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5 証言




 明けて月曜日、俺は良心の呵責を覚えながらも、腹痛を装って教室を脱け出し、予定どおりキムと里見三小へ向かった。
 通学路の四つ角を曲がったとき、声をかけられる。聞き覚えのない男性の声だ。
「あ、あの……こ、こんにちは」
 だれかと思って後ろを振り向いたら、あの今居って男だった。
「どうも」
 正直、これ以上関わりを持ちたくはなかったので、会釈だけして通りすぎたいと思った。が、今居氏は続けて俺に尋ねてきた。
「き、今日は、あの……猫咲さんはご一緒じゃないんですか?」
 いかにも自信なさげな話しぶりは、霊界で対決したときの居丈高な態度とは対照的だ。まあ、霊体でいるときは、その人の本性、素の人格が表に出るものだけど。
「遼子さんにはこれから三小で落ち合うところですけど。何か用があるのなら、俺から伝言しときますよ」
 三小という言葉を聞いて、今居はギクッとなった。無理もないか。
「それとも、一緒に行かれます? もうあんなまねは二度としない約束ですし、大丈夫ですよね?」
「あ、いえ……結構です……」
 今居は背中を丸めて反対方向にトボトボと歩いていった。ちょっと意地悪しすぎたかな? でも、あれだけのことをしておきながら、反省だけで無罪放免に等しい扱いだし。ニュータイプに関する情報入手のためとはいえ、遼子さんもずいぶん甘い顔をしちゃったからな。なんだか彼女に興味を持ったみたいな言い方だったし、三途の川で露見したあの性格はまさにストーカー気質って感じだし。いまのうちにしっかり釘を刺しておかないと。
 今居に呼び止められたのはほんの数分だったが、今日は遼子さんのほうが一足早かった。俺が学校に到着したときには、すでに先生との間ですったもんだの言い合いが始まっていたのだ。
「なんだ、てっきり前金の返還に来たのかと思ったのに、まだ性懲りもなく続けるつもりなのか!? あんな手品で私をはめたつもりなんだろうが、もうだまされんぞ! このインチキ詐欺師め! だから、私は最初から反対だったんだ! ワンニャンなんたらなんてふざけた名前の、まだケツの青いガキどもにまともな仕事がこなせるわけないしな!」
「うちはイカサマなんて絶対やりません! 今まで引き受けた依頼で問題が再発したことだって、一度もないんです!」
「じゃあ何か? こどもたちがウソをついているとでも言いたいのか!?」
 この猛牛のごときガタイですごまれたら、たいていの人は縮こまってしまうだろう。けど、見た目は華奢な女子高生ながら、遼子さんだって一歩も退く気配はない。
「もちろん、そういうわけじゃありませんよ。ただ、お子さん方の証言をじかにおうかがいしたいと……」
「ともかく、この件でおたくらと話すことはもうない! それから、前金は一週間以内に返金してもらうぞ! さあ、行った行った!」
「あ、ちょっと!」
 土谷氏はスタスタと大股で歩み去ってしまった。
「まったく、失礼しちゃうわねぇ。他人の話に聞く耳持ちやしない。こっちが若い女だと思ってナメてるわ。まあ、よくいるタイプだけどさ」
 カッカきている遼子さんを慰めようと、キムがハタキのような尻尾を振ってなでる。ジョルジュが肩の上からキムの背中に飛び降り、それは自分の役目だといわんばかりに鼻っ柱を引っぱたいた。
「どうしましょっか、遼子さん?」
「どうもこうも、このまま尻尾丸めて帰れやしないわ! なんとかあの脂ぎったオヤジのテカテカの鼻を明かしてやらなきゃ」
「でも、どうやって?」
「こうなったら、手当たり次第に生徒に聞く!」
 遼子さんは一向に腹の虫が収まらないようだ。
「先生たちに見つかったら即座につまみ出されちゃいますよ? ここ、警備が厳しいんじゃないですか?」
「う~ん……」
 腕組みをしてしばし考えてから、彼女はポンと手のひらを打った。
「じゃあ、ジョルジュとキムに頼みましょ。キムのリードはどこまで伸ばせる?」
「ええっと、公園とか河原とかだったら三十メートルくらいはなんとか伸ばせますけど……。姿が見えてないとちょっと、その……不安なもので……」
 俺は頭をかきながら弁解気味に答えた。これは、彼の死後から俺の抱えている一種の神経症なのかもしれない。遼子さんのやろうとしていることは、大体見当がついたけど。
 こどもは大人に比べて霊感が強い。とりわけ年齢が低いほど。二匹の姿がわかるなら、学校を騒がせたウサギの霊──実は今居の生き霊だったけど──のことをきっと知っているだろう。その子に現場に立ち会ってもらうことで、もう霊が消えていることを証言させられる。
「まあいいわ。キムには近場を担当してもらいましょう。授業の終わる時間を見計らって作戦開始よ」
 どこか目立たない場所はないかと探した末、焼却炉のそばに座りこみ、チャイムが鳴るのを待つ。最近はダイオキシン問題などで、動物飼育舎同様、撤去されたところも多いが、ここは未だに稼働していた。キムが一つくしゃみをする。
「それにしても、どういうことなんでしょうね。いったんケリはついたはずなのに」
「そうよ。パトラッシュでも話したでしょ」
「こどもがウソをついてるってのもなんだかなあ。理由が見当たらないし……」
「それをいまから確かめるんじゃない」
 ……。会話はそこで途切れた。
 時刻は二時半を回ったところだ。低学年はもう帰ってしまっている。高学年は出てくるのが三時過ぎになるだろう。後三十分くらいか……。だまってこうしているのもなんだか気まずいなあ。
 もっとも、遼子さんのほうは気にする様子もなく、穏やかな目つきでジョルジュの毛をほっそりとした指で漉いている。目を伏し気味にしていると、ナチュラルでも長い睫毛が余計に目立つ。
 長く見とれすぎたことに気づき、俺はあわてて目を逸らした。彼女の膝の上で気持ちよさそうに咽喉をゴロゴロ鳴らしているジョルジュへといったん視線を移し、それもまずいと思い直して、反対側にいるキムのほうを向く。
 遼子さんとは、仕事以外のプライベートの話は滅多にしない。したとしても軽口程度だ。俺のプライベートは、母さんを通じて彼女には筒抜けだろうけど。
 彼女はたぶん、俺のことを、使える助手としか見ていない。実際、俺たちの間柄は師弟ないし労使関係以上のものじゃない。
 もし、いまより親密な間柄になれていたら、遼子さんはジョルジュのことをもっと話してくれたはずだ──彼の身に起こった出来事、彼女がこの仕事に手を染めるようになったいきさつを。
 彼女のことを、魅力的な女性だと思わないわけじゃない。それどころか、そんなミステリアスな部分も含めて、とびきり素敵な女性だと思う。けれど、やっぱり距離を感じてしまう。ジョルジュが恋人だと口ぐせのように言っているからには、うちの学校だけじゃなく、外でもつきあっている男性なんていないだろう。
 だからといって、自分がそのポジションに近づけるかといえば、そんな自信はてんでない。遼子さんの目から見たら、俺も阿部や吉野と大差ないに決まってる。
 俺には手の届かない人。他人に一切頼らず、一人で厳しい世の中を渡り歩き、三匹の家族を養ってもいる、十代だとはとても信じられないほど大人の女性。
 でも、いつかは彼女に認めてもらえるレベルの人間になりたいと思う。ハンドラーとしても、一人の男としても……。
 そんなとりとめもないことを考えていると、ようやく終業のチャイムが鳴った。掃除のBGMが流れ出したため、いったん場所を給食室脇へ移動。
「さあ、行ってらっしゃい。どっちの獲物が多いか競争よ」
 獲物ですか……。
「よし、負けるな、キム!」
 二匹は学内探検に乗り出していった。ジョルジュは階段をトコトコ登り、キムは廊下をまっすぐ駆けていく。
キムの姿が柱の向こう側に消えると、途端に自分の動悸を意識するようになった。
 目をつぶって左手で右手首を持つ。キムの動きは握りしめたリードを通じてちゃんと伝わってくる。
 大丈夫、キムは俺のそばからどこへも行きやしないさ──半ば祈るような気持ちで、口の中でそうつぶやく。
 待つこと一五分。
「ほら、あそこ! イヌだよ、イヌ!」
「あ、ほんとだ!」
「ネコもいる~」
 こどもたちから予想どおりの反応が返ってきた。結局どこかで合流したらしい。遼子さんが俺の顔を見てクスッと笑みをもらした。
「引き分けみたいね」
 校内をイヌやネコが闊歩しているのを目撃したら、生徒たちはまず先生に報告しにいくだろう。でも、大人で霊体の二匹の姿が見える人はまずいない。彼らは首をかしげながら、キムたちの後についてくるはずだ。
 はたして、廊下の角を曲がって二匹が姿を現したとき、後ろには総勢一五人ばかりのこどもたちを引き連れていた。ガヤガヤ騒ぎながら、二匹のほうをしきりに指差している。大漁だ。
 俺たちの姿を認めると、こどもたちの顔に戸惑いの色が浮かんだ。それでも、二匹の飼い主が俺たちだとさえわかれば、きっとみんな心を開いてくれるに違いない。
 帰ってきたキムとジョルジュを、遼子さんが両手を広げて迎える。そして、今度は笑顔を浮かべてこどもたちに話しかけた。
「君たちさ、ここにいるニャンコとワンコの姿、見えてるの?」
「うん!」
 一人の男の子が元気よく答える。
「すごいや! イヌやネコの幽霊もいるんだね。その子たちって、お姉さんたちが飼ってるの?」
 意外な反応に、俺たちは少し驚いた。この子たちは、あまりに平然と霊の存在を受け入れすぎだ。担任が霊能力者の先生というわけじゃあるまいに。
「そうよ。ジョルジュとキムって名前なの。いい子でしょ。この子たちが幽霊だってことは、ほかの人……とくに大人には内緒にしてね。それとも、もうだれかにしゃべっちゃったかな?」
「ううん、言ってないよ。どうせ信じないしさ。土谷先生なんて、オバケの話したら、『ふざけたこと言うな! 今度そんなウソをついたら正座二十分だ!』って怒鳴られちゃったもん」
「ひょっとして君たち、担任が土谷先生なの?」
「ううん。担任は前田先生。土谷先生は隣のクラスで、体育の授業だけ見てもらってるの」
「おっかなぁい先生」
「すぐ正座させられちゃう」
「そこ、私語を慎め! たるんどる!って」
 こどもたちはみんなしてケラケラと笑った。なんだ、あの先生だってこどもたちをウソつき呼ばわりしてるじゃんか。
「オバケってウサギの? まだ化けて出てきてる? 今週に入ってからピタッと出なくなったってこと、ない?」
「何それ? ウサギのオバケなんて知らないよ」
「ウサギ小屋のあったとこに出るのは女の子の幽霊だもん」
 俺たちは顔を見合わせた。そんな話は初耳だ。
「ねえ、それ本当? この学校の飼育舎のところに出る幽霊って、バラバラになったウサギっていう話じゃなかった?」
「うん、違うよ。白石さんがうちの組に転入してきたときに見つけたんだ」
「白石さん?」
 こどもたちが後ろを振り返る。視線の先、柱の陰にもう一人、隠れるようにしてこちらをうかがっている女の子がいた。
 モジモジしながら前に進み出たその子を一目見るなり、俺と遼子さんは驚きに目を見張った。
 その子のオーラはほかの子とは段違いだった。後光が射しているのかと思ったほどだ。遼子さんや母さんの上をいくかもしれない。
 白石さんと呼ばれた女子生徒は、俺たちのほうをじっと見つめたまま、それ以上こちらへ近づこうとはしない。もともとシャイなんだろうが、その目つきには、いかにも相手を警戒している様子がうかがえた。彼女には、キムたちの姿がだれよりもはっきり見えているに違いないし、俺と遼子さんが特別の力を持っていることも感じたんだろう。
「あなたが白石さん? ごめんね、驚かしちゃって。私たち、この子たちと一緒に幽霊にまつわる事件を解決するのが仕事なの。それで、あなたにも協力してほしいんだ。よかったら話を聞かせてくれる? その女の子の霊のこと。土谷先生に正座させられることなら、心配しなくていいのよ? 私たち、絶対告げ口なんてしないから」
 遼子さんが努めてやさしい声で話しかける。少し間を置いてから、白石さんという名の子は口を開いた。
「違うの。土谷先生じゃなくて前田先生。それに、怒られるのはその子たちなの」
「こら、そこで何をしている!?」
 あの声は土谷先生だ。しまった、見つかった。
 先生はドタドタと駆けつけると、生徒の前なのにもかまわず、俺たちに向かってものすごい剣幕でまくしたてた。
「うちのこどもたちにいったい何を吹きこむつもりだ!? いますぐ出ていかないと、警備員を呼ぶぞ!!」
 なんとか踏みとどまろうとしたものの、結局俺たちはつまみ出されてしまった。
 そこで、今度は校門の前で白石さんが下校するところを待ちかまえる作戦に出る。だが、土谷先生が警備員を連れてきて、ハエのごとく追っ払われてしまった。これじゃ、学校に近づくことさえできやしない。
「あ~、もう! 後少しで核心に迫れるところだったのに……」
「どうします? いったんパトラッシュに戻りましょうか」
 学校から少し離れた売店の前でミスター土屋対策に頭を悩ませていたとき、また俺の後ろで頼りなげな声がした。
「あ、あの……」
 今居だ。もしかして、まだ遼子さんに未練があって、近くでウロウロしていたんだろうか。よく警備員に詰問されずにすんだな。
「ああ、君か。どうしたの?」
 ムスッとしている俺に代わって、遼子さんが返事をする。年は彼のほうが上のはずだけど、すっかり年下扱いだ。
「ええっと……あの……その……」
 しばらく躊躇した後、今居はいまにも泣きだしそうな声で訴えた。
「あ、あの! ぼく……ぼく……自分のしたことを償いたいと思ってるんですけど、どうしたらいいのかわからなくて……」
 そんなこと自分で考えなさいよ──そう言うに決まってると思ったら、遼子さんは少し首をひねってから意外な返事をした。
「そう……ちょうどいいわ。手伝ってもらえること、あるかもしれない。一緒にパトラッシュへ行きましょ」

「お、友達連れてきたの? 珍しいね」
 マスターがメガネの奥からのぞきこむように、俺たちとともに店の敷居をまたいだ新客の品定めをする。今居はいかにもはにかみ屋の青年という体で、ペコリとお辞儀をした。
 まあ、俺たちもついてるし、一見しただけじゃ、多少落ち着きがなさそうに見えるだけで、動物虐殺の前科があるとはだれも思わないだろうな。
「あ、コーヒー代はぼくが持ちますんで……」
 バイトをしながら専門学校へ通っている今居の懐具合は俺よりマシだ。俺が渋い顔をしていると、マスターがニヤニヤしながら肘で小突いた。
「迅人君、なんかおもしろくなさそうな顔してるねえ。ひょっとして妬いてんの? 彼女取られやしないかって」
「そ、そんなんじゃありませんよ!」
 あわてて言い返す。と、遼子さんがフォロー(?)してくれた。
「迅人君は妬いたりなんかしないよねえ。キムっていう立派な恋人がいるんだし」
 キムと顔を見合わせる。複雑な心境だ……。話題を変えることにする。
「それにしても、三小に霊感の強い子があんなに多いなんて思いませんでしたね。俺、中学のときなんて、クラスにキムが見える子、一人もいませんでしたよ。あの白石っていう女の子もすごかったけど」
「あれはそうじゃないの。典型的な霊感共鳴だわ」
「霊感共鳴?」
 オウム返しに尋ねる。彼女と話していると、この手の聞き慣れない単語がポンポン飛び出し、自分の勉強不足を痛感することがしばしばだ。
「霊の存在する場所に、霊感水準の異なる人が複数居合わせた場合、レベルの低い人でも高い人の霊感に影響を受けて、幽霊が見えるようになったりするの。修学旅行とかで、集団で心霊現象を体験するケースが多いのはそのためよ。白石さんって子、いまはまだ能動的に霊力を行使することはできないでしょうけど、受動的な霊能力に関しては、私や真知子さんより上をいってるわ。だから、一緒にいる同級生たちの霊視能力まで引き上げていたわけ」
「なるほど……。出てくる霊が女の子だったって話はどう思います?」
「霊の重複、ダブル・ブッキングの可能性が高いわね。今居君の生き霊との。無縁の霊って、互いに影響を及ぼすことなく一つの空間を共有することが可能なの」
「なぜ、俺たちがいたときには今居さんのやつしか感知できなかったのかな? こどもたちには見えていたのに。それに、キムのマーキングが効かないのもおかしいし」
「あれは今居君の心の内に溜まり続けた他者に対する悪意、害意が、罪悪感や恐怖とない交ぜになって、幽体として犯行現場に引き寄せられたもの。他者に吐き出したい、見せつけてやりたいっていう自己顕示欲のかたまりの状態だったから、同じ場所にいた他の霊の存在をすっかりおおい隠してしまった──というのが原因の一つとして考えられる。けど、それだけじゃ説明しきれないわね……」
 遼子さんは少し思案してから、今居のほうを振り向いた。
「今居君。再確認になるけど、君はウサギたちを殺してそのことを見せびらかしてやろうと思ったけれど、実際にこどもを殺害はしなかったし、殺してやろうと考えてそのイメージを具体的に思い描いたわけじゃない。それは事実よね?」
「はい、誓って……。それでも、バカなことをしたと思いますけど……」
 黙って俺たちのやりとりに耳を傾けていた今居が答える。遼子さんはうなずいた。
「今居君の生き霊が別の形態をとっていた可能性はこれで消えたわ。もう一つ。そもそも、君は、自分で意図的に念じてウサギの死体の映像を現場に送信してた?」
「い、いえ……。学校の光景が頭に浮かぶのは、帰宅してネットに入って、あいつと話しているうちに、頭がぼーっとして身体が浮き上がる感じで、いつのまにかあそこにいるみたいな……」
 遼子さんの目が光った。
「読めてきたわ……。今井君の場合、生きた状態で霊魂が肉体を離れる、いわゆる幽体離脱を行っていたわけだけど、それってよっぽどずば抜けた霊力の持ち主でなきゃ、意識的にコントロールすることはできないのよ。つまり、ニュータイプの介在があって初めて可能だったってこと。生霊にしては不自然な、無個性でうつろな思念のかたまりだったのも、それで説明がつくわ」
「ということは……」
「最初から仕組んだのは連中だったのよ。やつらはまず、心に暗部を抱えた若者をネットを使って誘いこんだ。そして、今居君に目をつけ、強い暗示をかけてまず動物を襲わせるよう仕向けた。その後、人間のこどもも殺させるつもりだったのかもしれないけど……。次には、今居君の慙愧の念を利用して、オバケ騒動を巻き起こしたってわけ。別の霊の存在をごまかすために、ね……」
 なるほど、いくら二重人格だといっても、この気弱なやつになぜウサギ殺しを実行できたのか不思議ではあった。結局利用されただけってことか。
 けれど、そこまで計算する霊、ニュータイプっていったい何なんだ? 俺は改めて背筋が寒くなるのを覚えた。ネットが市井に普及しだしてから出現した新種なのは間違いないし、犯行の手口を考え合わせても、人間の仕業としか思えないが……。
「ねえ、遼子さん。ニュータイプっていったいどういう霊なんですか? パソコンの中に潜られてちゃ、キムでも正体がつかめないけど、あの霊力は半端じゃなかったですよ。母さんも遼子さんも、人間の霊はどれもたいした力を持ってないって説明してくれたけど、ひょっとしてあそこまで強化されちゃったってこと、ないですか?」
 遼子さんは俺の目をじっと見つめた。今居のライフサポート任務を終えた後の、あの晩と同じように。
「……まあ、焦らなくてもそのうち対決のときはやってくるわ。もうその日は遠くないのかもしれないけど……」
 そう言って目を伏せる。この新手の強敵について、まだ何か俺の知らないことを遼子さんは知っているんじゃないか……。そんな気もしたけど、いまの彼女の真剣な表情には、その問いを口にするのをためらわせるものがあった。俺は仕方なく、質問内容を変えることにした。
「ひょっとして、その女の子たちの霊というのは、行方不明になった生徒たちなんでしょうか?」
「いまはまだなんとも言えない。けど、あの白石さんって子から詳しい話を聞くことができれば、なぜ私たちがその子たちに会えなかったのか、そして、その子たちがなぜ幽霊になったのか──言い換えれば死んだのか、その理由も明らかになるに違いないわ」
「そうか……。でも、振り出しに戻っちゃったなあ。どうやってあの子ともう一度コンタクトをとるか……」
 白石さんの自宅がわかれば直接会いにいけるけど、俺たちは探偵じゃない。まあ、それに近いこともやってはいるけど、名簿録や住宅地図のような個人情報を簡単に入手できる立場にはない。
「せめて前田先生に事情を説明できればいいのに……」
「前田先生に話すのはやめましょう。どのみち、もう会ってくれないと思う」
「え? もしかして遼子さん、前田先生のことも疑ってるんですか? 土谷先生と同じで、最初から俺たちのこと信用していなかったと? 俺にはそうは思えないけどなあ……」
「そうですよ。そもそも、ぼくなんかの名前をまだ覚えていてくれたなんて、それだけでもぼくは感激しましたし」
 今居もややオーバーアクション気味に意見を述べる。遼子さんは冷めたコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、うつむき加減につぶやいた。
「まあ、話ができすぎてると思ったら、後で必ず揺り戻しが来るってことよ……」
 遼子さんの考えに異を差しはさむのは気が引けたし、彼女より一、ニ度会っただけの他人の肩を持つのもどうかと思う。それでも、俺は納得できずに食い下がった。
「でも、学校で動物を飼育することの是非は別にして、あの先生の考え方には共鳴できるんです。俺は……トレーナーとしての母さんを尊敬しています。母さんは、イヌだって、相手の痛みのわかる子になれる──そう考えてます。そのためにはまず、飼い主の側が相手の痛みのわかる人間にならなきゃダメだって……。それって、人間のこどもにしたって同じことなんじゃないですか? この前、前田先生が語ってくれた教育方針も、それに近い気がしたんです。だから、こどもにそうした接し方のできる人が、手のひらを返すようなまねができるなんて、俺には思えなくて……」
 遼子さんは両の指を重ねて顎を乗せると、俺の顔を見てクスリと笑った。
「迅人君は人のこと、すぐ信じちゃうタイプなのね……。ま、そういう君のウブなとこもカワイイと思うけどさ。でも、世の中きれいごとだけじゃすまないし、君も少しは耐性を付けとかなきゃ。でないと、後で人に裏切られたときに、ショックでへこんじゃうよ。ねえ、今居君?」
「そ、それは確かに猫咲さんのおっしゃるとおりですね!」
 やっぱり調子いいぞ、こいつ……。
 それから、遼子さんは自信ありげな表情を浮かべて身を乗り出した。
「まあ、ここは私に任せてちょうだい。一つ、考えがあるの。今居君には重要な役どころを引き受けてもらうわ。結構タフな仕事かもしれないけど……いい?」
 今居はゴクリと唾を飲みこんでから言った。
「や、やらせてください! ぼく、がんばります!」

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