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11 別れ




 あわただしく過ぎた祭りの後、僕とフラウは家で、二次会に参加している《僕》の帰りを待っていた。
 僕の背中の上に危なっかしげに立って、空にかかった月をながめながら、夢見心地の声でフラウが言う。
「なんかもう、今日は感動の嵐が吹きまくりだったわねぇ。あんたたちを見ていたら、あたいも何か新たな人生の目標にチャレンジしたくなっちゃったわぁ……」
 そんなこと言われると照れちゃうな。たとえ相手がちっちゃなフェレットでも。
「よし、あたい決めた!」
 フラウは僕の背中から飛び降りると、決然とした表情で言った。
「決めたって、何を?」
「本物の冒険があたいを呼んでるのよぉ。こう、風をいっぱいに感じながら広い世界を一望にながめたいわけなのよね。そういうわけだから、あたいはまた旅に出ることにするわ。いろいろ世話になったわねぇ。ジョニーにもフードとおやつありがとって言っといてちょうだい。それじゃあねぇ♪」
「お、おい、フラウ! まだ僕、レオンとミスターの二匹の依頼しか引き受けてないんだぞ? しかも、両方とも中途半端に終わっちゃったんだし。最後までつきあってくれなきゃ困るよ。それに、もし何かフラウにやりたいことがあるっていうんなら、僕も手伝うから。いろいろ助けてもらったし」
 あわてて引きとめようとする僕に、フラウはいつものようにクククと笑って言った。
「あなたならもう大丈夫よ。きっと自分の力でやれるわ。それに、あたいを三匹目にするつもり? あたいは犬じゃないんだから、助けたって一文の得にもならないわよぉ?」
「別にそういうつもりじゃないけど……。あ、待ってよ!」
 こっちの言うことには耳も貸さず、僕に向かってウインクしてみせると、フラウはそのまま庭の茂みの中に姿を消してしまった。
「もう、いつも自分勝手な行動ばっかり。大丈夫かなあ?」
 しばらく待ってみたけど、戻ってくる気配はなかった。まあ、腹ぺこになったらまた帰ってくるかな……。
 これが元気なフラウの姿の見納めになるなんて、そのときの僕は夢にも思わなかった。

 三日経ってもフラウは家に戻らなかった。
 フェレットなんて体が小さいだけに、戸外でご飯もろくに食べずにいたら体がもたないだろう。自力で獲物を捕まえるのは無理な気がする。変なものを拾い食いするかもしれないし。交通事故の可能性だって捨てきれない。
 勉強机に向かっているジョニーのほうをチラッと見やる。
 あれ以来、《僕》はぼんやりと座って考えごとにふけることが多くなった。学校での出来事もあまり話そうとしない。
 文化祭が終わった後は、テストや宿題が山ほど出されるから、きっと大変なんだろう──僕はそのくらいに考えていた。フラウの消息のことで頭がいっぱいだったし。
 ジョニーを煩わせるまでもない。今日は一日彼女の捜索に当てよう──そう思った日、家にあの黒トラがやってきた。初めてフラウに出会ったとき、彼女と取っ組み合いをしていた野良猫だ。
「おう、兄さん。あんさんとこのやかましいイタチのチビがいてもうたで」
 僕はその場に固まったまま、返事をすることができなかった。
「いま……なんて言ったの?」
「あんさんとこのイタチがくたばりよったっちゅうんや。死んだんや」
 聞き違いじゃなかった。もう言葉の意味を確認するまでもない。
「ウソだろ……」
「なんや、信じないんか? 仏さん、ほっといたらカラスかネズミに食われてまうで」
 ほとんど声にならない声で尋ねる。
「……フラウはどこ?」
「ついてきや」
 黒トラに導かれ、僕は雑木林の奥にやってきた。少し高台になったその場所には、一本の丈高い松の木が生えている。そのすぐ下の草ばえにフラウはいた。
 体をまっすぐに伸ばしてじっと横たわっている。かすかに口を開いたまま。
 鼻を寄せる。いつもの、生きていたころの彼女の匂いじゃない。体はもうとっくに冷たくなり、なめらかだった毛皮もボサボサになっていた。
「どうして……」
「大方、木から落ちたんやろ。こいつらフェレットは、体はわいらより全然柔らかいくせに、落ち方ちゅうもんを知らんからな。そのくせ、平気で何にでもよじ上りよる。バカと煙は高いところが好きや言うが、ほんにアホなやっちゃ」
 別れる直前の彼女の台詞を思い出す。木に登って、上から街をながめようとしたんだろう。フェレットなんて、犬よりさらに近眼なんだから、どうせろくに見えやしないに決まってるのに。
 本当にバカだ。夢だ冒険だ、人生のチャレンジだなんて、お前のしたかったことって、こんなバカげたことだったのか?
 頬ヒゲの間を涙が伝った。
 僕が右も左もわからずに途方に暮れていたときに、励ましてくれたフラウ。彼女がそばにいてくれたから、犬になっても平気でいられたのに。
「フラウ……他にももっとやりたいことが山ほどあったろうに。こんなところでこんなふうに死ぬなんて……お前、それでよかったのかよ……後悔しないのかよ……悔しくないのかよ……」
「それはあらへんな」
 僕の隣でじっとしかつめらしくしゃがみこんでいた黒トラが、ポツリとつぶやく。
「どうしてそんなことが言えるの?」
「当たり前やんか。わいら動物やもの。後悔なんぞ、人間だけがするこっちゃ。わいら猫も犬もフェレットも、その日暮らしやで。先のことなんてだれも考えん。明日は明日の風が吹くってな。いつ死ぬかわからんのやさかい、先のこと考えてくよくよしたって仕方あらへんやろ。今日一日を精一杯生きてナンボや。何が起こるかわからん未来のことまで思い悩んで、挙げ句の果てに自殺までやらかすアホな動物は、人間以外におらへんわ。まあ……お前さんはそもそも元人間なんやったな。そやったら、理解できんかて当然かもしれへんけど」
「え、僕が人間だってこと、どうして知ってるの?」
 呆気にとられて尋ねる僕に、黒トラはフラウのほうを顎でしゃくりながら答えた。
「お前さんが学校で派手にいろいろやらかしたことくらい、とっくに町の隅々にまで伝わっとるわ」
 そういえば……。フラウが僕の名前を叫んだものだから、あの場にいた犬たちには、僕とジョニーが〝交換の儀式〟をして体を取り換えたこともバレちゃったんだよな。
 もう、どうしてくれるんだよ、フラウ。最低でも後一匹願いをかなえなきゃ、元に戻れないのに……。最後まで困らせてくれるよ。
「ま、アホ言うたら、お前さんとこの犬も輪をかけてドアホやな。まるで人間並や。くだらんことに興味を駆られて、自分から死に急ぐまねするなんてな」
 フラウの亡骸を前に、半ばマヒしたように呆然としていた僕は、彼の言葉の意味を理解できるまでしばらくかかった。
「そ、それって、どういうこと?」
 僕はしがみつくように黒トラに詰め寄った。
「こ、こら、放してえな! 息ができんやろ!? いま説明したるから!」
「ご、ごめん……」
 つい力を入れすぎた。あわてて前足を彼の上からどける。
「うわ、汚いよだれや! もうしょうもない犬……いや、人間のガキやったか。ええか、要するにやな。わいら動物は、人間にはない超能力をちっとは使えるで。そやかて、人間と体を交換するなんて大それたこと、自分の命と引き換えにでもせにゃ、できるわけないやろ。お前さんが元に戻った時点で、やっこさんはゲームオーバーちゅうこっちゃ。まあ、よっぽどの事情があったんやろけど、それにしても──」
 僕は彼の話を最後まで聞かず、一目散に駆けだした。まっすぐわが家を目指して。

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