きしむブレーキの音。大きな影が間近に迫る。
ロケットに乗せて打ち上げられたかのような、激しい衝撃。
グシャッという音。骨が砕かれる音。内臓がつぶれる音。アスファルトに跳ね返る血飛沫の音。
ほんの一瞬遅れて、稲妻のような痛みが頭のてっぺんからつま先まで駆け抜ける。それ以外の感情、思考のすべてを吹き飛ばす、真っ白な痛み。それもほんの一瞬。
暗転。
それが終わりを意味した。
瞼を開くと、キムが濡れたほおを懸命になめている。俺はそっと彼の頭をなでた。
いつものことだ。
毎朝決まって同じ夢を見て目を覚ます。全身が汗でびっしょりになる。しばらくは起き上がることもままならない。
おなじみの夢の光景は、俺の記憶の中にあるものと寸分違わずそっくりだ。キムが死んだ日のそれと──。
小学校の卒業式を終えたばかりの春休みの日、俺は浮き立つ心を抑えきれずに街を飛び回っていた。自分の成長──身体や内面に起きつつある目覚ましい変化を実感し、自分がこれからより深く関わっていくところの刺激的な社会への好奇心で満ちあふれ、人生に対する期待感でいっぱいだった。周りのものが見えていなかった。
トラックの側にも落ち度があったらしい。でも、そんなことは関係なかった。もうだめだと思って目をつぶる直前、車と自分との間に黒いかたまりが飛びこんでくるのが目に入った。
キムだった。
ふだんお散歩のとき以外は家でおとなしくしているキムが、その数分前に突然家を飛び出していた。なぜかはわからない。そして──。
悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれなかった。
新しく始まる学校生活も、友人との出会いも、何もかもうっとうしいだけだった。人生なんてどうでもよくなった。
いちばん大切なものを失ってしまったのだから。
春休みの間中、俺はずっと部屋で泣き通した。
そして、春休みが終わる二日前、ほとんど眠らずにいて、久しぶりにぐっすり眠ってしまった朝、いつもとまったく変わらないキムが俺の顔をのぞきこんでいた。
もちろん、心臓が飛び出すほどびっくりした。何度もほっぺたをつねった。でも、これが夢じゃない、間違いなくキムがそこにいるとわかると、昨日までのそれとは正反対の涙があふれ出た。もう二度と離すもんかと、彼をぎゅっと抱きしめた。
その後、母さんにどう説明すればいいのかと、かなり悩んだ。彼女にはキムの姿は見えないかもしれない。俺の気が違ったと思って、病院に連れていかれちゃうかもしれない。でも……母さんやベルたちにとっても、キムは家族の一員だ。それで、勇気を振り絞った。
死んだはずのキムを一目見た母さんは、予想とは裏腹に落ち着き払った様子で、ただ深いため息をついた。
「この子はきっとね、戻ってくるだろうって思ってたんだ……」
それから、俺は初めて、ベルがもうずっとこの世にはいなかったのだということを知らされた。
実はそれまで、彼女が幽霊だなんてまったく気づきもしなかったんだ。陰なんてろくに注意してなかったし。不思議な子だな、と思うことはときどきあったけど。
そして、霊界救助犬のことも──母さんが、ただのトレーナーとは別の、裏の顔を持っていたことも、このとき知った。
俺もキムと一緒にやりたいと言いだすと、母さんは少し険しい表情をしたものの、最終的に反対はしなかった。かくして、俺たちはいままでどおりの、でも、いままでとは違った新しい生活をスタートしたのだった。
ちなみに、コウタ一匹じゃキムとベルの食事の分が余ってしまうこともあり、このときにユイたち三姉妹を里子としてもらい受けることになったんだ。
事故の夢にうなされ始めたのは、キムが戻ってきて一週間後のことだった。
最初のうちは、負けるもんか! と歯を食いしばって耐えようとした。けれど、痛みと恐怖は何十ぺん、何百ぺん体験しても慣れるもんじゃない。
事故に遭う直前、そして痛みを感じるコンマ数秒の間、俺は、もういやだ! 勘弁してくれ! と思う。こんな苦しみを味わい続けるくらいなら、キムに消えて欲しい──と。
そして、夢から覚めた後、自分のためにキムが死んだのに、なんて情けないこと考えるんだと、そんな弱虫の自分がどうしようもなくみじめだった。
キムはもしかして、自分が死ぬ原因となった俺のことを恨んでいるんだろうか? だから、化けて出てきたんだろうか──?
でも、日が経つうちに、自分を許せるようになった。キムも許してくれると思えるようになった。
彼は毎朝、苦しむ俺の顔を心配そうにのぞきこみながら起こしてくれる。俺がキムのことを疎ましく思うのは、夢が訪れるほんのわずかな時間だけだ。
キムがもし、本当は俺のことを恨んでいたとしても、俺はかまわない。彼のそばにいることができるなら。そのためならば、たとえ死ぬまで毎日だって、悪夢にうなされ続けてやるさ!
夢のことは、母さんには言ってない。うすうす感づいてはいるかもしれないけど。それに、ベルのことで母さんも何か抱えているのかもしれない。彼女が死んだいきさつについては、俺は何も聞いていないのだけど。
もしかしたら、これはこの子たちが霊界救助犬として現世に存在し続けるための不可避の代償なのかもしれないし。
クラスメイトの阿部と吉野と三人で、次の授業がある実験室へ移動中、廊下でバッタリ遼子さんと出会った。
「ハイ、迅人君。お昼一緒にどう?」
「あ、いいっすよ」
「じゃ、屋上で」
さりげなくキムの頭をなでると、そのまま進行方向へ。
去りゆく彼女の後ろ姿を物欲しそうに見送っていた阿部たちが、いっせいに俺を質問攻めにする。
「おい、なんだよ、犬伏。もうあんな彼女とできちゃってるわけ!?」
「しかも、いまの三年じゃん!」
「別にそんなんじゃないっつーの」
俺はため息をついた。遼子さんも周囲の目を気にしないタイプだからなあ。
彼女のスクールライフは実に淡々としている。クラスの女子とはふつうに友達づきあいをしてるけど、男子はまったく相手にしないらしい。ほとんど机や黒板と同列扱い。本業の研究所長で忙しい身だし、ジョルジュもいる。けど、男に興味がないのは、それだけの理由でもなさそうだ。
俺たちにはオーラが見える。オーラは、それが見える人間にとって、相手と自分との相性を判断するいちばんの決め手といえる。ルックスと性格の両方の要素を兼ねてるようなもんだ。しかも、うわべを飾ることができない。化粧するわけにいかないしね。
うちのクラスにもそれなりにカワイイ子は何人もいるけど、つい見とれてしまうようなオーラの持ち主は、残念ながら一人もいない。正直、遼子さんと母さん以上に魅力的なオーラを備えた人物には、いままでお目にかかったことがない。遼子さんも同じだろう。
「お? そんなこと言っちゃっていいわけ? んじゃ、もらっちゃうよ?」
「俺、めちゃストライクゾーン」
改めて阿部と吉野のオーラを観察してみる。
「別に止めないけど……でも、お前らじゃ絶対ムリ」
購買でパンを買って屋上へ上がってみると、今日は天気がいいこともあり、すでに何組もの男女が席を占めていた。手作りの弁当を分け合っているアツアツのアベックもいる。
「おおーい、迅人君、こっちっこっち!」
仲良く隣に座って食事とおしゃべりにいそしむ男女からなるべく視線を逸らしつつ、遼子さんのもとへ。
彼女とは頻繁に食事をともにする。ほかの連中の目にはうらやましく見えるかもしれないが、大半は仕事の打ち合わせ。要するに、ランチ・オン・ミーティングだ。貴重な時間を無駄にはできないからね。
「はい、キム。この間はご苦労さま♥ これ、特別支給ね」
二人の間に寝そべったキムに、遼子さんが煮干をプレゼントする。ジョルジュのおやつを持ってきたらしい。あいつ、見た目に似合わず庶民的なものが好きなんだ。まあ、ネコなんだからふつうか。
「幽霊だってちゃんとカルシウム補給しなきゃね~♪」
キムがおいしそうにほおばる様子を目を細めてながめると、自分もサンドイッチにぱくつく。
「例の件はその後どうなりました?」
「そうそう、あの今居って男に、前田先生の話をしたら、泣きまくりだったわよ。心を入れ替えて生きるってさ」
「へえ。元の教え子だって聞いたときはびっくりしましたけど。彼のほうも同じでしょうね。まあ、めでたしめでたしだったんじゃないですか?」
「……そう、ね……」
ポツリとつぶやいた遼子さんの顔は、仕事が大きな障害もなく片付いたというのに、何やら考えこんでいるふうだった。晴れやかな笑顔にはほど遠い。まあ、口座への入金を確認するまでは一件落着といえないけど。
続いて彼女は、今居への事情聴取の中身に話を移した。彼を警察に突き出さなかったのは、必ずしも恩情をかけたからというわけじゃない。逮捕されれば、必要な情報を引き出せなくなってしまうからだ。
だが、今居がニュータイプに接触した経路について、肝腎の手がかりはほとんど得られなかった。自殺系サイトの一つからたどり着いたらしいが、リンク先はとっくに消滅していたという。やりとりしたメールのログとかも、パソコンごとそっくり初期化されて全部パー。
「ううむ……じゃあ、これ以上ネットで足取りを追うのは難しそうですね」
「キムに電子の海を泳いでもらうわけにはいかないもんねぇ」
今居のパソコン上に姿を現したニュータイプのことに思いをめぐらせる。うまく言い表せないけど、あの霊にはどこか引っかかるものがあるんだよな……。
「まあ、いずれまた出くわす機会はあるわ。私たちがこの仕事を続けてる限り、ね……」
「……」
俺は、不気味な霊の話をするにはあまりに似つかわしくない、真っ青な空を見上げた。
一日の日課は、シャワーを浴びて、キムをグルーミングした後、朝のお散歩に出るところから始まる。散歩は俺と母さんで交代に出発する。俺が三姉妹とキム、母さんがもう歳であまり早く歩けないコウタをベルと一緒に連れていく。ユイたちはミニサイズのヨークシャーなのでコースが短く、キムにすれば物足りなさを感じるところだが、朝夕に加えて彼だけ夜にもう一回出かけるため、問題はない。学校にも一緒に登校してるし。
今日は日曜日。本業を優先すべく、俺は部活にも入っていない。依頼がない日は、天気さえよければ、午前中いっぱいキムとの訓練に費やす。大体、近くにある一級河川の河川敷を使うことが多い。
訓練の内容は、他のワーキングドッグとそう変わるところはない。遊びを交えて、手ぶりや声による指示と必要な動作の組み合わせを覚えさせる。その点、キムはまだ小さいころから賢い子だったので、苦労はなかった。誉めてやるだけであっという間に覚える。だから、ご褒美のおやつを食べすぎて太る心配もないし、モチベーター(しつけの動機づけになるそのイヌが好む玩具)を選んでとっ替えひっ替えする苦労も要らなかった。
実地にやったのはこの間が初めてだったけど、川に入っての水難救助訓練もする。ボールを放って持ってこさせる要領だ。夏場は俺が遭難者の役柄を演じる。生前からときどきお風呂に入っていたこともあり、キムもジョルジュと同じく水を恐がったりはしない。
それから、いろんな環境に慣れさせる訓練。霊界はその人の抱くイメージによって規定される。日本人の場合、三途の川の概念が定着しているから川になることが多いが、人によってまったく異なる光景が現出することもある。トンネルとか、森とか、あるいは雪山とか。
雪山の場面を想定したトレーニングのために、南アルプスまで出向いたこともあった。そのときは、本当に遭難しかけてえらい目に遭った。キムは雪遊びを大いに楽しんだけど。幸いにして、雪山特訓の成果を試す機会はいまのところない。
そういう具合に、霊界に直接関わる訓練が必要な場合は、母さん、ベル、そして遼子さんにもサポートしてもらう。
そういえば、最近一つ困ったことがある。生前からキムのお気に入りで、訓練の際のモチベーターでもあるフリスビーが行方不明なのだ。
彼専用のグッズ、おやつ、医薬品(幽霊なんだから本来必要ないけど、生前に医者にもらった薬の一部をまだ保存してあった)等は、みんな一つところにきちんとまとめて保管してある。それなのに、いくら掘り返しても見当たらない。
キムには宝物をどこかへこっそり隠す癖なんてないし、訓練中に紛失した覚えもない。十日くらい前までは確かに見た記憶があるんだけど。あのフリスビーがないと、キムのテンションが微妙に下がっちゃうんだよなあ。
しょうがないので、二番目に気に入っているボールを使うことにする。ふつうの人の目には、俺が一人で奇妙なパントマイムをしているように見えるだろう。
しばらく遊んでいると、着信音が鳴った。俺のケータイは基本的に業務連絡用なので、メールの相手は遼子さんか母さんだけ。つまりは呼び出しってことだ。何かに夢中になっているときは、俺もキムも第六感が働かないことがある。
メール画面には壊れたハートマーク。こんなアイコン、だれだって使う機会はなかなかないと思うけど、彼女が送ってきたのも初めてだった。なんだろ?
《一大事! パトラッシュに来てくれる? 昼おごるナリ。ただし五百円以内ニャー》
……。もしかして、この間の小学校の件の解決料が支払われなかったのかな? 給料が降りたら、さっそくキムに新しいフリスビーを買ってやろうと思ってたのに。
俺は口笛を吹いて彼を呼ぶと、連れ立ってパトラッシュへ向かうことにした。
パトラッシュは、駅前のさびれた商店街のいちばん奥から二番目にあるちっぽけな喫茶店だ。ドッグカフェと銘打ってはいるが、銀座や青山にある洒落た構えの店とは全然違う。日曜の午後でも、化粧の濃い奥様方がトリミングしたての高級品種を競うように見せびらかし合う、ということもない。そもそも看板にドッグカフェと書き加えたのは最近のことで、中味はそれ以前と変わってなかったりする。まあ、いつも席は空いてるし、仕事の話をするにはうってつけの場所だけど。
ドアをくぐり、店内を見回す。遼子さんはまだだ。ていうか、客が一人もいなかった。
カウンターで長身の人物が、いかにも暇そうにグラスを磨いている。丸い眼鏡とチョビヒゲがトレードマークのマスター、友坂さんだ。俺の姿を認めると、人好きのする笑みを浮かべて声をかけてくる。
「やあ、迅人君。また遼ちゃんとおデートかい?」
「いつものとおりでデートじゃないです。仕事っすよ、仕事」
「若いなあ、ハッハッ」
いたずらっぽく片目をつぶってみせる。やれやれ……。
指定席に腰掛ける。マスターは注文票を持ってきがてら、キムのほうへかがみこんで、顔を両手ではさむともみくしゃにした。
「やあ、会えなくて寂しかったよ、キム。相変わらず元気そうじゃないか。お前さんがもう死んじゃってるなんて、とうてい信じられないよなあ。ハッハッ」
ほかの客がいるとあいさつができないもんだから、むしろ久しぶりのスキンシップを交わせてうれしそうだ。客がいないのにはしゃいでていいのか?
キムもされるがままになっている。人間が好きな彼にとって、マスターと彼の奥さんは、いまでも自分の存在を認めてもらえる数少ない人間なだけに、店に入るといつも大きな尻尾をブンブン振り回して、喜びの表情をあらわにする。
マスターと奥さんは、母さんの旧い知り合いでもある。俺たちに仕事を紹介してくれることもある。こどもはいない。代わりに、シェルティを八頭飼っている。
実は、友坂さん夫妻はブリーダーもやっている。こんな客入りの少ない喫茶店だけじゃやってけないんだろうけど、そっちもたいした収入源にはなってそうもない。買い手のつかない子は、電信柱の張り紙や地域紙の広告で里親を探す。金をとらないどころか、ワクチン代も自前だ。売れ残りの子をそこまでフォローする人なんて、ふつうはいない。仔イヌが家を離れるときは、いつもハンカチが手放せない。そして、成犬になるまでもらい手の見つからない子は、いつのまにか家族の一員に加わっている。日本のブリーダーにしては稀少な人種だ。でなきゃ、母さんとウマが合うこともなかったろうけど。
「コーヒー? それとも二人でフロートのペア仕様いってみる? ストロー二本差しのやつ」
「サンドイッチで……」
マスターがサービスでくれたコーヒーをチビチビすすっていると、入口に遼子さんの姿が見えた。
「ハイ、マスター♥ 相変わらず……というか、いつにもまして閑散としてるわね……。営業努力足りなすぎよ。私たちのミーティング・ルームをつぶさないでちょうだいね」
「ハッハッ……。キツイなあ、遼ちゃんは」
席に着いて俺と同じくサンドイッチを注文すると(腹の足しになるようなものはほかに置いてない)、さっそく仕事の話に入る。
「報酬でなんかもめたんすか、先生と?」
遼子さんはこくっと一つうなずいた。
「土谷のやつから電話がかかってきてね。また出たって言ってる。もうカンカンよ。当然入金はなし」
「ええっ!? だって、そんな!? あのとき、確かに除霊は完了したし、マーキングだってちゃんとしたし……」
失敗なんてあり得ない。首をひねる俺に、彼女はもう一度うなずいて、先を続けた。
「いったんフィックスしたのはまぎれもない事実よ。こんなの筋が通らないわ」
「前田先生はなんて?」
「なんか、交渉役を外されたみたい」
そういうことか……。今回、いつにも増して順調に事が運んだと思ったんだけど、結局こうなるんだよな。
「どうします? このまま引き下がるわけにはいきませんよね?」
「もちろん。土谷の旦那は、『おたくはインチキだと言い触らしてやる』なんていきまいてるし。一目見たときから、あの男は虫が好かなかったけど。見るからに不感症だしね。教職に向いてるとは思えないわ。生徒指導担当って言ってたけど、どうせ服装チェックとかいって校門で竹刀振り回しながら、スケベな目で女子生徒の太腿眺めるのが趣味なんでしょ」
……。ちなみに、ここで彼女の言う不感症とは、イヌやネコとの相性が悪いという意味だ。オーラがくすんだグレーの土谷先生は、明らかに動物に〝もてない〟タイプだった。
世の中には、本人の好き嫌いによらず、ともかくイヌやネコに嫌われるという人がいる(少ないけど、逆のタイプもある)。体臭が主な原因だと思われるが、霊感の鈍い人と合致することも多い。本人が動物大好きという人だと、お気の毒というほかはない。この先生の場合、同情の余地もないけど。
「これから出向きます?」
「ううん。先方も出勤してないし。私も午後はジローやモモとのデートが入ってるの」
ジローとモモは遼子さんとこのネコで、ジョルジュと違って生きている。うちのコウタやユイたちと同じポストだ。ちなみに、ジローは三毛、つまりメスで、顔の模様がちょうど真ん中で黒と赤に分かれているため、この名がついた。女の子に付ける名前じゃない気がするけど、性格もかなり男性的で、本人はモモの亭主のつもりらしい。
「で、悪いんだけどさ。明日の午後、早退して来てもらえる? 目撃者と直接会わせるよう直談判するから。可能性としては、こどもたちが何らかの理由でウソをついているか、土谷のやつが踏み倒す気ででっちあげたか、どっちかでしょうからね」
「サ、サボリっすか?」
俺はうろたえたが、遼子さんには動じる様子がない。爪先でスプーンを弾きながら、口をとがらせる。
「仕方ないじゃない。私は生活費かかってるんだし。つまんないことで評判落とされて、商売あがったりになるのはごめんだわ」
「そりゃ、確かにそうですけど。母さんにバレたら何言われるやら……」
頭を掻く俺に、遼子さんは満面の笑みで答えた。
「真知子さんなら大丈夫よ。あなたとキムの良き理解者だもの」
でもきっと、それとこれとは別! とか怒鳴られるぞ、きっと……。