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6 街の住猫(じゅうにん)たち




「集会に出てみないか?」
 リューイにそう誘われたのは、私が人間神山栞だった過去を捨て、猫として生きることを自分に宣告してから、幾日か過ぎた日のことだった。
 集会というのはもちろん、全校集会でも、アヤシイ教団の会合とかでもない。言わずと知れた〝猫の集会〟のこと。
 もちろん、私は二つ返事でオーケーした。
 私が猫になってから直接顔を会わせたのは、リューイとマリさん、そしてフルフルしかいない。リューイの授業のおかげで、猫の社会に関する基礎知識もだいぶ身についてきたことだし、この機会に街に住む猫たちと親睦を深めておくのも悪くないと思ったからだ。
 もっとも、私が元人間だったことを知っているのはリューイだけだし、ほかの猫に話すつもりもないけれど。
 集会場に使われているのは、私がリューイといったん別れたあの駐車場だった。
 ここは外猫にご飯をあげているおばさんの家が近くにあるので、いつも何匹かの猫がたむろしている猫のたまり場になっていた。
 みんなが訪れるのは大体人間の夕飯時。この付近数百メートル四方の範囲に住んでいる猫が、入れ代わり立ち代わり訪れる。現れるメンバーは日によってまちまちとのこと。
 辺りが薄暗くなる前に、私とリューイは一番乗りで駐車場に到着した。
 しばらくたたずんでいると、やがて街の猫たちが続々と集まりだす。
「うわ、あいつがいるよ……」
 大柄な汚い長毛の猫の姿を見て、私は思わずうげっと声をあげた。二度と顔を見たくないと思ったあのフルフルだ。
「やあ、フルフル」
「よお、リューイか。相変わらずしけた面してんなあ……と思ったら、なんだ、チビスケなんか連れて。おめえにそんなガキいたっけか?」
「ああ、この子はぼくのこどもってわけじゃない。ちょっとワケアリでね。いまぼくがいろいろサポートしてるんだ」
「まったく物好きなやつだぜ。よお、ガキ。なんか困ったことがあったら、遠慮しねえでいつでも俺のとこへ来いよ。とくに色恋沙汰は、こいつじゃあてにならんからな。リューイのやつは、アインステインほどにもまじめにメスの尻を追っかけやがらねえ。去勢猫じゃあるまいによ。だから、モテたいって気があんなら、まず俺に聞けや」
「間に合ってます……」
 なんと、私をあの晩邪険に追い払ったことは、フルフル氏の頭からすっぽり抜け落ちてるらしい。しかも、私のことオスだと思ってんのか? いくら手術済みとはいえさ。ほんと失礼しちゃう! まあ、リューイの言ったとおり、悪いやつじゃないみたいだけど……。
 彼のことは無視してそそくさと次へ移動。
 フルフルの隣にいたのは、茶色のブチが入ったかなり太目のオス。フルフルは毛が長いせいで〝着太り〟して見えるだけみたいだけど、彼は短毛だから一目で肥満体型とわかる。体重七、八キロはありそう。
「彼はミソ。この街きってのキャットフード評論家として有名なんだよ」
「へえ~。違いのわかるオスってとこ?」
 私がおだてると、ミソ氏は気取って咳払いしながらにんまりと目を細めた。
「コホン、まあそんなところかな」
「味の決め手はなんでしょーか?」
「もちろん、原料の魚や肉そのものの品質が第一さ。最近は食品偽装の問題もあるし、できれば国産の信頼あるメーカーのものを選びたいね。キャットフードに回されるのは人間向けの食用には卸せないものなんだし、ただでさえ法律や行政の規制も緩いんだから。あと、パッケージも疎かにはできない。ドライは空気に触れると酸化するからね。少猫数(しょうにんずう)の家庭なら、せめて小袋のパックに分かれているものを選んだほうがいい」
 わあ、リューイが動物学者なら、彼はグルメ研究家ってとこだなあ。さすが、だてに太ってないよね。きっと銘柄当てクイズとかやらせたら、全問正解間違いなしだろうな……。
 そこで私は、このキャットフードの大家に教えを乞おうと思い立った。食生活の質の向上は、いまの私にとって決してないがしろにはできない問題だ。
「後学のために聞かせてほしいんだけど、お薦めのブランドとかってある?」
「そうだねぇ……まあ、僕の推奨するある一品に比べたら、どのメーカーのブランドも五十歩百歩だな」
「で、そのブランドとは?」
 ミソ氏の回答を聞き漏らすまいと、三角耳をしっかと立てて身を乗りだした私に向かって、彼はもともと細い目をさらに細めながら、にんまりとして言った。
「もちろん、ネイチャーメードの健康でまるまる太ったネズミさ」
 ……。ハイ、聞いた私がおバカでした。
 今度は、さっき駐車したばかりの車の下に潜ってくつろいでいた猫が、のっそりと立ち上がってこっちへ歩いてきた。冬場は温かいだろうけど、いまどきはガソリン臭いだけじゃないかしら。
「彼はワサビ。由緒正しき日本猫の伝統をいまに伝える国宝的存在だ」
 どっかの落語家を思わせる丸顔と、私のよりも立派な切り株尻尾は、確かに日本猫の見本って感じ。
「なんでワサビなの?」
「わびとさび」
 ……。
「ズバリ日本の心とは?」
「……炬燵」
 ……そだね。私もコタツ好きだよ。
「コタツとお日さま、どっちか選べって言われたら?」
「……」
 目をつぶってしばら~く考えこんだ後、ワサビ氏はポツリとつぶやいた。
「一首浮かんだ」
 集まった猫たちの視線がワサビ氏に集中する。彼は手近に止めてあった軽ワゴンのボンネットの上に乗っかると、上半身をシャキッと伸ばし、澄んだ声で詠みあげた。

──霜立てる 日もぬくぬくと 身を丸め 春日に浴す 夢にまどろむ──

 おお~、詩猫(しじん)じゃん。ポエマー猫だよ。
 拍手を送ろうとしてまた顔を洗っちゃった。みんなも洗ってるところを見ると、これが猫流の拍手喝采でいいみたいだけど。
「もう一句」
 再び詩吟の体勢。

──スイッチが 入ってないよと 脛を噛む──

 ……。結局、コタツと太陽じゃどっちもどっちってことね……。
 続いて、アメリカンショートヘアという品種らしい、きれいなグレーのマーブル模様のオス。
「彼は五丁目に住んでいるシューマッハー。一名を〝疾風のシュー〟と呼ばれている」
「へえ、かっこいいじゃん」
 見た目もナイスガイだけど。俊足なのかな?
「得意技はシューとすかしてマッハで去ること」
 ……へ?
 うわ、なんか臭ってきたぞ!? 何が疾風のシューだぁ!
 そして、彼は疾風のごとく去っていった。
 次に紹介されたのは、チョコレート色をしたメス。見るからに美猫(びじん)。三咲先輩や、クラスの滝川さんみたいに、同じメスとしてはちょっぴりジェラシーを感じちゃうほど。
「彼女はサッシ。ドア開けの名猫(めいじん)なんだ。彼女にかかれば、どんな扉も閉めきりじゃいられない」
「へえ、すごいや」
 名前もだけどね……。
「まぁね。だって私、襖でも障子でもサッシでも、常に開けとかないと気がすまないの。扉が閉まってると、なんかこう息が詰まるっていうか、ブルーになっちゃうのよね~。私の翼を返して! みたいな。わかるでしょ?」
 はあ。まあ、なんとなく……。
 彼女の斜め隣には、長毛種だけどフルフルと違っておっとりした気品のあるオスが前足を組んで香箱を作っていた。瞑想でもしてるみたい。
「彼はアインステイン。ぼくの親友の一匹(ひとり)さ。相対性理論を研究してるんだよ」
 うそ~!? リューイにもびっくりだけど、そこまで天才の猫っているの?
「いまの研究テーマは?」
「猫と犬の相対性理論だよ。猫Xと犬Yとが接近するとき、XY間の距離Rが縮まるにつれて両者の緊張が高まる。これをそれぞれx及びyとしよう。このxとyがある閾値を越えた場合、威嚇、逃走、反撃、あるいは融和といった高次の行動に結び付くわけだが、xとyは異なるパラメーターによって決定される。それが従来の特殊相対性理論の考え方だ。だが、実はこのパラメーターは統一的な概念に基づいて解釈することも可能なのだ。これを一般相対性理論と呼ぶ。xとyとは相互に影響を与え、観察者の測定にも量子的に左右される。ここにある定数を導入することによって……」
 ……。何言ってんだかさっぱりわかりまへん。
「森羅万象を相対化するのが彼の目標なんだってさ」
 リューイがこっそり耳打ちした。そりゃ、ノーベル賞級の研究だね。がんばってください。
 いちばん奥にいたのは、なんだかキョロキョロと視点の定まらない、少し老け気味のオス。フルフルみたいにきったないけど、前足の赤い色が印象的だ。
「彼はイートバグズ。ゴキブリ捕りの名人なんだよ」
 ……。
「今度大物のクロゴキブリを捕まえたら、お嬢さんにもプレゼントしてあげる。ぜひ受け取ってよ」
「ぜひ遠慮しときます」
 最後に紹介されたのは、クリーム色の毛をしたガリガリのメスだった。
「彼女はゼンちゃん。喘息の持病があるからって」
 ……。おい、親、もっとネーミング考えろよな! ミソだのワサビだのシューマッハーだの、今日集会に出席してるのは変な名前の猫ばっかりだけど……。
 ゼンちゃんはケホッと軽く咳をしてから、たおやかにあいさつした。
「こんにちは」
「ど、どうもはじめまして。あの……お具合はいかがですか?」
「次の冬は越せそうにないわねぇ……」
 空気がずうんと重くなってしまった。バカな質問しちゃったかも。
「でも、私はそれでいいと思ってる。猫生(じんせい)ってそういうものよ。あなたも悔いのない生き方をなさいね」
「……はい」
 私はリセットされた人間としての一四年間を、つい振り返ってしまった。心残りばっかりだ。
 せめて、猫としてのこれからのじんせい猫生は、彼女の言うように、悔いのないように生きなくちゃ。
 自己紹介が終わったところで、私たちはみんなとおしゃべりしたり、毛づくろいしたりして、集会の残りの時間をすごした。

「ねえ、集会ってどういう理由で開くの?」
 ねぐらへの帰り道、私はリューイに尋ねた。
「そんな大げさな意味はない。基本的に顔合わせだよ。近所づきあいの一環さ。人間でもよくやるでしょ? 参加してるのは、オスとつがってるメスばっかりみたいだけど」
 ……。つまり、猫の井戸端会議ってわけだね。
 今日集会場へ集まった顔ぶれを思い返す。
 雑種もいれば、いかにも立派な血統書の付いてそうな品種の子もいる。飼い猫や半飼い猫もいれば、リューイみたいに完全に人間から自立している野良猫もいる。毛色や年齢もバラバラ。性格も、みんながみんな個性的で、そのうえ魅力的だ。どっちかっていうと、ツッコミどころ満載な猫が多かったけど……。
 そして、フルフルみたいに腕力だけが取り得なやつもいれば、ゼンちゃんみたいに身体の弱い子もいる。なのに、みんなが集まる集会の場は平和そのもの。
 集会以外のときも、猫同士は道でばったり会ったりすると、お互いに道を譲り合う。先に譲るのは弱いほうとは限らない。後から来たほうだったり、低いところにいるほうだったりする。相性の良し悪しから小競り合いになることもあるし、メスをめぐるオス同士の争いは本気モードだけど、基本的にみんな対等の関係なんだ。
 そういうところがまた猫らしい。
 猫に対する好感度がまた上がった。8ポイント、今日出会った猫たちの分。フルフルも含めて。

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