情に耐えない。ちょっと大げさな気もするけど……。
 彼の周りでチョロチョロしていたフラウが、そこでピョンと宙返りをして叫んだ。
「そうだわ! 彼女のハートをがっちりゲットするいい方法、思いついちゃった。まあ、あたいってなんて天才なのかしら♪ 自分の才能がつくづく恐いわ。テレビ出演の依頼が押し寄せたらどうしましょ?」
「それはいいから、早く中身を説明してよ」
「もう、せっかちなひとねえ。作戦のコードネームはズバリ! ミントちゃんの貞操大ピンチ! ドキドキ大作戦♥よ」
 ……。要するに、彼女が不良犬にからまれているところをレオンが助けだすって寸法だ。
「だれがその不良犬の役を引き受けるの?」
「あんたとミスターに決まってるでしょ? ほかにいないじゃない」
 そんなことだろうと思った……。
「ううん……別に僕が引き受けてもいいんだけど……。でも、さっき普通に会話しちゃったしなあ。それに、ミスターじゃ、不良役には全然向いてない気がするけど」
 そのとき、僕の台詞を待ち受けていたかのように、二匹の犬が駆けてきた。レオンの子分のジャック・ラッセルとミックスだ。
「レオンの旦那!」
「親分親分!」
 息を切らせてやってきた二匹を、レオンはうろたえながら交互に見比べた。
「な、何だ、テリーにサンジ!? お前たちにゃ関係ねえ話だから来るんじゃねえと──」
「親分、水くさいじゃありませんか! おいらたちにだまってるなんて」
「あっしらの仲なんですし、もうちっと信用してくれたっていいでやんしょう!」
「その計画、どうかおいらたちにも手伝わせてくだせえ!」
 レオンは子分たちにバカにされることを内心恐れていたんだろう。二匹の申し出に、彼は男泣きに泣きながらうなずいた。
「お、お前たち……。そうか、あんがとよ。こんな兄貴思いの子分を持てて、俺様ぁ幸せだぜ」
 レオンがウォンウォン泣いている間に、僕は小声でフラウをとがめた。
「おい、二匹にバラしたのフラウだろ? まったく、だまってろって言ったのに」
「だってだって、あんな大きな図体してちんまいマルチーズにメロメロだなんて、もうおかしくっておかしくって♪ そりゃ、だれかに言わずにいるなんて無理ってものよぉ」
 かくして、レオンを慕う子分二匹の協力を得て、ミスターを加えた六匹のチームで、レオンの恋を成就させる計画がスタートした。

 作戦の決行当日、僕たち四匹の犬とフラウは公園の茂みのそばに集合した。マルチーズのミントが、主婦らしいまだ若い飼い主とともに散歩に来ているのを確認する。そのまま僕たちは、彼女がノーリードになるのを辛抱強く待った。レオンは打ち合わせどおり一匹で別の場所に待機している。
「お? 一匹になりやしたぜ」
「さあ、親分のためにがんばってらっしゃい、子分A、B!」
「おいおい、テリーとサンジだってば。覚えてあげなきゃ悪いだろ?」
「あら、そんな名前だったっけ? いかにも下っ端ふうな感じねぇ。隣組との抗争で真っ先に撃たれてあっけなく死んじゃう新米のチンピラヤクザっていうか」
 ……。僕とミスターも続いて腰を上げる。僕たち四匹は、肩をいからせて歩きながらミントに迫った。
「よおよお、マルチーズの姉ちゃん。一匹で暇そうやないか」
「やあ、なかなかのべっぴんさんでやんすねえ」
「ねえ、ちょっと僕たちと一緒に遊ぼうよ?」
「えっと、はじめまして。僕、ミスターっていいます。沙織お嬢さんのお宅でお世話になってます」
 ……。まあ彼には無理だと思ったけど。
「な、何よ、あんたたち?」
「つれないこと言わんで仲良くしようぜ?」
 たじろぐミントを四匹で取り囲み、その場から連れだすふりをする。
 ところが、ここでさっそうと登場するはずだった肝腎のレオンが現れない。
 彼が隠れている場所に目をやった僕は、そこで舌打ちした。レオンのやつ、緊張してすっかりカチンコチンに固まってるよ。フラウの言じゃないけど、意外に肝っ玉の小さい犬だなあ。
 僕は仕方なく、フラウに目で合図を送った。後はなんとか彼女に主役を引っ張りだしてもらうしかない。グズグズしていると、僕たちのも含めた飼い主に横槍を入れられちゃうし。
 あいわかったとばかり、レオンのもとにフラウが走る。
「ほら、レオン! 出番出番!」
 フラウは彼をせっついた。けど、レオンは前足で鼻先を抱えてうめくばかりだ。
「無、無理だ……」
「ちょっと、レオンったらどうしちゃったのよぉ!?」
「彼女は俺みたいな泥臭い犬なんてお呼びじゃないと言ったんだ。こんな芝居を打ったところで、どうせ嫌われるのがオチだぜ……」
 フラウは最初にレオンと出会ったときのように、うなだれる彼の尻尾の付根にいきなり噛みついた。
「い、いでででっ!」
「なに意気地のないこと言ってんの! この間まであんなにえばり散らしてた誇り高いレオンは一体どこへ行っちゃったわけ? ライオンを追っかけるのに比べりゃ、メス一匹引っかけるくらいどってことないでしょ? ダメでもともとよ。行くだけ行って当たって砕けてらっしゃい! ジョニーやミスターや子分ABだって、こんなにあんたを応援してくれてるじゃないの! ここで何もやらずに引き下がったら、あんたこの界隈のボスを名乗るどころか、チワワにもバカにされるダメ犬になっちゃうわよ!?」
 フラウに叱咤されたレオンは、我に返ったように、逆毛の筋の入った背中をしゃきっと伸ばした。
「わかったよ、姉御……。俺も男だ。ローデシアン・リッジバックだ。当たって砕けてくるぜ!」
 そう言って唾をゴクリと飲みこむと、レオンは威風堂々と歩きだした。
「おい、お前ら。彼女が嫌がってるじゃねえか。ここはみんなの公園だ。他の犬の迷惑も考えろ」
 ドスを効かせた声でうなる。ほんとは自分が言えた義理じゃないんだけどね……。
「兄さん、あっしらとやる気かい?」
 シナリオどおりにサンジがレオンに食ってかかる。レオンは一撃で彼の横面を張り倒した。
 うわ、いまのまともに入っちゃったぞ? 大丈夫かな、サンジのやつ?
 ひっくり返って伸びているサンジの頭に片足をのっけながら、レオンが残った僕たち三匹をひとにらみした。
「まだ文句のあるやつはいるか?」
「ひえっ、おいらたちじゃとてもかなわないや!」
「わあ、逃げろ!」
 僕らは一目散に退散した。途中でチラッと後ろの様子をうかがう。うまくミントの気を引くことができたかな?
 すると、彼女はふぬけたようにじっと彼を見つめているところだった。お、これはもしかして大成功?
「お嬢さん。おケガは──」
「まあ……なんて素敵なの♥」
 ミントは目をハートマークにして駆け寄った──レオンではなくサンジに。
「ダウンしたあなたのそのポーズ、とってもイカスわ♥ 背中のくねり方も左右の足首の角度も完璧よ。他のマルチーズ連中なんて目じゃないわ。私、グッときちゃった♥」
 起き上がったサンジ本犬(ほんにん)も、僕たちも、レオンも、あまりのことに呆然として言葉もない。この子、やっぱりどっか変……。
「あ、あのね、あんたを助けたのはあっしじゃなくて、レオンの兄貴なんでやんすよ?」
「マッチョなオス犬に興味はないのよ。私が興味あるのは、あ・な・た♥」
「いや、ほんと困るっす」
 ビクビクしながら親分のほうをうかがうサンジを、ミントが押しとどめる。
「ああん、起き上がっちゃダメ! もう一度さっきのポーズやってみて? そう、キュピ♥って感じで」
「こ、こうっすか?」
 レオンの顔色がみるみるうちに真赤に染まっていく。まるで噴火寸前の火山だ。
「お、落ち着きなさい、レオン! ここでキレちゃダメよ。オスとメスの関係なんて、偶然のハプニングがきっかけで燃えあがっちゃうものなんだから。もともとかなわぬ恋だったんだし。ここが忍耐のしどころよ~!」
 レオンはなんとか自制心を働かせて、怒りをグッと呑みこんだ。
「フッ、わかってるさ……。世話をかけちまったな、フラウの姉御。ジョニーも」
 そう言って寂しげな笑みを浮かべる。フラウはポンと彼の肩をたたいた。
「えらぁい! あたい、レオン先生に励ましのお便りを百万枚送っちゃうわよぉ」
「ま、人生雨模様の日もあらあな……」
 雲一つない青空を遠い目つきで見上げながら、レオンはつぶやいた。
「土砂降りの気分だぜ……」

 後日のこと。僕とジョニーは思いがけずレオンに恩返しを受けることになった。
 僕たちがいつものように道を散歩していると、後ろから低い声に呼びかけられた。
「おい」
 振り向くと、そこにいたのは熊沢だった。ガムをクチャクチャやりながら、ねめつけるようにこっちを見ている。うわ、いちばん顔を合わせたくないやつ……。
 頭の回転の早いジョニーは、校内では要領よく立ち回って、熊沢たちの攻撃を巧みにやりすごしていた。また、HRなどで文化祭を議題にする際には同席してもらうよう、沙織さんが先生に話をつけてくれたらしい。そのため、熊沢たちも表立って《僕》をいじめることができなくなった。
 きっとその分、鬱憤をためこんでいたに違いない。《僕》を見る彼の目つきは険悪そのものだった。
「狛井よう。お前、最近ちょっといい気になってねえ? 鹿野といちゃつきやがってよ」
 《僕》が戸惑いつつ返事をしようとしたときだった。熊沢の背後から、彼のバスよりさらにドスの利いたうなり声が聞こえたのは。
「ウウ……」
 後ろを振り返った熊沢は、腰を抜かさんばかりに驚いた。そこに、凶暴なオーラを発して自分を凝視する大きな犬がいたからだ。
「な、な、なんだ、お前!? しっしっ、向こうへ行けったら!」
「ウォン!」
 レオンが叫んだ拍子に熊沢はすっ転んだ。四つんばいになって逃げ場を求める。
「た、助けてくれ!」
 彼のお尻にレオンが噛みつく。ビリッと大きな音を立て、ズボンが派手に破けた。
「おっと、シャッターチャンス♪」
 すかさず《僕》がデジカメをとりだし、スクープとばかり一部始終を激写し始める。
「狛井、て、てめえ! ひっ!」
 レオンがうなるたびに、熊沢は女の子みたいな悲鳴をあげる。熊沢のやつ、まさか犬が苦手だったなんて……。
 試しに僕もうなってみると、熊沢はすっかり怯えた表情で後退りした。前後を挟まれ、いまにも泣きそうな顔になる。
「熊沢君。なかなかナイスアングルだったよ。これ、猪口君や猿橋君に見せてもいいかな?」
「や、やめろ、それだけは……」
 さすがジョニー、うまい手だ。こうやって弱みをキープしておけば、仕返しの恐れを招かなくてすむもんね。
「まあ、僕は別にかまわないけど。じゃ、文化祭のほうも協力よろしくね」
 破けたお尻を押さえて悔しそうにうめく熊沢をその場に残し、溜飲を下げた思いで僕らは引きあげた。
 ありがとう、レオン。

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