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9 特訓、そして当日




 里見豊饒祭本番まで、余すところ後二週間となった。
 この二週間の間に、僕はアジリティのコースを一通りこなせるようにならなきゃいけない──だけではすまなくなった。
 僕がバウワウで初めて本物のアジリティに触れ、ミスターと約束を交わした次の日──。
 帰宅したジョニーは、なぜかひどく難しい顔つきだった。部屋に入って椅子に座るなり、ため息をついて両手に顔をうずめる。
「困ったことになっちゃったよ、《ジョニー》……」
 腕を伸ばしてううんと背伸びした後、椅子を回して僕の顔をじっと見る。
「熊沢君たちのことを甘く見すぎてたかなあ。なんていうかもう、一度噛みついたら離さないってタイプだよねぇ……」
 いかにも元犬のジョニーらしい感想だ。彼は続いて、事の顛末を僕らに語って聞かせた。
 ミスターがアジリティの実演をすることはクラスのみんなに伝えてあったんだけど、今日になって急遽、もう二匹の参加が決まった。一匹は僕のこと。そして、もう一匹というのは、三人組の猪口の家で飼われているボーダー・コリーのファルシオン号──。
 猪口が犬を飼っていたなんて知らなかった。しかもボーダー・コリーとは。猪口から申し出があったとき、犬フリークの沙織さんは二つ返事でオーケーしたけど、《僕》はいや~な予感がしたという。そして、その予感は的中した。
 猪口は三人組の中で、帰宅部の残り二人と違い、ただ一人サッカー部に所属していた。部活の練習はサボってばかりいるみたいだけど。怒らせるとすぐに蹴りが入る、ある意味熊沢よりヤバイやつだ。そんなやつに目をつけられるだけでも勘弁してほしいけど、さらに具合の悪いことに、猪口は沙織さんにほの字だった。《僕》が彼女と最近仲がいいのがよっぽど気に食わないらしい。
 で、放課後猪口に呼びつけられた《僕》は、そこで挑戦状をたたきつけられたんだ。アジリティで《ジョニー》すなわち僕とファルシオンに勝負をさせ、もし僕が負けたら、沙織さんに二度と近づくな──と。
 裏で猪口をたきつけたのは、もちろん熊沢に違いない。その証拠に、やつはその後一人でこっそりやってきて、「勝負に負けたら、例の写真のファイルも寄越せ」と迫った。姦計を働かせることにかけては、やっぱり熊沢の右に出るやつはいない。しつこさの点でも。せっかく弱みを握って、もうちょっかいを出さないだろうと思っていたのに……。
 《僕》は悩んだ末、沙織さんに迷惑がかかるのもまずいと、仕方なく勝負を受けて立つことにした。その点は、僕としても彼を責める気にはなれない。
 それにしても困ったもんだ。何しろ相手は、IQの高さにかけちゃ犬界でナンバーワンといわれるボーダー・コリーだ。同じ牧羊犬出身で、見た目はシェルティにちょっと似てるけど、格が違う。
 そのファルシオンって子が、アジリティに関して実際どの程度のスキルの持ち主なのかはわからない。けど、ドッグウォークでつまづいているいまの僕にとって、大きな脅威なのは間違いない。
 当日ミスターを励ますだけなら、ちょっとくらい失敗してもご愛嬌ですむだろうと思っていたのに、まさかこんなことになるなんて……。
 もし僕が負けた場合、《僕》はせっかく仲良しになれた沙織さんと友達づきあいできなくなる。熊沢のいじめがエスカレートするのも恐い。それだけじゃない。あの暑苦しい猪口のやつにつきまとわれることになったら、沙織さんもきっといい迷惑だろう。彼女のためにも、僕が勝たなきゃ……。
 残された日は少ない。貴重な時間を無駄にはできないと、僕とジョニーは毎日のようにドッグカフェ・バウワウに通い詰めた。《僕》は実行委員として放課後遅くまで残る日も多く、バウワウに着くころには西空が夕焼け色に染まっていた。
 僕もきつかったけど、《僕》が無理をして疲れがたまっていないか心配だ。学校の授業や宿題もいつもどおりこなさなきゃいけない。文化祭の準備のほうも、クラスの中心になって動いている。もともと僕の体だし。一応、戻る予定でもあるし……。
 ジョニーが学校に行っている間、僕は家でアジリティの勉強とイメージトレーニングに励んだ。沙織さんに借りた本や、姉さんの本棚にある愛犬雑誌の特集記事に目を通す。
 僕の前足ではうまく本を開けないので、フラウにも手伝ってもらう。彼女は鼻先を使って実に器用にページをめくることができた。
 アジリティは知れば知るほど奥の深い競技だった。とりわけ上級者の参加する大会レベルになれば、間違いなくスポーツの一種といっていい。障害馬術よりハードなくらいだ。走り回るのは犬だけじゃない。ハンドラーの人間のほうも汗だくになるほどだ。
 制限時間内にコースを攻略するためには、何よりハンドラーがトライアルの配置と、アスリート及び自分の走行ラインをきっちり把握しなくちゃいけない。コースの状況に応じた的確な判断が要求される。アスリートの右に立つか、左に立つか。どのポイント、タイミングでシグナルを送るか。クロスして場所を入れ替わるか。それとも、コマンドはやや複雑になるけどハンドラーの動きを最小ですませるか。
 無理なショートカットを図ろうとすれば、アスリートに負担がかかる。その辺の見極めも重要だ。人と犬のペアの性格次第で、有効なハンドリングのスタイルは変わってくる。とても個性的な競技なんだ。犬と人両方の。
 犬に指示を与えるのに使われるのは、ディレクション・コマンドと呼ばれる声と、手振りで示すハンドシグナル、そしてアイコンタクトだ。主なコマンドは四つ。「ゴーオン」は前進、「バック」は後退、「ヒール」はハンドラーを軸に時計回りに曲がれ、「ディス(ディスウェイ)」が同じく反時計回りに曲がれ。後は、具体的な方向を足や手を使って示す。ヒールは通常のしつけ訓練では「(左に)つけ」だけど、アジリティではニュアンスが異なる。コースに応じて両サイドからハンドルする必要があるからだ。
 沙織さんも言ったとおり、ある程度理解力のある犬なら、一つ一つのトライアルを覚えるのは難しくない。でも、競技会で勝つためには、それだけじゃだめだ。複数のトライアルを決められた順に流れよくこなすためのつなぎの技術が要求される。それがシークエンスだ。
 人間だった僕としては、ジョニーの命令どおりに動くのはあまりいい気分がしないし、最初はかっこだけにするつもりだった。自分で判断して動いたほうが早いと思っていた。
 けど、シークエンス訓練を繰り返すうちに、僕は考えを改めた。近眼なうえに視点の高さが低く、両眼視野も狭い犬の体になると、コース全体を把握するのは思った以上に難しい。次はどっちのハードルを跳ぶんだっけ? と迷っているうちに時間をロスしてしまう。ジョニーのサインに従ったほうが、むしろスピードを殺さずにすむ。それで、僕は彼のハンドリングにあえて身を委ねることにした。
 といって、完全なロボットになるつもりはない。実際、あまりスパルタ式にしつけ訓練を受けた〝指示待ち君〟タイプの犬は、シークエンスをうまくこなせず、トライアルを終えるごとに立ち止まって、飼い主の顔色をうかがうようになってしまう。トレーナーによっては、「ノー」のコマンドを使うのを禁止している人もいるほどだ。
 アスリートとハンドラーの関係は、言ってみれば選手と監督みたいなもの。大切なのは信頼関係だ。
 気になるのは、まだ会ったことのないボーダー・コリー、ファルシオンと猪口コンビのレベルだ。《僕》が探りを入れたところでは、ビデオを使って研究までしているらしいけど……。
 ハンドラー同士の比較では、正直《僕》じゃ、サッカー部でMFを務める猪口の足と体力にはかないっこない。ただ、むしろポイントなのは、猪口個人の運動能力より、ファルシオンとの息がどれほど合っているかだ。部活もサボって熊沢や猿橋とコンビニ前でたむろってばかりいるあいつのことだから、以前の僕ほどもファルシオンの面倒を見てやってるとは思えない。
 以前の僕ほども、か……。そこでいままでの自分を振り返って、僕は複雑な心境になった。
 立場は逆になっちゃったけど、僕とジョニーの信頼の強さが、勝負のカギを握るといっていい。でも、僕らの間には、ミスターと沙織さんのように、強い心の絆で結ばれるほどの信頼関係があるとはいえない。僕は沙織さんや、あるいは姉さんのように、ジョニーのことを本当の家族の一員とまではみなしていなかったもんな……。
 長い鼻をブルブルと振って、僕は後悔の気持ちを追い払った。いまさらそんなことを悔やんでも仕方ない。第一、まだ一通りコースをこなすことさえできてないんだし。
 ウィーブ・ポールやトンネルなら、相手がボーダー・コリーだろうと負けやしない。ハードルタイプのトライアルも、なんとか自信がついた。僕にとって壁になっているのは三つのトライアル。シーソーとAフレーム、そしてやっぱりドッグウォークだ。
 シーソーは公園にあるやつと基本的に同じ。あの上を渡っていくんだけど、真ん中に来て重心が移動するとき、カクンとくるやつが気持ち悪いんだよね。
 Aフレームっていうのは、長さ一メートルの板を二枚、立てかけ合わせたもの。横から見るとちょうどアルファベットのAの字に見えるのでこう呼ばれる。高さはそれほどでもないけど、何しろ勾配が急すぎる。特に下りがおっかない。これもコンタクトゾーンがあって、飛び降りるのはルール違反だ。
 イメージトレーニングのほうは、それこそサーカスの綱渡りの練習と同じ要領。残念ながら、僕の部屋は洋室で畳じゃない。それで僕は、廊下の板の木目を代用に当てた。頭の中でドッグウォークを思い浮かべつつ、木目に沿って真っすぐ歩く練習を繰り返す。実際にドッグウォークを渡るときは、逆に廊下の上を歩いているつもりになればいい。
 ある程度上達したら、今度は机の上に乗り、縁を歩く。片側だけ落差の付いた半ドッグウォークってわけだ。これを往復でやって、右左の地面がない状態に体を慣らす。
 僕がそうやって苦心しながら練習や研究に励んでいる間、フラウは自分もやると言いだして、フェレット版アジリティに取り組んでいた。ティッシュの空き箱や使い終わったビニール袋、古着なんかをカーペットの上に並べてコースを作り、一匹で夢中になって遊んでいる。試験管ブラシみたく尻尾の毛が逆立っているのは、ハイになってる証拠だ。
 勉強に使った本まで引っ張りだしてきた。あんな重いものよく引きずれるなあ。フェレットって思いのほか力持ちだ。
「はぁい、これ、ポーズテーブル♪ ちょっとだけよぉ~ん♥」
 積み重ねた上にピョンと飛び乗り、クネクネと悩ましげ(?)なポーズをとってみせる。いつの時代のギャグだよ、それ……。まあ、一匹(ひとり)で遊んでいてくれたほうが、こっちはいちいちうるさく口出しされなくてすむからいいけど。
 ちなみに、ポーズテーブルってのは、上に乗って五秒間じっと伏せの姿勢をとるトライアル。簡単そうに見えるけど、犬にとってはテンションの切り換えが必要なので、それなりに難易度が高い。
 なんとか当日までに恐怖心に打ち勝って、三つの障害を克服しなきゃいけない。けど、後二週間なんて、あまりに短すぎる。気持ちばかり焦って、一向に前に進まない。犬になったら自由になれるどころか、体力測定のテストを受ける前みたいな気分だ。
 そんな僕に救いの手を差し伸べてくれたのはジョニーだった。
 学校から帰った彼は、庭でいきなり日曜大工をやりだした。一体何をするつもりだろ? キョトンとしてながめていると、工作物は次第に僕の知っているものの形をとり始めた。
 レンガを積み重ねた支柱の上に、帰り道にどっかから拾ってきたらしい板切れを渡す。できあがったのはミニチュアのシーソーだ。高さは実物の半分もないけど、動きは十分に再現できる。昼間僕が一匹でいる間の自習用ってわけか。
 続いてAフレームの製作にとりかかる。小型犬用のより高さが低く、勾配も緩やかだ。これなら早く慣れることができる。
「あいたっ!」
 《僕》が悲鳴をあげて左手をくわえる。金槌で釘を打っていて、間違えて指に当ててしまったらしい。もともと僕が不器用なうえに、犬には慣れない動作だから無理もないか。遅い時間で手もとも暗いし。
 よく見たら、人差し指のところに血豆ができていた。元が自分の体だけに、見ているだけでも痛々しい。
「待っててね、《ジョニー》。こっちももうすぐ完成だから」
 包帯を巻いて戻ってきた《僕》は、また金槌を手にとって仕上げにかかった。
 ジョニー……。
 僕がミスターと一緒に出場することを決めたのは、自分の体を取り戻すためだ。勘の鋭いジョニーのことだから、たぶんそのことはとっくに気づいているに違いない。
 なのに、どうしてケガをしてまで僕のことを手伝ってくれるんだろう? 《僕》のままでい続けたければ、逆に妨害したってよさそうなのに……。
 僕は疑問を振り払った。いまは悩むときじゃない。ジョニーを信じよう。アジリティ勝負で勝つために。ミスターのために。沙織さんのために。僕自身のために。そして、《僕》のために。
「ねえ、あたいはあたいは?」
 ついでにフラウのために……。

 二週間はあっという間に過ぎた。
 土曜日、明日が文化祭本番だ。沙織さんの呼びかけもあり、クラスのみんなががんばってくれたおかげで、開店に向けた準備は万端だ。そっちのほうはみんなに任せて、僕とジョニーは沙織さん・ミスターペアと一緒に最後の仕上げの練習をするべく、学校の校庭へやってきた。
 すでに校庭の一角は、にわかアジリティコースへと早変わりしていた。これらのトライアルは、店長とトレーナーさんに手伝ってもらって、バウワウから運びこんだものだ。
「ジョニー、本当によくがんばったよね! たった二週間ぽっちで、ドッグウォーク以外のトライアルは完璧にできるようになったじゃない。ここまでできる子、きっと日本中探したっていないよ」
 沙織さんは頭をなでながら僕を誉めそやした。
 その様子を隣で苦々しげに見ていた猪口が、《僕》の隣へやってきて肩を組むと、耳もとでこっそりささやいた。
「調子こいていられるのもいまのうちだぞ、狛井よぉ」
 そのまま帰ろうとした猪口を、沙織さんが呼び止める。
「猪口君、ファルシオンは予行練習しておかないの? 明日いきなりぶっつけ本番でやるつもり? 大丈夫?」
「ああ、手のうちを見せるようなまねはしねーってな」
 かっこつけて背中を向けたまま、ポケットに突っこんでいた手を上げる。
「ファルシオンってよっぽどお利口なのね。一回やったコースはつまらなくて気分が乗らないタイプなのかしら? でも、ジョニーとファルシオンにも手伝ってもらえてよかった。ミスター一匹じゃ寂しいと思ってたし。ちょうど三クラスそろった感じだもの。ねえ、狛井君、ダルメとシェルティとボーダーの競演なんて、すっごく見栄えすると思わない? なんだか三匹でエクストリーム(異種混合)の競技をやるみたいよね」
 猪口の後ろ姿を見送りながら、明日の勝負のことを何も知らない沙織さんが無邪気に笑う。
 ファルシオンの秘密特訓の内容はすごく気になったけど、つべこべ言っても始まらない。僕とミスターで本番前の最後の調整に入る。
 沙織さんの言ったとおり、僕はドッグウォーク以外のすべてのトライアルをクリアできるようになった。ジョニーが手を痛めながら練習用のトライアルをこしらえてくれたおかげだ。
 最後に一つだけ残ったドッグウォークを、今日中に何としてでも克服しないと……。
 ミスターと沙織さんが無難に一巡流した後、僕とジョニーは入れ替わるようにスタート位置についた。
「ゴーオン!」
 《僕》のコマンドと同時にダッシュ。タイヤジャンプ、ハードル、ウィーブポール、シーソーと順調にトライアルをクリア。いよいよドッグウォークの前に来て、一息つく。
 僕は思い切ってコンタクトゾーンに足をかけた。一歩、二歩。そして──
 やった、スロープを登りきって水平の橋までやってこれたぞ!
 よし、後は家の廊下や机で練習した要領で、ミスターのアドバイスどおり、歩道橋の下の地面との落差を意識せずに、ただ真っすぐ進めばいい。
 そのときだった。
 《僕》と沙織さんが喫茶部門の仕入の確認に時間をとられ、始めるのが遅くなったこともあり、太陽はもう西に沈みかけていた。辺りが暗いことで、僕は返って地面を意識しなくてすむと考えた。けど、それは間違いだった。
 足もとが暗かったせいか、早く下に下りたいという焦りか、僕の踏みだした右足が、板の端をすべった。バランスを失った僕は、つんのめるように倒れこんだ。そのまま両足の内側で板を抱えこむ格好になる。落下するのはかろうじて免れたけど、胸をしたたか打ってしまった。
 ギュッと目をつぶる。
 恐い。早く降ろしてくれ、ジョニー!
 《僕》がすぐに駆け寄って、僕を抱えあげた。そのままゆっくりと地面に降ろす。
 僕は足がガクガクして、立つことすらままならかった。それでも、なんとか四本の足で踏ん張って姿勢を保とうとする。
 沙織さんが見てるじゃないか、しっかりしろ! そう自分に言い聞かせながら。
 ジョニーがなだめるように優しく耳を掻いてくれ、少し気分が落ち着いてきた。沙織さんも身をかがめて心配そうに僕を見つめる。
「狛井君! 大丈夫、ジョニー?」
「うん。一応ケガはないみたい。暗いのにちょっと張り切りすぎちゃったね。もう今日の練習は終わりにしよう」
「そうね。別に競技大会じゃないんだし、ドッグウォークは無理せずにスルーすればいいものね」
 沙織さんはそう言ってくれるけど、僕は悔しかった。これじゃ、ミスターとの約束を果たせない。ファルシオンにも勝てない。
 でも──どうすりゃいいんだ!? 本番まで後二四時間ないっていうのに……。

 そして、いよいよ当日の朝を迎えた。
 幼稚園からこの年になるまで、運動会の前の晩はテルテル坊主を逆さに吊るして、雨になることを祈ったものだ。今日もそんな気分だった。その願いも虚しく、天気はほぼ快晴、絶好のアジリティ日和だ。
 教室を改装した喫茶店のほうは、なかなかの盛況だった。町内のケーブルテレビの放送で紹介してもらったり、バウワウでも宣伝してもらったおかげで、知名度もアップした。プログラムにあらかじめ犬の同伴可と入れておいたこともあり、近所中のイヌ連れが大勢詰めかけた。狭い教室があふれてしまったため、アジリティコースのそばにもテーブルを急いで用意し、オープンカフェ形式にすることに。
 室内には、「わが家のペット自慢」と題する展示ブースも設けてある。クラスのみんなが飼っている犬や猫、ウサギ、小鳥たちのプロフィール帳とともに、自分の家の子の犬種について調べあげたレポートや、イラスト、スナップ写真なんかを掲げてある。訪れた客は、みんな興味深げに見入ってくれている。感想コーナーも「わが家のペット自慢」の書きこみでいっぱいになった。
 ウェイターの衣裳も話題を呼んだ。猿橋のやつが、どこからか犬耳メイド服を調達してきたのだ。けど、女子には総スカンを食らったため、結局猿橋自身がそのメイド服を着てウェイターをやる羽目に。そりゃ、あんな恥ずかしいの、だれも着たがらないに決まってるよな。秋葉原のコスプレ喫茶じゃないんだから。本人はノリノリだったけど……。
 僕ら三匹によるアジリティの実演は、2―Bの企画の中でも目玉になるイベントだ。それにふさわしく、開演は一〇時、人がいちばん集まりそうな時刻に設定された。午前中に練習する余裕はない。たとえ時間があったとしても、僕にはやりきる自信がまったくなかったけど。
 喫茶のほうへやってきた客も含め、みんな時間前になると、校庭へ三々五々集まりだした。
 観客の中に知った顔を見つける。他でもないレオンと二匹の子分だ。サンジの隣にはミントの姿も。レオンの飼い主のザーマスおばさんも来ている。
 たくさんの人間。たくさんの犬たち。
 隣に立つミスターを見やる。ここまでほとんど会話を交わしていない。
 足を見ると、少しふるえている。斑の白地の部分が青ざめて見えるくらい、緊張しているみたいだ。あまりのギャラリーの多さに面食らったのか。あるいは、昨日の僕の失敗を目にしたせいもあるかもしれない。
 どうしよう、これじゃまるっきり逆効果だ。そもそも彼に自信をつけてもらうのが目的だったのに……。
 アジリティの演技開始まで後十分。

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