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9 遺跡突入




 俺は満点の星空をながめていた。三六〇度、さえぎるものは何もない。降るような星空。こうして見ているだけで眩暈に襲われそうになる。
 見慣れた星座は一つもない。いま見上げている星々はどれも、どれほど高性能の望遠鏡を使ってさえ、地球からじゃ決して見ることはできない。百三十億光年彼方の星々。まだ生まれてさえいないか、とっくの昔に燃え尽きているはずの星々。
 そしてもちろん、頭上にさんざめく星座の間をいくら探したところで、地球も太陽も見つかりはしない。つい半年前まで俺がいた世界は、いくつもの暗黒星雲や超銀河団が織り成す闇の帳の向こう側──どんなに手を伸ばしても、高度に発達したメタコスモスの星間航行技術をもってしても、決して届かない遠い遠い宇宙の彼方にあるのだ。
 ジュディがテントから這い出してきて隣に並ぶと、黙って夜空を仰いだ。
 しばらく一緒に星をながめてから、俺の顔色をうかがうように声をかける。
「お父さんとお母さんのこと、心配してるの?」
「ありゃりゃ、バレちゃったか……。おまえの鼻にはやっぱりかなわないな、ハハ」
 ごまかすように照れ笑いを浮かべて、また視線を星空に戻す。
 俺が事故に遭った後のことは、ジュディたちには聞いていない。聞くのが恐かった。それを聞くことで、俺の死が九九・九九・・・%ではなく一〇〇パーセント確定しちゃいそうな気がしたから。
 こっちの世界でも、温かい住人たちが迎えてくれて、敵ではあるけど気心の知れたライバルたちがいて、何よりミオとジュディがそばにいてくれる。ふだん寂しさを感じることはない。
 けど、両親や、中学・高校の友人たちがいまごろどうしているか、気にならないと言えば嘘になってしまう。
 といって、こっちの世界であれこれ思い悩んだところでどうにもならない。すべてはこのゲートキー争奪戦を制してからだ。そうすれば、またみんなに会うことができるのだから……。
「ちょっと冷えてきたな。さすがに砂漠の夜は寒いや。さ、入ろうか」
「うん。明日にはたぶん遺跡に着けるよね!」
「たぶんな」
 テントに入りかけたとき、不意に東の空がまばゆい白光で満ちあふれた。
「あっ!!」
「船だ!!」



 巨大な流れ星が頭上を駆け抜け、エンジン音と大気を揺るがす震動が、地上にいる俺たちのところまで伝わってくる。
 光は砂丘の向こう側に消えた。俺たちの目指している方角と同じ──つまり、船の目的地がアヌビス遺跡であることは疑いない。
 くそ、どこのチームだ!? 夜間でこの距離だと、外見からでは判別がつかない。
「どうする、トウヤ?」
 小夜たちと一緒に神鳥探索に出かけたミオと別れて三日が過ぎた。ヨキの話では、【ミョージン】はあれからどういうわけかあっさり俺たちの追尾をあきらめ、星系外に去ったという。たった三日でまた気が変わってとんぼ返りってのもなさそうだ。
 アヌビス遺跡の周囲には堅固な結界が張られていて、守護下にあるイヌ族の者が同伴しない限り、それ以外の種族は立ち入ることが許されない。結界には光学遮蔽効果も備わっているため、正確な座標を知らなければ上空から探知することさえ不可能なほどだ。そのうえ、内部にも侵入を拒む数々のトラップが用意されている。それらの仕掛けもまた、伝承の中に隠された解除手段を知らないイヌ族以外の者には、おいそれと突破することなどできないはずだ。
 チーム内にイヌ族のクライアントがいるのは三チーム。一つは俺たち【カンパニー】、後の二つは【トリアーデ】と【ロンリーウルフ】。その他のチームは、仮に遺跡の位置を突き止めたとしても、手前で門前払いを食らうのがオチだ。わざわざ足を運ぶだけ無駄骨折りというものだろう。俺たちの召喚術入手を阻止すべく、遺跡のすぐそばで網を張って待ちかまえている可能性もなくはないが……。
「いまのはまず轟天号じゃないだろう。夜間飛行中だってあの派手な装飾は目に付くからな。結莉たちはシェナにいるはずだから、シルバー・アルカディアでもない。サジタリウスとアンドロメダを除外すれば、残るは【イソップ】のミルキー・コメットと【ジョーカー】のバイオレット・ボルテックス・ブラスターだが、消去法でいけばやっぱり後者だろうな。カインのやつのことだ、俺たちが遺跡の前までやってきたら、どっか高い所に登場して『やあ君たち、待っていたよ』なんてかっこつけるに違いないぞ。今夜はここで泊まって、いまのうちに十分体力を回復させといたほうがいい。こっちはミオがいなくて戦えるのはおまえ一人なんだし。あいつにはせいぜい待ちぼうけを食らわせてやればいいさ」
 今しがた船が降下したばかりの遺跡の方角を凝視しながら、ジュディは首を振った。
「トウヤ、やっぱり今夜のうちに遺跡を目指そうよ。ボク、なんだか胸騒ぎがするんだ……」
 いつものジュディらしくない不安そうな表情だ。こういうときに限って彼女の勘はよく当たるんだよな。いやな予感がするのは俺も同じだったが。
「……わかった。ただし、遺跡の手前でトルマリンのヒールを使うこと」
「え? いいよ。魔力がもったいないじゃんか」
「ダメだ。魔力のストックより、体調を万全に整えるほうが優先だよ。無理してしくじったら元も子もないだろ」
 ジュディはなおも渋ったが、結局折れた。
 テントをたたみ、行軍を再開する。
 砂の中を一歩一歩前進するのはかなり骨だったが、幸いみちみちモンスターに襲われることはなかった。これも遺跡の強力な結界の影響なのだろう。
 東の空が白みはじめた。まもなく夜明けだ。濃紺から紫、赤へと、空の色が刻一刻と移り変わっていく。
 そのとき、西の地平線の方角に、朝日の反射を受けたアヌビス遺跡の東の壁面が見えた。後ろ側に長い影がたなびいているのもわかる。この距離なら、後一時間のうちにたどり着けるだろう。
「トウヤ、急ごう! もう一息だよ!」
 山頂を目前にした登山家のように、ジュディが張り切って言うと、歩くスピードを早める。
 それは、一辺が五〇〇メートルはある巨大な石造りの建造物だった。地球上で例えるなら、エジプトにあるクフ王の大ピラミッドを二回りも大きくしたような印象だ。
 遠目には四角錐型ののっぺりした建物に見えるが、四五度の斜度でそそり立つ四方の壁面は、目を凝らすと、無数のモザイクが組み合わさったような複雑な構造になっている。これじゃ、入口が一体どこなのか、部外者にはまったくわからない。下手に侵入を試みれば、立体迷宮に迷い込んで二度と空を拝めなくなるだろう。
 周囲を見回したが、他チームの船影は見当たらない。遺跡の向こう側に着陸したのだろうか。
 もし、やって来たのがカインだったとしたら……。
 夕べは軽口をたたいたものの、正直そのことを考えると身震いが走る。メンバーは単独ながら、少なくとも四つ以上のゲートキーを集めたうえに、召喚術まで真っ先に確保してトップを独走している最強チームを、二名のクライアントのうち一人を欠いた状態で相手にするのは、無謀もいいところだ。姿が見えないうちに先回りして、神獣アヌビスにコンタクトできれば、それに越したことはない。
 俺たちは、遺跡の一辺を底辺として正三角形を描いたときにできる頂点の位置にやってきた。ちょうどピラミッド全体が視野に収まるポイントだ。
 ジュディが胸一杯に空気を吸い込む。
「アオオオォォォ────ンッ!!」
 遠吠えは、人工とも自然ともつかない不思議な石材から成る遺跡の壁面に、吸い込まれるように消えていった。
ジュディがじっと耳をすませる。俺の耳にはほとんど聞こえないが、感度の優れた彼女の耳は、どれほどかすかな残響も聞き逃さなかった。
「よし、あそこだ! 三階の右から、ええっと、ひいふうみい……十八番目のブロックが通廊への入口だよ」
 【カンパニー】がイヌ族の守護神についての情報を入手したのは、人口の多数をイヌ族が占める惑星ダリの田舎町。最初に町長や長老などを当たってみたのだが、結局最も確からしい情報を握っていたのは、酒場の奥で飲んだくれていたただの老人だった。
 言っちゃ悪いが、そのじいさんははなはだ信用が置けなかった。治癒力向上魔法と高度な医療技術の融合により、メタコスモスの知的種族の平均寿命は軽く一〇〇歳を超えるほどになったが、その老人はなんと自らの年齢を一五〇歳だと称した。自分はアルコールが回るほど記憶がはっきりするのだとも。うさんくさいことこのうえない。しかも、初対面のはずのミオに向かって「おお、お嬢ちゃん、また会ったのう♪」などと赤ら顔でモーションをかけてくるくらいだ。
 その、ヨナも顔負けの女好きの酔っ払いジジイに、ミオがカクテルを何杯もご馳走し、惑星アヌビスの所在と、神獣にアクセスするための注意事項をいくつか聞き出したのだった。
 俺としては、彼が教えてくれた遺跡への入り方が本当に正しいのか、未だに半信半疑なのだが、いまはそれが当たっていることを祈るしかない。
「よし、中に入ろう!」
 まるでお散歩前のワンコのように急きたてるジュディを呼び止め、トルマリンの宝玉の入ったゲートキーを振って見せる。
「おい、ヒールを忘れてるぞ」
「えっ? ううん……わかったよ。別に要らないのに……」
 ブツブツと文句を言うジュディ。モゴモゴと詠唱すると、彼女の全身を青緑の光がチカチカと瞬きながら包み込んだ。
「しっかりかけたか?」
「うん」
「しくじったら俺までミオに文句を言われるんだからな」
「大丈夫だってば」
 俺がジュディに念押しして回復を促したのは、カインなり他のチームとばったり出くわす可能性もさることながら、召喚術を手に入れる手順自体が生易しいものではなかったからだ。
 神獣の加護を得るためには、相応の資格の持ち主であることを証明しなければならない。ただのモンスターとは格の違う相手──すなわち、当の守護神獣に戦いを挑み、勝利を収めることで。この辺りの感覚もまさにRPGそのものだ。
 ジュディの嗅覚と聴覚を頼りに、遺跡の深部へと進む。照明らしきものは見当たらないが、なぜか遺跡の内部は全体にほのかな光で満ちあふれている。
 遺跡自体が創られたのは、いまから一万年以上も遡るはるか太古の時代だという。言い伝えによれば、イヌ族がオオカミ族と袂を分かった際に、始祖が神獣アヌビスを祀るために建造したとか。
 だが、高度な宇宙文明が興る以前に、こんな巨大な建造物を作り上げる建築技術が本当にあったとは、にわかには信じられない。ネコ族の神獣バステッドにまつわる不可解な秘儀もそうだったが、高度に発達したメタコスモスの文明創世の経緯には、何かと謎が多い。
 やがて俺たちは大きな部屋にたどり着いた。
 ジュディが立ち止まって、しきりに辺りを嗅ぎまわる。さすがに床に這いつくばるまねまではしないが。
「ん、どうした、ジュディ?」
「おかしいな……ここ、たぶん〝従者の間〟のはずなんだけど……」
 ダリの老人から得た情報では、神獣本体と遭遇する前に、三体の従者の相手をする段取りになっていた。だが、このドーム状の空間に、何かが潜んでいる気配はない。
 首をかしげながらも、ドームを出て次の部屋へ向かうことに。ところどころ折れ曲がった長い通廊がずっと伸びている。しばらく進むと、さっきと同じような広間に出た。
 こちらもがらんとして人っ子一人、イヌコロ一匹いない。
 だが、ジュディは鼻をクンクン言わせながら眉をひそめた。
「ここに、数時間前までだれかがいたんだ。間違いないよ。それに、モンスターらしい気配も残ってる。さっきはほんのかすかで確信が持てなかったけど」
 俺は首をひねった。
「じゃあ、俺たちより一足先にだれかがここへ来て、守護神獣のいる中央の間を護る従者をやっつけちゃったっていうのか?」
 ジュディは真剣な面持ちでうなずいた。
「カインのやつが、ネコ族の召喚の力を使って無理やりねじこんだってことはありえないかな?」
「それはないよ。数時間前にここを通ったのは、ボクと同じイヌ族だよ」
「【トリアーデ】のダックスだと思うか?」
「ううん、ジロじゃないよ。ボクがいままで会ったことのないイヌだ」
 とすれば……該当する人物はただ一人。
 背筋に冷たいものが走る。それ以上のことを推量する気にもなれず、俺たちはさらに通路の奥へと進んだ。
〔GULLLLL(×3)!! 〕
 敷居をまたいだ途端、いきなり咆哮とともに火炎放射の洗礼を受ける。
「あちゃちゃちゃっ!」
「トウヤ、下がって!」
 今度の部屋にはちゃんと主がいた。トラほどもある巨大なイヌ、しかも首が三つもある。いわゆるケルベロスというやつだ。もっとも、惑星クレメインのミツクビザルとは違い、威厳を備えたちゃんとしたイヌらしい頭だ。守護神獣アヌビスの従者に間違いないだろう。住民に害をなすモンスターたちとは異なり、歴とした聖なる神の僕だが、実質的にはレベルの高いモンスターと同じだと思っていい。
 ジュディは臆することなく、剣を片手に果敢に斬りかかっていった。
「てやぁっ!!」
 巨体の割に動きの素早いケルベロスは、ジュディの剣先をさっと交わしていく。
 三つの巨大な顎が右、左、上の三方からジュディめがけて襲いかかる。
「危ないっ!!」
 ジュディは間一髪のところで強力な顎門に噛み砕かれるところを免れた。栗色の毛がパッと周囲に飛び散る。これじゃ、三体の敵を同時に相手にするようなものだ。従者といっても決して侮れない。
「ジュディ、リーチが違いすぎる! いったん下がって宝玉魔法を使え!」
 ジュディが後退して間合いを取るや、ケルベロスは火炎弾を放ってきた。ギャラリーの俺のところまで火の粉が飛んでくる。すさまじい熱気だ。だが、ジュディが前線で戦っているのに、これしきのことで泣き言を言うわけにはいかない。
 連戦になることを考え、宝玉の魔力を節約したかったのだろう。ジュディは俺の指示には従わず、代わりにイヌ族の特殊スキルを発動した。
「飛燕剣!!」
 剣圧で一種の真空状態を作る遠隔物理攻撃技でもって、火炎弾を弾き散らす。すかさず、今度は魔法の詠唱に入る。
「凍牙!!」
 ガーネットの持つ冷属性レベルⅠの魔法をイヌ族の剣技にオーバーラップさせた、物理魔法両属性を併せ持つ大技だ。ジュディはそれを、火炎弾を吐いたケルベロスの首の一つに向けて繰り出した。
〔GARRR!! 〕
 断末魔の絶叫。中央の首がホールの床にゴロンと転がり、ダークマターの霧と化していく。
 だが、まだ首は後二つ残っている。頭が一つ欠けたくらいでは、ケルベロス本体はびくともしないようだ。
 左側の首が、今度は火炎弾の代わりに、怪しい緑色のガスをシューッと吐き出した。硫黄のような強烈な臭いがここまで漂ってくる。
「下がれ、ジュディ! ステータス異常系だぞ!」
「くっ!」
 ジュディが手で顔をかばいながら後ろに跳びすさり、再び間合いを置く。
「烈風斬!!」
 今度はエメラルドの持つ範囲攻撃魔法エアロレベルⅡと剣技の重ね技だ。
 ジュディは物理攻撃力と体力のステータスこそ高いが、魔力は七チームの全クライアントの中でもかなり低いほうだ。特殊スキルを活かしてその弱点を補うやり方は、ミオのアドバイスによるものだった。それでも、本人の鍛錬あってこそ、これだけ完成度を高められたと言える。
 いいぞ! これでケルベロスの毒ガス攻撃を阻止したうえに、二つの首両方にダメージを与えることができた。
 間髪入れず、敵の懐に飛び込む。
「とどめだ! 燕返し!!」
 最後は素早い高威力の直接攻撃。左側の首の咽喉もとに一閃、返す刀で右側の首にもう一閃。二つの首が、ほとんど同時にボトリと落ちる。
 従者の姿は、蒸発するかのように消えていった。
「やったな、ジュディ!」
 剣を鞘に収めたジュディは、俺に誉められて笑みをこぼしながらも、やや納得がいかないように顔をしかめた。
「節約しようと思ってたのに、だいぶ宝玉の魔力を消費しちゃったよ。きっと神獣本体はこの比じゃないだろうに、こんな調子で大丈夫かな?」
 パチパチパチ──
 俺たちの背後で拍手があがった。
「ふむ……粗削りだが、戦闘センスは悪くない」
「だれだ!?」
 低い声に振り向くと、見たこともないイヌ族の男性がそこに立っていた。凛とした立ち姿は、一九〇センチはありそうな上背以上の威圧感を放っている。垂れ耳のジュディと違い、耳は鋭く天を向いていた。腰に吊り下げた大剣は、もちろん飾り物じゃない。
「お、おまえは!?」
 ジュディの尻尾の毛がブワッと逆立つ。
「自己紹介の必要もないとは思うが、あえて名を名乗ろう。わが名はレナード」

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