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1 霊界救助犬出動!




 警察犬、盲導犬、麻薬探知犬、災害救助犬……一口に働くイヌといってもいろいろいるけど、次の名で呼ばれるイヌたちのことはだれも知るまい。
 〝霊界救助犬(ソウル・レスキュー・ドッグ)〟──。
 またの呼び名を〝除霊犬〟ともいう。耳にしただけで、どんな仕事をこなすイヌかはおおよそ察しがつくと思う。その具体的な中味については、これからとくとご覧いただくことにしよう──わが家の霊界救助犬、キムの活躍を!

 校門を出て五歩進んだところで、首筋がピリッとする。ゴシゴシこすった下敷きを当てたような、洗いたてのセーターをかぶったときのような、そんな感じ。
 きた……! と思って立ち止まった途端、着信音が鳴った。ケータイを開いて新着メールを確認すると、案の定、そこにはハートマークがひとつ浮かんでいた。
「やっぱりだ、キム。遼子さんからだよ」
 ため息をひとつ吐くと、傍らにしゃがむ彼に向かって肩をすくめてみせる。相棒は心持ち首をかしげて、じっと俺の顔を見上げた。なんだか笑っているみたいだ。
 この方面に関わりだしてから、やたら勘が鋭くなった。彼女から依頼の連絡が届くときは、決まって事前に虫が報せてくれる。わかったところで、その後に訪れる災難からは逃れられやしないけど。
 メールの送り主が女性で、件名が〝♥〟だからといって、別に何かを期待しちゃいけない。ちなみに、この件名は〝$〟のときもあれば、こんな顔文字〝($v$)d〟だったりすることもある。
 ひとつ深呼吸して覚悟を決めると、本文に目を通す。
《迅人&キム両隊員に告ぐ! p.m.5:00里見三小校門前に集合のこと。いつもの要領でヨロシクニャ~》
 五時ってことは、家に着いたらすぐにとって返さないとな。俺はケータイをたたんで無造作にポケットにつっこむと、キムの肩に腕を回した。
「さて、キム。来ちゃったものはしょうがないや。これも仕事だ。行こう」
 リードを握りしめながら、俺は家路を急いだ。

「ただいま」
 ドアを開けるや、三つの毛玉がけたたましいお帰りコールとともに飛び出してくる。黒毛の面積の多いほうから順に、ユイ、サリー、ロッテ。花も盛りの四歳のヨークシャー・テリア三姉妹だ。
 後からのっそりと歩いてきたのは黒白フレンチ・ブルのコウタ。彼の出迎えのあいさつは、ギョロ目でこちらをにらみながら、大きな舌でベロリと口の周りをなめるだけ。三チビがいくら廊下を駆けずりまわってもマイペースを崩さないコウタは、今年でもう十三になる。
 この子たちはキムのような霊界救助犬じゃない、ごくふつうのイヌだ。
 ワケアリなので血統書はないが、四匹は一応純血種だ。それに対し、キムはやや大柄な中型犬の雑種、イマ風にいえばミックスだ。ピンと立った三角耳と形のよい巻き尾、きりっと整った顔立ちから、日本犬の血を引いていることは間違いない。一方、少しカールのかかった豊かな被毛は、洋犬の血筋をうかがわせる。
 もっとも、とくにこれといって霊界救助犬向きの犬種があるわけじゃない。いくつか最低限の資質は必要だけど、訓練次第でどんなイヌでもなることは可能だ。ただ、他のワーキングドッグと決定的に違う点がひとつだけある。
 キムには陰がない。
 そう、つまり……彼はもう、この世のイヌじゃないんだ──。
 キムが陰を失ったのは──言い替えれば、他界したのは、四年前、俺が小六のとき。生前一緒に暮らした期間が四年だから、しめて八年、俺の人生の半分以上にわたるつきあいってことになる。
「おや、おかえり。早いね、今日は」
 ゴトリと音がしてふすまが開いたと思ったら、ひょっこりと二つの頭が飛び出した。
 床上三十センチのところで、薄焼きせんべいの袋を片手に口をモゴモゴさせているのは、腹を痛めて俺を産んだ人だ。ギリギリ三十代の彼女は、身内ながらまだなんとかイケるクチだと思う。けど、床にひじをついておやつを頬張りながらの出迎えは、およそ褒められたもんじゃない。
 もう一人のほうがよっぽど母親然としている。正確には一頭か。長い鼻、燃えるような赤銅色の和毛におおわれた垂れ耳、穏やかな光をたたえた黒い瞳で、大きな尻尾をゆったりと揺らしているのがアイリッシュ・セターのベル。俺にとっては姉さんのような存在だ。
 ベルは俺が生まれる前から家にいる。そのころからもう、彼女は陰を持っていなかったんだけど……。
 そう、ベルもキムと同じ霊界救助犬の力を持っている。彼女のハンドラーは母さん。つまり、この一人と一匹(ふたり)は、俺とキムのコンビの先輩格に当たる。
 ハンドラーってのは、使役犬やアジリティ・ドッグに指示を出す人のことで、ふつうは飼い主を指す。霊界救助犬の場合も要領は同じだが、主役はあくまでキムたちだし、寝食をともにするパートナーという意味でもある。
 俺と母さん、キム、ベル、コウタ、ユイ、サリー、ロッテ、この八人/匹(はちにん)で俺の家族は全部。
 父さんはいない。おぼろげな記憶すら残っていない。どこかで生きてはいるらしいが、母さんは俺に詳しいことを何も話したがらない。俺も知りたいとは思わない。よその家と違って、父親がいないことで寂しいと思ったことは一度もない。
 俺はたくさんの家族に囲まれて育ったから。なにしろ、うちの家庭はにぎやかだ。
 それに、過去を振り返っている暇もない。
「あれ、今日は四丁目のチロのとこへ行ってたんじゃなかったの?」
「ああ。あの子は昨日でもうステージクリアだよ。後は親次第だね。週明けにもう一度様子見で顔出すさ」
「えっ、そうなの!? まだまだかかると思ってたのに」
「おや、なめてくれるじゃないか。あたしをだれだと思ってんだい?」
「ハイハイ、わかってますよ。カリスマトレーナー様」
 どうでもいいけど、カリスマの呼び名にまったくそぐわないその生活態度、なんとかならないもんか? 大体、せんべいのかけら飛ばしながらしゃべるのやめろっつーの。台詞だって、俺が通訳しなきゃだれもわかりゃしないよ……。
 いまのやりとりにも出てきたとおり、母さんの仕事はトレーナーだ。飼い主に代わってしつけを覚えさせたりする、いわゆるイヌの訓練士ってやつ。
 近頃のこどもたちが就きたがる人気職種の一つに数えられるドッグ・トレーナーだが、大きく三つのタイプに分けられる。仕事の内容というより、性格の違いだけど。
 まず、アイテム派。最近は、ムダ吠えや噛みグセなどの問題行動を矯正する器具が多数出回るようになってきた。中にはチョークチェーンのように、イヌに苦痛を与えるばかりで副作用も大きい、拷問器具と見まがうものまである。それらを使えば、確かに一定の効果は上がる。けど、あまりアイテムにばかり頼っていると、ついイヌを〝条件反射のかたまり〟とみなしがちになる。
 次に、スパルタ派。要点は、順位制のイヌ社会における序列関係をはっきりさせ、ニンゲンを自分より上位のリーダーと認識させること。もっとはっきり言い直すと、ニンゲンとイヌの立場の違いを思い知らせるってこと。このタイプのトレーナーは、「イヌになめられるな」という台詞を好んで用いる。ヒトを〝なめる〟ようになったイヌは、権勢症候群なんて、まるで病気にでもかかったみたいな呼び方をされたりもする。そうした問題児が相手の場合は、手始めに〝矯正棒〟の類いでこっぴどい目に遭わせるのが常だ。
 そして最後に、両手広げてぶつかっていくひたすら愛情派。専門用語でいえば、陽性強化を主体とするトレーナー。理想に思えるけど、物覚えの悪い子や、噛み癖のついた気性の荒い子──本当はデリケートな子なんかが相手だと、結構神経をすり減らす。ニンゲンの保育士と同等、いや、それ以上かもしれない。何より、時間と根気が要る。
 どれがいいとは一概に言えない。人間のこどもの教育方針をどうするかってのと同じ話だ。ニンゲンだって、スパルタ式のほうが、いわゆる〝よい子〟──大人の言うことを聞く従順なこどもにはなるかもしれない。実のところ、完璧なしつけを手っ取り早く完了させたければ、最も効果的なのはスパルタ式だ。
 でも……相手の心の機微まで読みとれる子、喜びや悲しみを分かち合える〝家族〟に──キムやベルたちみたいに──なれるかどうかは、やっぱり愛情次第だと思う。
 ずぼらを絵に描いたような母さんだけど、カリスマトレーナーの呼称はけっして伊達じゃない。一般的なトレーナーが請け負うのは、大体初級・中級のレベル、ふつうの仔犬や若い成犬に通常のしつけを教えこむだけだ。それに対し、母さんはより難易度の高いカウンセリングまで引き受ける。しかも、並のトレーナーには手に負えないケースだって、驚くほどの短期間で解決してしまう。夜鳴き癖のついたチロみたいに。
 その母さんは、タイプでいえば一応三番。悪い癖を治すには水鉄砲などの〝天罰系〟を使うこともあるけど、徹底的に遊び倒してストレスを発散させるのが基本スタイルだ。そして、彼女をカリスマたらしめる一番の武器が、その子の嗜好やグレた原因を的確に見抜く天性の勘。実際、問題行動の原因は、ほとんどの場合、家庭環境にあるからね。
 さらに、この人にはもう一つ奥の手がある。ベルだ。彼女はまさに心強い副トレーナーだった。
 始末に負えない問題犬を生む最大の原因は、親兄弟からあまりに早く引き離され、社会性を学ぶ時期を逸してしまうことにある。彼らの失った時間を取り戻すのがベルの役目だ。彼女はクライアントの犬を菩薩のように受け入れ、聖母の接吻のように優しい甘噛みを返す。すると、どんな不良犬もたちまち生まれたての仔犬みたいにしおらしくなってしまう。
 これまで母さんとベルの最強コンビにカウンセリングを受けて、立ち直れなかった犬は一匹もいない。その分、料金は相場より高めだけど。
 ちなみに、俺の教育方針がどうだったかというと……放任主義かなあ? 母さんは、家の中のことはからきしダメな人だから。部屋は散らかり放題、料理は手抜きもいいところ。俺の分もドッグフードですませたがったくらいだ。キムやコウタの世話も基本的に俺任せだったし。むしろ、ベルに面倒を見てもらっていた気さえする。
 どっちかっていうと、俺よりベルのほうが待遇が上だったな。俺の誕生日をすっかり忘れても、彼女の誕生日にはグッズやおやつを山ほど買いこんで盛大に祝ったくらいだ。十五にもなればプレゼントをねだる気も起きないけど、俺がまだ小一のころの話だぜ?
「あんたとベルと、どっちを生かすか選べって言われたら、あたしゃ迷わずベルを()るから。そんときは恨みっこなしってことでヨロシク♪」
 母さんはよく冗談半分──半分? いや、八割方本気かもしれない──で口にする。そういうときは俺も、「キムと母さんとどっちか選べって言われりゃ、俺も当然キムを択るぜ」と言い返すことにしてるけど。
 俺はそんな母さんが好きだ。若い身空でバツイチになった彼女は、その後女手一つで俺を──いや、俺たちを養ってくれた。一流のトレーナーとして尊敬もしている。人間としてはともかく……。
「ま、そういうわけだから、あたしとベルは今日はオフなわけ。あんたもお腹減ったら、なんかその辺のもの適当につまんでちょうだい」
 その辺のものといっても、目に入るのはいかにもジャンキーなポテチやスナックばかり。一度でいいからまともな手料理を食ってみたいもんだ。
「俺、すぐまた出かけるから」
「あらま?」
「遼子先輩の呼び出し」
 かばんを部屋にほうりこむと、キムにおやつのジャーキースティックを与える。自分も母さんの手からせんべいを一枚奪取。
 幽霊なのにご飯を食べるのかって? 答えはイエスともノーとも言える。
 キムもベルも、ふつうに食事をする。二匹とも、食器によそったドッグフードをちゃんときれいにたいらげる。
 けれど、ふと気づくと、なくなったはずの器の中の餌は、いつの間にか元通りになっている。それを片付けるのは、残りの四匹の役目だ。みんな、キムたちが食べ終わるまではおとなしく待っている。まあ、お供えみたいなもんだと思えばいい。
 それでも、二頭が生前となんら変わりなく、おいしそうにご飯を食べてくれるのが、俺はうれしい。
「いってきまっす」
 母さんは、ハイハイと軽く手を一振りすると、首をひっこめて再放送の刑事ドラマの鑑賞に戻った。自分たちのお散歩がまだだとわかるや、コウタやユイたちも退散してしまう。ドアが閉まるまで律儀に俺たちを見送ってくれたのはベルだけだ。

 小学校の校門前に到着したのは指定時刻の五分前。里見第三小学校は、俺が通っていた小学校とは隣の学区で、家からだと少し距離がある。急いでやってきたつもりだけど、やっぱりギリギリだった。西空はもう真っ赤に染まっている。さすがにこの時間だと、校庭に生徒たちの姿は見えない。
 遼子さんはまだ来ていなかった。まあ、いつものことだけど。遼子さん、母さんに似て時間にルーズなとこが珠にキズなんだよな。
 俺一人でこんなところにぼさっとつっ立っていたら、なんだかアヤシイヤツと間違われそうだ。生徒以外の人間が校門前で待ち合わせってのも変だし。ソワソワしながら時計に目をやる。
 警備員とかがやってきたらどうしよう? 逃げれば余計に怪しまれるし、かといって、「除霊の依頼を引き受けにきた」なんて正直に答えようものなら、即警察に通報されるのがオチだ。
 イヌの散歩だって言い訳が通ればいいんだけど、残念ながらその手は使えない。なぜなら、そもそもキムの姿はたいていの人には見えないからだ。
 いまでも俺は、毛皮を通じて伝わってくるキムの温もり、脈打つキムの鼓動まで感じとることができる。けれど、霊感の鈍いふつうの人には、魂のみの存在である彼の姿を見たり、声を聞くことはできない。おかげで、毎日学校にまで連れていけるほどだ。
 近くを通り過ぎたとき、「おや?」と首をかしげて振り向く人はたまにいる。けど、彼の正体をはっきり見定められるほど霊感の強い人間は、思った以上に少ないのが実情だ。俺が顔を知っている範囲では、母さんと遼子さん、行きつけのドッグカフェ・「パトラッシュ」のマスター友坂夫妻くらいしかいない。
 霊感に関しては、むしろイヌのほうがニンゲンよりはるかに敏感だ。散歩中にすれ違った子の多くは、キムとふつうにあいさつを交わす。飼い主のほうは、ポカンとして俺の顔を見るばかりだけど。

 キムの姿が見える数少ない一人である遼子さんに、俺が出会ったのは、ほかでもない通学先の県立里見高校でのことだった。
 さすがにそのときはびっくりした。うちの学校じゃ、キムの存在に気づくほどレベルの高い霊感の持ち主はいやしまいと、たかをくくっていたからだ。
 同じ学校のセーラー服。スカーフの色は三年であることを示す紺色。その、どこから見てもふつうの女子高生に見えた彼女は、廊下ですれ違いざま、いきなりキムの頭をなでて言った。
「かわいいね、この子」
「み、見えるの、君!?」
 驚きに目を見張る俺に、彼女はただ肯定を意味する微笑を浮かべた。
「名前はなんていうの?」
「キ、キムだけど……」
 俺はしどろもどろにそれだけ言うのがやっとだった。気持ちよさそうに目を細めるキムの耳の裏を掻いてやりながら、彼女は続けた。
「キムちゃんかあ。で、君の名前は?」
「犬伏、迅人……」
 さらに小さな声でボソボソと答えると、彼女はさも興味深げに俺の顔をジロジロ見た。
「へえ。君があの……」
 何度かうなずく仕草の後、彼女はいきなり高らかに笑いだした。
「奇遇だよねえ。私、猫咲遼子っていうんだ。犬に猫だって。アハハ、あ~おかし!」
 それから彼女は、「またね、二人とも」と言ってヒラヒラと片手を振り、呆然と見送る俺を残して歩き去っていった。
 その次に遼子さんに会ったときは、もっとビビった。学校から帰宅してみたら、彼女は茶の間で母さんとお茶をすすりながら談笑を交わしていたのだ。
 二人とも初対面のはずなのに、お互いの姓も、俺もろくに知らない両家の裏事情も了解しているみたいだった。で、二人は勝手に業務提携を結び、俺は遼子さんの事務所専属の霊界救助犬ハンドラーとして、好きにこき使われることになってしまった。当事者の意向はきっぱり無視された格好だ。
 まあ、遼子さんが悪い人じゃないのは疑うまでもないけど。
 いわゆる霊能力者に属する俺たちは、幽霊の他に、生きている人が帯びている霊的なエネルギー、いわゆるオーラも見てとることができる。オーラの色や形状は、顔だちと同じように人それぞれで異なっている。心の病んでいる人は不透明な暗い色だし、逆に心のきれいな人はオーラも澄んだ明るい色になる。つまり、オーラとは相手の人物の心の状態を推し測るバロメーターなんだ。
 ついでにいうと、オーラの感知能力は霊能力のタイプによって異なる。整体師のような職業の人は、オーラの具合を観察することで、臓器や身体の各部の健康状態を把握することができるし、占い師なんかだと、未来の予知に関する情報を得ることができる(らしい)。それらの中でも、本当にオーラが見える人はごく一部だけど。
 俺たちハンドラーの場合、オーラの色や形状は、イヌやネコなどの動物との相性の良し悪しを教えてくれるサインとなる。イヌ好きの人はべっこう飴に似た黄色。ネコ派はさわやかな紫に近い色。ウサギはピンク色、フェレットはチョコレート色、ハムスターはクリーム色、小鳥系は柑橘系、魚系はマリンブルー……という具合だ。
 そして、遼子さんは見た目も美少女だけど、オーラも透き通るようなスミレ色だった。文句なしだ。
 彼女を信じたのには、他にも二つ理由がある。一つはもちろん、キムが彼女をすんなり受け入れたこと。もう一つは、彼女にも、俺にとってのキムに相当するパートナーがいたことだ。といっても、彼女の場合ネコだけど。
 ジョルジュにお目にかかったのは、遼子さんと三回目に出会ったときだった。ビロードのように美しい青灰色の体毛は、人気猫種の一つロシアンブルーに見えるが、一応雑種らしい。瞳の色はオレンジに近い金色だ。
 ジョルジュの指定席は遼子さんの肩の上。まるでえりまきみたいに、鳴声も立てずじっと座っている。高貴というか、知的というか、ともかく近寄りがたい雰囲気を漂わせた子だ。彼はよく、すました顔で人の目をじいっとのぞきこみ、これ見よがしにプイとそっぽを向く。ネコは人間の視線を嫌うものだが、彼の場合、あからさまに人を小バカにしている感がなくもない。
 そして、彼もまたこの世ならぬネコだった。ジョルジュにはキムとは全然異なるタイプの霊能力が備わっている。その実力は折紙付。俺もまだそのすべてを拝ませてもらったわけじゃないけど。遼子さん自慢のパートナーだ。彼女自身はジョルジュのことを、〝永遠の恋人〟だなんて言っている。
 もっとも、清らかなオーラを身にまとい、ネコにもイヌにも好かれる美人女子高生とはいっても、遼子さんにはかなりビジネスライクなところがある。とりわけ金銭面に関してはシビアだ。
 お客と交渉して仕事を引き受けるのは専ら彼女だが、高一の俺と二歳しか違わないとはとても思えないほどのやり手だ。企業会計や法律の知識もバッチリ。うちは料金が相場より高いこともあり、依頼人との間でトラブルが発生することも珍しくない。でも、最後に折れるのは決まって先方。おかげで、俺はいつもヒヤヒヤさせられるけど。おまけに、実務をこなすのは大体俺……というかキムなのに、報酬比はチーフの遼子さんが八割で、アシスタントの俺たちは二割しかもらえないし。

 その遼子さんがなかなか現れず、校門の前で気をもんでいると、どこからともなく怒鳴り声が飛んできた。
「おい、そこの! そんなところで何やっとる!?」
 振り向くと、ジャージ姿の先生らしき人が小走りにこちらへやってくるところだった。いかにも鬼コーチ然としたその体育会系屈強ボディの持ち主は、うろたえる俺を上から下までジロジロとながめながらまくしたてた。
「なんだ、お前。中坊か? 高校? 名前と学校と学年を言え。住所と電話もだ。もう一度聞くぞ、ここで何をやってるんだ? 大体なんだ、その髪は? 外国人かお前は、ああん? 髪を染めるくらいしか自己主張ができんのか? 情けないやつめ! 将来ろくな大人にならんぞ!? お前みたいなやつが、暴走族に入って騒いだり、フリコメ詐欺でもやらかして老人をだましたりするんだろ。そのうち事故ってくたばるか、牢屋にブチこまれるのが関の山だぞ。違うか? どうなんだ、言ってみろ!?」
 俺の髪が赤いのは、母さんと同じで生まれつき、天然なんだけど……。ここまでケチョンケチョンにけなされたのは何年ぶりだろう。しかも、立て続けに質問を浴びせながら、こっちが答える暇も与えてくれない。
「まあまあ、土谷さん。ちょっと待ってくださいよ。ひょっとして、彼が例の研究所の方なんじゃないですか? 五時にお越しいただくようにとお伝えしていましたし」
 俺がオロオロしていると、先生の後ろで別の人物の声がした。よかった、助け舟が現れた。やはりジャージ姿のところを見ると、同じこの学校の教師なのだろう。こちらの先生は、小柄で人当たりのよさそうな顔つきだ。
「なんですって、前田先生? あのワンニャンなんとかっていう妙ちくりんな名前の? だって、こいつはまだ学生じゃないですか!?」
 もしかして、この先生たちが依頼人なんだろうか。時間がなくて制服のまま来ちゃったけど、やっぱり着替えてくればよかったな。
 そう思っていたところへ、ようやく遼子さんが登場。今日はジョルジュは家で留守番らしく、彼女一人だった。
「ハイハイ、ドモドモ。お待たせしました。依頼人の里見第三小学校の先生方でいらっしゃいますね? 私が当ワンニャン・サイコ・ズーオロジー研究所のチーフ・アドバイザー、猫咲遼子でっす♥ どーぞ今後ともゴヒーキに。彼はアシスタントの犬伏君ですわ。まあ、バイトみたいなもんですけど、腕のほうは保証しますんで。へへ……」
 遼子さんは、二人の客に洒落たイラスト入りの名刺を差し出し、手もみしながら愛想笑いを浮かべた。所員二人の研究所名は実にふざけて聞こえるが、実際、コンビを結成したときに彼女がふざけて考えた名称だ。
「こちらこそよろしくお願いいたします。こちらは土谷先生、私は前田と申します。二人とも六学年の担任です。土谷先生は学年主任で生活指導全般を担当されています。私は飼育動物と備品、植栽の管理をしているもので、今回依頼させていただくことになりました」
 前田先生がやわらかな物腰で会釈する。一方、土谷先生は値踏みするような目で、遼子さんと俺を交互に見やると、フンと鼻を鳴らした。
「チーフなんたらと言ったって、あんたも十代じゃないのかね? すこぶる優秀という話だから頼んだのに。まったく、人の噂などあてにならんもんだな。百パーセント保証付、未解決の場合は前金全額返金というのは本当なんだろうな!?」
 遼子さんはきちんとしたスーツ姿だったが、やっぱりOLというより学生にしか見えない。彼女が母さんと同じく、外でもすっぴんを通す主義なこともある。母さんは単に頓着しないだけだが、彼女の場合「肌が老ける」ってのが化粧をしたがらない理由だ。おかげで、下手をすると、俺より年下の中学生くらいに見られてしまう。だからといって甘く見た相手は、後で痛い目に遭うのだが。
「ご心配なく。当所の依頼達成率は正真正銘百パーセントですんで」
 これは嘘偽りない事実だ。インチキ宗教はさておき、除霊成功率に関しては、キムの成績は本物のプロの祈祷師や僧侶といった人間の霊能力者を圧倒的に上回る。なぜか? まあその辺りのことについては、霊界に対する一般の誤解も含め、おいおい説明していくことにしよう。
「それじゃ、お話をうかがいながら、現場へおもむくことにしますかね」
 二人の先生に小学校の敷地内を案内してもらう。土谷先生が先頭に立ち、大股でドシドシ歩きながら説明に入った。
「こどもたちがずっと騒ぎつづけて困っとるのだ。『変なものが見える』と言ってな。バラバラの、その……ウサギとか……」
「ウサギ、ねえ……」
 俺と遼子さんは顔を見合わせた。もちろん、ウサギじゃない。
 続いて口を開いたのは前田先生。かなり恐縮した口ぶりだ。
「あの……誠に申し上げにくいのですけれども、今回の依頼の件につきましては、諸般の事情を汲んでいただき、くれぐれも口外なきようお願いしたいのですが……」
「とくにマスコミの方面にはな。うちとしちゃ、またあることないこと書きたてられるのはごめんなんだ。それができなきゃ、この場で回れ右して帰ってもらうぞ!?」
 土谷先生もピリピリした調子で念を押す。
 二人の教師が神経質になるのも無理はない。里見三小ではいま、物騒な話題のネタに事欠かなかったのだ。動物飼育舎のウサギ虐殺事件。教師の相次ぐ不祥事。そして、児童連続行方不明事件──。
「無論ですわ。依頼人の秘密に関しては厳守しますんで。大体、週刊誌へのリークに頼ってんのは二、三流の連中ですからねぇ。まあですから、ここは一つうちをドンと信用していただいて、この学校特有の事情について詳細におうかがいしておきたいんですが。まずは、直接関連していると思われる例のウサギ虐殺の件について……」
 事件が起こったのはつい先月のことだった。担当者の前田先生によれば、飼われていたウサギはみんな、侵入者にカッターナイフで四肢や耳などを切り刻まれ、目も当てられないありさまだったという。そのうえ、血みどろの惨状を最初に発見したのは生徒の一人だったとか。
 同種の犯罪にはイヌを檻の中に放して襲わせる手口もあるため、この件ではイヌたちのせいにされずにすんだことで、内心俺は少しホッとした。第一発見者のこどもには気の毒だったけど。
「だから私は、うちがねらわれる前にさっさと取っ払うべきだと言ったんだ、まったく……。同様の事件はここ数年全国で起きとったのだから。大体、ペットをいじらせたところで、しょせん動物は動物、情操教育の効果などたかが知れている。人格形成に役立つわけじゃない。必要なのは、スポーツと道徳、そして健全な家庭環境、これに尽きる!」
「まあまあ。その話はここではやめましょう……」
 教師二人のやりとりを聞いて、俺たちはだまって肩をすくめるほかなかった。
「たかが知れてる」だってさ、キム。まあ、イヌもネコも、縁があって一緒に暮らす家族であって、教科書の替わりじゃないけれど。
「誘拐事件のほうは何か進展がありました?」
 遼子さんが次の質問に移ると、土谷先生がギロリとにらんだ。
「そんなことまで聞く必要があるのか? 今回の件とは関係ないだろうが!?」
「いやまあ、こういうのはフタを開けてみると、傍目には直接関連性がないように見える事件が絡んでるケースが案外多いもんですからね。差し支えない範囲で結構ですんで、一応おうかがいできれば、と」
「私からご説明しましょう。といっても、これまでの新聞報道以上のことは、私どもも知らされておらんのですがね……」
 再び前田先生が説明役を引き受ける。
 里見第三小学校では、この三年間で毎年一人ずつ、女子児童が三人も行方不明になる事件が起きていた。生徒たちは保護者同伴の集団登下校をずっと続けている。事件に巻きこまれた疑いが濃厚だが、警察の必死の捜査にもかかわらず、目撃証言その他誘拐犯の特定につながるような情報は未だに出てこない。周辺住民の不安は募る一方だ。ウサギの虐殺が児童誘拐と同一犯によるものではないかと見る向きも少なくない。
「あと、お辞めになった先生が一人二人いらっしゃったというお話でしたが?」
「なんでそんなことまで根掘り葉掘りあんたらに追及されなきゃならんのだ!? 後でやっぱりマスコミに売る気じゃないだろうな!?」
 土谷先生がついにかんしゃくを起こす。学校関係者にとっては、先の二つの事件より不名誉な内容だから、怒るのももっともかもしれないが。
 実は、不祥事を起こして免職になった教師が、最近この学校から二人も出ていたのだ。詳細は知らないけど、一人は横領、もう一人は盗撮だか痴漢だか、その手のしょうもない罪で捕まって。遼子さんも、それ以上しつこく尋ねるのはやめにした。
 そんな次第で、校長は一年置きに交替していた。土谷氏を含め、里見三小に勤務する教師はみな、さぞかし胃が痛くなる思いだろう。生徒のほうも、わざわざ学校を替えるために引っ越す家が後を断たないという。
 不幸な事件が立て続けに起これば、学校そのものが呪われてるんじゃないか──なんて噂が上ってくるのも当然だろう。うちに依頼が舞いこむのは時間の問題だと、遼子さんも踏んでいた。ワンニャン・サイコ・ズーオロジー研究所にお呼びがかかるのは、たいていよそが引き受けてさじを投げた後なんだけど……。

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